21 白銀の雪降らす一輪の華
「ーーー」
言葉が出ない。
本でよく目にする表現で、本当に驚いた時には声が出ないって言うけれど、それって本当だったんだ。
氷の城なんて比較にならない程大きな石像によって、あの恐ろしい蛇という男が呆気なく倒された。
魔法に秀でたエルフ達が住む、私の故郷の地でも見たことも聞いたこともない魔法。
あれは本当に魔法なのだろうかと疑ってしまうほど、一足どころか二足も三足も飛び越えた規格外の力。
石像が出現する直前の、至る所から集まっていたあの莫大な魔素をこの目で見なければ信じられなかったに違いない。
もし人伝てにこの話を聞いたとしても、鼻で笑ってすぐに忘れていただろう。
それだけじゃない。
気になるのはその現象を生み出した1人の人物。
知り合って間もない、私が氷魔法を教えてあげた男の子ーーー本当は男の人だったけど。
その人のことで頭がいっぱいだった。
なんで逆さまに浮いてるの?
さっきの氷の分身は何?いつの間に入れ替わってたの?
周りから氷の魔女って呼ばれる私でさえ、そんな魔法使えないんだけど。
他にもどうして姿を偽っていたのとか、本当にお伽話に出てくるあの覇王本人なのとか、だとしたらどうやって今も生きてるのとか聞きたいことが無限に出てくる。
でも、一つだけ、今の私でもハッキリと分かることがある。
それは彼が本当に魔法を好きだということ。
私から氷魔法を教わっている時のキラキラと輝く瞳。ひたすら1人で練習している時の真剣な顔。初めて成功した時の笑顔。あれらが演技だとは全く思えなかった。
だって、私も以前は同じ顔をしてたはずだから。
周りよりも遥かに魔法に長けていることが分かったあの日から、故郷の人たちは私を恐れて避けるようになり、孤立した。
反撃されるのが怖かったのか、裏でたくさん陰口を言われていた。
それ以上怖い思いをしたくなくて、あれだけ大好きだったこの力を意識的に避けるようになった。
家に篭って、小さな部屋の中から、外で自由に魔法を使って遊ぶ子供達を見るのが辛かった。
やがて歳を重ねるにつれてその辛いという感情も麻痺していった。
仕方ないんだと、諦めたつもりだった。
別に魔法なんて使わなくたって生きていける。そう自分に言い聞かせ続けた。
でも、それなのに!
私よりも遥か高みにいるはずのあの人は!
なんの躊躇いもなく、あんなにも楽しそうに魔法を使ってる!
どうして笑っていられるの?
独りになるのが怖くないの?
……ずるい。ずるいよ!
本当は色んな人に見て欲しかった。こんなにもすごい魔法が使えるんだって。
本当は沢山褒めて欲しかった。よく頑張ったねって。
私だって、もっと自由にーーー
今自分がどんな状況にいるのかなんてすっかり頭の中から抜け落ちて、遥か上空に浮かぶあの巨大な石像と氷の玉座に座る覇王をじっと見つめていた。
・・・・・・・・
・・・・・
・・・
役目を終えた巨像の姿がうっすらと消えていき、周囲へと魔素の残滓が散っていく。
夜空に浮かぶ覇王は氷の椅子から立ち上がると腕を組んだまま降下し、壁が崩れて見晴らしの良くなったエリーゼの部屋に静かに足をつけた。
まるで蛇との戦闘などなかったかのように、傷ひとつない覇王は頭上に銀の王冠を浮かせ、ゆっくりと絨毯の上を進む。道中で優雅にお辞儀をするエノレアの前を横切った。
「さあ、これで残るは貴様だけだ。この物語の終焉といこうじゃないか」
「……お前、一体何者だぃ」
エリーゼの前に出た覇王が雷の柵を挟んでゾフィと向かい合う。本来の姿に戻った覇王と比較してもなお半身ほど大きな巨女。しかし、その顔には先ほどまでの余裕はなく、額には大粒の汗が浮いていた。
「悪いが、弱者に名乗る名はない」
「っ!?なん、だって……!」
覇王の目に映るのは強い侮蔑。わずかに笑みを浮かべた表情に反して、銀色の瞳がゾフィを鋭く射抜く。
「先ほども言っただろう?つまらんと。その悪食とかいう能力自体は興味深いが、肝心の貴様にはなんの魅力も感じない」
部屋に空いた大穴から吹き抜ける冷風によって藍色の外套を靡かせながら、覇王は自身を見下ろすゾフィを見下す。
