記憶を喰う者たち 5
怒涛の5話連続で。
話の矛盾とかあれば教えてください。
設定作ってはいるのですが、書いてると矛盾に気づかないこともあり。。。
忘却の騎士団との遭遇の後、俺は右腕を隠すように抱え込み、荒れた記憶市の路地をアリセとリズ、そしてザックと共に進んでいた。俺の体には、喰らった騎士の記憶が、じわりと染み込んできていた。
──くそ、頭が痛い……。そして、イライラする。
脳裏に、騎士の使命感や訓練の記憶だけでなく、彼の「記憶純粋主義」を盲信する感情が、まるで自分の思考であるかのように混ざり込んでくる。時折、「穢れた記憶は浄化されるべきだ」「異端者を裁くべき」という、俺の本来の思考とは異なる声が、頭の中で響く。それは、今まで感じたことのない、恐ろしくて、そして不気味な感覚だった。
「トオル、大丈夫……?」
リズが心配そうに俺の顔を覗き込む。
「だから、大丈夫だって言ってるだろ! いちいち突っ立ってんじゃねえよ! 行くぞ!」
俺は、苛立ちを隠さずに、つい強い口調で言ってしまった。リズはビクッと体を震わせ、アリセは無言で俺の右腕と、その瞳をじっと見つめていた。一瞬、自分が遠坂トオルなのか、それともハウザーの記憶の一部を宿した何者なのか、わからなくなるような錯覚に陥る。
「……ごめん」
我に返り、すぐに謝罪の言葉を口にするが、一度吐いた言葉は取り消せない。リズは怯えた目を向けたまま、俺から一歩引いた。
「ザック、情報交換場所ってのは、どこだ?」
俺は努めて平静を装った。ザックは、怯えながらも、約束を果たすべく先導する。
「この砦の、一番古い区画の地下だ。表向きはただの酒場だが、裏じゃ記憶の情報をやり取りしてる」
ザックの案内で、俺たちは迷路のような路地を進む。街は相変わらず虚ろな目をし人々で溢れ、記憶の結晶が薄暗い光を放っていた。アリセは周囲を警戒し、時折、何かに気づいたように足を止める。
「……トオル。あそこにいるのは、記憶管理審問官。それに、向こうの通りには、狂信者の部隊もいる」
アリセが指差す先を見ると、確かに聖記会の審問官が、物々しい雰囲気で街を巡回していた。狂信者たちの、異様な魔力の気配も感じる。聖記会も、忘却の騎士団とは別の目的で、この街に目を光らせているらしい。
「こんな場所で、奴らが何をしているんだ? とっとと片付けちまえばいいだろうが」
苛立ちが再び込み上げる。その言葉は、まるでどこかの誰かの思想が混じり込んでいるようだった。
「おそらく、私を探しているのでしょう。……この街で」
アリセは淡々と答える。彼女の言葉は、俺の思考の混濁とは無縁だった。
俺たちは、記憶管理審問官や狂信者に見つからないよう、細い裏道や崩れた建物の影に身を隠しながら進んだ。俺の意識は、相変わらず他人の記憶の残滓に揺さぶられている。一瞬、「聖記会の秩序こそが、全てを救う」「記憶を守護するべき」という、ハウザーや忘却の騎士の言葉が、俺自身の声のように聞こえた。
──違う! 俺は、そんなこと思ってない!
頭を振り、意識をかき消そうとする。これは、俺の思考じゃない。ハウザーや騎士の記憶が、俺の心を乗っ取ろうとしているのか。吐き気が込み上げるような不快感に、俺は唇を噛み締めた。
「トオル……本当に大丈夫?」
リズの心配そうな声が、俺を現実に引き戻す。アリセは、何も言わず、ただじっと俺を見ていた。彼女の視線が、俺の右腕に、そして俺の揺れる瞳に注がれている。その目に宿る深い洞察が、俺の醜い内面を見透かしているようで、俺はたまらなく嫌になった。
夜になり、俺たちはザックの隠れ家へと辿り着いた。それは、砦の古い区画の地下にある、ボロボロの木材で補強された、狭い空間だった。外の喧騒が嘘のように静かで、わずかな安堵に包まれる。
ザックは、俺たちが持ち込んだ僅かな食料を見つけて、目を輝かせた。
「こんなご馳走、久しぶりだぜ……!」
彼はそう言って、無心にパンを頬張る。その姿は、この街で生き抜く人々の、悲しいまでの現実を映し出していた。
食事が終わり、焚き火の火がパチパチと音を立てる中、俺はザックに尋ねた。
「なあ、ザック。あんたは、記憶を売ってるけど……自分の記憶を売ったことはないのか?」
ザックは、一瞬動きを止めた。彼の目に、遠い光が宿る。
「……一度だけ、あるよ。大切な……家族の記憶の一部をね。病気の母親を助けるために。その代わり、この記憶市で生きていく術を覚えたんだ」
ザックの声は、どこか諦めを含んでいた。彼もまた、この世界の犠牲者なのだ。
「リズも、自分の記憶を売ったって言ってたな。どんな記憶だったか、覚えてないって」
俺が言うと、リズが小さく頷いた。
「うん……でも、多分だけど家族との記憶だと思うの…今までの育ってきた時の記憶がほとんど思い出せないの。だから、記憶市に来れば、何か、手がかりが見つかるかもって……」
リズはそう言って、不安げにアリセを見た。アリセは、リズの言葉をじっと聞いていたが、何も答えなかった。
「アリセは、何を探してるんだ? 前に言ってた、『始まり』ってやつ」
俺がアリセに問いかけると、彼女は焚き火の炎を見つめたまま、静かに口を開いた。
「私は、生まれてから、記憶も、誰の記憶にも、私の存在記録はないの。この『空白』の理由を、知りたい。教会が私を銀ノ核と呼ぶ理由も……」
彼女の言葉は、相変わらず感情の起伏に乏しい。だが、その声の奥には、自分自身の根源を知りたいという、強い探究心が感じられた。
「記憶がない、ってのは、どんな感じなんだ? 悲しいとか、寂しいとか、そういうのはないのか?」
俺が聞くと、アリセはわずかに首を傾げた。
「分からない。それが普通だから。でも、あなたたちを見ていると……時に、奇妙な感覚がある。それが、あなたたちの言う『感情』なのか……」
アリセは、静かに俺の右腕に触れた。彼女の指先が、俺の右腕に残る他人の記憶の残滓を辿る。
「あなたといると、私の空白に、あなたの『記憶の痕跡』が刻まれていくような感覚があると言ったわね。それは、きっと、あなたが私に与えているもの。だから……私には、あなたという存在が、重要な『道標』になっている」
アリセの言葉に、俺の心臓がどきりと鳴った。彼女は、俺が《メモリア・イーター》で他人の記憶を喰らい、そして自分の存在を失っていく一方で、俺の存在が彼女の「空白」に、新たな「痕跡」を刻んでいると言うのだ。
「そして……あなたのその力。他人の記憶を喰らう力。使い続ければ、あなたはあなたでなくなるかもしれない。でも、その力で、あなたは誰かを守ろうとしている」
アリセはそう言って、俺の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、深い洞察と、そして、かすかな「信頼」のようなものが宿っているように見えた。
ザックは、そんな俺たちの会話を、ただ黙って聞いていた。この街の闇と記憶の歪み、そして、俺たちの抱える秘密。夜は更け、記憶市は不穏な静寂に包まれていった。