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歌舞伎町人体発火事件(2)

「致し方ない……」

 

 神代はある決断をすると、混乱のさなかにある東口前広場に向かって声を張り上げようとした。

 

 そのときだ。神代の視界にあるものが映り込む。それは炎に包まれた男性に近寄ろうとする一人の少女の姿だった。


「な……っ!?」

 

 神代は面食らう。東口前広場にいる群衆の誰もが、我が身かわいさにただ遠巻きに炎に包まれた男性を眺めているだけだ。だが、少女は自ら進んで男性に近寄っていく。これは神代にとって、まったくの計算外の出来事だった。

 

 彼の算段では、炎に包まれた男性一人を犠牲にし、東口前広場にいる大人数を救うことになっていたからだ。しかし、このままでは犠牲が一人から二人に増えてしまう。とにかく炎に包まれた男性から少女を引き離すしかない。神代は走りながら少女に声をかける。


「そこのお嬢さん、今いる場から疾く離れよ!」

 

 すると、神代の声に気付いたのか、少女がこちらに顔を向けた。少女の姿を目にした神代はなぜか既視感を覚える。神代の視線の先にいるのは、ミルク色の肌に整った顔立ち、大きな瞳はアメジスト色、そして白銀の髪を馬の尾のように真っ赤なリボンで結んだ少女だ。

 

 少女に既視感を覚えた自分を神代は怪訝に思う。だが、今はそのようなことを考えている場合ではない。一刻も早く、少女をこの場から待避させなければならないのだから。

 

 未だ炎に包まれた男性の傍を離れようとしない少女を目にし、神代は実力行使に出ることにする。猛スピードで現場まで走り少女の元まで辿り着くと、彼女の腕を取った。


「何をしているのだ、貴殿は? とにかくこの場から離れ……」

 

 すると、少女が神代の言葉を遮る。


「だって、この人燃えてるじゃないですか! 早く何とかしないと!」

「な……っ」

 

 神代はようやく悟る。この少女は我が身の危険も顧みず、男性を助けようとしているのだと。こうしている間にも、少女は身に付けていた濃紺のジャケットを脱ぎ始める。その様子を目にし、神代は呆気にとられることになった。


「貴殿、一体何を……?」

「テレビで見たんです。炎を消すには、燃えている部分に何か被せて酸素を遮断するといいって!」

 

 少女は有言実行すべく、脱いだ上着を炎に包まれた男性の身体に被せようとする。だが、そのようなことをしても、この炎は――。神代が制止の声を上げる間も与えず、少女は脱いだ上着を男性の背中に被せた。


「…………!?」

 

 神代は目を見張る。なぜなら、つい先程少女が語ったとおり、男性の身体で燃えていた炎が消火されつつあったからだ。これはおかしい。なぜなら、この炎は普通の人間が消せるものでは、ましてや触れることなどできないものだからだ。


「大丈夫ですか?」

 

 燃えていた炎が消え、白い煙が立ち上る男性の背中を少女が優しくさすった。そうしている間に善意の何者かが呼んでくれたのか、新宿駅前の交番から警官がこの場に到着する。


「なんか人間が燃えているって通報受けたんですが……」

 

 警官が言う。駅前の交番と神代たちがいる東口前広場はそう離れていない。なのに随分と遅いご到着なのだな、と神代は思ってしまうが、それでも彼らに告げる。


「炎は消えたが、早く医者に診てもらった方がよい。何せ神気で包まれた炎だからな。後々、面倒なことになるやもしれぬ」

「は? 『しんき』……?」

 

 耳慣れぬ言葉なのか、若い警官の一人が呆気にとられたように言った。あまりにも呑気な様子を目にし、神代は大仰に嘆息する。


「神災、と申した方が通りがよいかな? 放っておけば、この周辺で甚大な被害が起きていたやもしれぬぞ」

「じ、神災……!」

 

 ここでようやく警官たちがハッとしたように互いの顔を見合わせた。


「神災って、あの……」

「ああ、神が引き起こす超常的な災害で、普通の人間にはどうすることもできないっていう……あの」

 

 青ざめた顔の警官たちに神代が歩み寄り、囁く。


「むやみやたらに貴殿らが騒いだりしてはならぬ。ここは衆目が多い故、要らぬ騒乱を引き起こすことになれば面倒であろう?」

 

 若い警官たちをたしなめる神代の背中に、何者かが声をかけてくる。


「あ、あの……っ」

 

 神代が反射的に振り向くと、視線の先には白銀の髪の少女が立っていた。


「す、すみません、お取り込み中……。ですけど、わたし、ちょっと急いでて」

 

