神境での戦い(6)
今まさにこの空間から消え失せようとするロキが、神代に視線を向ける。
「ねえトール、僕はただ君に僕を見てほしかっただけなんだ。君の心が僕にあるのか、確かめたかっただけなんだ。本当だよ? だから、ゲームを建前に君が僕のために動いてくれるか見ていたんだ。だけど、それがきっかけで君が人間の味方をすることになるなんて、ふふっ、これ以上ない皮肉だよね」
「ロキ……」
消えゆこうとするロキを、神代は複雑な思いを抱きつつ見つめた。
そして、神界で彼と過ごしていた時間を思い出す。
神界――多くの神々が住まう世界。人界のように距離という概念はなく、どこまでも美しい風景が無限に広がる桃源郷とも言える世界。そんな場所に様々な神々が暮らしていた。
神々は膨大な神力を持つ。だが、それを行使することは、ほぼない。神々の楽園である神界では争いも諍いもなく、神力を用いる必要は皆無に等しかったからだ。
神とは、人界で考えられているような人智が及ばぬ存在とはほど遠い。彼らは神性と神器を与えられた、ただの器のような存在だった。いつのまにか神界に生まれ落ち、知らぬ間に神としての特性をラベリングされた者たち――それがこの世界における神々だ。
神界では雷を司る神トールであった神代も、自身の境遇に一片の疑問を持つこともなく、ただ神界で穏やかな日々を送っていた。
神代には一人、兄弟にも等しい親友がいた。自身と同じ、人界における北欧地域の神としてカテゴライズされたロキである。実直で堅実な神代とは違い、ロキは悪戯好きで弁が立つ神だ。
正反対とも言える彼らだが不思議と馬が合い、親しい間柄だった。時には果てしない神界をともに巡ったこともあった。
その旅の途中、ロキが神代に問いかけてきた。
「ねえトール、僕たちって一体何なんだろうね?」
「何、とは?」
「だって、僕たちは強大な神力、神器を与えられながらそれを使うことなく、ただこの神界で日々を浪費するだけだからさ。それって何か意味があるのかなって」
「ロキは小難しいことを考えるな。自分は己の境遇に疑問を抱いたことはない。ただ、与えられた神という役割をまっとうすればよいのではないか?」
神代が持論を語ると、ロキは何か思案するように小首を傾げる。
「うーん。僕は何か違う気がする。それじゃあ、僕ら神々は皆、ただ神という判子を押された無個性な存在じゃない? 僕は僕だけのものが欲しいよ」
「どういう意味だ?」
「僕しか持つことができないもの。ほかの神々は、決して手にすることができないもの。うーん……、何かないかなあ?」
そう呟いた後、ロキは傍らの神代をジッと見つめた。
「そうだ、僕にはトール、君がいるよね。君は僕の親友だ。それはほかのどんな神々も持つことができない特別なものだよ!」
「……自分などが特別なのか?」
「もちろん! 君は僕の自慢の親友だもの。トール、約束してよ。僕以外の親友をつくらないって」
無邪気なロキの笑顔を前にし、神代は苦笑する。
「人付き合いが下手な自分には、お前以外の友などできぬよ」
「そう? よかった!」
それから神代とロキは笑いあった。このとき、神代がロキに語ったことは本心だった。彼以上の友などできるはずもないと思っていた。
なのに、ロキは神代を試したのだ。神代の心が自身のみに向けられているかどうか、ただ知りたいがために。
神代は現実に戻り、今にも消えゆこうとするロキに告げる。
「……ロキ、自分は昔も今も、唯一無二の友はお前だけだと思っている。黄金の林檎などを創り出し自分を試さずとも、自分の心はお前とともにあった」
すると、ロキは驚いたように瞳を見開いた後、少し寂しそうな顔を浮かべた。
「そっか。僕は君を、君の心を信じられてなかったんだね。ふふっ、これ以上ないほど愚かだったんだ。僕もその女みたいに君をまっすぐ信じていれば、君の心をつかまえることができたかもしれないね。でも、もう遅過ぎるけど……」
ロキが微笑を浮かべる。
「さよならトール。僕は本当に君のことが好きだったんだ、これだけは信じて……」
その言葉を最期に、ロキはこの空間から完全に姿を消した。それは最期まで親友の心を信じられなかった哀れな神の結末――。
「神代さん、ロキは……」
ロキが消滅していく様を見つめていた神代に、フィアが気遣わしげな声をかけてくる。
「……ああ。あいつはその存在自体が消えた」
「じゃあ、神代さんはもうロキには会えないんですか?」
フィアに問いかけられ、神代は彼女に顔を向けた。
「どうだろう。何せ神の存在が完全に消えた前例はない故」
神代は困ったように小さく笑む。その表情を目にし、何を思ったのか、フィアが思いもよらないことを言う。
「わたし、きっとまた会えると思います」
「……え?」
神代が呆けた声を上げると、フィアがハッとした。
「ご、ごめんなさい、おかしなこと言ったりして。でも、何だか不思議とそんな気がして……」
慌てたように両手を横に振るフィア。だが、神代は彼女に小さくうなずいてみせる。
「……そう、さな。自分も不思議とそのような気がする」
凄絶な死闘を経て、神境でのロキとの戦いは幕を閉じることになった。




