13 一鬼当千
「おいおいまじか」
「なんと……!」
「聖女様!それ……」
ヴァイス・シャッハ達から驚愕の声が上がる。
王都の中心に高くそびえる城、王宮。その最上階に用意された来客室にて、この後始まるであろう生誕祭に備えて準備をしていた最中、その事件は起きた。
聖女の手元にあるのは粉々に砕けた塔の駒。それが意味するのはただ1つ、ヴァイス・シャッハ”塔”の敗北。予想だにしない出来事に聖女を除いた5人が困惑していた。
「イヴァンが負けたみたいだね」
「やはり先ほどの一時的な魔素の消失は彼の仕業でしたか」
ユディの隣に座わるエルダーが顎に手を当て呟く。
イヴァンの敗北によりユディの祝福”盤上ノ遊戯”の契約が解除される。強力な力を手にする代償に、一度契約が切れた者は生死問わず二度とその力を得ることは出来ない。
「あーあ、良い駒だったんだけどな~。やっぱりこうなったかぁ」
部屋の中心に置かれた円卓に肘をつきぷくーっと頬を膨らませるユディ。
その対面に座るノア王は腕を組み、砂になった塔の駒を見つめる。
「この駒の状態を見ても信じられん。長年ワシの護衛隊としてあの力を見てきたが、こと純粋な戦闘に置いて彼奴の右に出る者はおらんと思っておった」
「それも相手はロイス=ヴァルフリート副団長でしょう?さっさと倒して戻ってくると思っていましたが……」
ジーナがユディの前に湯気の立つ紅茶を置く。
「ありがと。まあ結果自体は事前に見てたから知ってたんだけどね」
「それならどうしてあの2人を戦わせたの?わざわざ1人で行かせなくてもよかったじゃない」
王妃がそう尋ねた時、中央通りから何やら騒がしい声が聞こえた。
「聖女様!あれを!」
真っ先に外の様子を確認したジーナが声を上げる。
次いでヴァイス・シャッハの面々もバルコニーに出た。
「んなッ!」
「ほう」
生誕祭のために訪れた人で埋め尽くされた中央通り。その場にいる人々の視線がとある1点に集まっていた。
中央通り入り口の大きな門の上に腰掛ける男。灰色のインナーの上から真っ黒なローブを纏い、背中には大剣を背負っている。トレードマークである腰まで伸びた銀髪が風で靡く。
「あの人ってロイス様じゃない?」
「あぁ、あんなところで何してるんだ?」
徐々にざわめきが広がる中、注目の的であるロイスはポケットから小型の拡声器を取り出し電源を入れた。
掠れた機械音が鳴り響き、静寂に包まれた通りにロイスの声が響き渡る。
「あーテステス、ごきげんよう皆様。ご存知の方も多いと思いますが私は王都騎士団副団長、ロイス=ヴァルフリートと申します」
「ここ数日、私はとある情報屋からの依頼を受けて秘密裏に調査をしておりました。内容は少年少女達の行方不明事件について。噂を耳にした人も少なくないと思います」
心当たりがあるのか所々で話し合う声が聞こえるも、ロイスは気にせず続ける。
「それからしばらく調査を続けるうちに、つい先日聖教会研究部最高責任者、ガレノスという男が主犯だということが判明しました」
途端に騒然となる会場。まさかこれから始まる式典の主役である聖女の組織で、そんなことが起きているとは思ってもいなかった様子の人々。
疑う者や、否定する者、同調する者など三者三様な反応を見せる。また外から来たのだろうか、記者と思われる人達のシャッター音が響く。
「お静かに!盛り上がってるところ申し訳ないですが最後まで聞いてください。それから色々有りまして、そのガレノスだけではなく聖教会全体が限りなく黒であるという結論に至りました。皆さんが楽しみにされていた生誕祭に水を差すようで大変心苦しいのですが、見逃すわけにはいきません」
空気がひりつき始め、一部の実力者達がその様子にいち早く気づき顔を険しくする。
「そこに立っている諸君。いや、聖女率いる犯罪者どもよく聞け」
ロイスの視線につられた聴衆がその方向を振り向くと、そこには聖女を初めとしたこの都市の重鎮達が横に並んでいた。
「私は逃げも隠れもせず、正々堂々、正面から行きます。先日はまんまと逃げられてしまいましたが、もう絶対に逃がすことはないでしょう。この命尽きようとも、必ずあの女をぶん殴ってブタ箱にぶち込みます。なので……出来るもんなら止めて見せろ、聖教会共」
「なっ!急に何を言ってるんですかロイス様!」
部下たちの言葉を受け流し、ロイスはゆっくりとした動作で立ち上がり体をほぐす。
「聖女様!嘘ですよね」
「ノア王!!どうなんですか!」
「今すぐ説明してください」
徐々に大きくなるざわめき。並の兵士ならともかく、多くの人望を得るロイスの発言によって疑心暗鬼になっていく人々。
しかし、当の彼らはそんな視線に一切動じることなく直立する。
やがて聴衆を見下ろすようにユディが一歩前に出た。
金の髪が風で靡き、太陽の光がまるでスポットライトのように彼女を照らす。その様子はまさに聖女であった。そのヒトを超越した圧倒的な存在が放つ雰囲気に飲まれ、静まる会場。
ユディはジーナから受け取った拡声器を起動した。
「皆様、今の一連の話は全て荒唐無稽の話。そこにいるロイス=ヴァルフリート氏によって私の大切な部下であるガレノスが殺されてしまったのですが、その罪を此方に擦り付けようとしているのです」
「ハッ、よく言うぜ」
「本来ならその男を捕らえるために皆さんの手を借りたい所ですが、生憎王都騎士団長のイヴァンをも打ち負かす程の実力者。余計な犠牲が増えることになるでしょう」
知らぬ間に起きていた出来事に再び騒然となる会場。
しかし聖女は不安な顔を浮かべる人々に向けて笑顔を浮かべると、手のひらを上に向け、右手を前に出した。
そこに浮かぶのは青白く輝く5つの駒。
「祝福”盤上ノ遊戯”」
瞬間、天から5つの細長い光が降り注ぎ、聖女の後ろに控える面々を包み込む。
「ですが皆様が心配する必要は有りません。私たちが必ず迎え撃ちます」
