09 不屈の剣
5年前、外界深度4領域 霊脈ノ森にてーーー
「おい!お前ら何やってんだよ!」
外界のとある領域の奥深く、木々が生い茂る場所にて、ガラスを叩くような音と共にくぐもったロイスの声が響く。
C級探索者パーティー”不屈の剣”。幼なじみの男4人で構成されたパーティーで、ロイスが前衛を務め、残りの3人が支援するという尖った構成であった。彼らは結成から僅か半年でC級まで駆け抜けていき(通常早くても1年はかかる)、すぐにB級にも到達するだろうと周囲からの評価も高かった。
そんな彼らは今、人生最大の窮地に立たされていた。
4人を囲むのは”虎猿”。その名の通り、虎の頭に猿の体をした二足歩行のモンスターである。体長は約2~3メートルで、戦闘力はD級探索者程度とあまり高くはないが、代わりに恐るべき特性が備わっていた。
集団で行動するのだ。ヤツらは非常に仲間意識が高く、1体と遭遇した際には少なくとも50体との戦闘を避けては通れない。またその性格は狡猾で残忍ということもあり、ソロでの探索で遭遇したくないモンスター上位に君臨する。
不屈の剣もまた類に違わず、辺りを埋め尽くす程の虎猿によって囲まれていた。
「おい、聞こえてんだろ!無視すんじゃねえ!」
叫ぶロイスの視線の先で、パーティーの面々が今にも襲いかかってきそうな虎猿を警戒したまま答える。
「ロイス、お前はこんなところで終わっていい男じゃねぇ。史上2人目のS級だって夢じゃない」
「そうそう、僕らみたいなお荷物抱えたまま気づいたらC級だよ?さっさとランクアップしちゃいなさい」
「先程緊急信号をギルドに送ったのでもうすぐ救助が来ると思います。そのバリアも私の生死問わず24時間は消えることが無いので安心してください」
「こんな時になに言ってんだ!お前ら何諦めてんだよ、一緒に帰るぞ!だからここから出せ!!」
ロイスは前に進もうとするも、見えざる壁が行く手を阻む。仲間の技能によって先ほどからその場に閉じ込められていたのだった。
「駄目だよ。そんな状態で戦える訳ないでしょ」
「はぁ!?大したことねぇよ!まだやれる!」
どんっと、拳が壁を叩き鈍い音が響くも相変わらずその場を動くことが出来ない。仲間の言葉通り、ロイスの一撃は普段よりも弱々しかった。
この場に来るまでにメインアタッカーとしての度重る戦闘により、ロイスの体は既に限界を迎えようとしていたのだ。
「村ではずっとお前に守って貰ってたからよ、探索者になって技能を覚えたときには嬉しかった。今度は俺が代わりに支えてやれるってな。……でも相変わらずロイス一人の負担の方が大きかった。それがどうしようも無く苦しかった」
「パーティーを組んだときに3人で決めたんだ。この先不屈の剣がどうしようもない状況に陥ったときは、何があってもロイス君だけは生かすって」
「ロイス、貴方は私たちの生涯の友です。本当にありがとうございました」
声が掠れるほどに叫び壁を叩き続けるロイスを無視し、三人は前進する。
「そこで俺らの勇姿見とけ!最強の必殺技をお見舞いしてやるよ」
「さーてと、本気出しちゃいますか」
「禁じられた私の全力、巻き込んでしまったらごめんなさい」
その明るい口調とは裏腹に3人の足は小刻みに震えており、誰が見てもハッタリである事は明らかであった。ましてや幼なじみのロイスが見逃すわけもない。
「ーーーーーー!」
拳が裂け、血が出る程に壁を叩く。それでも彼らは振り返らない。
3人は深呼吸をすると覚悟を決め、地面を蹴った。
「C級パーティー不屈の剣!目の前のモンスターを全て排除し、ロイスを守り抜く!行くぞお前ら!」
「「おおおおおおおおおおおおお!」」
・・・・・・・・
・・・・・
・・・
時刻は夕方。不屈の剣と虎猿たちとの戦闘が始まってから数時間が経過していた。声が枯れ果て、力なくその場に座り込むロイスは仲間たちが捕食される様子を虚ろな目で眺めていた。
「……」
バン!
不屈の剣の奮闘により多くの虎猿の命が散ったものの、時間の経過に比例して無限に集まるヤツらがロイスを囲み、見えざる壁を両手で叩く。
バン!バン!
