07 ヴァイス・シャッハ
その人物と対峙したロイスは、まるで金縛りにでもあったかのように一歩も動くことが出来なかった。
視界に映るのは、頭の天辺から足の爪先まで一切の汚れなく輝く純白の鎧を纏い、こちらを見下ろす騎士。
高身長のロイスが見上げる程ある背丈は2mにも及ぶだろう。加えて僅かに見える手首や足首は丸太のように太く、肩に担ぐ大剣を容易に扱えることが見て取れる。また鎧で覆われて見えないが、その肉体も鍛えられていることが、接する拳から嫌というほど伝わってくる。
”ヴァイス・シャッハ”
現在限りなく黒に近い聖教会においておそらく最強の一角であり、最大の障壁。
今回の事件を解決するためには避けて通ることの出来ない相手。
情報屋の話によると、その存在は6人。
「……」
それならば、あいつが1人でいるこの状況はむしろ好機ではないだろうか。
残りのメンバーが現れる前に立ち向かい、倒すべきだ。
脳内を絶えず流れる未だかつて無い警鐘。一刻も早く逃げろと訴えかけてくる警告音を無視し、ロイスは一歩下がると口を開いた。
「お前はヴァイス・シャッハで間違いないな」
「……」
しかし、白騎士から帰ってきたのは沈黙のみ。
先程のこちらからの攻撃に対する反応といい、まるでロイスを相手にしていないような対応に、僅かな苛立ちを感じながらもう一度口を開こうとしーーー
「無駄だよ。今の彼は”塔”だから」
「っ!」
耳元で聞こえた馴染みのある女の声に、思わず飛び退きそのまま地上に着地した。
「ちょっと!そんな反応されたら傷つくんだけど」
膝をついた姿勢のまま見上げると、そこには黒と白の修道服を纏った金髪の少女が腰に手を当てて立っていた。
「ユディ、様」
「はい!ユディ様でーす。約束通りちゃんと名前で呼んでくれて嬉しいよ!それよりロイス君、こんな時間にここでなにしてるの?」
昼間と変わらない様子で首をかしげる聖女の姿を見て、ロイスは違和感を覚える。
おかしい、あまりにも自然すぎる。この少女はガレノスが行っている人体実験のことを知らないのだろうか。
(ガレノスの独断?いや、奴は自らを”研究部”という組織の最高責任者と名乗っていた。聖女もさすがに部下の研究内容くらいは知っているだろう)
ロイスが無言で見つめていると、聖女は辺りをキョロキョロと見渡し、何か閃いたような顔をした。そのまま口を開こうとして、今度は不機嫌そうな表情になる。
直後その後方から声がした。
「……聖女……様」
そこには先程倒したはずのガレノスがふらふらと立ち上がっていた。おそらく回復魔法を使ったのだろう、砕いたはずの顎はいつの間にか声を発することが出来る程に回復していた。
(無詠唱……本当に面倒な異能だな)
通常の魔法使いが相手ならば、顎を砕いた時点で詠唱ができず技能を行使できない。素の戦闘能力が低い奴らに対してはかなりの有効手段である。ロイスはかつての経験から学んだ通りに戦ったものの、とどめを刺せなかったことに内心で舌打ちをした。
今すぐにでも仕掛けたい気持ちを抑え、聖女の動向を確認するためにあえて傍観の選択肢をとった。
そんなロイスの視線の先で、老人が聖女に話しかける。
「聖女様……ああ、聖女様!こんな老骨を救っていただき、誠に感謝しております。貴方様の為に行っていた研究が、なぜかそこのクソガキに知られておったので捕らえようとしたのですが、少し油断してしまい……大変お恥ずかしい姿を見せてしまいました」
先程までの傲慢な態度はどこへやら、地に膝をつき頭を垂れるガレノス。
そんな老人に対して、聖女が振り向き手を差し伸べる。
「いいのよガレノス。君は私の為を思って行動してくれたのでしょう?恥じることなんて何も無いよ」
「聖女様……」
「それで?どんな研究かは知らないのだけど、順調なの?」
(聖女は研究とは無関係なのか?)