光の柱から出てきた5人。その全員が純白の鎧に包まれていた。
王、王女、僧正、騎士、歩兵といったチェスの駒に沿った兜を被り、さまざまなデザインの鎧は一切の隙間なく全身を覆う。
聖教会最高戦力"ヴァイス・シャッハ"がついにその秘密のベールを脱いだ。
ロイスによって作り出された濁った空気を打ち消し、人々は完全に彼女に呑まれる。
「あー、やっぱあんたらが残りのヴァイス・シャッハか……。何となく予想はしていたが、心に来るもんがあるなぁ」
目を瞑るロイスの頭によぎるのは自らが使えた国に対する様々な感情。
自信を拾ってくれたこの王都には恩を感じていた。
王都騎士団として、この国のために尽くしてきた。
副団長に選ばれた時は本当に嬉しかった。団長である義父と一緒に何があってもこの国を守り抜こうと決めていた。
だが、その先にあったのは裏切り。
かつてのロイスであったならば、何もできずにここに辿り着くことなくその生涯を終えていたに違いない。
だが、今は違う。全てに抗う力がある。
この世界の不条理に抗うことのできる力がある!
カチリ、と心の中でスイッチ入り切り替わる。それは過去との決別の合図。
すっと開いたその瞳にはすでに一切の光がなく、深淵ように闇が奥深く広がるのみ。
そしてパキッと首を一度鳴らしたロイスは重力に従うように門から飛び降りた。
地面へと身を投じながら言葉を紡ぐ。それは天に選ばれたものだけが扱うことのできる力。
「祝福:怨嗟ノ鬼」
ロイスの全身を闇が覆う。
額には黄金色に暗く輝くツノが生え、背中から抜刀した大剣は大鉈へと変化する。
一房にまとめた長き銀髪を靡かせながら一回転し、石畳の上に鬼人が音もなく降り立つ。
突然の展開によって混乱が広がる空間で、ロイスは顔を上げた。
「そこで待ってろ聖女サマ、すぐに行く」
「ジーナ」
「はっ」
突如戦場と化したその地で真っ先に動いたのはヴァイス・シャッハ”騎士”ジーナ=ハリスティン。すらっとした高身長を純白の鎧で包んだ彼女は、いつの間にか側に控えていた同じく鎧を纏った白馬に跨がった。そして王宮のバルコニーから飛び降りると、目にも止まらぬ速さでロイスの元へ駆け出す。
街の石畳に蹄の跡を刻み、一歩進むごとに速度が増していく。その様子はまさに1本の矢。
多くの人でごった返す通りを誰にもぶつかることなく器用に交わしていく。なおも上がり続ける速度。
やがて銀の線となった彼女は、低姿勢のまま自身の得物である長槍を両手で握り、前に突き出すように構えた。
人混みの中から放たれる殺意に満ちた槍。
余波で周囲の建物がひび割れ、逃げ遅れた人々が吹き飛ぶ。
一撃で仕留め、愛しの聖女様からのお褒めの言葉を頂く。そんな未来を思い浮かべ兜の中で思わず笑みを浮かべる。
そしてあっという間にロイスの元へと辿り着いた。反応ができていないのか、棒立ちでこちらを見ていた。
(ロイス=ヴァルフリート、貴様はここで終わりだ!)
気合いと共に繰り出されたジーナが誇る万物を貫く槍、そんな神速の一突きを、
「なんだ、この程度か」
ロイスは一歩も動くことなく大剣の先を寸分狂わず合わせ、完全に止めていた。
「は?」
まるで時間が止まったように白馬ごと空中で静止するジーナ。
その場に激震が走る。およそ3㎞にも及ぶ距離を利用し加速した渾身の一突きが、ロイスの何気なく繰り出した一振りと互角という事実。
呆けるジーナに対し、ロイスは真顔のまま呟く。
「あんたらヴァイス・シャッハの強さにも差があるのか?これならイヴァンの方がよっぽど強いな」
漆黒のような黒い瞳がジーナを射貫く。
「で、これで終わりか?護衛隊長殿」
その表情から煽りなどではなく本心だと理解したジーナは、鎧の中で白い肌を真っ赤にして吠える。
「なんだと貴様ァ!」
白馬の上から繰り出される連続の突き。一撃一撃が急所を狙い、その勢いは衰えることなく徐々に加速していく。だがその攻撃は届くことは無く、全てをロイスの大剣が迎え撃つ。
音もなくぶつかり合う長槍と大鉈。
限りなく重量を減らし、速度に特化した槍と同じ速さで繰り出される大鉈の連撃。
「前から思っていた。あんたの格下を見下すような冷めた目がうぜえってな」
受けに回ることであえて力の差を示すかのように全ての攻撃が相殺される。勢いを全て消されることによって、音は響かず火花が散ることもない。
攻撃が続くこと数十秒。徐々に息が上がり始めたジーナに反して、涼しい顔をしていたロイスは相変わらず無表情のまま口を開いた。
額のツノが薄暗い黄金色に輝く。
「今ぬしが直面している事実こそ、この世に蔓延る不条理」
「ッ!」
ロイスの口から聞こえるはずのない別人の声。ソレには数え切れないほどの怨嗟が込められていた。
圧倒的なプレッシャーに思わずジーナは気圧され、汗が滝のように流れ出る。
「力ある者が容赦なく上に立ち、力なき者はただ従うことしかできない。たとえそれがどれほど理不尽な事であったとしても。まさにお前たちがやってきた事だ」
すぐそこにいるはずの敵が遠い。
目の前の男のことは知っている。直接言葉を交わしたことはほとんどないが、歴代最年少で王都騎士団副団長に選ばれるほどには優秀であることを知っていた。だが、それでもあくまで優秀という認識。自分やイヴァン達との間には圧倒的な壁があり、ロイスに対しては一切の興味がなかった。それがいざ対面してみるとどうだろうか、まさかこれほどの怪物だとは微塵も思っていなかった。外見、武器、雰囲気の何もかもがほんの数日前に見たときとは別人。
ーーー勝てない。
聖女様や正義執行が放つ圧倒的格上の存在による圧。それらと同じ感覚に襲われる。
強者と弱者。
僅か数日の間に二人の立場が入れ替わっていることに気がついた。
加えてそこにあるのは覆ることのない圧倒的な差。
(ありえない!こんな都合のいい展開があるはずがない!)