もはやロイスからは何の反応も無い。
バン!バン!バン!
「……」
バン!バン!バン!バン!バン!
「……」
バン!バン!バン!バン!バン!バン!バン!バン!バン!バン!
絶え間なく鳴り続ける分厚いガラスを叩く音。視界を埋め尽くす程の虎の頭を見上げながら、ロイスは地面に落ちていた自分のポーチから非常用の小型拳銃を取り出すと、自らの頭へと向ける。
「……」
そのままセーフティを解除し、引き金を引こうとしーーー
「gugyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」
全ての虎猿達が断末魔を上げ両断された。
ロイスの視線の先に居るのは大剣を振り抜いた姿勢で立つ、青い鎧に竜の頭を象った兜を纏った大柄な人物。
その人物はゆっくりとロイスの元へと近づき、拳を振り抜いた。
鳴り響くガラスの割れた音。
ロイスや虎猿たちがどれほど叩いても壊れることの無かった絶対的な仲間の技能を、その人物は拳一つで破壊した。
焦点の合わない真っ暗な目で見上げるロイスと見下す鎧姿の人物。
二人の視線が交わる。
「ギルドからの依頼で来たが、生存者はお前一人か?」
兜の中から低い男の声が響いた。
「……」
「おい、しっかりしろ。聞こえているのか?」
「……」
どうやら正気を失っていると判断した男は周囲を見渡す。薄暗い森の中、数多くの虎猿の死骸に紛れておそらく人の服や装備であろうモノが落ちていた。
その様子から一通りの状況を把握し、座るロイスの視線に合わせて屈んだ。
「お前、死にたいか?」
その言葉にようやく男を認識したロイスは緩慢な動作でこくり、こくりと頷く。まるで壊れた玩具のように、こくり、こくりと首を縦に振り続ける。
「そうか、いいんだな」
こくり。
「仲間もソレを望んでいるんだな」
「……」
ぴたり、と。
俯いた姿勢でロイスの動きが止まる。
「お前がどんなヤツかは知らんし、その仲間のことも勿論知らん。だがさっきの障壁はお前を守るためのものだろう?報告を受けてから急いで来たが、ここは領域の深部だ。生存者がいるとは思ってもいなかった。状況から察するに彼らは最後まで戦ったはずだ」
「……」
「それほどに愛され、託されたはずのお前にもう一度問う。ここで死にたいか?」
「……」
「悔しくないのか?仲間がその命を犠牲にしてまで時間を稼いで守るほどには、優秀な人物なのだろう。だが、お前にもっと力があれば誰も死なずに済んだんじゃないのか?」
ゆっくりとロイスが顔を上げる。先程と異なりその瞳には僅かな光が宿っていた。
「最後にもう一度問う。こんなところで仲間の想いを蔑ろにして死ぬ。それでいいんだな?悔しくないんだな!」
その言葉にロイスが勢いよく掴みかかる。
「うるせえ!何も知らねえくせに好き勝手言いやがって!悔しいに決まってんだろうが!仲間が、友達を目の前で見殺しにしたんだぞ!俺が、あいつらを殺したんだ!」
「あの猿共が憎い!でもそれ以上に何も出来なかった自分が、憎い……」
涙を流しそのまま力なくもたれかかるロイス。
男はそんなロイスの頭に大きな手を置いた。
「ならば力を付けろ。お前に託した仲間に自身をもって顔向け出来るほどに強くなってその景色を見せてやれ」
そう言うと大剣を背負い、ロイスを片手で肩に担ぎ上げた。
「……っ!何すんだ!」
「黙って付いてこい」
男はロイスをまるで気にせず来た道を戻り始める。
「何なんだよお前!降ろせ!」
「俺か?イヴァン。イヴァン=ヴァルフリートだ」
「ちげえ!名前なんか聞いてねえよ!」
「お前の名はなんだ?」
「話の通じねえ奴だな!降ろせって!」
「名前は?」
「だぁー!鬱陶しい!……ロイスだ!これで満足かよ」
どれだけ騒いでも微動だにしないイヴァンに、もはや諦めたロイスは脱力して抵抗をやめた。
「ロイスか、いい名前だ。親族はいるか?」
「いねえよ」
「そうか。なら今日からヴァルフリートを名乗るといい。ウチに来い」
「は?別にいらねえし。いきなりなんだよ気持ち悪いな」
「いいのか?さっきの俺の一撃を見ただろう。俺の家は由緒ある剣士の一族として王都で名が知れている。来るなら暫く鍛えてやろう。今は金銭面も気にしなくて良い。いずれギルドで依頼でも受けて返して貰うからな」
