楽屋裏
(……何考えてんだか、本当に)
心底げんなりとしながら、肩を落として去っていた幼馴染に対して、ため息をつく。
ただ、言葉を交わす度に、呆れと失望が増し、会話を続けるのが億劫になっていった、というだけで、自分が想定していたほどの怒りは湧いてこなかった。
とりあえず――最低限の義理は果たせた、だろうか。
幼馴染にも少し語った通り、少し前、久方ぶりに顔を合わせた、おじさんもおばさんから、土下座と共に幼馴染との面会を懇願された――というのは、事実だ。
それなりに話し込みはしたのだが、要約すれば、
『どうかバカ娘に、現実というものを教えてやって欲しい。
甘ったれた性根を、叩き直す為のきっかけが欲しい』
と、まあ……最初から、あれへの拒絶を前提としたもの。
流石に、幼馴染とやり直して欲しい、とは口にしなかったのは……あの人たちも流石に恥を知っていたからだろう。
まあ……言葉の端々から察するに、ひょっとしたら、あわよくば、くらいの事は考えていたかもしれないが。
生憎と、そこまで世話を焼いてやるつもりはない。
(ってか、会ってみて分かったが……中身の方は、悪い意味で変わってなかった。
もう三十路を超えて、未だに悲劇のヒロインを気取りのあの調子じゃなあ。
……そりゃ心配にもなるか)
聞けば、あの時、彼らにとっての、一人娘を止める事が出来なかった事に、負い目もあったのだそうだ。
例え当人には嫌がられようととも間男と幼馴染を引き離したうえで、厳しく躾け直さなければならなかったし……特に後者は、今からでも、と。
正直に言えば、遅かった。
更に言うなら、それくらい自分たちだけで何とかして欲しいところではあったし、受ける義理など、無かったと言えば、無かったのだが。
最終的には、ある程度の対価に加え、学生時代つけられなかったケジメをつける意味で、あれと会う事を承諾した。
で、その結果は、先の通り。
しかし――あまりのお花畑ぶりに、早々に会話を打ち切りたくなる衝動に耐えて送った、こちらの忠告は、幼馴染に、どれだけ届いたものだろうか?
一言で纏めれば、
『いい年こいて甘ったれた事ぬかしてないで、大人になって現実を見ろ』
たた、それだけのことなのだが。
(……まあ、十分の一でも伝わってりゃ御の字ってとこか。
どの道、あれ以上は関わりたくねえし)
再び、自然とため息が漏れる。
当人は、随分と、現状が生きづらいと思っているようだが……
結局の所。あの女が今支払っているのは――自由恋愛のツケ、それだけだ。
自由に相手を選べるという事は、それによって齎されるトラブルの責任はすべて自分で背負わねばならない、ということでもある。
それが出来ないのであれば、そもそもが自由恋愛などする資格がない。
こうなっているのは、半分はあの間男の責任、とも言えなくはないが、もう半分はそんな相手に靡いたあの幼馴染自身の所為であって、決して一方的な被害者などでは、ないのだから。
(にしても……大分老けてたなあ、幼馴染)
明らかに、記憶の中にある姿のそれと比べ、現在の幼馴染の容姿は衰えていた。
肌に張りは無く、顔に小皺が刻まれていた。
そしてその衰えは、これからもどんどん加速していくだろう。
(……まあ、俺もすっかりおっさんだしな)
最近、脂っこいものが受け付けなくなってきたし、学生時代程、量も食べられなくなってきた。
少し激しく動いただけで、すぐに息が切れる様にもなり……
ある程度の睡眠時間を取らないと、身体が持たなくなってきたのに――疲れが抜けきる事も無い。
容姿に関しても――まあ、言わずもがなだ。
もう、身体が最盛期を過ぎつつあるのだと、最近、特に実感している。
そして、それを一種の諦観と共に、受け入れざるを得ない。
これが老いるという事で、大人になっていくということなのだと。
(で、幼馴染はそれができてなかった、ってか)
恐らく、ぼんやりと年齢を重ねている事は認識しつつも――確定された、破綻の時までだらだらと、気持ちだけ若い頃のまま、ここまできてしまったのだろう。
極めて呑気に、漠然と、幼稚なままに。
浅く、薄っぺらい間男との時間は、幼馴染に精神的な成長をろくに齎さなかったようだ。
実際、上っ面の魅力を失った間男を幼馴染はあっさりと捨てて、逃げた――まさに、俺の時の様に。
その癖、今の現状には不満を覚えているというのだから、まあ。
(やった事を考えれば……相当に恵まれてる方なんだがな、あれでも)
何せ間男の自滅に巻き込まれずに済んだ上、まだ両親からも見捨てられていない。
若さからくる魅力を浪費しつくしてしまった事を受け入れた上で、分相応な生き方ができるなら、まだ選択肢はいくらかある。
若さは誰もに平等に訪れるものではあるが、基本的に有限で――二度と取り返しはきかない、一度きりのもの……ではあるが。
世の中の大多数の人間は、それを飲み込み、必死に懸命に生きているのだから。
幼馴染の人生がこれから持ち直すことがあるとすれば、多分――自分の内外の醜さと薄っぺらさに、向き合う事なのだろう……と思う。
ただまあ……俺はこれ以上関わるつもりはないし、興味もない。
今更、あの幼馴染と共に生きる、という選択肢は俺の人生に存在しないからだ。それがどんな形であれ。
それこそ幼稚な虚構でもあるまいし、何時までも終わった事を引きずり続ける程には、俺も子供ではいられない。
俺は俺で、自らの現実を生きる必要がある。
「ま……後は、精々勝手にがんばりゃいいさ」
それだけ、声に出して呟いて、俺は次の用事を片付けるために、ゆっくりと立ち上がった。
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