それでも、僅かに残ったプライドと正義感が彼女を奮い立たせる。
(この男を聖女様の元に行かせては駄目だ!!)
「おおおおおおおおおおおおッ!」
戦闘が始まってから一番といっていいほどのキレのある鋭い一突きが空気を切り裂き、唸りを上げながらロイスの元へと迫る。
(これで、死ねッ!!)
そんな彼女の願いも虚しく、ロイスは一切表情を変えることなく手刀を作ると、
槍を横からへし折った。
「ーーーー!」
それでも瞬時に切り替える精神の強さは、さすがこの都市でも最上位に位置する実力の持ち主。
「シッ!」
短く吐き出された息と共に先端の無くなった棒を突き出す。
並の相手はこの追撃で終わっていたに違いない。
それこそ目の前の人物が想定通りの人物だったならば。
ジーナの敗因は、ロイスの実力を完全に見誤ったこと。
「2人目」
ロイスは一切表情を変えることなく小さく呟くと、向かってくる棒ごと真っ正面から大鉈を叩き込んだ。
銀の長髪と黒いコートが風で靡く。足下には鎧が砕かれ白目をむいて倒れるジーナの姿。
「こんなものか。まあいい、次だ」
兵士達はこの時ようやく自分たちの上司が、本気で聖女を狙っているということを理解し始めた。
騒然となる戦場をゆっくりとした足取りで進むロイス。
コツ、コツ、コツ。
足音だけが響く。
そのあまりにも堂々とした姿に、まるでモーセが海を割った様に兵士達が自身の任務を放棄し道を空ける。
そのまま暫く進むと一人の人物が立っていた。魔法使いのローブのような純白の鎧を身に纏い、長い杖を手に持つ騎士。おそらく木で作られたであろうその杖には細かな装飾が施され、先端に5色の鉱石が埋め込まれている。
ヴァイス・シャッハ"僧侶"エルダー=シャルマーク。聖教会最高責任者にして王都随一の魔法使い。
「エルダー、次はあんたか」
「遠目から見たときも思っていましたが、見た目といい話し方といい随分と様子が変わりましたね」
「まあ、お察しの通りここ数日で色々あったんでな」
「それはそれは。心中お察しします」
その言葉に反してロイスへ杖が向けられる。5色の鉱石がキラリと輝いた。
「ハッ、嘘くせえよ」
そんなエルダーの様子を鼻で笑い大鉈を構えようとした瞬間、
「技能:聖域」
エルダーの詠唱と共にロイスの周囲が真っ白な光に染まる。
途端感じる違和感。非常時にも関わらずいつもの第六感が反応しない。
(これは、能力の使用を制限する技能か)
ロイスが瞬時に状況を理解すると同時に、いつの間にか背後に息を潜めていたもう1人の純白の騎士が短剣を振りかぶる。
名をフェイルーン。王都の裏を取り締まる暗部の隊長でありヴァイス・シャッハの1人”歩兵”を担う。
「技能:毒付与」
言葉と同時に刃が紫に染まり、滴る液が石畳を溶かした。
一閃。
高速で繰り出された横凪の斬撃は対象の首筋へと向かいーーー
空を切った。
「おいおいまじか!?」
視覚外からの完璧な不意打ち。
その一振りによって本来命を散らしていたはずのロイスはフェイルーンを一瞥することなく、低く身を屈めることによって躱したのである。
「邪魔だ」
どろり、と。
ロイスの身体から溢れた闇が光を覆う。これによりエルダーの聖域の効果が消え、能力の使用が可能になる。
「うそでしょ」
頬をひくつかせるフェイルーンにロイスが膝を付いたまま振り返り大鉈を突き出す。
瞬間。
「プロテクト」
青白い粒子が2人の間に集まり光の壁が作られ、その攻撃を弾いた。
姿勢を整えながらロイスが横目で見ると、エルダーが杖をこちらに差し出していた。その周囲に浮かぶのは無数の光の矢。
「ホーリーランス」
詠唱と共に一気に放たれる光の乱射。至近距離のロイスに凄まじい光の攻撃が降りそそぐ。
さらに追い打ちをかけるように挟み込む形で、反対側では再び剣に毒を付与したフェイルーンが光の盾を前にして突っ込んできた。
実力者同士の連携技。先鋒のジーナの戦闘と今の一瞬のやり取りにより、互いにロイスを驚異と判断した上での行動であった。
「ふん」
だが。
それでもなお認識が甘かった。