「……」
「それに宛てが見つかればいつでも出て行って良い。縛るつもりは全くない」
「……何で、初対面の俺にそこまですんだよ」
「さあ、自分でもよく分からんが、強いていうならその目が気に入った。多くの憎しみを抱えながらも正気を保ち、自分に抗おうという強い意志を宿すその目がな。後は学園に通う息子が休暇に戻ってくる。そのときの指南役を探していたんだ。丁度良いだろう。」
「そうかよ。……すぐに強くなって出て行くからな」
「ああ、それでいい」
話を続ける内に、気が付けば外界と内界の境目まで戻ってきていた。イヴァンは特に止まること無くモヤを潜る。
「おい、そろそろ良いだろ。もう歩ける」
「……」
「無視かよ、聞けよ!さっきから周りの視線が鬱陶しいんだよ!降ろせー!」
ジタバタと暴れるロイスをまるで意に介することなく、片手で担ぎ上げたままのイヴァンは、多くの人でごった返す中心街を進んでいくのであった。
「あああああああっ!」
「……っ!」
2本の大剣が交わり、片方が押し負け大きく跳ね返される。苦悶の表情を浮かべるのはロイス。オレンジ色の火花が散る中、一切表情を崩すことのないイヴァンに向けて再び剣を振るう。型というには少し大雑把な動作にも関わらず、その優れた身体能力によって常人よりも遙かに優れた一振りがイヴァンへと向かう。
「ふん」
そんな様子をやや不満そうに眺めたイヴァンは、ロイスの斬撃を躱すと、突如目にもとまらぬ速度で肉薄し、首筋に刃を置いた。
「くっそー!勝てねえ」
雲一つ無い青空の下で、地面に横たわるロイスの大きな声が修練場に響く。2人が出会ってから丁度1年が経過していた。
壁に掛けられたホワイトボードに使用人が58-0と記す。こうやって数日に一度、ロイスの成長度合いを確かめるために模擬戦をしているのだが、いまだロイスは一つも白星を付けることが出来ていなかった。
「動きが雑すぎる。いい加減慣れる頃合いだろう、早く使いこなせ」
使用人から飲み物を受け取ったイヴァンがロイスに差し出しながら真顔で指摘する。
「ありがとう……。剣なんて触ったこと無かったんだから仕方ねぇだろ!」
しっかりとお礼を言うロイスに対し、根は真面目だなと感心しながら、イヴァンは物思いにふける。
(あんな棒きれと体術だけで、C級までわずか半年で達していたとは今でも信じられん。加えてギルドで聞いた話ではまだまだ成長段階だった。鍛えようでは俺以上の逸材になるかも知れないな)
教え子が大成する。そんな未来を想像し思わず微笑んでいると、いつの間にか背後でロイスが立ち上がっていた。
「イヴァン!もう一回だ!構えろ」
「ああ、ここからは少しギアを上げていこう」
「んなっ!?速っ!……って待て、死ぬって!ストップ、ストーーーップ!」
更に1年が経ち、同じく修練場にて二人は向かい合っていた。大剣を構えるロイスに隙は無く、すっかり一人前の剣士と成長していた。
「ロイス、お前も知っていると思うが俺は今日で探索者を引退し、王都騎士団副団長へ就任することとなった」
「ああ、凄いよおめでとう」
「この装備とも一旦お別れだ。騎士団員は皆揃った格好が義務づけられているからな」
そう言い、竜の兜を被るイヴァンは自身の蒼い鎧を軽く叩く。
この鎧にはA級指定モンスター”蒼龍ラ・ヒュヴェル”の素材が用いられている。かつて複数のA級パーティーによって討伐された翠龍ガルガンジュラと双璧をなす固有種であったが、当時のイヴァンはソロで三日三晩闘い、討伐に成功していた。
「これから暫くの間は今までのように毎日の鍛錬が出来なくなるだろう。勿論定期的に見てやるが、一旦今のお前の実力を見せてみろ」
「あぁ、今日こそ勝つ」
そう言いながらロイスは横目で壁のホワイトボードを見た。そこに記された数字は78-0。この一年で誰とも組むことなくソロでB級に達するほどの成長を見せたロイスであったが、相変わらずイヴァンの背中は遠かった。
二人の間に緊張感が漂い、記録係として付きそう使用人は思わず息を呑んだ。
「ッ!」