言葉を詰まらせるゾフィに向かって、腕を組んだまま口を開く。
「この世界は無限の才能に満ちている」
「なにを……」
「己が持つ才を見つけ出し、その道を極めるために試行錯誤を重ね、あらゆる経験を積む。それこそが生を得た者の使命である」
突然の言葉に訝しむゾフィを気にすることなく、覇王は毅然とした様子ではっきりと声を紡ぐ。
「才の数は一つではない。その数は人それぞれだが、見つけるまでは諦めるべきではない。寧ろ一つ見つけたとしても貪欲に可能な限り探し続けるべきである」
「その過程で必ず大きな壁にぶつかるだろう。周囲からの批判や反対もあるだろう。心が折れ、挫折しそうになるだろう。しかし、それでも決して諦めてはならない。その経験が必ず己を成長へと導いていくからだ」
「ーーーっ!」
覇王の背後で、ハイエルフの少女が息を呑む声が聞こえた。おそらく自分にも当てはまることに気がついたのだろう。
それでも覇王は振り向くことなく声を打つ。
「故に力とは、如何に強大であったとしてもそれ自体には大した価値はなく、得た過程そのものに真の価値がある」
「俺は才ある強者の成長を妨げる弱者を決して許さない。たとえどれほどの障害が立ち塞がろうとも、その全てを排除して自分の道、覇道を突き進む」
「傲慢にもその過程を省き結果だけを求める醜い女よ!他人の足を引っ張ることのしかできない愚者よ!覇王の力を持ってしてお前の全てを否定しよう!」
冷たい風が吹き抜ける無音の氷城に、覇王の声が響き渡る。
「ーーー」
誰もが静まり返る室内で、己の胸中を吐き出した覇王は不意に背後のエリーゼへと振り返った。
「ーーーと、ついさっきまで思っていたんだが、気が変わった」
「え?」
そのままゆっくりと歩き出し、エリーゼの隣に並ぶ。意味深な笑みを浮かべるエノレアを除いた2人が困惑する状況で、覇王はゾフィを見据えながらエリーゼの背中にそっと手を置いた。
「この物語の主役は強者だ。弱者よ、ただの足枷でしかない貴様は才ある彼女の成長の糧となれ」
「!?そんな、私には無理だよ……」
「ぐ、ぐふ、ぐふふふふふふふ!!おいおい!アタシがその小娘に負けるだって!?」
嘲笑するゾフィを他所に、覇王は隣で首を左右に振り俯くエリーゼの手を取る。
ビクッと肩を振るわせたエリーゼが顔を上げる中、覇王はただその翡翠色の瞳を見つめる。
「恐れるな」
「っ!」
「俺はエリーゼに何があったかは知らないし、深く聞くつもりもない。きっと辛い思いをしたのだろう。自らの才を恐れるほどに」
「……」
「だが、エリーゼにもあっただろう。才を磨く楽しみを。才を披露する喜びを」
「う……あっ……」
エリーゼの瞳が見開かれる。
「前にも聞いたが、改めてもう一度問おう」
そこまで話すと一拍置き、目の前の少女の判断に任せるようにそっと手を解いた。
「エリーゼ、お前は本当にそれでいいのか」
・・・・・・・・
・・・・・
・・・
「エリーゼ、お前は本当にそれでいいのか」
白髪の青年と見つめ合う。大人の姿に変わってからの仰々しい口調ではなく、つい先程までの子供姿の砕けた口調で尋ねられた。
彼の白銀の双眸に、私の浅い考えなんて全て見透かされているような錯覚を覚える。
怖かった。周囲からのまるで化け物を見るような目が。
辛かった。大好きな氷魔法が、人を傷つける凶器にもなることが。
でも、確かに彼の言うとおり、苦い思い出だけじゃない。
村の長として、早々に見切りをつけたあの男とは違い、お母さんだけは唯一私の味方してくれた。
お母さんだけは、私の魔法を綺麗だと言ってくれた。
1人で部屋にいることしかできない私のところに毎日こっそりやってきて、色んなお土産をくれた。その中でも特に記憶に残っているのは小さな白い一つの花だった。
『ほらみてエリーゼ。この花はね、銀雪華って言って、蕾が開く時に雪を降らせるの。滅多に生えなくてこの一つだけしか手に入れられなかったけど、貴方にあげるわ』
『わぁー!綺麗!!……でも、それじゃあお母さんの分がないよ』
『ーーっ!もう!なんて可愛いのかしら!』