心底下らなそうに短く息を吐いたロイスは、両手で大鉈を強く握ると大地を踏み込みその場で横に回転した。
同時にまるでロイスの意思に反応するかのごとく、大鉈の血管が脈打ち刃が3、4メートルほどに伸びる。
「なっーーー」
「っ!」
ヴァイス・シャッハ2名による攻撃が届くよりも早く、その大鉈がフェイルーンの胴を盾ごと両断した。
それでもなお回転は止まることなく、光の矢を全て切り伏せながらエルダーの元へと向かい、胸元を深く切り裂いた。
血が飛び散る中、咄嗟に後方へ回避することによって即死を免れたエルダーであったが、息を吐く暇もなく自身に影が覆うことに気づく。
視線の先には元の長さに戻った大鉈を両手で握り、上段に振りかぶるロイスの姿。腕の筋肉が隆起し、大鉈がカタカタとエルダーをあざ笑うかのように小刻みに揺れる。見覚えのあるその構えはかつての同胞の奥義。
「ロイス君、貴方はやはり選定ーーー」
「轟雷」
その言葉を最後まで聞くこと無く、鬼人による無慈悲な鉄槌がエルダーを縦に切り裂いた。
赤黒いスパークを纏った一撃は王都ハインルッツェ全体を大きく揺らす。
周囲の建物のガラスが割れ、城壁の一部が崩れ落ちる。
やがて揺れが収まり、立ちこめる砂埃が晴れたその場所に立っているのは鬼人だけであった。
人々のざわめきが広がる中、ロイスは倒れたまま動かない2人には目もくれず、王宮前でニコニコと笑顔で立つ聖女だけを真っ直ぐに見つめる。
「高みの見物はお終いだ。すぐにぶっ飛ばしてやるよ、ユディ=ポルガーノォォォォォォォッ!!」
天にまで響き渡るそれはまさしく怪物の咆哮。ここに来てからしばらく抑えられていた怨嗟が一気に爆発し、聖教会、王都騎士団、護衛隊の全てがロイスの周りに無数の骸が蠢く様子を幻視した。とてつもない殺気によって怯え腰を抜かす兵も少なくない。
これぞ選定者。力が支配する理不尽な世界に仇なすイレギュラーの存在を、彼らは身をもって理解する。
「おい、エルダー様までやられたぞ」
「そんな、ジーナ様……」
「化け物……」
士気の低下の原因にはジーナやエルダー、フェイルーンといった王都の突起戦力が立て続けに敗北したことも大きい。
「どけ!邪魔するヤツは殺す!」
そう言い残し一気に駆け出したロイス。先程までの静けさは消え去り、むき出しになった殺意が戦場を支配する。
反応できず棒立ちとなった兵士達を容赦なく吹き飛ばしながら進む。
道が開け、ついに王宮の入り口が見えた。正面には3名の人物が立つ。
その真ん中に聖女の姿を確認し、凶暴な笑みを浮かべ低姿勢で突進しようとした瞬間、ドレスのような形状の純白の鎧を纏った人物と視線が交わる。ノア王の妻、カミーユであった。彼女は動くこと無くその場で包み込むように両手を広げる。
「技能:魅了」
ぴたり、と。
戦車のように爆ぜていたロイスの動きが急停止した。意識は残っているものの、体がびくとも動かない。
固まるロイスの脳内にカミーユの妖艶な声が響く。
「1人でよくここまでたどり着きました。その実力に感服いたします。けれど、聖女様こそ至高のお方。対立する必要なんてありません。だから安心してその身を委ねなさい。そうすれば必ず全てが上手くいくわ」
(なんだ、これは)
あれだけ溢れていた怨嗟が収まり、ロイスの思考にノイズがかかる。
「さあ、こちらに来なさい。大丈夫、すぐに楽になるわ」
虚ろな目をしたロイスがまるで手を引かれるようにゆっくりと王妃の方に向かって歩み始める。
(俺は今何をしているんだ)
胸にぽっかりと穴が空いたような感覚。何かと戦っていたのは覚えているが、相手の顔が思い出せない。
(今すぐあの聖女の元へ行かなければーーーーーなぜ、何のために?)
混乱する思考。
ふとぼやけた視界に聖女の笑顔が映る。その美しい容姿はまさに神の使いの様である。
(聖女様……)
もはや思考を放棄し、愛しの聖女様の元へと更に一歩足を踏み出そうとした時、
ーーーなにやってるですかばかロイス!!そんな女のどこがいいですか!ったくしょーがないやつだです!次はねーぞです!