沈黙のまま二人の会話を聞くロイスは、自らの予想に反しユディが人体実験に関与していないことを知り、首を傾げる。
(ガレノスの独断……他の奴らも知らない?)
ふと横目で白騎士の様子を見るも、相も変わらず仁王立ちの姿勢のままピクリとも動かない。
まるで駒の様な姿に不気味に思いながらも、二人の会話に意識を戻す。
「よくぞ聞いて下さいました!ワシの研究は薬によって人工的に技能を与えるもので御座います。まだ10歳未満の子供にしか試しておりませんが、いずれは大人にも応用できるかと……!そうなれば我々正教会の大幅な戦力増加が見込めます!」
「……」
ロイスの元からは、頭上で背を向ける聖女の表情が見えない。その顔に浮かぶ感情は正か負か。
徐々に高まる緊張感の中、固唾を飲んで二人の様子を見守る。
「ガレノス、その薬は今出せるの?」
「は!ここに!」
ガレノスは懐から小さな木箱を取り出し開いた。中には緑色の液体が入った1本の注射器があった。
「この薬を使用することで即座に能力が発現します。現時点の成功率は4割ほどですが、徐々にその確率も上がってきており、10割に至るのもそう遠くないと考えております。」
「ふーん、これがねぇ……」
注射器を手にとる聖女の声色から、どこか気分を損ねているように感じた。
ガレノスも同じくその様子を感じ取ったのだろう。慌てて立ち上がり弁明する。
「確かに未だ成功率が低いことは我々研究部の失態です!ですが、ここ数日の人体実験によってその原因も大方解明出来ております。もう少しお待ちいただければすぐにでも完成品をーーーーーーーー」
老人の言葉を遮るように、その首筋に注射器が突き立てられていた。
「「!?」」
突然の聖女の奇行に、ロイスとガレノスの時間が止まる。
やがて、自身の状況を理解した老人は、困惑の視線を聖女に向けた。
「な、ぜ」
「つまらない……残念だよ……ウチの地下にこんな大層な場所を用意して、何やらコソコソしていたのは知っていたけどあえて何をしているのかを調べないようにしていたんだ。その方がわくわくするでしょ?……でも、蓋を開けてみたらこんな下らない内容だったなんて。人工技能?そんなの既に学園のあいつが完成させているよ。分かる?貴方は完全に出遅れたの!しかもまだ欠陥品だし……本当に残念。子供達も可愛そうに、もっと有意義な実験に使うべきだったね」
聖女の考えに言葉を失うロイス。
同じく放心状態で話を聞いていたガレノスは、体を襲う激痛に耐えられず蹲まった。おそらく適合に失敗したのだろう。
そんな様子を冷めた目で見ていた聖女は、最早興味を完全に無くしたのか、ロイスの方に振り向く。
「ごめんね!邪魔が入っちゃった」
両手を合わせ、申し訳なさそうに謝る聖女のあまりにも普段通りの様子に恐怖すら覚える。
「それにしてもよくこんな場所準備したよね〜。研究も無駄だったし、何に使おうか……。そうだ!あれやってみたかったんだ!増え鬼ごっこ!知ってる?最近読んだ物語に出てきたんだけど、鬼を一人決めて、10数えたら、鬼がみんなを追いかけてタッチする。 タッチされた人も鬼になって増えていく。普段は爺がうるさくて絶対にやらせてもらえないんだけど、今ならできそう!」
「なあ」
「私と、塔と、ロイス君の3人しかいないからすぐ終わっちゃいそうだけど、まあいいや!どっちやりたい?私的にはーーー」
「おい!」
声を荒げたロイスに聖女はビクッと驚き、恨めしい目を向ける。
「急に大っきい声出さないでよ!びっくりしたじゃない!」
「そんなことよりユディ、様……貴方は今回の実験についてどう思いますか?」
「ん?つまらないなーって思ったよ」
「子供達については?」
「運がなかったねーって思ったよ」
聖女の胸臆を知り、ロイスは俯き瞼を閉じる。あまりにもズレた考えに、咄嗟に非難の言葉すら出ない。
