フィアの想い、神代の想い(2)
「え……?」
不意に涙を指先で拭われ、フィアが当惑の声を漏らす。
「神代さん?」
「……どうか泣き止んでくれぬか? フィア殿に泣かれてしまうと、剣で貫かれるより余程痛い」
それから神代はフィアの涙を拭い続けた。初めのうち彼女は戸惑う様子を見せたが、神代に身を委ねるように瞳を閉じる。そんな彼女に、神代はずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「フィア殿、自分は人間ではない。傷を受けたとしても、すぐに癒えるような身体だ。本来なら貴殿に気遣ってもらうような存在ではないのだ。それでも貴殿は、自分などのために心を砕いてくれるのか?」
そこまで言うと神代は言葉に詰まってしまう。尋ねてはみたが、フィアの返答を聞くのが怖かった。だが、これだけはどうしても彼女の口から聞いておきたい。ジレンマに陥りながらも、神代はフィアが言葉を発するのを待った。
フィアは少しの間、何か思案する素振りを見せた後、閉じていた瞳を開く。
「……わたし、小さい頃、両親から北欧の神様の物語をよく聞かされました。その物語の中にはトール、そしてロキという神様も登場しました。正直、そんな神様たちがわたしの前に現れたことは実感がありません。でも、わたし、馬鹿だから難しく考えられないんです。だって、わたしにとって神代通という人はたった一人なんです。本当は神様だってことなんか関係ない、わたしと一緒に神災に立ち向かった神代さん、それがわたしにとってすべてなんです」
フィアは涙に濡れた瞳で神代を深く見つめた。視線で射止められ、神代は彼女から目を逸らすことができなくなる。そして、追い打ちをかけるようにフィアは告げた。
「わたしの言うこと……、信じられませんか?」
フィアは言葉にするが、彼女の本心はその表情が雄弁に物語っていた。どこまでも深いアメジストの瞳に見つめられ、神代に逃げ場などなくなってしまう。そして、思ってしまった。もっとフィアを傍で感じたいと。
「フィア殿」
神代が呼びかけると、フィアは瞳を瞬かせる。
「その……自分の頼みを聞いてはくれぬか?」
すると、フィアは顔を輝かせた。
「あ、はいっ! わたしにできることなら何でもどうぞ!」
「そ、そうか……」
神代は一つ唾を飲みこんだ後、決意したようにフィアに告げる。
「自分はその……フィア殿にもっと触れたいのだが」
すると、フィアは勢いよく首肯した後、呆けた声を上げた。
「え……、えええええっ!?」
驚いたフィアは足をもつれさせると、大きく尻餅をつく。そんな彼女に神代が気遣わしげな声をかけた。
「だ、大丈夫か? フィア殿」
「だ、大丈夫です……。って、それより神代さん、何言ってるんですかっ!? わ、わたしに触れたいだなんてっ」
これ以上ないほど焦慮した様子のフィアを前にし、神代はわずかに落胆してしまう。
「……済まぬ、自分はまた空気を読めなかったようだ」
すると、フィアが大慌てで両手を横に振ってみせた。
「ち、違います! 今はちゃんと空気読めてますよ!」
神代が目を瞬かせると、フィアは伏し目がちになりつつも話を続ける。
「だって、わたしだって思いましたもん。こんな鉄格子越しじゃなくて、もっとちゃんと神代さんと……」
そう言ったきり、フィアは恥ずかしそうに両手で顔を覆った。そんな彼女を目にし、神代は思わず笑みをこぼしてしまう。
――そうか、自分は初めて空気を読めたのか。
それから神代はフィアに告げる。
「フィア殿、自分をここから出してくれぬか?」
フィアはそろそろと両手を顔から外し、こくこくとうなずくと、三鶴から借りたキーで牢獄の鍵を開ける。