先に仕掛けたのはロイス。1年前とは異なりその重心に乱れはなく、無駄のないモーションで繰り出された左斜め斬り下ろしが空中に銀の光跡を描いた。
一方のイヴァンも同じ動作で駆け出すと、鏡のように寸分狂わず右斜め斬り下ろしを繰り出す。
2本の大剣が激突し、弾かれたと同時に互いに横から斬撃を打ち込み、オレンジ色の火花を散らせる。
そのままぶつかり合うこと数秒、イヴァンは勿論のことながら、ロイスの呼吸も一切の乱れがなかった。
示し合わせたように互いに距離をとる。
「……ここに来て2年でお前は強くなった」
「?」
鍛錬中に話しかけられることなどなかったロイスは、初めての状況に首をかしげる。
「ヴァルフリート流は効率を尊重し、無駄な動きを出来るだけ削ぐことに趣を置いている。初めはどこから言えばいいか分からない程酷かったお前が、このレベルにまで達したことに正直驚いている」
「一言余計なんだよ。まああれだけあんたにしごかれたからな、慣れねえ動きに初めは苦労したさ」
「無駄な動きが減れば減るほど、長期間の戦闘が可能になる。これは探索者にとって必須の技術だと思っている。技能や異能を磨く前にまずは基礎的な動きを身につけるべきだと俺は思う」
「A級上位者が言うんだ、間違いないだろ」
ロイスの肯定の言葉に、一瞬表情を緩めるもイヴァンはすぐに切り替えた。
「そんなお前に置き土産を一つやろう。これを身につけて晴れてヴァルフリート流の卒業だ。それからはここを出て行くなり好きにしろ」
途端にイヴァンが放つ圧が膨れ上がる。
「っ!」
雑音が消え、背景の屋敷が遠ざかっていく。極度の緊張感によってロイスは自身が大量の汗を流していることにすら気がつかない。
思えば今まで一度もイヴァンから仕掛けてきたことはなかった。そんな目の前の人物が、いつの間にか尊敬の念を抱いていた義父が初めて認めてくれたような気がして、窮地にも関わらず口角が上がる。
「……ありがとう」
それは何に対する感謝か、思わず漏れた言葉を最後に、ロイスは意識を戦闘のみに切り替えた。
無音の空間で、ロイスが構えた瞬間。
目の前のイヴァンがかき消えた。
「!?」
成長したロイスでさえ見失う加速。目を見開くロイスの脳内に警告音が鳴り響く。
咄嗟に気配を感じて振り向いたロイスの前には、両手で大剣を握り上段で構えるイヴァンの姿があった。
力強い踏み込みによって大地がひび割れ、隆起した筋肉が身に纏う蒼い鎧をミシミシと圧迫する。
固まるロイスに対し、イヴァンは低い声で呟いた。
「ヴァルフリート流、轟雷」
晴天にも関わらず、雷が落ちた。
そう錯覚するほどの斬撃を迎えながらもロイスは一切動くことが出来ない。
瞬きさえ出来ず、膨大な殺意の籠もった打ち込みに抵抗する事なく、
(死ーーーーーー)
知らず右目から一筋の涙を流すロイスの目と鼻の先で、刃が不自然に急停止した。
対象を狩るはずだった斬撃は行き場を失い、暴風となり周囲を吹き飛ばす。
「……」
刀を下ろしたまま呆然とするロイスにイヴァンが大剣を背中に納めると口を開いた。
「今のがヴァルフリート流の奥義、轟雷だ。全身の力を込めた一振り、言ってしまえばただそれだけのことだがその一撃は全てを砕く」
「……轟雷」
「さっきも言ったが、これでヴァルフリート流の全てを伝授した。あとは自分で身につけろ」
そう言い残し、修練場を去って行く。と、入り口付近で振り返ったイヴァンがにやりと笑う。
「これで79-0だな」
「……くそっ」
相変わらず果てしなく遠い背中に、ロイスは呆れに近い笑みを浮かべて悔しそうに呟いた。
月日は流れ、ロイスはヴァルフリート家の玄関前に立っていた。細身だった体はすっかり逞しくなり、短かった銀髪は腰付近まで伸びていた。
「まだここにいて良いのですぞ、坊ちゃま」
執事姿の年配の男性がハンカチを目元に当てながら名残惜しそうにする。その後ろではメイド姿の女性や、料理人、庭師など、屋敷の使用人がずらりと並んでいる。
「だから坊ちゃん呼びはやめてくれって。それに見送りもいらなかったんだけど」
「冷てえこと言うなよ坊ちゃん!奥様が病気で亡くなり、ダン様が学園へ行かれてから沈んでいた屋敷が活気づいたのはあんたのおかげだよ!」
