表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/84

第1話 退部届


 雷が落ちた。


 一瞬、そう錯覚した。


 雷鳴の如く轟いたのは、管楽器の咆哮。


 十三本の金属管によるロングトーン、ベースとドラムスからなる強烈なリズム、ピアノとギターの散らす煌びやかなコードが、大宮ソニックシティ大ホールを制圧する。


 満員の観客と審査員の視線をものともせず、過激なほどに白熱していく演奏。

 客席でその熱演をきいていた彼女は、未知の興奮に爆発寸前だった。


 大学生ビッグバンドの甲子園――ヤマノビッグバンドジャズコンテスト。


 その大舞台に立ち、会心の演奏をする憧れが、心に津波のように押し寄せる。


 この舞台でなら、後悔を晴らせるかもしれない……

 このバンドでなら、掴み損ねた青春を取り戻せるのかもしれない……


 圧倒する音の奔流に紛れるように、彼女の呟きがポツリと零れ落ちた。


「私も、ここに出たい……」



   ◇



 今、県立川西高等学校の吹奏楽顧問である佐伯里佳子の机の上には、封筒が一封置かれている。


 『退部届 金海いちか』と遠慮がちな文字で書かれたそれを一瞥してから、彼女は、前に立つ生徒を見上げた。


「金海さん、コンクールのメンバーだったよね?」


「はい」


「もう大会二週間前だけど、どうするの?」


「後輩が吹けるので、代わってもらいます」


「急に代わるったって、後輩の子が可哀想じゃん」


「でも、私がいると士気を下げるので……」


 夏休みの職員室は、ガランと広く、空気は澱んで動かない。

 冷房の効いた部屋に響くのは、校舎裏の雑木林から聞こえる蝉たちの合唱と、出勤している教師たちがキーボードを叩く音だけ。


 問題の原因たる金海いちかは、顧問の机の上に視線を泳がせたままでいた。


 里佳子は小さく息をつき、シャツの袖を捲ると、腕組みして背もたれに体を預ける。


「なに、誰かと喧嘩でもしたの?」


「いえ、そういうわけじゃないですけど」いちかはわずかに言い淀む。「……コンクールに乗り切れなくて」


「どういうこと?」


「なんか、なんでみんなコンクールに必死になってるかわからないっていうか。楽器って辛い思いして吹くものなんだっけ、みたいな」


「ふーん?」


「なんか、ついていけないなっていう……」


 いちかの声は尻すぼみに小さくなっていく。


「でも、金海さんは大会に出る以上、オーディションで落ちた他の子たちの想いも背負ってる訳だよ。それはわかるよね?」


「それも実は、よくわからなくて……」


「あら……」


「こんな奴一人でもいると、きっと勝てないから。私がいない方が部活の為になると思うんです……」


 小刻みに震えるいちかの指を見て、里佳子は困ったように眉を顰めた。


「先生楽器やったことないし、いまいちよくわかんないけどさ。他の子には話したの? やめたいって」


「いえ、まだです」いちかは首を横に振る。


「じゃあ先生より先にそっちでしょ。一旦これは返すから。少なくとも部長に話をつけてからまた来なさい」


 里佳子は退部届をいちかの方に押し返すと、いちかの表情は薄く曇った。


「部長、ですか……」


「なに?」


「いえ……わかりました」


 いちかは我が手に戻ってきた封筒にじっと目を落とすと、頭を下げて職員室を後にした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