どこからか聞き覚えのある小憎たらしい少女の声が聞こえ、ロイスの視界が真っ暗になった。
(あら残念。これはさらに深く入らないと駄目かしら)
動かなくなったロイスを見て、困ったように頬に手を当てるカミーユ。
彼女の技能”魅了”には3段階の強さがある。1段階目は多人数に対して一気に語りかけるようにして思考を操る力。2段階目は今のように対象の脳内に語りかけて思考を操る力。そして3つ目は相手の心の内側に精神体となって入り込み、直接会話をすることで思考を完全に操る力である。例えどれだけ肉体が強くても中身は別。王に並んでこれまで数多くの場数を踏んできたカミーユにとって、今回も取るに足らない相手であった。現に2段階目で十分に手応えを感じていた。
(これは、次で確定ですわね)
そう考え、その場で目を瞑り意識をロイスの内部へと移した。
カポーン。
鹿威しの音が鳴り響く。夜空には真っ赤な満月が浮かび、桜の花びらが風で舞う。小川を水が流れる音に加え、時たま鈴虫の鳴く声が聞こえる。
「え、なによここ」
見上げる程の塀に囲まれた広大な土地。その中心には王宮と遜色のない豪勢な和風の城がそびえ立つ。
今まで数多くの深層に潜り意のままに操ってきた王妃であったが、今回のように精神内に別の世界が広がっていることなど初めてのことであった。
ふと視線を下げると、いつの間にか門の前に1人の少女が立っていた。黒と金で装飾された美しい着物を纏い、腰にはその子の身長と同じ程の一本の長い刀。おもちゃで遊ぶ子供のようなアンバランスな姿に微笑ましさを感じそうになり、気を引き締め直す王妃。
「鬼、の子供?」
それでもポロリと口からこぼれた言葉に、目の前の少女がピクリと反応する。
「子供じゃねーです!ツムギはツムギです!おばさんこそ資格のないくせに此所に勝手に入ってくるじゃねーです!」
「……!おばっ!?ちょっとあなたーーー」
王妃として暮らしてきた人生で言われたことのない暴言に対し、カミーユが反論しようとした次の瞬間、
ーーーえ
視界が上下にずれた。
ーーーあれ?
すっと、体の頭から股まで綺麗に線が入ったかと思うと、ずるりと体半分がずれ落ちていく。
正面には剣の柄に手をついた状態でこちらに背を向ける少女。桜の花びらが彼女の周囲を舞う。
カミーユは思わず手を伸ばそうとして違和感に気づいた。
ーーーなん、で
自身の肘から先が無かった。
視界の端では、ふき飛んだ腕が空中で回転していた。
やがて音もなくソレに四方八方から線が入ったかと思うと、細切れになり宙へと消えていった。
ーーー斬られた
指が、足が、体が、頭が、鼻が、口が、舌が、歯が、耳が、眼球が。
カミーユを構成していた体の部位が全て細切れになっていく。
その間僅か1秒。
ーーーなに、これ
無限に感じる時間の中で、彼女は自身に起きている状況を一切理解することなくこの世界から消滅した。
赤い満月が少女を照らす。
「主にお願いされたからやっただけなのです!べつにあのばかロイスのためなんかじゃねーです!勘違いすんじゃねーです!!」
それは誰に対する言い訳か、もはや侵入者の存在など忘れたかのように振り向くこともなく、ツムギは急ぎ足で城へと帰っていった。
王妃の技能"魅了"は、自身の視界に入った相手の精神に入り操る技能。たとえ相手がどれだけ強い肉体を持っていようとも、精神はまた別の話。しかしそれほど強力な故に欠点もあった。
代償はその身に跳ね返るのだ。
死を超越した体験により、すでに白目をむいて意識を失っていた王妃は弾かれるように後方へ吹き飛んだ。
「ッッ!」
硬直が解けたロイス。
(あの王妃と目があってから体が動かなくなった。それを切っ掛けに何らかの技能による攻撃を受けたのは確か……。何故かその本人が倒れているがまあいい、そんなことを考えている暇など俺にはない)
そう結論づけ再び駆け出そうとした瞬間、周囲一体に影が刺した。
「技能:巨人族の腕」
いつの間にかユディの側から離れていたノア王の右腕が巨大化した。その大きさはまるで山。
かつて鬼や龍と並び争いを続けてきた今無き種族の1つ"巨人"。頭脳も技術も並以下の彼らが激闘の旧時代を戦い抜いた理由はただ1つ。
質量。
ヤツらはただひたすらに大きかった。
ヒトと虫が争いにならないように、そんな巨人達にとっては並大抵の種が敵ではなかった。
拳1つで街を破壊する。そんな失われし力の一部を現代に蘇らせる。
「パーフェクトプロテクト」
ノア王が攻撃モーションに入ると同時に、意識を戻したエルダーが座ったまま魔法を放った。
半分に切ったはずの体が綺麗にくっついていた。
(ゾンビかよ気持ちわりいな)
ロイスがそんなことを考えた直後、聖女とヴァイス・シャッハの周囲にのみ半透明の壁が生じる。
その名の通り膨大な魔素と引き換えに、あらゆる攻撃を一度だけ防ぐ魔法。
魔法適性の高いエルダーであっても1ヶ月に数回しか使えない。現にこの瞬間、1度に複数発動したことによって再び意識を失っていた。
青空を覆う程の大きさの拳が殺意を持って襲ってくる様は、まるで逆さまの街が降ってくるような迫力。
数秒後には王都が平地になることは間違いなかった。
「……」
しかし、ロイスが抱いたものは恐怖ではなく怒り。
それはかつて仕えていた者に裏切られたことに対してか、或いは王達の本意を見抜けなかった自分に対してか。
目を閉じたロイスの中で、切り捨てたはずの理性が悲しみの声を上げる。
