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塚本千衿

 子供の頃の頑なさって何なんだろう?


 僕の名前は畝田良人(うねだりょうじん)なのだが、畝田っていう名字が嫌いだ。自己紹介なんかをするとき、口頭で「畝田です」って言っても絶対に『梅田くん?』もしくは『上田くん?』と聞き返される。みんな、『畝』なんていう言葉が頭にないのだ。名字として想定外の言葉らしく、言われても咄嗟に浮かばないんだろう。頭に浮かびやすい『梅』や『上』と音が似ているのもいやらしい。自己紹介をして聞き返されるたびに僕は自分の滑舌の良し悪しを振り返らなければならなくなる。でも悪いのは僕の滑舌ではなく『畝』だ。っていうか、畝ってなんだよ? 調べてみると『畑などで土が盛り上げられているところ』。そんなの知らないし使わないよ。それに、『畝』だけでも田舎臭いのに、『畝田』なのだ。田んぼの『田』。この名字に誇りを持っている同姓さんがいたら申し訳ないんだけど、重ね重ね田舎臭くて嫌になってしまう。どうして鷹座の旧家なのにこんな名字なんだろう。鷹座には田んぼも畑もないのに。あるのかもしれないけど。


 とにかく僕は自分の名字が嫌いなので、僕を名字で呼ぶ奴とは仲良くなれない。友達になれそうな相手には最初に必ず「名前で呼んでほしいです」とアピールするのだが、それでも呼んでもらえない場合、無理だ。ご縁がなかったということで、と僕は遠ざかる。『畝田』っていう音の並びを耳に入れなくちゃいけないのも嫌だし、畝田呼ばわりされるのも嫌だ。まあ実際僕は畝田なんだけど、その事実を毎回突きつけられているみたいで苦しくなる。


 塚本千衿(つかもとちえり)はものすごく貴重な、というか唯一の、僕の名字に一切触れなかった人間だ。中学二年で同じクラスになったとき、声をかけられ、名前について訊かれた。

「名前、リョートくんって読むの?」


「え? あ、これはリョウジンって読むんだけど」

 名前から入ってこられたので一瞬呆けてしまった。


「へえ、そうなんだ。なんか格好いいね。防御力高そう」


「ははは、え?」


「なんか、堅牢そうな門番って感じ?」


「なに?それ。俺、守備タイプなの?」


「あはは。そんな感じ」


 これが初対面の会話。僕が千衿に抱いた第一印象は、変わってるなあ、だった。しかも千衿は目がシュッと凛々しくて、髪も濃い黒じゃなく色素が薄めでなんだか綺麗で、背丈も高い方だった。要するに美人で、僕は変わってる人ってのはだいたい顔つきもちょっと変わってるもんだよなと勝手にそう思っていたんだけど、その思い込みを覆された。普通に可愛らしい。というより綺麗系か。


 名前に関しては特にこだわりがないので、どんなふうに言われようと僕が機嫌を損ねることはない。良人という名前が好きか嫌いかと言われれば、名字を極端に嫌っている分、相対的に好きだった。


「珍しいな」と僕は言う。「ヨシヒトと間違われることはあるけど、そう読まれたのは初めてかも」


「ん? 『リョート』?」


「そう」


「ヨシヒトだと昔の人みたいじゃん。ヨシヒトはないかなーと思ったよ」


 なるほどな。でも。「リョウジンも昔臭くない?」


「あはは。言われれば。臭いかも。さらにもっと昔っぽくない? だから逆に新しいんだよ」


 と言いながらも千衿は僕をリョートと呼んだ。名字で呼ぶことは一度もなかったし、それだけで好感度はメチャクチャ高く、僕からも千衿に喋りかけたりするようになった。女子とはほとんど話したことがなかったのに。


 だけど、この、中二のとき、異様にモテる時期があった。理科の授業で同じ班になったとき、あまり知らない女子から思わせぶりな感じで話しかけられたり……いや、思い込みではなく、僕は今まで特に女子から何かアクションを起こされるようなタイプの男子じゃなかったから、本当に急に、そういうモテ期が来たのだった。なんなら告白もされた。メールだったり、手紙だったりで。


