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不思議な露天商  作者: 樋口 涼
不思議な露天商

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67/91

3

船頭の纏う布が、はためくのを止めた時、時が止まった様に全ての音が消えた。

布を重くした水も引き、青年の震えだけがカロンに伝わって来る。


そっと、船頭に触れた。

陰で顔は見えないが、だいぶ具合が悪そうだ。

脇にはまだ刃物が刺さっているが、それが原因ではない。

カロンも船頭も分かっていた。


船頭が船から降り川を離れた所為で、川が氾濫し空が渦巻き街を襲い破壊した。

船頭は制約を破ってしまった。

その罪の代償に、船頭はもうすぐ消える。


残っていた店の壁に船頭の背を凭れさせ、カロンは立ち上がって見た。

変わり果てた街の姿を。


「…」


立ち並んだ露店もタイルの道も、街を流れていた一本の川を残して全て崩れていた。

あんなに明るく川を照らした店のランプも、蝋燭も何も無い。

ガラクタ化した物が、散らばっているだけ。


そして、川の両脇に微かに残った瓦礫だけが、そこに「何か」があったのを示している。

瓦礫の陰に、幾人かの露天商の店主だった者達が蹲っていた。


彼らはもう渡れない。

カロンはそう思った。


彼らの溜めた「代価」はガラス管と共に砕け、空や川へ消えた。

ガラス管一本分が、川を渡る為必要だ。

それが、もう無い。


客人達も数人残っている様だ。

代価を持つ彼らは…船頭さえいれば…。いれば…。


しかし、肝心な船頭は虫の息。

それに…船頭の操るべき船が、見るも無残に壊れていた。

川岸に着いてはいたが船体は半分に割れ、乗る事が出来ない状態だ。


「カロン…」


いつもより嗄れた声で、船頭が呼ぶ。

袖から節の長い指が見えた。

以前とは違う…老人の様な指…そして手の甲。


ミイラの様に細長く、色もくすんだそれは膨らんだ袋を掴んでいた。

受け取り中を見ると、輝くばかりの代価だった。


「残りはお前にやろう…」


そう言うとよろよろと立ち上がり、自分の船に向かって歩き出した。


「待て…」


カロンは呼び止めたが、自身の声に違和感を覚えた。

カロン自身も嗄れた声になっている。

手も足も、まるで栄養失調の老人の様に細い。


「あぁ…」


船頭を追いかけたい…が、足が覚束無い。

服も嵐の中、飛ばされた露店の瓦礫や吹き荒んだ風によってぼろ布の様になっている。

それを必死に手繰り寄せ、袋と共に掴んだ。


カロンの周りに、元店主達が代価の光に誘われ集まって来ていた。

次々に手を伸ばし、代価を奪おうとするが、光で目が眩み阻まれる。

拒まれた元店主達は、瓦礫の闇へ逃げて行った。


船頭は一掴みの代価を持ち、船に着いた。

代価の一つを投げる。

すると船の離れた船体が一つに戻った。

もう一つ投げる。

ボロボロながら櫂が見つかった。

最後の一つを投げる。

船体が川に浮いた。


「…最期の航行だ…」


そう言ってランプの残骸を拾い上げ、その中に自身の懐から代価を出し、嵌めた。


それを合図に元客人達が、船へと集まって来る。

各々が手に代価を持っている所為で、それを狙って元店主達がわらわらと元客人ににじり寄るが、やり取りを介していない代価は元店主達を跳ね退けた。


元客人達は、カロンの持つ袋に代価を入れては船頭の船に乗る。

ほぼ全ての元客人が乗り終わると、船頭は船を出した。


ゆっくりと、自身が消えていくのと同じように船を流す。

船頭の衣が解けるように、分解するように、ひらひらと後ろへ流れていく。


どす黒くなってしまった川はそれを写さないが、カロンの目には輝いて見えた。

いつも通り、ランプが水面を照らす様に…光が満ちている様に。


そして、船は彼方に見えなくなり、戻って来なかった。

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