(ノア王、あんた自分の街と民のことはなんとも思ってなかったのか?今までの言葉は全部嘘だったっていうのかよ)
握った拳から血が滴り落ちる。
ーーー巨人種たぁ、随分懐かしいな。だがこれはスカスカ、中身の無いただの模倣に過ぎねぇ。高く見積もっても1、2割てとこだな。なに、心配すんな。ぬしは10割、負ける道理はないわ。あの愚王に分からせてやるといい。
どこからか鬼の声が響いた。
周囲を漂う闇が右腕に集まり黒く染め上げていく。それは力及ばなかった者達により積み重なった恨み。
がりっと口から歯ぎしりが鳴った。
喧噪に包まれる戦場の中心で、一度深呼吸をする。
ロイスは持っていた大鉈を地面に突き刺すと半身になって腰を軽く落とし、右腕を引いて構える。
そして。
かっ、と目を見開くと同時に石畳を砕くほど全力で踏み込み、
天から落ちてくる災害に一切臆することなく真正面から殴り返した。
「怨嗟ノ一撃」
「ぬっ!?ーーーーーーーーぐおおおおおッ!!」
まさか止められるとは思ってもいなかったのだろう。ノア王が驚嘆の声を上げる。
刀の鍔迫り合いのように拳と拳が拮抗し一切動かない。
「ありえぬ!」
仮にも数百年もの間、頂点に立ち続けてきた一族であるという誇りがノア王を奮い立たせる。
「矮小な小童ごときに、この都市の王であるワシが負けるわけがない!」
が、どれだけ力を込めようともむしろ押し戻されていく。
「なぜ、なぜじゃぁぁぁぁぁあ!」
「ノア王、あんたが相手してんのは俺1人じゃねえ。数多のヒトが抱え持つ怨嗟であり業」
ロイスの髪が暴風で後方に靡き、額の1本のツノが存在感を放つ。
ピシッ。
「その薄っぺらい拳程度に、彼らの恨みが負けるわけがないだろ!!」
ピシッ。
赤黒く染まった拳を起点に、それに接するノアの拳にヒビが入っていく。
対するロイスは更に拳に込める力を増していく。その源は王都ハインルッツェのもの。自分達が信じていた王の裏切りに、民衆の恨みが積み重なる。
力無き者達は、自分たちの代わりに戦う者へと願いを託す。
恨み、憎しみ、怒り全ての怨嗟を背負い力に変える。その器の大きさは無限。これぞまさしく鬼人へと至ったロイスが手にした祝福。
"怨嗟の鬼"
薄暗い黄金色のツノの輝きが増す。長い銀髪をたなびかせながら、ロイスは目一杯に両目を見開いた。
「あああああああああああああああああああああああッッ!!」
「ーーーーーーーーーーーッッッ!?」
ガラスの割れるような音が響き渡り、ついに王の技能が砕けた。
衝撃で吹き飛ぶノア。巨人の腕は青白い粒子となって空へと消えていく。
その間に止まること無く空中へと飛び上がったロイスは再び拳を引いて構える。
上空から勢いをつけると、間抜けな姿で仰向けに地へ倒れ込むノア王の腹部へと狙いを定めた。
「最初から出直してこい」
上から拳を全力で叩きつけた。
その衝撃はノアの身体を通して石畳まで及び、大地を砕く。
「ぶっ!! ごっはぁああっ!」
口から大量の血を吹き出した王はそのまま意識を失った。
「これで6人」
静まり返る会場。王都の最高戦力であるヴァイスシャッハを僅か1時間にも満たない時間で制圧したロイスは、地面に降り立つと大鉈を手に取りしっかりとした足取りで聖女の元へ向かう。
残るはあと1人。
手が届く距離まで近づいたロイスは聖女と見つめ合う。
「よお、約束通り迎えに来たぜ」
「こんにちは!待ってたよ、ロイス君」
彼女を守る全ての駒を失ったにも関わらず、一切焦る様子はない。それどころかニコニコと機嫌良さそうに笑みを浮かべている。
「なぁユディ。あんたイヴァンと交わした契約の話って覚えてるか?」
「協力してもらう代わりに息子君を助けるって話でしょ?もちろん覚えてるよ」
「あれ、嘘だろ」
「……そうだよって言ったらどうするの?」
「殺す」
怒りが頂点に達したロイスは、ノーモーションで大鉈を聖女へ向けて振り抜こうとしーーー
「技能:束縛の鎖」
瞬間、どこからか低い声が聞こえたかと思うと、何もない空間が歪み、4本の鉄製の鎖が勢いよく飛び出した。
「!?」
大鉈を振り上げたロイスは、聖女まであとわずかの距離で四肢を拘束される。
「なん、だこれ、は!」
何重にも巻きついた銀の鎖は鬼人と化したロイスの力を持ってしても微動だにしない。
「やーっと来たようだね。遅いよ!」
目の前の聖女が呆れた様子でため息をつく。
その場で拘束を逃れようと歯を食いしばり暴れ続けるロイスは、ふと視線を感じて動きを止め顔を上げた。
正面には手を後ろに組み微笑む聖女と、背後に聳え立つ巨大な王宮。そのてっぺんに掲げられる国旗のさらに最上部に座る一人の人影があった。
距離があるためうっすらとしか見えないが、細い棒の先端に器用に腰掛けていることがわかる。
ロイスが認識したからか、その人物はゆっくりと立ち上がると、まるで水に飛び込むように顎を引き、腕を耳の後ろに付けて肘をしっかり伸ばし、指先から飛び落ちた。
「は?」
驚くロイスの視線の先で、上空の人影はみるみる大きくなり、あっという間にすぐそこまで接近してきた。
そして、何かしらの技能を用いて優雅に着地するわけもなく、砲弾のような勢いでそのまま地面に突撃した。
「ぐっ!?」
耳をつんざくような音と共に石畳が割れ、舞い上がった砂埃によって思わずロイスは目を薄める。
顔を振って飛び散った砂を落として前を向いた。