 たぶん千衿が僕に話しかけるからなんだろう、と僕はすぐにそう推測した。千衿は美人だし明朗だし、どこにいても目立つ存在だった。かといって高嶺の花って感じでもなく、面白いし、男女両方から人気があった。そんな千衿が話しかける男子なのだ。どんな奴なのか、つい注目してしまうんだろう。そうしたら、別に格好よくも性格よくもなくても、なんとなくいい感じに見えてしまうに違いない。千衿が仲良くしているんだから、たいした奴じゃないはずがないと思うんだろう。いや、実際の僕はマジで取るに足らない男子なんだけども。テストも平均点あるかないかだし、部活も補欠だし、明らかに華やかではなかった。


 帰りの時間がいっしょになったので、僕は千衿と並んで下校する。


 僕は先日告白してきた女子の話を千衿にしてやった。千衿にはなんでも話してしまう。同性の友達には敢えて隠していることも、千衿には明かしてしまう。同性のように近すぎない距離感がそうさせるのかもしれない。なんというか、明かしたとしても深くはツッコまれなさそうな、そんな安心感があるのかもしれない。


「なんでオッケーしなかったの?」と千衿がにやにやしながら訊いてくる。「多香(たか)、可愛いじゃん」


「別に。俺のこと、名字で呼んだし」


「あはは。また言ってる。いいじゃんそんくらい。そんな理由でせっかくの可愛い子を手放すんだ?」


 僕にとっては大事な理由だ、と思うが、よくよく考えると、たしかに可愛い子を手放す理由にはならないよな、と思う。何様のつもりなんだ、僕。大勢の男子が憧れているかもしれない伊藤多香ちゃんに対して……。


「千衿の方が可愛いし」

 と僕は言いながらも自分でびっくりしている。これは思わせぶり。思わせぶりすぎる。思わせぶりな女子達から言い寄られている間に思わせぶりスキルが向上してしまったか? これもう告白にカウントされない?


 しかし千衿は簡単にはやられない。

「あは。そりゃあたしの方が可愛いだろうけどさ。いや嘘だけど」

 などと受け流そうとするが、しかし僕があまりにも唐突に切り込んだのもあってか、受けきれておらず、返しにキレがない。珍しく、滑ったみたいになる。


 僕は千衿を滑らせたままにしておくわけにはいかず、フォローを入れる。

「そだな。千衿は可愛いっていうか綺麗タイプだしな」

 フォローにならなかった。僕も咄嗟には上手いこと言えないよ。これじゃあ重ね褒めしただけだ。余計、グイグイ行ってるふうになってしまう。


 千衿は少し照れたように自分の頬を手で扇ぐ。

「あたしは綺麗タイプで、リョートは守備タイプってか? 守備タイプはじわじわ攻めてきてえげつないよねー。からかうな」


 冗談を言いつつも最後に本音が漏れていて、僕は笑ってしまう。からかうな、か。からかってはないんだけどね。


 僕が女子との会話に慣れていないのと同じように、女子達も僕……男子との会話に慣れていないだけなのかもしれないんだけど、なんか女子と話していても面白くないというか、広がりがない。僕からいろいろ喋っても、たいがい「そうなんだ」で終わってしまう。「そうなんだ」って言われても、僕からの言いたいことは既に言い終えてしまっているので「うん、そうなんだ」としか僕も言えない。この空気感がキツい。まあ、たまたまそういうタイプの女子にばかり当たってしまっているのかもしれないし、僕の頑張りが足りてないだけなのかもしれないんだけど、僕は守備タイプなのでそんなにガンガン攻められない。その点、千衿との会話はいい。そんな空気感にはならないし、沈黙が訪れたとしても息苦しくならない。喋っているのと黙っているのは同じなのだ、僕達にとっては……と言うと言い過ぎかもしれないが。


 しばらく経ってから、千衿が「ありがと」とお礼を言ってくる。


 たぶん、可愛いし綺麗だよと言ったことに対してだと思う。「別に」


 そんなに厳かに受け止められても困る、と思っていると、「あたしもリョートのこと好きだよ」と言われる。


 告白!?