神代とフィア、二人を妨げる障害がなくなった。神代とフィアは自然とお互いを見つめ合う。神代は眼前の少女の頬にそっと触れた。すると、フィアが自身の頬に触れる神代の手に両手を添える。
「……もう会えないかと思ってました」
「……自分もだ」
「もう絶対にこんなことしないでくださいね? 今度したら、わたしすっごく怒りますから」
フィアは瞳を閉じると、自身に触れる神代の手に頬をすり寄せた。その姿を目にし、神代は何とも言えない気持ちが湧き上がってくる。この少女は、なぜこうも簡単に自身の心を揺るがせてしまうのだろう。
「フィア殿……」
神代がフィアの頬をそっと撫でると、彼女は瞳を開き、神代を見返してきた。二人は再び深く見つめ合う。
神代がフィアの両肩に手を置こうとした、そのときだ。この空間の床に何か落ちる物音が響き渡った。神代とフィアは顔を見合わせると、音のした方を向く。すると、その先には、ばつの悪そうな顔を浮かべる三鶴と夜宵の姿があった。
「三鶴殿、夜宵殿……?」
神代は目を瞬かせる。彼女たちもここに来てたのか。
「ごめんなさいね、別に邪魔したいわけじゃないのよ?」
三鶴が申し訳なさそうに両手を合わせると、床に落ちた自身の携帯を拾い上げる。
「……三鶴ちゃん、タイミング悪過ぎ。もう少しでチューするとこだったのに」
たしなめるように三鶴の脇腹をつつく夜宵が言ったことに、フィアが顔を紅潮させた。
「ち、違います! ま、まさかそこまでは……」
フィアがなぜここまで焦っているのかわからないが、神代は気になっていたことを三鶴に尋ねる。
「三鶴殿、夜宵殿も、何故ここに? 貴殿らもここへ来ることは禁じられていたのでは……」
「そうよ。でも、あなたの処遇には納得できないもの。あなたと一緒に仕事してたからわかるわよ、あなたがこの世界をロキから守るため、どれだけ尽力してきたか」
夜宵も三鶴の意見に同調した。
「……そんな神っちだから、アタシたちは手を貸したげたい。そもそも悪いのはロキ。これからアイツをぶっとばそー」
そう言うと、夜宵は濃紫の布にくるまれたものを神代に差し出す。
「夜宵殿、これは?」
「……オリハルコンを使った泡沫の神器、やっと完成した。これなら、きっとロキに大ダメージを与えられるはず」
「しかし、自分は……」
わずかに当惑する神代に三鶴が問いかけた。
「神代くんは自分自身の手でロキと決着つけたくない?」
「自分自身の手で?」
すぐ隣にいたフィアも大きくうなずいてみせる。
「ロキは神代さんの親友なんですよね? 何か言いたいことってないんですか?」
――言いたいこと。フィアに言われ、神代はハッとする。
「だったら、やっぱり神代さん自身でロキと決着をつけるべきだと思います。今度こそわたしも精一杯、神代さんを補佐しますから!」
「フィア殿……」
ここにいる皆が強い意志のまなざしを神代に向けていた。
彼女たちは自身とロキの争いに巻き込まれただけだというのに、力を貸してくれようとしている。なのに、彼女たちに背中を向けることなど、どうしてできようか。神代は唇を引き結ぶと、仲間たちに向き直った。
「本来なら自分とロキの争いに、貴殿らはまったくの無関係。ともすれば、貴殿らにまで塁が及ぶやもしれぬ。それでも……」
フィアが神代の言葉の機先を制する。
「水くさいですよ、神代さん。わたしたち全員、神代さんを全力でサポートする所存ですから。それに、この世界はわたしたちの世界なんです。その世界を守るためなら、わたしも精一杯頑張ります!」
フィアの意見に賛同するように、三鶴と夜宵も大きく首肯してみせた。そんな姿を目にし、神代は思う。自分は何と果報者なのだろう、と。神代も大きくうなずくと、力強く宣言した。
「では参ろう、ロキとの決着をつけるために!」




