21.逃げる薬師様(5)
逃げる薬師様はあともう一つ続きます。ちょいちょい会話を増やしていたら、膨らみ過ぎてしまいました。
規則的に草を踏みしめる音を背後から感じ、不審な思いでターニャは振り返る。ターニャが目を細めると、朝日が逆光となり顔は見えないが、背の高い男がこちらに近づいてきていた。洗濯物をつかむ手がびくりとし、僅かに震える。この地に辿り着いたのは、ほんの2日前のことだ。まさかそんなすぐに、何かが起きるとは考えてもみなかった。
言葉を発することもなく、その男はターニャの方へと近付き、その距離がつまる。光にきらりと光る薄金色の髪、そして、近づくたびにはっきりと見えてくる整い過ぎているが故に冷ややかな印象を与える顔。その瞳はカイリと同じ、美しい菫色。ターニャは見覚えのある、否、事ある毎に思い出し、そして二度と会うことはないと思っていた、その人であることに、言葉を発することもできなかった。そして、我知らずわななく身体を止めることもできない。
その男は、ターニャの前まで辿りつくと、膝を折り、視線を合わせると、愛おし気に目を眇めた。
「やっと見つけた。」
ため息とともに微かに男の口から漏れた言葉に、驚き戸惑っていたターニャの心がすーっと冷静に戻る。ふつふつと湧いてくる怒りに、更に、冷静とは真逆に振り切れる。
「な・・・何が、やっと見つけたよ。ふざけないで。勝手に、何も言わず姿を消したのはあなたじゃない!私はあなたのことなんて、きれいさっぱり忘れていたわ。思い出しもしなかったんだから。・・・そーよ、私はあなたなんかいなくても、とーっても幸せなんだから。」
あたかもターニャが逃げ隠れしていたかのような男の言葉に、口からこぼれ出るのは、強がりと悪態のみ。言い切ってはみたものの、事ある毎に彼の顔が思い浮かび、その度に切なさを感じていたことが、これが本心ではないことを物語っている。生来、隠しごとのできないターニャであるが故、若干やましい気持ちになり、思わず知らず視線が泳いでしまう。その視線が、家をチラチラ見ているように見えたのか、男は、瞳に剣呑な光を湛え、家の方を睨みつけた。
「・・・私がいなくとも、幸せ、つまり、他の男がいるというのは本当のことだったのだな。私は、そなたらを他の男に譲る気は全くないのだ。・・・許せ。」
短く言い切ると、すくりと立ち上がり、片手をマントの下へと滑り込ませた。そして、カツカツと大股で家へと歩いて行ったのだ。その一連の動きを呆然として見ていたターニャは、はっと我に返ると、慌てて、その男の後ろを追った。男が裏口の扉に手をかけ中に入ろうとしている瞬間、両の手で思いっきり男の腕をつかんだ
「あなた、何しようとしてくれちゃってるのよ!」
ターニャに腕をつかまれても、そのまま家の中へと押入ろうとする男の腕を更に強くひき、床についた足を思いっきり踏ん張って、引き留める。ターニャの必至な様子に、男の動きがわずかに止まる。そして、はぁと息を吐くと、『それほどいい男なのか。』とぽつりと漏らす。男の言動が全く理解できないターニャは『はぁ?』と訝し気な瞳を向けると、男の背中をぺちりと一つ叩く。
「さっきから何意味の分からないことを言っているのよ。と、に、か、く!そんな物騒な物から手を離しなさいよ。あなた、表情はほとんど変わらないし、眼光鋭すぎるのよ。」
男には聞こえないように『顔の造りが一緒でも言動でこんな印象違うなんて。こんな風にだけは育ってほしくないものだわ。』とぶつぶつと呟く。とりあえず男が止まったことに安堵し、ターニャは男の腕から自身の手をするりと離し、その横をすり抜けると、裏口の扉に手を伸ばす。しかし、その手は扉のノブには届かず、がしりとつかまれてしまう。掴む勢いは激しかったが、掴まれた手には全く痛みはなく、優しい。掴まれたことにびくりとしたターニャは、その手の優しさ、服越しに感じる、硬くなった手の平や剣だこの感覚に懐かしさがにじむ。
「諦めることができるのであれば、探し続けはしなかった。『いい男』がいると聞いても、それは変わらなかった。・・・私の全てをかけてそなたらに尽くすと誓う。だから、私にしておけ。相手の男は何とでもしてやる。」
「い、いいおとこぉ?何よ、それ、誰から聞いたのよ。」
この男の『いい男』発言に、全く身に覚えがないターニャは、さらに瞳に険しくする。この男の話が全く理解できないのだ。ターニャの様子に微かな疑問を感じながら、男がはっきりと自身の間者はすっぱりと除き、その情報源を伝える。
「リーディアの肉屋の女主人だ。」
ターニャは首をかしげながら、肉屋のおかみさんを思い出す。『いい男ねぇ・・・。ん?いい男?』そういえば、カイリを見たおかみさんが、『いい男。』とかなんとか言って、褒めてくれてたような。そこまで思い至り、既にリーディアの居所を見つけられていたことに、動揺が隠しきれなかった。執拗といってもいいくらい、自身を探してくれていたという事実に、僅かながら嬉しさを感じてはいたが、以前の様に突然の裏切りを受けないとは限らない。さすがのターニャも二度も同じ目にあっては耐えられるとは思えず、無意識の自己防衛として、嬉しく思う気持ちにしっかりと蓋をしたのだった。