そこには聖女とロイスに割り込むようにして無傷のバニーガールが立っていた。
タイトな黒色の肩出しボディスーツを身に纏い、肉感的な黒光りする足は網タイツに包まれている。おそらくヒト族ではないのだろう、頭からはウサギの耳らしきものが生え、腰には丸い尻尾があった。酒場で働けば人気が出ることは間違い無い。ーーただし本人が筋肉質な男であることを除いて。
「は〜い!ごきげんようユディちゃん!」
ロイスと比較してもさらに低く野太い声。茶髪のドレッドヘアーを揺らし、真っ黒なサングラスが太陽を反射させてキラリと輝く。
「あ〜らいい男。その長い銀髪、あなたがロイスちゃんね。私の名前はロッツォ。ユディちゃんに仕えるシュヴァルツ・シャッハの1人"歩兵"よ。よろしくね♡」
親指でサングラスを上げた褐色筋肉オカマがバチンとウインクをした。
シュヴァルツ・シャッハ、通称"黒"。ヴァイス・シャッハと対をなす存在で、その構成人数は同じく6人。全員がヒト族以外の亜人種で構成されており、基本的には王都の外に分かれてそれぞれ行動している。各々が戦闘に特化していることから、ヴァイス・シャッハが盾であるのに対し剣の役割を担っている。
その1人である"歩兵"兎人族のロッツォは腰に手を当てながら周囲を見渡す。
「ロッツォ……」
意識が戻ったのか、カミーユが横たわったまま声をかける。
「全くもう。盾のあなたたちがなんて有様なのかしら情けない」
ロッツォがため息をつく。
「そういえばイヴァンちゃんの姿が見えないけど……もしかして負けちゃったの?」
白の中でも突出した実力を持つイヴァンの敗北に驚くロッツォは、その視線をロイスに向ける。サングラスの奥でピンクブラウンの瞳が妖艶に艶めく。
「尚更ロイスちゃんのこと気に入ったわ。顔が整っている上に強いなんて素敵じゃない!ねえユディちゃん、ウチに連れて帰ってもいいかしら?」
「絶対だめ!私のお気に入りなんだから。それにあなたの所って物騒じゃない。ロイス君が見せ物になるのはごめんだよ」
「あら残念。きっと目玉になると思うのだけど」
「……」
ユディが見つめる先では、いつの間にか抵抗を諦めたのかロイスがぐったりと俯いていた。ほんの数日前にはイヴァンに手も足も出なかった男が、たった1人で王都最高全力であるヴァイス・シャッハを相手どり圧勝してみせた。戦闘技術のないユディから見てもはっきりと分かる、他者と隔絶した技術に肌がひりつくようなオーラ。
この世界で広く見ても紛れもない上位者にして、聖女と同じ選ばれし存在。
だが、それでも届かない。
「ふ」
自分の思い描いた通りの結末に思わずユディの顔に笑みが溢れる。それも聖女に似つかわしくない醜悪な笑みが。
「ふ、ふふふふふふふふ」
未来視で結末を知ってから、初めてロイス君の姿を見た時は驚いた。こんな良くも悪くも普通の男が、窮地で選定者となり復活を遂げる。
まるで物語に出てくる主人公。
ごくありふれた普通の話ならば、ラスボスである聖女を倒してハッピーエンドで終わるのだろう。
しかし、そんな主役も聖女にとっては卓上の駒の一つにすぎない。
ユディは両手を掲げ空を仰ぎ見る。太陽の光がスポットライトのように彼女を照らす。
「あはっ、はははははははははははははははは!」
ついに抑えていた愉悦の感情が爆発した。
「ほら見ろ、やっぱりこうなった!全て最初に見た通り!多少のイレギュラーなんか関係ない。私は天に選ばれし聖女、ユディ=ポルガーノ!あれほどの力を持っていたオルベルクでさえ、最後はあっけなく死んだ!選ばれし者ではなかった!黄金帝でも、正義執行でも、あのクソ女でもない!私こそが頂点!!全てを見通し、駒を揃え、次こそは私が……」
抑えていたものを吐き出したことによって興奮がおさまったのか、両手をだらりと垂らしてロイスを見る。
「だから、それまで私の駒として隣で見ててねロイス君?」
金髪をゆらしながらゆっくりと愛おしい彼の元へ歩み寄る。
「これで、チェックメイトだよ」
(未来視で見た、その絶望に染まった顔を見せて頂戴)
不自然なほど静かに俯くロイスの顎に手を当て顔を持ち上げたその時。
「え」
どろり、と。
ロイスの顔が真っ黒に染まり、溶け出した。
「ヒッ」
慌てて手を離しその場に尻餅をつく。地面についた手が小刻みに震えていることに気がつかない。
みるみるうちに溶けていくロイス。地面には黒い粘性の液体が広がっていく。
「え、なに、これ」
目の前から消えたロイスだけではなく、いつの間にか隣に居たはずのロッツォの姿もない。
加えて周囲に人はおらず、街の風景すらも無くなっていた。ここにはただ黒が広がるのみ。
「招集:対象全員!......招集!招集!招集!嘘でしょ!?」
この世界で最上位に位置するはずの祝福を唱えるも、なんの反応も起きない。
「なんなの一体!?」
未だかつて体験したことのないイレギュラー。
聖女の本能が、ここに居てはならないと声を荒げる。しかしまるで底なし沼に沈んだように身動きが取れない。
「おねぇさんだーれ?」
「ッ!?」
突然背後から声をかけられ反射的に振り向く。そこには3、4歳くらいの銀髪の男の子が立っていた。
「ここでなにしてるの?」
いつの間に移動したのか、聖女は畦道に座り込んでいた。辺りには田んぼや畑が広がり、ポツポツと民家が建っている。
口を開こうとして男の子に視線を合わせた聖女は固まった。