「そうだぞ坊ちゃん!謙遜はいらん!」
「坊ちゃん!私はいつまでも大好きです!」
「私も!」「私の方が!」
「「「坊ちゃん!坊ちゃん!坊ちゃん!」」」
探索者と比較しても劣らない体つきをしたワイルドな料理長の言葉を皮切りに、滝のような勢いで口々に騒ぎ始める使用人達。その言葉の全てがロイスにとって心嬉しいものであった。
「うるせぇー!その呼び方はやめろって言ってんだろうが!!」
使用人達にとってロイスのぶっきらぼうな口調と本心が異なることは周知の事実である。
揃ってニヤニヤと見てくる面々を鬱陶しそうにしながら、ロイスは地面に置いていた荷物を持ち上げる。
「何度も説明したが、騎士団の寮にお世話になるだけだ。歩いて往き来出来る距離だし、ちょくちょく顔を出しに来るよ」
名残惜しそうにハンカチを振る執事長達に手を上げて答え、だだっ広い敷地内を進んでいると、門の前に銀の鎧を纏った一人の人物が立っていた。
「……イヴァン」
イヴァンはロイスの腰に吊される2本の短剣をじっと見つめる。
「挨拶は済んだようだな。忘れ物はないな、行くぞ」
「……ああ」
並んで街中を歩く二人に会話は無い。ロイスが気まずさを感じるのには理由があった。
イヴァンから教わった奥義、轟雷。あれから2年もの間あらゆる鍛錬を積んだロイスであったが、その努力が実を結ぶことはなかったのだ。更には長期休暇で帰ってきたイヴァンの実子、ダンとの模擬戦に敗れたのである。その件について特にイヴァンから触れられてはいなかったが、返ってそれが苦しかった。
以降、自身を失ったロイスの成長速度は減速していき、ついぞA級探索者になることが出来ないまま王都騎士団への入隊が決まった。
半歩前を進むイヴァンがこちらを向く。
「一応言っておくが、向こうでは上司と部下という関係になる。言葉遣いには気を付けるように」
「ああ……いや、はい分かりました」
「そういえば、あれは置いてきたのか?」
「……」
イヴァンが指すのはロイスの愛剣であった大剣のことである。奥義を身につけられないまま迎えたダンとの模擬戦に敗北し、完全に心が折れたロイスは自身の武器を2本の短剣に変更していた。あの日から一度も大剣を使用していない。
「どの武器を使うかは自由だが、鍛錬は怠るなよ」
「分かっています」
「そうか、ならいい」
そう言うイヴァンの目が、挫折したロイスに失望しているように感じて思わず目を逸らした。
その後無事に王都騎士団への入隊を果たしたロイスは、新たに覚えた技能を活かした戦闘スタイルを磨き、イヴァンの団長就任と同時期に入隊から僅か1年という期間で副団長へと昇進するのであった。
しかし、それでもロイスの胸中は複雑であった。
教えから目を背けた俺を、イヴァンはどう思っているのだろうか。
探索者として道半ばで諦めた俺を、かつての仲間はどう思っているのだろうか。
そして俺自身は、そんな現状に満足しているのだろうか……。
・・・・・・・・
・・・・・
・・・
体が重い。
なんだか長い夢を見ていたような気がするが、思い出せない。
薬品特有のきつい匂いが鼻を刺し、眉をしかめながら、ゆっくり目を開ける。
見慣れない天井。ここはどこだ……。俺はさっきまで何をしていた?
確かベルベットと一緒に聖教会へ向かって、ガレノスとかいうジジイと戦って、その後聖女がーーー
「!?」
ロイスは自身の状況を思い出し、飛び上がるように起きた。
6畳ほどの小さな部屋には自身が座るベッドとクローゼット、鏡、サイドテーブルのみが置かれていた。
窓からは明るい光が差し込み、外は普段の何倍もの人で溢れていた。
「宿屋か……?」
ゆっくりとベッドから下りて壁に掛けられた姿見を見ると、そこには全身包帯姿のロイスが写っていた。
おそらくベルベットがここまで運び治療したのだろう。
友人に感謝しつつ、おそらく苦労をかけてしまったことを謝ろうと考えていると、サイドテーブルの上に1枚のメモ用紙が置かれていることに気がついた。
ロイスはそれを手に取る。
そこにはベルベットの字でこのように書かれていた。
バカロイスへ
私は怒っています!
