12
母親は書置きを握りしめて、玄関扉で息絶えていた。
夜遅く仕事から帰宅して、直の家の前を通った若い女性はさぞかし驚いた事だろう。
扉に人間がぴったりとくっ付いて、足を浮かせていたのだから。
『お母さんはお家で待って居るよ』
「握りしめていた書置きには…そう、母の字で書き足されていました」
父に引き取られた直は、父方の祖父母と同居になり、厳しく躾けされる様になった。
直が、繰り返し繰り返し聞かされる母への罵倒と、将来そんな女に引っかからない様にと言われ続ける生活に耐えている頃、父親は実家を出た。
直を置き去りに。
「数年後、新しい奥さんと赤子を連れて帰ってきましたけどね」
他人の目を気にしながら「可哀想な俺」で新しい家族を作って来る父親。
幻滅はしても、直はその新しい家族と住むことになる。
「新しい母と妹と住んで、どれだけ酷い事を母が姉にしたのか分かりました。…いえ、僕が受けたのとは比べ物にならないのかも知れません」
新しい家で、直は居ない者の様な扱いは受けたものの、姉の様に暴力を受けた訳では無かった。
「居ない様に扱われるのが…どれほど辛いか…まして実の母親なら尚更です。連れ出された先の寒いホテルも、刃物を持って髪を振り乱しながら父や祖父母に向かう姿も『一緒に死のう』と迫る母も、恐ろしかった。…だけど…」
生きていて欲しかったと思った。
直の手から姉も、母も全てが擦り抜けて消えていき、何も残されていない様に感じた。
たった一人自分を愛してくれる存在。
まさに、自分を認めてくれる存在が、今はもうどこにも居ない。
「父と新しい家族。そして僕との間には暖かな家族の温度は在りませんでした」
幼い妹が直にくっ付こうとする度に、新しい母親との関係は冷え、父は無関心。
まだ未成年だった直はそれでも家に帰る。
高校を卒業したら、アルバイトで金を溜めて、独り立ちする事を考えた。
「姉の事も、母の事も…父の事も知られていない。あの街の外に出ようと考えたんです。…そしてある街に移り住みました。…そしてそこで…カロンさん、あなたが居る『ここ』をハッキリと思い出したんです」
直がカロンの方に向いた。
その眼にはカロンへの怒りは無く、悲しみだけが浮かんでいた。
「その人は直接ここへ来た人ではなったんですが…」
聞くと、知人の祖父が不思議な場所へ行った話をしていたのだと言う。
幼かった頃の知人は夢の話だと思ったらしいが、繰り返しうわ言の様に言うので、被災する前の平和だった頃を美化して話しているのだと、知人は結論付けていた。
「その話を聞いて、僕の…僕と姉の出来事は夢じゃなかったんだと、思いました」
「ここで川に落ち…現世でお前の姉は死んだ。嘘でも夢でもない」
カロンは直と目を合わせた。




