フィアの想い、神代の想い(1)
神代は今、東京都庁本庁舎の地下深くにいた。地下十三階にある神災対策本部よりさらに下、地下三十階にある鉄格子に囲まれた部屋の中、不可侵の制約を破った罰を神代は甘んじて受け入れていた。
罰とは、人界の法に則り無期限に拘束されること。つまり神代は許しがない限り、この牢獄から出られないのだ。
だが、それも致し方ないことだと思う。以前フィアにも語った。相手を刃物で刺した場合、刃物に罪はあるか、と。答えは否だ。刃物を使った人間に罪があり、刃物自体に罪は問えない。
今の神代も同様だ。人界で神力を振るったのは神代の意志であり、神力自体に罪などあるわけもなかった。
神代は自身の処遇に異論はないが、一つだけ心残りがある。フィアローズ・シーア、最後まで彼女に自身の素性を話すことができなかった。それに、彼女を自身とロキとの争いに巻き込んでしまった。
ロキの目論見を阻止するため神界から人界に降りたというのに、今考えているのは一人の少女のことばかりだ。こんな自分に神代は呆れ返ってしまう。
そもそもこの世界に降りたのは、神界での親友ロキのためだ。
ロキとは兄弟にも近しい間柄で、神代にとって無二の親友といってもよい存在だった。本来の彼はどこまでも無邪気で、好奇心旺盛な性格だ。しかし、ロキの親友である神代は彼の裏の一面も知っている。それは親しい者以外には酷く冷淡で、残酷な思考を持ち合わせているということだ。
そんなロキがある日突然、神代に常軌を逸したゲームを提案してきた。神界の神々の理性を奪い、彼らを人界にけしかけるという内容のゲームを。
そして、ロキは神代に選択を迫った。人界に向かった神々の様子を自分とともに観覧するか、それとも狂った神々を止めてみせるか、と。
神代の答えは一択しかなかった。神界に住まう神の一柱として、神々が人界で暴れる様をただ見ていることなどできない。もし実際に人界で大惨事が起きようものなら、ロキは罪を問われ、死ぬよりも悲惨な刑罰を受けることになるだろう。
生来の正義感、そしてロキの親友であるという責任感から、神代は災禍を防ぐため人界へと降り立ったのだ。
神代の人界での行動原理は、親友であるロキの奸計を潰すことのみ。それ以外のことには興味も関心もなかった。そのため、以前の神代はどこまでも自分本位で、人間など自身の目的を果たすための存在としか思っていなかった。
そのことをかつての同僚の御子守は諫めてくれたし、三鶴もいろいろアドバイスしてくれたりした。徐々に人間というものを理解できるようになり、これからさらに人間というものを知ることになるのだろうと思っていた。
ここで神代は苦笑する。一体、何を不相応なことを望んでいたのか。自身が人界に降りたのは、親友であるロキの奸計を潰すためだったというのに。それ以上のことなど望んではいけなかったというのに。
そもそも、神代の正体を知ったフィアは一体どう思っただろうか。少なくとも以前のように明るい笑みなど向けてはくれないだろう。
かつて御子守に語った、人間と神の価値観は決して相容れないと。そうだ、たとえこの先フィアとともにいられたとしても、彼女と想いが重なることなどないのだ。
「ふ……っ」
神代は苦笑する。思い上がっていた自身が笑えてきて仕方がない。自身は終わりのときが来るまで、この牢獄の中で過ごす。ロキの奸計はきっと塔屋時子が潰してくれるだろう。そのために、人の子に神としての知恵を与えたのだから。自身の人界での役目はもう終わったのだ。
そう、終わった――。
神代はゆっくり瞼を閉じようとする。だが、そんな彼の耳に聞こえるはずのない声が届いた。
「……さん」
声はまだ遠いが、確かに聞こえてくる。
「神代さん!」
少女の声が再び神代を呼んだ。神代は目を見開く。おかしい、この場所には誰も近づけないはず。自身がそう塔屋時子に頼んだのだから。