さすがに普段鈍感な君でも理由は分かるよね?
……どうして頼ってくれなかったの。ロイスが合図するまで出てくるなって言うから待機してたのに、結局倒れるまで呼ばなかったし!
最後に受けた傷が綺麗だったから無事だったけど、死んでてもおかしくなかったんだから!
いっつも言ってるけど、もっと自分を大切にすること!分かった?
とにかく、傷が治るまでそこで休んでて。ボクは王様の所へ行ってくるよ。絶対に正教会の人たちを見逃すわけにはいかないから。
もしかして心配してくれてる?なんてね。
大丈夫、ボクに任せて!
大陸随一の情報屋より
「ベルベット……」
思わずクシャっとメモ握り潰したロイスは、慌てて部屋を飛び出した。イヴァンが敵サイドにいることが分かった以上、王宮も十中八九黒。一人で行って無事に帰ってこれる保証がない。
そのまま階段を駆け下り、外へ向かおうとして思わず足を止めた。
「何やってんだよあんた」
ロイスの視線の先で、休憩スペースに1人の男が腕を組んで座っていた。
険しい顔とその巨体からあふれ出る威圧感によってか、周囲に人はおらず閑散としている。
「起きたかロイス」
その人物はイヴァン=ヴァルフリート。ロイスの義父にして王都騎士団長、しかしその実態はヴァイス・シャッハの一員「塔」として聖女に使える聖教会側の人間である。
ロイスは先程の戦闘を思い出し、咄嗟に腰に手を持って行く。しかしその手は空を切った。
「……ちっ!」
武器を破壊されていたことに気づき顔を顰めるロイスに対して、イヴァンはかぶりを振る。
「この場でお前と事を構えるつもりは無い」
「信用できないな。どうせ聖女からの指示で来てんだろ」
「それも事実だが、他に要件がある。ロイス、お前は今すぐこの王都から出ろ」
「は?」
目を見張るロイスに対し、真剣な表情でイヴァンが話を続ける。
「もはやこの都市の重要人物は、国王含めて全てが聖女の手にある。そんな状況でお前に何が出来る?一人で国家を相手にするのか?俺一人倒せない実力で」
「……」
「情報屋のことなら心配するな。理由は不明だが、あの絶対正義によって保護されている。後からいくらでも連絡は取れるだろう」
「……なんで」
「ん?」
「なんであんたが裏切ったんだよ!そんなことする男じゃないだろ、弱みでも握られてんのか!?」
怒りで我を忘れて前のめりに叫ぶロイス。しかし対するイヴァンの表情は変わらない。
「いや、俺は自分の意思で今の立場を選んだ」
「やっぱり……ダンが関係してんのか」
「……」
イヴァンの無言が、ロイスの問いを肯定していた。脳裏によぎるのはイヴァンとの鍛錬の日々。初めは無愛想なおっさんだとしか思っていなかったが、いつしか尊敬する人物に変わっていた。だがそれも全て偽りだった。裏切られた。
ロイスは目をつぶると大きく息を吸った。
カチリ、と。自分の中で意識が切り替わる。それは憧れとの決別を意味する。
その様子を黙って眺めていたイヴァンは片方の眉を僅かに上げた。
「そうかよ、あんたにも事情があることが分かった。けどよ、ダンだけが大事なのか?他にもねえのかよ?屋敷の皆に顔向けできんのかよ!」
「……」
「あんた最初に俺に言ったよな。仲間に自身をもって顔向け出来るほどに強くなって、その景色を見せろってよ。こんな状況で尻尾巻いて逃げ出すようじゃあいつらに殴られちまう」
そう言いながら、ロイスはゆっくりと目を開く。その目はかつてイヴァンが惹かれた強い意志を宿していた。
「ロイス……」
珍しく目を見張る義父に対し、ビシッと人差し指を向け、声を上げる。
「最後の決闘といこうぜ、イヴァン!」
ーーー見とけよお前ら、俺はもう逃げない。