その瞳は今まで見たどんな黒よりも暗く、洞窟の穴のようにどこまでも深く続く漆黒の色をしていた。
「……私はユディ。気づいたらここにいたんだ。……あなた、もしかしてロイス君?」
聖女の全身がぷつぷつと粟立つ。一刻も早くここから立ち去らなければ手遅れになる気がする。それでも目の前の子が、先ほどまで争っていた相手に酷似していたことが気になった。
「ろいす?ううん、ぼくのなまえは だよ!」
「え?」
「 !」
不思議なことに名前を聞き取ることができないが、それでも目の前の子供はロイス君とは別人らしい。
もはや思考を放棄して元いた所へ早く戻ろうと考え、今の場所について聞こうとしたとき、
ぽたりと。
聖女の頬を冷たいものがつたった。
「っ!なに?」
あわてて咄嗟に手で拭うと、それは墨汁のような真っ黒な水だった。
「わ!雨だ!風邪ひいちゃうからお家に帰らないと」
「これが、雨?」
ぽつ、ぽつと黒い雨が降り始め、次第に景色を黒く染めていく。
そのまま土砂降りへと変化した。
「また話そうね!ばいばーい!」
いつのまにか遠くまで移動していた男の子がこちらに大きく手をふり、両手で頭を隠しながら駆け足で奥へと消えていった。
雨音だけが響き渡る。虫や動物の鳴き声は聞こえず、生活音も一切聞こえない。
ーーーそういえば他の住民はどこにいるのだろうか。
その間にも水位はどんどん上がり、聖女の足が地面から離れる。それでも止むことのない黒い雨。
「がっ、ごぼっ、ごぼぼぼぼぼ」
必死でもがくも息ができなくなり、とうとう聖女の体が沈む。
「……」
眼下に映るのは漆黒。
あの銀髪の男の子の瞳と同じく、圧倒的な虚無。
聖女だとか選定者だとか一切関係なく、自分もこの闇に呑み込まれ〝無〟となって消えてしまうのではと錯覚してしまいそうなほどの深淵。
さっきまではロイス君も自分と同じ天に選ばれた存在だと思っていた。しかし今、身をもって理解した。これは全くの別物だと。
(ロイス君、あなたは一体……)
やがてユディの意識は深い闇へと沈んでいった。
「っ!?」
「全くもう。盾のあなたたちがなんて有様なのかしら情けない」
ロッツォがため息をつく。
その対面にいるのは4本の鎖に手足を縛られ拘束されているロイス。
先ほどと同じ光景だ。
どうやらいつのまにか勝手に技能が発動し、未来を見ていたらしい。
「っ、はぁっ、はぁっ」
自身の膝に手をつき俯く聖女は、額に大粒の汗を浮かべる。
(違うっ!あんなの知らない!本当ならあのまま何もできないロイス君を捕まえて終わるはずだった!!)
「ちょっと!ユディちゃん大丈夫!?」
いつもと違う様子に気づいたロッツォが慌てて駆け寄ってくる。
(さっきの子はロイス君?でも名前は違うみたいだし、それにあの場所はどこ?)
ただの幻想というにはあまりにも明確に記憶に刻まれている。
(ロイス君のことは徹底的に調べた!出身地はどこにでもあるような田舎の小さな村。幼馴染の3人と共に王都へ来て探索者となったーーーでも、さっきの場所はその村じゃなかった......)
(それにあの闇。私と同じ選定者になったんじゃなかったの?怨嗟の鬼でしょ?ならあれは一体何!?)
溢れる疑問。あらゆるものを見通してきたはずの聖女が、何一つ分からない。
見てきたはずの未来とは異なる結末。
つまり、ここから先は聖女にとっても未知の領域。
ユディの顔から余裕という名の仮面が剥がれ落ちた。
「……ィちゃん、ユディちゃん!」
「っ!?」
気づけばロッツォに肩を掴んで揺らされていた。
「大丈夫!?しっかりしなさい!」
遅れて先ほど聞き逃したことを確認する。
「......ねぇロッツォ、そういえば他の黒達は何をしているの?」
「それがーーー」
「おいロッツォ!後ろだ!」
仲間の声に振り返ると、ロイスを縛っていたはずの鎖は粉々に砕け、すでにそこには誰も居ない。
ロイスは目を見開き驚愕するロッツォに肉薄すると、2倍ほどの大きさに肥大化した大鉈を真横後方に振りかぶる。
大鉈に赤黒い稲妻が纏い、震えた大気が怨嗟の声をあげる。
「ちょっ!?」
「どけ。"轟雷"」
ロッツォの両手での防御などお構いなしに、その上から大鉈を叩き込んだ。
「あん!」
不愉快な低い声と共にロッツォは真横に吹き飛び、屋台に頭から突っ込んでいった。
聖女の顔に影がさす。
「え……あ……」
見上げる先には鬼人。肩には何倍もの大きさに膨れ上がった大鉈を担いでいる。
今度こそ2人を遮るものは何もない。
聖女のすぐ目の前に死が迫る。
エメラルド色の瞳にこの時初めて恐怖の色が見えた。
「さて、言い残すことは?」
ロイスの体から赤黒いオーラが溢れ、黒い瞳がさらに漆黒に染まる。
それを見たユディがびくりと身じろぎをした。
「あなた、誰?」
「は?おいおい、イヴァンと同じこと言ってんじゃねえよ。あんたもボケたか?まあいい、それで言い残すことはあるか?」
「ま、待って!お願い、話を聞いて欲しいの!」
普段の様子とは打って変わって必死に縋る聖女に対し、ロイスは大鉈を元のサイズに戻すと地面に突き立てた。
「ユディ」
「ロイス君……」
そんな様子から説得に応じてくれたのだと安堵し力を抜くユディに対して、ロイスは親友に向けるような優しい笑みを浮かべた。
そして、右手を握りしめる。
「最初に言ったろ、あんたをぶん殴るってよ」
「!?待っーーー」
瞬きをする間もなく、聖女の顔面をロイスの全力の拳が撃ち抜いた。