知らぬうちに拳に力が入り、血が垂れる。
(信じていたんだがな……)
意識を戦闘態勢に切り替え、聖女に鋭い視線を向ける。
「俺は今日、その子供達の誘拐事件の調査に来たんだ。そしたら地下にこんな場所があって、実行犯がいて……ユディ、あんたには責任者として一度王宮に同行して貰おう」
「えー、明後日は生誕祭だし、準備で忙しいんだよね。だからパス!」
「駄目だ。これは王国騎士団副団長としての命令だ。無理矢理にでも連れていく」
そう言いながら腰の短剣に手をかけた瞬間、地に伏せていたガレノスの様子が変化した。
「聖女、様……セイジョ、サマ……セイジョサマセイジョサマセイジョサマセイジョサマセイジョサマセイジョサマアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」
突如老人の全身が膨張し、ボコボコと音を立てて膨れ上がっていく。一瞬で2階建ての家をも上回るほどの大きさになり、もはやかつての魔法師の面影はなく怪物のような姿へと変化していた。
「あ、あは、あははははは!なんて醜い姿!化け物じゃないっ!ガレノス、貴方はいつも退屈だったけど、今の姿は最高だよ!研究の甲斐があったようだね!あははは!だめ、お腹痛い、ははははっ!」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
腹を抱えて笑う聖女と自我を失い叫び続ける怪物。
実験に失敗すると副作用であのような姿になってしまうのか。
ロイスの瞳に映る景色が、まるで聖女が子供達を笑っているようにも見えた。
この間の彼女の姿は嘘だったのか。
「っ!!」
我慢の限界に達したロイスは思わず床を蹴った。
ーーーと同時に、その行動を遮るように左手のみで大剣を振り翳す純白の騎士が割り込んできた。
巨大に見合わぬ鋭い横薙ぎの一撃に、咄嗟に短剣で受け止める。
「ーーーッッ!」
予想以上の斬撃の重さにロイスの身体が宙を飛ぶ。
そのまま声を出すことも出来ず、入り口付近の壁に叩きつけられた。
「それじゃ!あとはよろしくね塔」
一瞬のやり取りの間に反対側の壁まで移動していた聖女が手をあげると、先程と同じように壁に切れ目が入りその奥に薄暗い通路が広がる。
「ロイス君!君にはまだ期待しているから、もっともーっと私を楽しませてね?」
聖女は項垂れるロイスに対してそう言葉を残すと、大広間を去って行った。
「アアアアアアアアアアアアアアア」
そんな彼女を追いかけようと怪物は這いずる。もはや赤子のように泣き叫びながら、石畳を破壊しゆっくりと進む。
しかしその怪物を遮るように、いつの間にか移動していた騎士が立ち塞がった。
一瞬交わる両者の視線。
先に動いたのは怪物。目の前の邪魔者を見下ろすと、羽虫を手で払うように動いた。
何の捻りも無いただの張り手。しかしその巨体から繰り出されるソレは、大きな被害を及ぼすことが間違いなかった。
ーーー相対する人物が、白騎士でなければ。
怪物を見上げる白騎士は迫る攻撃に一切動じることなく、大剣を両手で握りしめるとゆっくりと天に掲げた。
そしてこの日、初めて口を開いた。
「ヴァルフリート流剣術、轟雷」
上段からの振り下ろし。
まるで稲妻が落ちたかのように大地を揺るがすほどの衝撃を持った一撃は、頭から足先まで、巨大なガレノスの体を斬るだけに留まらず、部屋の天井から床まで視界に入る全てを両断した。
声を発する間もなく、両断された怪物は余波によって散り散りになり、この世から完全に消滅した。
「なっ!?」
その衝撃で意識を戻したロイスは、体の痛みなど忘れ思わず立ち上がる。
「おい!何故お前がその技を知っている!」
「……」
「答えろ!」
「……」
ロイスの声に反応し、こちらを向く白騎士からは相変わらず返答はなかった。