 っていうか『あたしも』って、僕は別に千衿が好きだとは一言も言っていないんだけども、案の定、あれは告白だと取られていたわけだ。まあ『なんであんな可愛い女子と付き合わないの?』って訊かれて『お前の方が可愛いから』って答えたら、そりゃ告白扱いされるよな? 僕が言われた側だったとしても少し考えてから告白扱いで処理するよそんなもん。


 えーっと、告白? で、僕の気持ちはどうなんだ? いや、千衿は可愛いと思うし、かと言っていっしょにいて緊張しすぎて何も喋れないということはなく自然体で盛り上がれるし、普通に他の男と付き合いだしたりなんかしたら嫌だし、まあ結論としてこれは普通に好きだ。ずっと千衿が積極的に僕のところへ話に来てくれていたため、僕は誰かと競争する必要もなく、したがってガッツキ加減が弱々しかっただけで、普通に好き。


「俺も好きだよ」改めて告げる。「俺の方はイケメンタイプでも可愛いタイプでもないけどな」


「そんなことないよ」と千衿は否定してくれるが、続く台詞は特にない。別に構わない。自分が優れた顔立ちだとは思ってないし、千衿に何か言わせたいわけでもない。


 またしばらく間が開き、千衿が照れ臭そうに髪を掻く。「恥ずかし。なんなの?これ」


「まあいいじゃん」


「まあいいけどね」


 で、これで僕達はカップル成立で付き合うことになったのかな?と最初はどうなのかわからなかったのだが、付き合ってはいないようだった。この告白の前後で千衿の言動が変化したりはしなかったので、これはまあ、お互いの気持ちを伝え合っただけのイベントに過ぎなかったみたいだった。


 しかしとにかく千衿は僕を好きだと言ってくれたので、他の男と付き合い始めて急に僕の前から消えるという可能性は極めて薄くなったわけだ。僕としては恋人になって千衿を押さえてしまいたい気持ちと、突き進むのが億劫なので現状のままで問題なしという気持ちの両方があった。まあ千衿を僕のものにするためには、やはりもう一度告白作業をしなければいけないわけで、そうなったときに実は千衿の方はもう付き合ってるつもりでいて「今更なに言ってんの?」みたいに怒ってしまう展開もありえるのかな?と思うと、とりあえずは今まで通りでいながら様子を見るのが無難かなと思えてしまう。


 告白の前後で千衿が僕への態度を変えないのは、千衿も僕との関係をこれ以上は特段、進めたくないという意思の表れなのかもしれない。


 僕も千衿も何もしないため、何も起こらないまま中学二年生の一年間が過ぎ、高校受験が始まり、あっという間に卒業になる。僕と千衿は相変わらず親交があったけれど、いっしょに芳日高校を目指していたのに、僕は受かり、千衿は落ちてしまい、高校生活を共にすることはできなくなってしまった。


 正直、卒業式の日に告白しようか迷った。千衿は竜宮高校へ進学することになったのだけど、あまりランクの高い学校ではないので、変な男に言い寄られないか不安だった。千衿を押さえておきたい欲が再燃する。だけど、芳日高校に落ちて凹んでいる千衿にこんなタイミングで告白するのも、酷というか、いやらしいというか、あまり真っ当ではない気がした。真っ当ではないというと、僕は中三の夏休み後くらいから千衿を性的な目で見てしまい、それもダメだった。後ろ暗かった。千衿はぐんぐん健康的に育ち、周りの女子と比べても取り分け大人っぽくなっていた。今の千衿に告白すると、いかにもそれ目当てですと言ってるような感じになり自分で自分が嫌だし、千衿のことも傷つけそうな心持ちになって、告白は断念せざるを得なかった。


 千衿の方はあっけらかんだった。「じゃあ、また遊ぼうね」


「連絡するよ」


「うん、待ってる」


「待つな。そっちからも連絡しろよ」


「あはは。わかってるよ」


「うん」


「……あーあ、いいな、芳日高校」


「高校なんてどこもおんなじだよ。自分がそこで何を為すかだよ」


「おお、格好いい。じゃあ竜宮高校来い」


「嫌だ」


「ほらねー」


「や、っていうか行きたくても行けないし」


 本当は、僕も竜宮高校でよかったのかもしれない。というか、千衿といっしょがよかった。そのつもりで受験勉強をしていたんだけどな。せめて、僕のこの気持ちだけでも伝えようかと思ったが、伝えない。たぶん泣かせてしまう気がする。表面上はあっけらかんとしているけれど、絶対に落ち込んでいるはずだから。


 高校なんて、場所なんて関係ない。それは本気でそう思う。そこで何を為し、誰と過ごすかだ。

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