神境での戦い(4)
「す、すごい……」
二柱の神がぶつかる光景を目にしていたフィアが呆然と呟いた。
夜宵から託された、オリハルコンを使用した泡沫の神器村雨も凄まじい威力を持つ。だが、それは人が扱う武器の範疇としてだ。
神代とロキが互いの武器で衝突する光景は、まさに神の領域だった。何しろ大地を穿つ迅雷と氷をも溶かす烈火が、互いを打ち消そうとぶつかり合っているのだから。神代とロキが全力でぶつかり合いながらも互いの攻撃を回避しているのは、神であるからこそなのだろう。
フィアは自身の背筋に冷や汗が一筋流れ落ちるのを感じた。神代とロキの力を実際に人間に振るわれたりしたら――その先は考えるまでもない。
二柱の神の力を目の当たりにし、戦慄を覚えているのはフィアだけではなかった。
塔屋時子と彼女が率いる自衛隊員も、固唾を呑みながら神代とロキが衝突する光景を見守っていた。塔屋時子が感嘆するような声を上げる。
「あれが神の力……。我ら人間の武器、力など到底及ばないというのか……」
レーヴァテインを振るいながら、ロキがさも不思議そうな声を上げる。
「僕はね、わからないんだよ、トール。なぜ僕たち神は強大な神力を与えられながら、それを好きに使うことが許されないんだろう? 君も含め、多くの神々はそのことを疑問にも感じてないみたいだけど」
向かって来る炎の弾を交わしつつ、神代が答えた。
「当然のことだ、強大な力はそれを使う者に大きく左右される。お前のような間違った考えを持つ者が使えば、いずれ悲惨な結果を生み出す」
「ふうん。じゃあ、君は正しいって言いたいのかい? 君は今まで何ら間違ったことはしたことがないと?」
ロキの問いかけに神代は即座に答えを返すことができない。そんな様子を見越したようにロキが畳みかけてくる。
「君はわざわざ人界に降りてまで僕のゲームを潰そうとしてたけど、君が味方してた人間はそもそも正しい存在なのかなあ? 人間なんて、他の動物を食べ尽くし、自分たちの世界を汚し続け、果ては同族で殺し合ってるじゃないか。そんな人間たちに味方するのは正しいって言えるのかい? ねえ、トール」
神代はロキの意図を悟った。彼は自身の精神を揺るがし、神力の制御を狂わそうとしている。
神力の有り様は、それを振るう神の心のうちそのものだ。自身が揺るぎない信念を持つのなら、まだいい。だが、ひとたび精神が大きく崩れた者が振るえば、間違った結果を生み出す。そう、ロキが黄金の林檎を与えた喪失神のように。
神と神の衝突は、いわば己の信念のぶつかり合いと言ってもよい。
神代は自身の旗色が急激に悪くなるのを感じ取る。何せ相手は巧みな話術で相手を丸め込み、敗北させる狡知の神なのだ。それに加え、ロキは神代の親友とも言える存在だ。彼は自分のことなど知り尽くしているだろう。
ここでようやく、神代は自身が最強最悪の神を相手にしていることを悟る。
「ねえトール、早く答えてよ。人間は、そして君は本当に正しいって言えるかをさあ!」
揺れる神代の内心を読んだかのように、ロキが強い口調で問いをぶつけてきた。そして、自らの優位を誇示するようにレーヴァテインを振るう。
「く……っ」
今は禅問答をしている場合ではないと頭では理解しつつも、神代の反撃は精彩を欠いていた。彼の手にした雷を帯びた武器ミョルニルは、向かいくるロキの炎の弾を防ぐのがやっとだ。
「はははっ! トール、どうしたの? 随分と調子が悪そうだね!」
この空間に嘲笑を降らしつつ、ロキが神代の眼前まで迫る。繰り出された刃を神代はすんでのところで自らの武器で防いだ。神代とロキの間で激しく火花が散る。
「トール、早く負けを認めてよ。そうしたら、僕の言うこと聞いてくれるよね?」
「何……?」
「誤解しないでほしいんだけど、僕は君が憎いからゲームを仕掛けたんじゃないよ。僕は賭けてたんだ、君が僕の誘いに乗ってくれるかどうか。ゲームを始めて、僕を止めるために君が神界から人界に降りたことで確信したよ。君は僕のためになら、命がけで何でもしてくれるんだってね」
ロキの言葉に神代は既視感を覚える。
自身が神界から人界まで降りた理由――それは唯一の友であるロキの罪を少しでも軽くするためだ。都民広場で神代はロキに問いかけた。自身が一体何のため人界まで降りたか、お前は少しも理解していないのかと。あのときの問いの答えをロキは今ここで語っているのか?
ロキがさらに続ける。
「僕が君をとても愛してるように、君も僕のことを想ってくれてるんだよね? だから、約束してよ。もう人間なんかの味方はやめて、僕だけのものになってくれるって」
気が付けば、自身の願いを告げたロキの瞳は狂気で彩られている。なぜ、ロキは自分にこれほどまで執着するのか? 神代は必死で思案する。だが、思考を遮るようにロキが渾身の一撃を繰り出してきた。その一撃を受け止めきれず、神代の身体が後方に弾き飛ばされる。
「ぐ……っ」
受け身が取れず、神代は思いきり背中を強打してしまう。早く体勢を立て直さなければ――焦慮する神代に何者かの声が届いた。
「神代さん!」
すぐ傍で少女の声が聞こえたことを怪訝に思い、神代は反射的に声のした方を向く。すると、今にも泣き出しそうな顔のフィアが自分を覗き込んでいた。いつの間に彼女は自身の元に駆け寄っていたのか? 待っていてくれと言い含めたのに。
「フィア殿、疾く自分から離れよ。そうでなければ……」
ロキがすぐやってくる――続く言葉を体現するように、怒りの形相のロキがゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
「……また、この女か。どこまでも僕の邪魔をしてくれるね」
そう言い、手にしたレーヴァテインの切っ先をフィアに向けた。
「早くトールから離れろよ。でないと、その顔ドロドロに焼いてやる」
震えが来るほどの酷薄な声を浴びせられながらも、フィアは気丈にロキを睨め付ける。
「……あなたはかわいそうな人」
「何?」
投げかけられた言葉にロキが眉根を寄せた。
「だって、神代さんにただ自分を見てほしいだけじゃない。あなたにとって神代さんは何よりも大事な存在じゃない。なのに、神代さんを傷つけることしか振り向いてもらう方法がわからないのね」
「…………っ!」
「あなたは神様を気取っているかもしれないけど、おもちゃが欲しくて駄々をこねてる子供と同じだわ」
痛いところをつかれたようにロキの表情が歪む。
「うるさいうるさいうるさいっ! お前なんかに何がわかるっ!? ただの人間風情のお前なんかに……」
フィアが首を大きく横に振った。
「違う、人間だからこそわかるのよ。あなたは人間を毛嫌いしてるけど、どこまでも人間に近い存在なんだわ」
人間であるフィアに自身の内心を看破されたのか、ロキが明らかに狼狽する様子を見せる。
ロキは肩で荒い息をした後、手にしていたレーヴァテインの切っ先を再びフィアに向けた。
「お前ごときが僕を理解した気になるなよ! 今度こそ、今度こそお前を消してやる。そうしたら、トールも人界に心残りなんて欠片もなくなるだろう?」
最大限の神気を練るべく、ロキが目を瞑り集中する様子を見せる。だが、フィアは強い意志のこもったまなざしでロキを睨んだまま、その場から逃げる素振りすら見せなかった。




