2.華の国の薬師様(1)
ちりりん
扉の鈴が軽やかな音で来客を告げる。ターニャは調合の手を止め、周りを確認する。調合室の机の上には、調合仕掛けの薬草が出しっぱなしではあるが、少しの時間であれば、効能が落ちることはない。そして、カイリは2階でお昼寝中。そばにはルーがいるので、一人で起きだして、調合室に入ることもない。『よし。』と独り言ち、1階奥の調合室に鍵をかけると、接客スペースへと向かった。
カイリが2歳になったばかりの頃、調合室の隣の部屋でお昼寝をさせていると、立て続けに客が来たことがあった。まさかカイリが一人で起きだすとは思いもせず、ルーも接客スペースで寝転んでいた。接客が終わり、調合室へ向かうと、扉が微かに開いていて、不審に思って中を除くとカイリが座り込んでいた。慌てて部屋に入りカイリを抱き上げると、右手にターニャが朝摘んできたばかりの薬草を握り、左手で葉をちぎって床にばらまいているところだった。ぶちぶちっと千切れる感覚が気持ちいいのか、満面の笑みを受けべて。
(あの時は本当に焦ったわ。たまたまその日摘んだ薬草が害のないものだったからよかったけど。)
それ以来、ターニャはルーをカイリの側につけ、調合室を出るときは鍵をかけるようにしたのだ。
(本当に子どもって目が離せないのね。ルーがいて、本当に良かった。)
接客スペースに入ると、来客はカイリより少し年が上に見える女の子を抱いた女性だった。
「マーリンさん。リディアちゃんどうかしたのかしら?」
「あぁ、薬師様。見てやってくれる?今朝から少し体が熱っぽくて、たまに咳をするのよ。」
リディアを抱いたままマーリンを脇のソファに座らせると、ターニャは跪き、リディアの診察を始めた。腕を触ると、確かにほっこりとしていて、脈も速い。目もぼんやりとしていて、これからもう少し熱が上がりそうな様相だ。『ちょっとごめんね、リディアちゃん。』と声をかけるとそっと喉元に触れる。喉にも腫れがあるようだ。
華の国は夏から秋へと季節が移り替わろうとしている。そのため、朝、晩が冷え込むようになってきており、リディアに限らず、体調を崩す子供が増えてきていた。リディアの様子も季節の移り変わりによる風邪症状であった。一通り診察を終えると、ターニャはリディアの額にそっと手をおき優しくなでた。
「最近ぐっと寒くなってきたから、風邪をひいたみたいね。でも、まだ熱が上がりそうな感じだから、熱冷ましと喉の痛みを抑える薬を準備するわ。暖かい野菜スープとかで体の中はあったためてもらって、額とか首とか脇の下に熱冷ましを使ってあげて。食事がとれなさそうなら、体力回復の栄養剤も準備するけど、どうする?」
ターニャは手早く薬を用意し始めた。マーリンはほっと息をついて、リディアをきゅっと抱きしめなおした。
「あぁ、よかった。いつも元気で走り回っている娘が、朝、突然ぐったりしだしたから、びっくりしちゃって。薬師様の薬はよく効くからほんと助かるよ。これから熱がもう少し上がりそうっていうなら、栄養剤もつけてもらおうかな。朝もほとんど食事できなかったしね。」
紙袋の中にさらに追加で栄養剤も入れると、マーリンへと手渡した。マーリンの『いくらだい?』の声に、ターニャはささっと空で計算する。
「30ギルね。」
「そんなもんでやっていけるのかい?まぁ、私らにはありがたいんだけど。お医者様は高いからねぇ。」
「心配してくれてありがとう。でも、薬草なんかは山で採取したり、裏で育てたりしているから大丈夫よ。それにみんなが美味しい野菜とか差し入れくれるから食べるのにも困ってないもの。ホントいつもありがとうございます。」
ぺこりとターニャがお辞儀をすると、マーリンは嬉しそうににっこりと笑った。『今度は芋をたんと持ってくるからね。』と言い起き、よっこいせっとソファから立ち上がった。マーリンが扉に手をかけたところで、するりとルーが接客スペースへとやってきた。
「ター・・・わん!」
「相変わらず変わった鳴き声の犬だね。」
と言いながら、マーリンはルーのことは気にせず、店を出て行った。マーリンが出ていき、店からだいぶ離れたことを確認すると、ターニャはくるりとルーへと向き直った。
「ルー。気をつけなくちゃダメでしょ!」
ルーの体がふわりと浮き上がり、机の上へと降り立った。そして、ぷいっとターニャから顔を背けた。そしてぼそりと呟いた。
「だって、オレ様、犬じゃないもん・・・。」