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頭が真っ白になった状態で、向かったのは公爵邸の温室。
あの頃と変わらず、穏やかな時間が流れていた。
中央の噴水に近づくと泣いていたらしい先客が1人。
少年は、私に気づいて立ち上がった。
「ご、ごめんなさい。ここなら誰もこないと思ったのですが」
少し上擦った声で少年は涙を拭く。
せっかくの服が汚れ、ボロボロなのを見るに転んだかー…もしくは、故意的に誰かに何かされたかのどちらかを考える。
少年の膝が擦りむけているのが目にとまる。
「いえ。私も失礼しました。あの……怪我をされたのですか?」
「こんなの訓練に比べれば大したことはありません。弱い僕の責任です」
私は、後者だったかと落胆する。
少年は、慌てて手で隠そうとしたが、隠せてないし、どう見ても痛そうだ。
何か手当てになるものはないかと手に握りしめていたプレゼントの箱を思い出す。
思ったより強く握ってしまっていたらしく、ぐちゃぐちゃだ。
これでは、本当にもう渡すことはできない。
近づいて気づいたが、同じ年ぐらいの子らしく、身長は私とあまり変わらない。
箱からハンカチを取り出して、少年に差し出す。
ミアに一生懸命習ったかいあって、人に差し出しても恥ずかしくない出来に胸を張る。
「こ、こんな綺麗なハンカチ使えません!」
「いいのです。あの、訓練とは、騎士様を目指しているのですか?」
「え?あぁー…そ、そうです!」
「では、将来、王国民を守る騎士様になるためにも怪我をしたら治すべきです」
少年の汚れている服を軽く払いながら、「騎士様達がこの王国の平和を維持しているのですから、その人達を大切にしないさい」という母からの受け売りを思い出す。
「未来の騎士様、これは素直にお受け取りください。それに、騎士団員のご子息のようですが、こんなことをする貴族を相手にする必要はありません。相手をよく見極めた上で上手く交渉を行えた者が本物の勝者なのです」
隣国との交渉を上手く回している父からの受け売りも思い出す。
少年は、パチパチと瞬きをしてから、おずおずとハンカチを受け取る。
「ありがとう……ございます」
お礼を言った少年は、私を見つめたまま固まってしまった。
「あの……私を見つめていても、傷は良くなりませんよ?貸してください」
動かなくなってしまった少年の手から再びハンカチを取る。
領内で怪我をした子の手当てをしたことがあってよかったと、思いながら応急処置を終わらせた。
「あくまで、簡単な応急処置なので、ちゃんと後で手当をしてもらってくださいね」
私の話に少年はコクコクと大きく頷いた。
「それでは、私はお茶会に戻りますが、あなたはどうされますか?」
「ぼ、僕は!……帰ろうと思います」
「そうですか。では、未来の騎士様、お大事になさってくださいね」
なるべく綺麗な所作になるよう心がけたお辞儀をして、温室を後にする。
少年と話したことによりショックだった気持ちが少し薄れたように思う。
そろそろ心配したエイブリーがカイルに相談しているような気もして、お茶会に続く道を戻る。
落ち込んでいても仕方がない。
サイラス様に覚えられていなかったが、今回、5年ぶりに挨拶ができた。
それでいいと思い込まないと私の5年が無駄に思えてしまう。
サイラス様を思って努力した日々は無駄だと思いたくないから、前向きになろうと必死になった。
サイラス様の傍にはマーガレット嬢がいる。
きっと戻ったところで、またあの2人の仲睦まじい姿を見せられるだけかもしれない。
それだけで、足取りは重くなる。
私だって、隣に立って、あの甘い声で名前を呼んでもらえるのなら、優しい眼差しで見つめてもらえるのならどんなに幸せな気分になれるだろう。
でも、叶いそうにないから、せめて忘れられない人になりたいと、この時の私は願っていた。




