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10 記者の遠藤は見送るしかなかった、公式サイトの写真

  遠藤はTV出演の話を聞いてスタジオに入る事ができないかと考えた。

 だが、見学を申し込んでも断られた。

 「大型犬、家庭犬です、何かあっては責任がとれません」

 調べるとゲスト出演するのは専門家だけではない芸人もいることがわかった。

 悔しさというよりも不満が滲む。

 インタビュー後、テレビ局の外で待つしかないと考えた。

 それを知り合いの雑誌記者に相談する。

 「正直、俺ならしない」

 真面目な顔で帰ってきた言葉、遠藤はすぐには返事ができなかった。

 「インタビューが終わった後だ、犬が興奮していたらどうする」

 「おい、そんなこと言って」

 脅かすなよと言おうとした。

 「お前が怪我をしたら、映画会社が」

 まずい事にならないかと言われて遠藤は驚いた。

 だが、諦めることなんてできないと思った。


 テレビ局の正面入口、そして非常口――

 遠藤は人の流れを追って歩いた。

 だが、思いもしなかった光景に足を止める。

 入口には、すでにカメラを持った連中が群がっている。

 空気が張り詰めている。全員、何かを狙っている顔だ。

 驚きと焦りが胸に広がる。

 自分以外にも狙っている記者がいた。

 

 「あんた、非常口のところにいただろ」

 遠藤は振り向いた。

 目の前に立つ男は、カメラもバッジも持っていない。

 だが、目つきは、遠藤の行動をすべて見抜いているような、冷たい視線だった。

 口ごもる遠藤に、男は肩をすくめて笑う。

 「こっちで正解だよ。あんな大きな犬、非常口から出入りすると思ったのか?」

 男は黙ってスマホを取り出した。指先が無駄に迷いなく、ロックを外す。

 「シャッター音は切ってるんだろうな」

 遠藤は意味がわからず眉をひそめた。

 男はスマホから目を離さず、冷静に言う。

 「行動が読めない。吠えもしない、いきなり襲ってくる。しかも物音に異常に敏感だ」

 「カメラの音でも?」

 「耳がいいんだ」

 男は口の端だけで笑った、冗談の色はない。

 遠藤は一瞬、言葉が出なかった。

 「詳しいんですね」

 なんとか、それだけ返す。

 「少しは調べたんだろ?」

 男は静かに続ける。

 「大型犬で、穏やかで、家庭犬向きって……」

 そう言いかけた瞬間、男の目が鋭くなった。

 「それ、本気で信じてるのか?」

 目は笑っていなかった。

  「公式を見ただろ、父親もハルクインかもしれないな」

 意味がわからず、遠藤は目を丸くする。

 「親が同じ白黒の斑なら、子どももそうなるんじゃないんですか?」

 男は低く言った。

 「遺伝は人間の力じゃ無理だ、疾患や遺伝性の病気も多い。見た目に騙されるなよ」

 自分が知っていたのは、表面だけだったのか。

 遠藤は言葉が出なかった。

 

「おい、なんだ」

 「……送迎か?」

 誰かが低く呟いた。

 送迎車かと思った、空気が違った。

 遠藤の背筋がこわばる。胸の奥がざわついた。

 車は、音もなく滑るように近づいてきて、自分たちのすぐ前で止まった。


 記者たちがざわめく間もなく、静寂がその場を支配する。

 その異様な沈黙に、誰もが息を潜めた。

 外車だ、しかも大型の、芸能人、あるいはもっと大きな存在か――

 目に見えない緊張が、記者たちの間に伝播していく。

 ゆっくりと、ドアが開いた。

 現れたのは、長身の外国人。黒一色のスーツに身を包み、顔を覆うサングラス。

 歩き方に隙がない。

 肩の動きに無駄がない。

 その姿は、まるで要人警護のSPだ。

 すぐにもう一人が降り、連携するように後部座席のドアへ向かう。

 淡々とした動き。だが、隠しきれない緊張感が滲んでいた。

 彼らは、何かを「迎える」態勢だった。

遠藤は自分が緊張していることに気づいた。


 不意に記者たちの空気が変わった。

 「おい、出てきたぞ」

  「ま、待てっっ」

  入口を覗き込もうとした遠藤の動きが、不意に止まる。

 「リードがないぞ」

  誰かの声が、刃物のように空気を裂いた。

 

 現れたのは、白と黒の斑の犬。

 カメラを構えようとした。

 だが、サングラス越しの男たちの視線に気付いた。

 犬はためらいもせず、静かに黒塗りの外車の後部座席に身体を滑り込ませる。

 それを見た瞬間、遠藤の思考が一瞬にして空白になった。

 何故、犬が?