鉄格子に囲まれた部屋の片隅に座っていた神代は、信じられない思いを抱きながら腰を上げる。この空間には最小限の灯りしかない。薄闇に包まれた牢獄に聞こえるはずのない少女の声が再び届いた。
「神代さん! ここにいるんですか!?」
「……フィア殿?」
神代が前方に視線を送ると、薄闇の中に少女の人影が見えた。そんな馬鹿な、と思いつつも神代は前方に目を凝らし続ける。すると、神代に気付いたのか、こちらに向かって来る人影が一足飛びに駆けてきた。
「神代さん!」
神代の姿を見つけると、フィアローズ・シーアが顔を輝かせる。
「フィア……殿……」
この場にいるはずのない少女の名を神代が呆然としながら呟いた。そうしているうちにフィアが神代のいる牢獄まで辿り着く。
「神代さん、何かひどいことされてませんか!?」
フィアが鉄格子越しに神代の顔を見つめつつ、尋ねてきた。
「そうだ、あのロキって神様に刺された傷は大丈夫なんですか?」
矢継ぎ早に質問され、神代は面食らってしまう。それでも何とか一番気になることを眼前の少女に尋ねる。
「フィア殿……、何故ここに?」
「三鶴さんにここのカードキーを貸してもらったんです。神代さんが今いる牢の鍵も借りたから、すぐにでも出られますよ!」
そう言うと、フィアはジャケットの内ポケットを探り出した。そんな彼女を制止するように神代は再度問う。
「いや、自分が尋ねたいのは、どういう手段でここに来たのかではない。フィア殿はどういう理由でここまで来られたのか?」
すると、フィアが不思議そうに小首を傾げた。
「理由……?」
「左様。自分は塔屋殿にここには誰も近づけるなと、頼み申した。それはフィア殿、貴殿も例外ではない。なのに……」
すると、フィアは少し決まり悪そうな表情を浮かべる。
「……わたし、余計なことしてますか?」
ここで神代は奥歯をギリッと強く噛んだ後、いつになく強い口調でフィアに告げる。
「確かにそうやもしれぬな。自分は自らの意志でこの場にいる。なのに、貴殿が禁を犯してまで自分を出そうなど、愚の骨頂だというのだ!」
そう言った後、神代はこれ以上ないほどの自己嫌悪に陥った。自分はどこまでこの少女を傷つければ気が済むというのか。これ以上、彼女を傷つけないためこの場にいるというのに、どうして彼女は進んで自分などに会いに来るのだろう。
鉄格子越しのフィアの表情が見る見るうちに曇っていく。その様子を目にし、神代は彼女がこの場から立ち去ってくれることを期待した。だが――。
「……自分でも馬鹿なことしてるってわかってます。神代さん本人が外に出ることを望まないかもって、考えもしました。でも、このままなんて、わたし嫌なんです。だって神代さん、悪いこと何もしてないじゃないですか! 狂った神様からこの世界を守ろうとしてたじゃないですか! わたしのこと、また命がけで守ってくれたじゃないですか!」
強い口調でフィアが一気にまくし立てる。その様子を神代は呆然と見つめるしかなかった。
「ずるいです、神代さん。わたしにお礼の一言も言わせてくれないんですか? それに、神代さんのことをお話してくれる約束、守ってくれないんですか? 嫌です、わたし、これで終わっちゃうなんて嫌なんです……」
自身の心情を吐露した後、フィアの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「う~……っ」
この空間にフィアの嗚咽が響き渡った。泣き崩れる少女を前にし、神代は生まれて初めてと言っていいほど困り果てる。
――自分は一体、何をしている? フィア殿をこれほどまでに泣かせて……。
そんなことのため自分はここに留まるのか? どうしようもないジレンマに苛まれ、神代は思い悩む。だが、とにかくフィアの涙を止めなければ。そう思い至り、神代は自然と眼前の少女に手を伸ばした。
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