『ぷはっ!っははは!苦しいよお母さん!』
『この花は貴方が受け取ってちょうだい。でも、そうね。せっかくだしエリーゼに一つだけお願いしようかな?』
『なに!なんでも言って!』
『貴方の綺麗な氷魔法で、いつか私にこの花を造ってちょうだい。』
『いいの?でも、私の魔法……』
『いいのよ!何にも心配することはないの!だって、貴方の魔法はとっても温かいもの』
『えー!氷なんだから冷たいにきまってるよ?変なお母さん!』
『ふふふっ。貴方もそのうち分かるわよ』
「いい加減にしやがれええええええええ!あんまりアタシを舐めるんじゃないよオオオオオオ!」
醜いゾフィの声が響き渡り、思考の海から引き戻される。
ついに我慢の限界が訪れたのか、全身を振るわせた巨女は、怒りの咆哮をあげると再び空間袋に腕を突っ込み何かを取り出した。手のひらよりも小さなサイズのそれはまるで心臓のようにドクドクと脈打っている。
「どうせ知らねぇだろうから教えてやる!これは魔王の欠片!かつて存在したとされる8人の魔王の1人!炎王の心臓の一部だぜぇ!」
息をつく間もなく一気に話すと、ゾフィは不気味に動くそれを飲み込んだ。
次の瞬間、彼女の体を灼熱の炎が焦がす。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
想像を絶する痛みだろう。全身から煙を上げてゾフィがのたうち回り、溢れた炎が周囲を焼き尽くす。
やがて、声がなくなると同時に煙の先で大きな影がのそりと起き上がった。
「!?」
中から出てきたのは炎の怪物。髪の毛は真っ赤な炎へと変わり、黒く染まった身体の至る所から煙と炎が噴き出る。
周囲に焦げ臭い匂いを撒き散らしながら、怪物は大きな口を開いた。
「アタシの計画を全て台無しにしやがって!つくづく生意気な奴らだなぁ!許せないなぁ!全員まとめて殺してやるよぉ!」
煙と共に巨大から発された圧が襲いかかる。
雷の柵を挟んでなお、思わず逃げ出したくなるほどの迫力があった。
しかし、そんなビリビリと肌を指す状況下で、私は目を逸らすことなくゆっくりと唇をいた。
【ーーー氷よ】
私の目を見て覚悟が伝わったのだろう。満足げに微笑んだ覇王は踵を返すと、背後に控えるエノレアの方へと向かいながら片手を上げて合図を送る。
直後、ゾフィを捉えていた雷の檻が跡形もなく消滅した。
私と彼女を遮るものは何もない。少し前までなら足がすくんで何もできなかっただろう。
でも、もう恐れない。
【其の小さき種は芽となり蕾となり、やがて華となる】
詠唱を始めた私の脳裏に浮かぶのはお母さんとの約束。
儚く咲き誇る一輪の花。
【冷たき氷は柱となりて、天の頂へと高く高く昇り逝く】
「なんのつもりか知らねえが!あんまり舐めんじゃねえぞお前ら!!」
【ーーー氷よ】
詠唱が進むにつれ、魔素が私の元へと集っていく。
その量は先ほどの覇王のそれと遜色がないほどに夥しい。
髪が風でなびき、城が地震のように大きく揺れる。
【其の小さき種は芽となり蕾となり、やがて華となる】
発動しようとする魔法の余波によって、正面にいるゾフィの体が凍り始める。しかし、今の彼女の体から発する炎が瞬時に溶かす。
「ぐふふふふふふ!そんな小細工でとまるかぁ!!!」
氷に阻害されながらも確実に一歩ずつ怪物が近づく。
【冷たき氷は星となりて、天へと至り、漆黒の宙に大輪の華を咲かす】
形作られるのは片手で握れるほどに小さな魔法円。
【ーーー氷よ】
「ぐ、ぐふふふふふふふふ!なんだいそのしょぼい魔法円は!大袈裟な詠唱の癖にそんなもんしか出来なぁなんてなぁ!氷の魔女の名が聞いてあきれるぜぇ!」
嘲笑する怪物を気にすることなく私は詠唱を続ける。
【其の小さき種は芽となり蕾となり、やがて華となる】
「しつこいなぁァァァァ!エリーゼぇぇぇ!さっさと諦めなぁ!」
室内の全てを灼熱の温度で焦がし、ゾフィが愉悦の笑声を上げる。
だけど、私にはもう迷いはない。
【冷たき氷は雪となりて、乾いた大地に白銀の祝福を授ける】
彼女を遮る全てを破壊し、目の前まで迫ったゾフィに向かって魔法を紡いだ。