 次の瞬間、男が姿を現した。

 白髪の、その風貌だけで異質さが際立つ外国人。

 鋭い眼差しが一同を切り裂くように走る。

 「Vous m'avez posé une question désagréable, Mademoiselle.」

 柔らかくも冷ややかな声が、遠藤の耳を直撃する。

――不愉快な質問されたよ、マドモアゼルはね。

 紳士はドアを開ける男に軽く頷いてみせた。

 その仕草だけで場の支配者が誰なのか、誰の物語なのか、全員が思い知らされた。 

遠藤は、理解が追いついていなかった。

 目の前で起きていることが現実か判断できない。


 信じがたい光景なのに、体が動かない。

 驚く、というより、呆然。

 思考も感情も、硬直していた。

 その直後、白いスーツの男、黒いスーツの男たちが無言のまま車内に滑り込んでいく。

 ああ、役者か。

 気づいた、だが、声をかけられなかった。

 自分が、ただの観客に成り下がったような、強烈な疎外感。

 ふと、遠藤は気づいた。

 黒スーツの一人が、窓越しにこちらを見ている。

 視線が合った――と感じた瞬間、その男が口元をわずかに緩めた。

 笑っている。

 確かに、笑った。

 遠藤の背筋に、氷のような何かが走った。

 それは優しさではなかった。侮蔑でも、皮肉でもない。

 静かな余裕だ。

 車のドアが閉まる音が、世界との断絶を告げたように響いた。

槇原は待っていた。

 神埼に「今夜、公式を見てください」

 あの言葉が気になっていた。

 冗談ではない、目をそらしている様子もなかった。

 その夜、自宅のノートパソコンを開いた。

 まだ更新はされていないのか。 

 まさに公式サイトをタップしようとした、そのとき。

 スマホの着信音が夜の部屋に響いた。


 画面には白鳥の名前。

 「サイトをごらんになりました?」

 開口一番、白鳥の声は震えていた。

 ただの怒りじゃない。動揺が混じっていた。

 「信じられるわけ無いでしょう!」

 あまりに強い口調に、槇原は思わず背筋を伸ばした。

 「どうしたんです。落ち着いて」

 白鳥は息を乱したまま続けた。

 「公式サイトです。あの犬の写真です。母犬だなんて、嘘に決まっています!」

 槇原は言葉を失った。

 母犬?

 写真?

 まだ見ていない自分には、白鳥の言う内容が掴めない。

 ただ、ひとつだけ理解できた。

 白鳥が“怒っている”のではない。

動揺しているようにも感じられた。

 それが、妙に胸をざわつかせた。

 そんな反応が出るような写真なのか?

 神埼が、嘘をついていないと自分に確信させるほどの何かがあるのか?

 白鳥の息遣いがスマホ越しに突き刺さる。

 槇原は静かに目を伏せ、喉がひりつくのを感じていた。

 まだ何も見ていないのに、心臓だけが先に警鐘を鳴らしていた。

 