だがしかし、その構えには嫌というほど見覚えがあった。
ロイスの師であり義父。
”王都騎士団長”イヴァン=ヴァルフリート。
その姿が目の前の人物と重なる。
「まさか……団長、なのか……」
理解し難い事態に呆然となるロイスを構うことなく、白騎士が地面を蹴った。
「くそっ!」
「轟雷」
再び轟音が鳴り響き、上段から振り下ろされた大剣をかろうじて二対の短剣で受け止める。
「っ!!」
至近距離で一撃を受けたロイスは、その重さにまるで巨大な城を相手している様な錯覚を覚える。
身体中の骨がミシミシと音を立て、空間すら歪むほどの重圧に呼吸さえ出来ない。
交わる剣からは火花が散り、溢れた衝撃により石畳にひびが入る。
衝撃を殺しきれず、ごぼりと口から血を吐きながらもロイスは咄嗟に技能を発動した。
「お、おおおおおおおお!技能/自動反撃ぁぁぁぁぁあ!」
”技能/自動反撃”
相手の技を受けた際に本人の意思とは関係なく自動で攻撃を放つ。受動的で相手依存という欠点があるものの、受けた攻撃が強大であればあるほどそれ以上の力で反撃することができる、いわゆる後出しジャンケンのようなモノである。
この力によって今に至るまで様々な難局を乗り越えてきたロイスであったが、その瞬間、脳裏にかつての団長の言葉がよぎる。
「ーーー技能に溺れるな。確かに強大な力ではあるがそれはあくまで数ある選択肢の一つに過ぎない。最後に信じるべきは鍛錬の末に手にした己の力のみ」
当時のロイスはその言葉を心に留め、必死で剣術の腕を磨いた。朝から晩まで、意識を失うまで鍛錬を続けた。
しかし、どれだけ多くの技を磨いても、かつて団長に見せて貰ったその技だけはついぞ覚えることが出来なかった。
日に日に沈んでいくロイスを心配した執事長の提案で、団長の息子に剣術を教えることになった。
ダンという少年は、父親譲りの才能であっという間に自身の技を吸収し、遂にはロイスとの模擬戦闘で白星を付けるようになった。
そのときのダンの失望したような視線を今でも思い出す。
その日を境に、あれほど熱心に取り組んでいた鍛錬の時間は徐々に減っていき、いつの間にか覚えたその能力に頼り切る様になっていた。
そんな自分に呆れたのだろう。義父であるイヴァンと関わる時間も減っていった。
あのまま諦めずに鍛錬を続けていれば、こうはならなかったのだろうか。
(く……そ)
ピシッ。
短剣にヒビが入る。
今なお勢いを増すその強大な力によって、ロイスの短剣が受け止められる容量を超えていた。
団長の言うとおりだった。このタイミングで使うべき技ではなかったのだ。
そして、ついにガラスの砕けたような音が鳴り響くと、獲物を叩き切った勢いそのままに、白騎士の一撃がロイスに襲いかかる。
一瞬の拮抗により軌道を逸れながらも、肩から腰まで一気に切り結び、周囲をまきこんで地面に叩きつけた。
「ーーーーーーー」
ぼろ切れのように宙を舞いながら、ロイスは呆然と考える。
ーーー俺は何をしているのだろうか。半端な正義感に駆られて正教会という大組織に反発し、その柱となるヴァイス・シャッハの一人に完敗し、聖女を逃し、敵に自身の負い目を気づかされた……。
(情けねえよ、俺)
ロイスは自身の行動を恥じながら、やがて意識を失った。
半壊した大広間に静寂が訪れた。
標的が倒れたことを確認した白騎士は動きを止め、ステンドグラスの光に照らされながら指示を待つ駒のようにその場に再び佇む。
「……」
そのまましばらく時間が経過したそのとき。
どぽん、と。
突如ロイスの影が広がり水面のように波打った。
一人血を流し倒れ伏すロイスは次第に自らの影に沈んでいくと、やがてその姿を消した。
「……」
そんな様子を追うことなく見届けた白騎士もまた、魔方陣と共にその姿を消したのであった。