自身の異能に過信し、努力を怠った怪物は気づかない。小さな魔法円に凝縮された膨大な魔素を。
そういえばエノレアは何て言ってたっけ。
確か、魔縮。
【咲き誇り、降りしきれーーー銀雪華】
「 」
無音。
詠唱を終えると同時に目の前の小さな魔法円が消滅し、部屋の中が沈黙に包まれる。
身構えていた怪物がニヤリと嗤った。
この大事な局面で失敗するのかと罵ろうとして、遅れて異変に気づいた様子を見せた。
開こうとした口が、ピシッという音と共に凍りついたのである。
「!?」
それだけではなかった。こちらへ手を伸ばした姿勢で停止する真っ黒なゾフィの四肢が、軋みながら氷に包まれていく。
巨体から吹き出す高音の炎によって、氷がわずかに溶けるものの、その上から再度瞬時に凍る。
幾度となく繰り返し、ついに巨女の全てを凍らすと、続けて床から壁、天井へと氷の根を伸ばしていった。
あっという間に城全体が一つの氷の花へと変化すると、その頂上に大きな蕾が形作られる。
やがて成長したその蕾が開き、中から真っ白い華が姿を現した。
一輪の華が、青白い光を発しながら咲いたのに続いて、凄まじい音と共に一筋の光の柱が夜空へと放たれた。
どこまでも高く、天空に伸びていく光柱。
天使が集うと噂される天界まで届くのではないかと思うほどに、遥か空まで昇ったそれは徐々に勢いがなくなり、全方向に弾けた。
そして、
しんしんと。
雪が降りはじめる。
ゾフィの全てを養分として成長した銀雪華。
華の中心から放たれた大量の魔素が、遥か上空で実体化し、煌めく粒子となって降り注ぐ。
その様子はまるで夜空に輝く星がそのまま降ってきたようであった。
夜空に存在する無数の星と雲もなく降りしきる白銀の雪、さらには凛と咲き誇る巨大な一輪の華が掛け合わさり、氷の大地に幻想的な空間を作り出していた。
「綺麗……」
「これは、すごいな……」
黄金狼と覇王という魔法に深く精通し、数多の地を巡ってきた者達でさえ、思わず魅入ってしまうほどの絶景。
銀雪華の発動と同時に城外に出た3人は、アランの浮遊魔法によって宙へと浮かびながら、夜が明けるまで言葉を発することなくじっと目に焼き付けたのであった。
・・・・・・・・
・・・・・
・・・
遥か遠くにいた2人の背中がすごぐ近くに感じる。あれほど怖かったこの力が、今はむしろ誇らしい。
「ねぇアラン」
「ん?」
こちらを向いた彼の顔には笑みが浮かんでいた。隣で見守るエノレアもまた微笑んでいる。
そういえば初めて名前を呼んだなーなんてどうでもいいことを考えながら、ずっと気になっていたことを聞いた。
「私、すごい?」
「あぁ、すごいぞ。この覇王が心の底から尊敬するほどに」
「そう……」
想像よりも真面目な顔で答えが返ってきた。
自分から聞いたくせに照れくさくなって、思わず俯いてしまう。
「エリーゼ」
「……なに?」
アランが私の頭に手を置いた。まるで子供をあやすようにゆっくりと優しく撫でる。
「よく頑張ったな」
「ぁ……」
やっぱり私の考えなんて筒抜けだった。なんの戸惑いもなく目の前の男は一番欲しかった言葉をくれた。何もかも見透かされてるようで悔しいけど、嬉しい。思わずじわりと涙ぐんでしまう。
一度目を瞑り、深く深呼吸をして。
頭上のアランの手を両手で包んで降ろすと顔を上げた。
「私、決めた。他の誰でもない自分の意思で、これからやりたいことを」
こちらを見つめるアランとエノレアに対して、私は満面の笑みを向ける。
「貴方たちと一緒に行く!もっと才能を磨いて覇王達の道を最後まで突き進む。たとえこの先どれだけ分厚い壁があったって、私がぜーんぶぶっ壊してやるんだから!」
その日、夜が明けるまで絶えず振り続けた銀雪は、まるで私の旅立ちを祝福しているようで、とても暖かかった。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
いつも皆様の応援が励みになっております。
"ep.3 氷の魔女"はあと1話続きますので、よろしくお願いいたします。