スマホを切ったあと、槇原は無言のまま画面をタップした。

 神埼が言っていた「公式サイトを見てくれ」という言葉が、耳に残っていた。

 嘘をつくような男には見えなかった。

 軽口の裏に、妙な真剣さがあった。


 スクロールしていく指先が止まる。

 ポスターのようなバナーをクリックした瞬間、一枚の写真 が画面いっぱいに現れた。


 La tempête de neige de ma mère 

 母の吹雪です。


 その文字が静かに添えられていた。

 画面の中に映るのは、白と黒のまだら模様の子犬――グレートデンの“雪”。

 成犬に近い大きさだが、まだその目にあどけなさが残っている。

 その横に寄り添うように並んで座る一頭の犬。

 鋭い眼光は前をまっすぐ見つめていた。

 日本犬……紀州か秋田か、その血を感じさせる姿。

 だが、それにしては大きすぎた。

 普通の雌ではあり得ない骨格。

 槇原の知識が即座に告げる――混じっている。洋犬の、しかも大型犬の血が。

 「……母犬だと」

 思わず、声が漏れた、自分でも気づかぬほど小さな驚きの声だった。


【公式】雪の隣にいた犬、あれ本当に“母”なのか?


 1:名無しの視聴者

 さっき、なんとなく公式サイト見てて、雪の写真タップしてみた。

 出てきた画像、一瞬で固まった。

 白と黒のグレートデン、たぶん子犬の頃の雪。

 その横に、でかい毛の多い犬。紀州?秋田?でも……それにしては大きすぎる。


 2:名無しの視聴者

 La tempête de neige de ma mère

 「母の吹雪です」って、写真の下に書いてあった。

 説明も何もなし。

 でも、何か全部を語られた気がして動けなくなった。


 3:名無しの視聴者

 実の母犬は出産で亡くなったのかもな。

 大型犬って出産で命落とすこと、割とあるらしいし。

 4:名無しの視聴者

 あっ、私もそう思いました。

 “血”じゃなくて“生”を守った犬なんじゃないかって。


 5:名無しの視聴者

 でも、この吹雪って犬、明らかに雌にしてはデカい。

 顔つきも体つきも、普通じゃない。

 番犬っぽくもない。


 6:名無しの視聴者

 ペットには見えなかった。


 7:名無しの視聴者

 「甘やかされていない」っていうのが一発でわかる犬って、いるんだな……

 でも、拒絶してるわけじゃない。

 そこに“いる”ことを選んだだけの、覚悟の顔だった。


 8:名無しの視聴者

 演出じゃないと思う。

 作ろうとしてできる構図じゃない。

 むしろ、偶然じゃないと撮れない一枚。

 ネットでファンのスレッドを見た


 槇原は、画面に並ぶスレッドの言葉の数々に、しばらく言葉を失っていた。

 誰も「血のつながりがある」とは言っていない。

 むしろ、ないことに皆気づいている。

 それでも彼らは、あの二頭を「親子」だと自然に受け入れていた。

 専門知識ではなく、見たまま、感じたまま、迷いなく真実にたどり着いていた。

 ──俺は何をしていたんだ。

 どこか、胸の奥がざらついた。

 気がつくと、あの夜のもう一人のゲスト――芸人の川口に連絡を取っていた。

 白鳥以外の誰かの声が、今はどうしても聞きたかった。

 電話の向こうで、川口の声はあっけらかんとしていた。

「俺は専門家じゃない、でも親子なんだって思ったんです」

 まるで、答え合わせのいらない世界にいるみたいに。

 「ただ、並んで座っているだけなのに、雰囲気というか……似てるって思ったんです」

 その言葉に、槇原は息を飲んだ。

 “似てる”──それは、自分がこれまで見落としていた視点だった。

 血縁とか、習性とか、知識の範囲で物事を判断していた自分に川口の感覚は、衝撃だった。

 専門家として、犬を守ってきたつもりだった。

 理屈で固めた知識は、時に真実から目を逸らさせる。

 白鳥のように怒りにのまれて判断を歪めた人間よりも、

 何も構えていない川口のほうが、まっすぐに核心を掴んでいた。

 槇原は電話を切ったあと、しばらく動けなかった。

 白鳥にも、そして自分にも、失望に近い感情がじわじわと湧き上がってきた。

 だがそれは、悲観ではなかった。

 お笑い芸人の川口。

 動物に詳しくもない、ただのテレビの“賑やかし”だと思っていた。

 けれど今、彼のほうが確かに「真実」を見ていた。

 専門でも肩書きでもない。

 槇原は苦笑した。

 「一番、見えてなかったのは」

 自分だと思ってしまった。


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