エピローグ(2)
神代は戸惑いを隠すように頭を振った。
「……フィア殿は自分を買い被り過ぎる。自分はそのような立派な存在ではない。ただ、状況に流されていただけだ」
「流されてただけで東京を救っちゃう人なんて、そういないと思いますよ?」
フィアがおかしそうに笑った。つられたように神代もつい口端を上げてしまう。
「まったく、貴殿は……」
それから二人は国会議事堂を離れ、歩き出す。
「でも、よかったですね。神代さんも神災対策本部のみんなも、お咎めなしで」
都庁地下の牢獄に拘束されていた神代をフィアたちが連れ出した一件については、不問となった。それは神境での一件の影響が大きい。ロキ討伐のため、独断で自衛隊員を動員した塔屋時子の判断ミス。こちらの方が上層部にとっては痛手だったようだ。
結果的に、神代がロキを退ける形になったのも不問の判断材料となった。
だが、東京にはまだ懸念する材料が残っていたのだ。
「……楽観するのはまだ早い。ロキが創った黄金の林檎を口にした喪失神が、まだこちらの世界に残っているやもしれぬのだからな」
神代の言葉どおり、ロキがいくつの黄金の林檎を神界にばらまいたかは定かではない。それに、黄金の林檎により神が狂わされるメカニズムも未だ解明されていない。人界における感染症のように、潜伏期間を経て喪失神が生まれる可能性も否定できないのだ。
つまり、まだ本当の意味で東京から危機が去ったわけではなかった。だからこそ神代は神界には還らず、まだこちらの世界に留まることを決めたのだ。
「……うむ?」
神代があることに気付く。自身の隣を歩くフィアの顔がどこかうれしげに見えたのだ。
「いかがされた? フィア殿。自分の思い違いでなければ、どこかうれしそうに見受けられるのだが」
指摘されるとフィアはハッとし、自身の顔に手を当てる。
「す、すみません、わたし顔に出ちゃってました?」
「何がだ?」
すると、フィアは言葉に詰まり、わずかに頬を紅潮させた。
「あ、あのっ、聞いても呆れないでくださいね?」
「うむ?」
神代は小首を傾げつつ、隣の少女が何を語るか待つ。
「その、不謹慎だって重々承知してるんですけど、神代さんがこの世界にまだ残ってくれることがうれしくって……」
そこまで言うと、フィアは恥ずかしさからか深く俯いた。そんな様子を目にし、神代は自身も心の中がざわめくのを感じる。
なりゆき上、自身の補佐を務めてくれることになった少女。彼女とは単に仕事上の付き合いになるはずだった。だが、ともに神災に立ち向かううちに、いつしかフィアは神代の中で大きな存在となっていたのだ。
神代も自分の心情を素直に吐露することにした。
「自分もうれしく思うぞ、これからもフィア殿とともにあることを」
俯いていたフィアが顔を上げた。その顔には戸惑いと歓喜が入り混じっている。
「ほ、本当ですか? 神代さん、わたしと一緒でうれしいですか?」
「ああ、無論だ。前にも申したが、自分は嘘偽りを語ったことは今まで一度たりともない」
それから大きくうなずいてみせると、フィアの顔から戸惑いだけが消え失せ、まるで金星のように輝く笑みへと変化した。
「あ、あの神代さん……、約束ってまだ有効ですか?」
「うむ? 約束?」
「神代さんのことをわたしに教えてくれるって約束です。もしかして、覚えてない……ですか?」
途端にフィアの顔に陰が差してしまう。もし彼女が犬だとしたら、大きく振っていた尻尾が垂れ下がっているのだろう。そんな想像をする自分が神代はおかしくなってしまった。生まれてこの方、こんな冗談めいた想像をすることなどなかったというのに。
笑みを堪えると、神代はフィアに首肯してみせる。
「ああ、もちろん覚えているとも。フィア殿には知ってもらいたいことがたくさんある。そのかわりではないが、フィア殿にも自分に教えてほしいことがある」
「わたしに……ですか?」
「うむ。前にも言ったが、自分は任務にかまけてばかりで人界のことを未だろくに知らぬ。この体たらくでは、先々困る事態に陥るだろう」
「わかりました! じゃあ、わたしがこの世界のことを神代さんに教えればいいんですね?」
「それもあるのだが、自分はフィア殿のこともたくさん知りたい」
「え……?」
フィアがアメジストの瞳をパチクリとさせた。そんな表情を目にしてしまうと、神代は途端に不安になる。
「もしや難しい話……だっただろうか?」
すると、フィアが慌てて首を何度も横に振った。
「いいえっ! わたしのことなんかでいいなら、いくらでも喜んでっ!」
そして、満面の笑みを神代に向けてくる。神代は一瞬呆気にとられるが、すぐにフィアと同じく笑みを浮かべ、隣に立つ少女の手を取った。
幾度かつないだフィアの手は、自身のものよりずっと小さく華奢なものだということに今さら気付く。彼女はこのような手で、神代の補佐として何度も神災に立ち向かってくれたのだ。
――やはりフィア殿にはかなわぬな……。
神代は神境でロキに語ったことを思い出す。人間は決して非力な存在などではない。確かに彼らは神器や神力といった特別な力を持っていないが、その内には無限の可能性を秘めているのだろう。
神代は再度思う。これからも人界で人間というものを知っていきたい。できれば、隣に立つ少女とともに。
神代に見つめられていることに気付いたのか、フィアが不思議そうに小首を傾げた。神代は何でもないとばかりに小さく首を横に振ると、彼女の手を包み込むように握る。
「では本部に戻りがてら、まずは自分の昔語りでもするとしようか」
「……はい!」
神代とフィアはうなずき合うと、手をつないだまま仲間たちの元へ戻るべく歩き出した。
今回で「神の手……」は完結です。お付き合いいただいた方、ありがとうございました!
また来週からストック分の小説をアップする予定なので、お付き合いいただけるとうれしいです。