ターニャの様子を見つめていた男は、掴んでいるのとは反対の手を自身の顎へとおく。声を潜めるでもなく、これほど裏口で話しているにもかかわらず、家の中はしんと静まり返っている。誰かが様子を見に来ることもなければ、全くといって人の気配を感じない。恐らく、今は家の中に人はいないのであろう。視線を下へと戻すと、ターニャがあわあわおろおろとしていることが分かる。自身とは異なり、心の動きが全て態度や顔に現れるターニャに安ど感を募らせる。ただ、掴んだ手は以前に比べれば柔らかさは出てきてはいるが、やはりとても細い。ふと思いついたように付け足す。
「そなた、いつの間にやら、肉をよく食すようになったのだな。その割に、それほど肉付きはよくなっておらぬようではあるが・・・・。こちらでも、もしやと、まず肉屋に話を聞きにいかせたら、すぐに場所が知れた。」
ターニャは、わなわなと震えながら、『ルーのせいじゃない!』と心の中で叫んだ。自身の生活が暴かれていくに従い、ターニャの気持ちは浮き沈みを繰り返しながら、荒れていくのとは逆に、男はさらに落ち着きを取り戻していた。そっとターニャを掴んでいた手を離しながら、一度だけ、軽くターニャの手を握る。ターニャの心の奥までのぞき込むかのように、その菫色の瞳でじっと見つめる。
「『いい男』というのは、いないのだな?そなたが一時でも、他の男といると考えるだけで、悋気で気がふれそうになっておった。それを治めるため、片の付け方の策を練ってはおったが、いずれも、せずによいということは僥倖だ。」
剣呑な光をはらむ男の瞳から、この男の言う『片の付け方』が穏やかなものだとはとても思えず、ターニャの頬がひくりとひきつる。『前々から思ってたけど、この人、結構恐ろしい思考しているわよね・・・』とターニャ心の中で呟いたのだった。男は、さらにじっとターニャを見つめ、ゆっくりと、言葉で追い詰める。
「ただ、『いい男』といわれたことには、心当たりがありそうな顔はしているな。隠さず話せ。」
真っ直ぐに男を見つめ返すことができないターニャは視線を微かに外し、『心当たりなんて・・・、別に、何って、わけじゃなくて・・・。』ともごもごと呟く。ターニャの言葉をじっと聞いていた男が、ターニャの顎に手をかけると、じっくりと瞳を合わせ、視線を絡めとるのだった。そして、たった一言を告げる。
「私の子だな。」
突然のことに、ターニャは何を言われたのか理解ができず、きょとんとした顔をする。その後、さーっと顔色を失うと、挙動不審な動きをして、男にじっと見つめられていることにはっと気が付いたのだった。
「ちがいます!」
勢いのみで否定したターニャを美しい菫色の瞳がじっと見つめる。そして、ふぅと嘆息してから、軽く首を振る。
「・・・いや、無理があるであろう。私と髪、瞳の色が同じなのだ。それに、何より顔が似ている。私の血が入っていなければ、どこから得たというのだ。」
答えに窮して黙ったターニャに、追い打ちをかけるように、男は話し続けた。
「そなたが母であるということは疑われたとしても、私が父であるということには誰も疑義は唱えぬであろうな。このような状態で、否定するそなたの思考は解せぬ。」
「う、うるさいわね。違う、っていったら、違うのよ。」
「それに、私には心当たりがある。」
ターニャは男の意味する事が分からず、首をかしげると、男は顔色も変えず言葉を続ける。
「あの子が3歳であったとすれば、更に間違いない。あれは4年前だ。私がそなたを・・・・。」
「なー!!!!何言ってんのよ、こんな真昼間から。」
ターニャはみるみる顔を赤くさせ、誰がいるでもないにもかかわらず、口元で指を立てると、『しーっ!』と男の口を閉じさせようとした。以前と変わらぬターニャに男の瞳が優しく揺れる。
「そなたが認めぬからだ。いい加減、認めよ。・・・私の子だな?」
男の質問には答えず、ターニャはぷいっと横を向く。
「な、何も言わずに姿をくらました人のことなんて知りません。それに、私、あなたの名前すら知らないのよ。身一つだったのに、その身すら消し去る人なんて信用できないわ。」
「カイラードだ。」
ターニャの言葉にかぶせるように男が名乗る。ターニャは肩をびくりとさせ、横を向いたまま、僅かに声を震わせる。
「名前は言えないって言ってたじゃない。それなのに、なんで今になって・・・・」
「あの時はどうしても名乗れなかった。名を知らせることでそなたを巻き込むことになるやもしれぬと考えておった。ただ、今も解決したわけではないが、・・・私は、そなたに、名を呼ばれたいと思う。そして、そなたの名も呼びたい。・・・あの時、そなたも名は教えてくれなかったではないか。」
「名乗らない人に教える名前なんてなかったもの。」
「では、名乗った私に教える名はあるのだな。・・・名を教えてくれないか?」
顔を背けたままのターニャの体をカイラードの腕がふわりと優しく包んだのだった。
やっと、主の男の名前が出てきました。
偶然にもカイリと似た名前だったんです~。




