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歌舞伎町人体発火事件(3)

 東京都庁――新宿副都心に位置する巨大な建造物。日本の首都である東京都を管轄する都庁の中では、一般行政職を含め、総計十六万人以上の職員が日夜業務に勤しんでいる。地上四十八階の第一庁舎、この地下深くにごく限られた人間にしか知られていない場所があった。


「ふあ~……」

 

 フィアが感嘆の声を漏らす。


「まさか、都庁の下にこんな場所があったなんて……」

 

 生体認証をパスした者だけが乗降を許される特別なエレベーターで降りること地下十三階分、地上とは一線を画す独特の雰囲気がある空間にフィアと神代はいた。


「ここに神災対策本部があるんですか?」

 

 フィアの質問に神代が首肯してみせた。


「左様。自分らが所属する組織は、なるべく外界から秘匿したいと聞いている故」

「それはどうしてですか?」

 

 フィアの再質問に、神代はふむ、とばかりに形のよい顎に手をやる。


「フィア殿は、自身がどういう経緯で今この場にいるか理解しておられるかな?」

「あ、はい! 一カ月前、高校の身体検査で、えっと、『神気阻害遺伝子』、でしたっけ? がわたしの身体にあるって言われて……」

 

 フィアは一カ月前の出来事を思い出す。フィアは東京都三鷹市にある女子高等学校の二年生だった。フィアローズ・シーアという名前のとおり、彼女は日本人ではない。両親はともにフィンランドの生まれである。

 

 父の仕事の関係で、両親は海を渡り二十年前に来日した。そして三鷹市に居を構え、三年後にフィアを授かったのである。早い話がフィアは日本生まれのフィンランド人で、母国語は日本語で、学校で習った程度の英語しか話すことができない。

 

 だが、明るく素直な性格のフィアは日本に馴染みきって、周囲の女子高生と変わらない学校生活を送っていた。そんな彼女がある日突然、「神気阻害遺伝子」が身体の中にあると告げられたのだ。

 

 校長室に呼び出されたフィアは、そこで東京都庁から来訪した神伎官と呼ばれる女性と引き合わされることになった。


「加々倉さん、でしたよね。その方に、わたしが普通の人が持っていないものを持っている、あなたの力をぜひ貸してほしいと言われたんです」

 

 フィアの話を黙って聞いていた神代が口を開く。


「神気阻害遺伝子、通称プロテクトを持つ人間は神災が及ぼす影響を受けない。只人であれば、神気にあてられただけで身体を病んでしまうと聞き及んでいる」

「あの神代さん、さっきから気になってたんですけど、『神気』って何ですか?」

 

 フィアが当然の疑問を口にした。


「神気とは、文字どおり神が持つ気のこと。先程、身体を炎に包まれた男性がいたであろう? あの炎には神気が込められていたが、本来なら普通の人間は触れること、ましてや消すことなどできぬものだ」

 

 ここでフィアが得心がいったように首肯する。


「だから神代さん、あの男の人から離れるようにわたしに言ってたんですね」

「左様。だが、フィア殿は神気に冒されることなく、あの炎を消してみせた。うむうむ、貴殿には神災に立ち向かう素質があると見た」

 

 至極感心したように神代は言うが、フィアは少し不安だった。先程、話に出た加々倉三鶴。彼女は神伎官と呼ばれる、神災対策を専門とする組織の人間であるとのこと。そして、フィアにはその神伎官の一人として神災対策本部に所属してほしいというのだ。


 加々倉から詳しく聞いた話では、今、神災対策本部は人員が不足しており、神伎官の素質がある人間なら、たとえ学生であろうと喉から手が出るほど欲しいという。

 

 フィアが通っていた女子校の校長は、特例として神伎官になることを許可すると言っていた。

 

 そして、神伎官として活動している間は、同級生たちには外国に留学していると話を通してくれるとも。校長にここまで言わせるからには、神伎官というのはよほど特別な存在なのであろうことはフィアも薄々感づいていた。フィアの生来の性格からして、困っている人間を放っておくことなどできない。そう決意し、長年暮らしていた三鷹市を離れ、新宿副都心までやってきたのだ。

 

 ――ここまで来ちゃったけど、わたしに神災に立ち向かうことなんて、できるのかな……?


「フィア殿?」

 

 黙り込んでしまったフィアを怪訝に思ったのか、神代が声をかけてくる。


「あ、はい!」

「いかがされたのか?」

「い、いえ、何でもありませんっ」

 

 フィアは慌てて両手を横に振ってみせた。神伎官着任早々、道に迷ってしまい、ただでさえ迷惑をかけてしまったのだ。なのに、これ以上の気遣いを周囲にさせるのは申し訳なさ過ぎる。そう思い、フィアは密かに気合いを入れ直した。

 

 地上からエレベーターで十三階分降り、フィアと神代は開けた空間にいる。そして、奥には重厚な鉄の扉があるのが視界に映った。


「随分、立派な扉ですね」

 

 扉の前まで来たフィアは、何とも場違いなことを呟いてしまう。だが、神代はそんなフィアを呆れることも、笑うこともしなかった。


「一見、重そうに見えるであろう? だがな、こうすると……」

 

 神代は鉄の扉の横に設置された、小さなタッチパネルのようなものに手をかざしてみせる。この光景にフィアは既視感を覚えた。そういえば、ここまで降りてきたエレベーターに乗るときも、神代はエレベーター横に設置されたタッチパネルに手をかざしていた。恐らくあれも生体認証用のものなのだろう。

 

 フィアの推測どおり、神代がタッチパネルに手をかざした直後、眼前の鉄の扉がゆっくりと開き始める。すると、神代が思い出したようにフィアに顔を向けた。


「そうそう、先程の質問の答えがまだであったな。神災対策本部が秘匿される理由、それは泡沫の神器がこの場に収められている故」

「ほうまつの……?」

 

 初めて聞く単語の再びの登場に、フィアの頭上に疑問符が立つ。そんな様子に気付いたのか、神代が小さく笑んだ。


「まあ、突然いろいろ詰め込まれても混乱してしまうであろう。とりあえず、今日のところは皆と顔合わせをするに止めた方がよいと思うぞ」

「は、はい……」

 

 確かに神代の言ったとおりフィアは今、肉体的、精神的に少なからず疲弊していた。住み慣れた地元を出て、彼女にとっては大都会である新宿に初めて足を踏み入れ、人混みに流され、身体が発火した男性に遭遇した。その上、未知なる単語を頭の中に詰め込まれようものなら、知恵熱でも出してしまいそうだ。

 

 ――よかった。神代さん、優しそうな人で……。

 

 ここはありがたく神代の気遣いに沿おうと、フィアは決意する。そのときだ。


「あら神代くん、お帰りなさい」

 

 フィアにとって聞き覚えのある声が聞こえてきた。そして、声のした方に視線を向けると、一度顔合わせしたことのある女性がにこやかな笑みを向けてくる。


「あ、加々倉さん……!」

 

 フィアたちの前に現れたのは、神災対策本部付三等神伎官、加々倉三鶴だ。整った顔立ちの彼女は細いフレームの眼鏡をかけ、長い黒髪をシニヨンにまとめている。そして、上下黒のスーツを身に付けていた。

 

 通っていた高校の校長室で初めて対面したときにも思ったが、何て格好よい大人の女性だろうとフィアは感心したものだ。新宿で働く女性は皆、三鶴のような人ばかりなのだろうか?


「よく来てくれたわね、フィアローズさん。また会えてうれしいわ」

 

 三鶴がフィアに歩み寄り、再び笑みを浮かべた。


「は、はい! わたしもです。あ、すみません、今日はお約束の時間に遅れてしまって……」

「ふふっ、いいのよ。本来なら、こちらから丁重にあなたのご自宅までお迎えにあがるべきなのでしょうけれど、何せ本部は人員不足でね」

 

 ふうっと小さなため息をつくと、三鶴は今度は神代に顔を向けた。


「連絡受けたわよ、神代くん。何でもアルタ前で一悶着あったんですって?」

 

 神代は首肯する。


「うむ。自分の見立てでは、近いうちにあの周辺で神災が起こるものと推察する」

「まあ……」

 

 三鶴は眼鏡の奥の細い瞳を瞬かせた。


「フィアローズさんの着任早々、面倒なことになったわね。でも、こういう言い方は何だけど、このタイミングは不幸中の幸いかしら」

 

 それから三鶴は再びフィアに向き直る。


「フィアローズさん、慣れない土地で気疲れしたでしょ? 今日はもう身体を休ませるといいわ」

「あ、はい! ありがとうございます」

「都庁の近くに、あなたのためのウイークリーマンションを用意したの。タクシーを呼んでおくから、この住所に行くよう運転手さんに言ってちょうだいね」

 

 三鶴が住所の書かれたメモをフィアに手渡してきた。


「それで早速で悪いんだけど、明日から神伎官としての業務に就いてもらいたいの」

 

 三鶴に申し訳なさそうに言われ、フィアは自身がなぜこの場にいるのかを思い出し、身が引き締まる思いがする。


「業務内容や詳しいことは明日また説明するわね。とにかく無事にここまで来てくれて安心したわ。これからどうぞよろしくね、フィアローズさん」

 

 三鶴が右手を差し出してきた。


「こ、こちらこそよろしくお願いします!」

 

 フィアはパアッと顔を輝かせると、差し出された三鶴の手を両手で握る。こうして、フィアの神災対策本部着任一日目は終わった。

 

 そして、その夜、新宿で異変が起こる。その内容は、歌舞伎町で数人の男女の身体が突然発火するというものだ。通行人の通報を受け、現場に消防隊が急行し消火活動に当たったが、なぜか炎は消すことができず、男女合わせて五人が身体の五十パーセント以上の火傷を負い、死亡するに至ってしまった――。





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