 神代は思い出す。そうだ、この少女には尋ねたいことが多々あるのだ。だが、機先を制するように少女が語り出した。


「実はわたし、ある場所に行きたくて……。でも、新宿ってすごく人が多くて、あっというまに人波に流されちゃって、ここまで来ちゃったんです」

「うむ……?」

 

 少女の話を聞き、神代は思わず小首を傾げる。なぜなら、彼女の話は神代にとって聞き覚えのあるものだったからだ。


「それで困ってお電話したら、あの大きな電光板の下で待ってるように言われたんです。ああっ、どうしよう、もうこんな時間……」

 

 これ以上ないほどオロオロした様子の少女。そんな彼女を前にし、神代は思い出したように自身の懐を探った。そして一枚の写真を取り出すと、眼前の少女と見比べる。


「あ、あの……?」

 

 神代に深く見つめられていることに気付いた少女が、怪訝そうに小首を傾げた。そんな彼女に神代が尋ねる。


「これは大変失礼した。失礼ついでにお尋ねするが、貴殿はフィアローズ・シーア殿で相違ないかな?」

「あ、はい、わたしです! あれ? でも、どうしてわたしの名前を……?」

 

 フィアローズ・シーアと呼ばれた少女がアメジストの瞳を瞬かせた。神代は被っていたハンチング帽を外すと、大仰にお辞儀をしてみせる。


「お初にお目にかかる、自分は神代通と申す。貴殿をお迎えにあがった」

「あ……」

 

 フィアローズ・シーアは、ようやく得心がいったように顔を輝かせた。


「じゃあ、あなたが神災対策……」

 

 ここで神代がフィアローズ・シーアの口を塞ぐ。そして、彼女の耳元で囁いた。


「どうかその先はあまり他言なさらぬよう。我々の組織は、ごく一部の人間にしか知られてない故」

 

 口を塞がれたままのフィアローズ・シーアはハッとした顔を浮かべると、無言でコクコクうなずく。その様子を見た後、神代は彼女の口からそっと手を外した。


「ご理解いただけたようで何より。とりあえずこの場から離れるが、よろしいか?」

「あ、でも、あの人は……」

 

 フィアローズ・シーアが思い出したように、ある方向に視線を送る。その先には炎を消され、ぐったりとコンクリートの地面に座り込んでいる男性の姿があった。


「それなら心配には及ばぬよ。本部に連絡を入れて事後処理を依頼する故」

 

 神代の説明を受け、フィアローズ・シーアは安堵したように胸を撫で下ろした。


「そうですか。よかったあ……」

 

 ここで神代は、疑問を抱いていたことを眼前の少女に尋ねることにする。


「フィアローズ・シーア殿」

 

 声をかけられると、フィアローズ・シーアはアメジストの瞳を神代に向け、思いついたように言う。


「あの、どうぞわたしのことはフィアと呼んでください」

「え?」

「親しいみんなは、わたしのことをそう呼んでくれます」

 

 一点の曇りもないニコニコとした笑顔を向けられ、神代は苦笑する。


「わかり申した。では、フィア殿。貴殿はなぜ、あの男性を助けようとされたのか?」

「え……?」

「自分が拝見したところ、貴殿とあの男性は見も知らずの間柄のようであった。なのに、貴殿は何のためらいもなく男性を助けようとされていた」

 

 問われ、フィアは少しの間、思案する素振りを見せた。


「えーと……、当然のことだと思ったので」

 

 フィアの言葉に神代は思わず面食らう。


「当然?」

「はい。目の前で困っている人がいたら、わたしができる限りのことをしたいんです。それに、助けられるかもしれない命が目の前で消えたりしたら嫌だなあって……」

 

 眼前のフィアの表情から、何の下心もなく彼女が本心を語っているのだということが神代にはわかった。


「神代さん……は違うんですか?」

「え?」

 

 不意にフィアに問いかけられ、神代は彼女と視線を合わせる。


「神代さんは、燃えている男性とわたしのところに来てくれました。それって、困った人を助けたいと思ったからじゃないんですか?」

 

 神代は返答に詰まってしまった。なぜなら、自身がフィアたちの元に向かおうとしたのは、あくまでも任務の一環だったからだ。自身は義務や任務関係なしに、ただの人間のために動くことなどないのだろう。だが、眼前の少女は見も知らぬ人間を、何の損得勘定もなしに助けようとしていたのだ。


「神代……さん?」

 

 黙ってしまった神代にフィアが気遣わしげな声をかけてくる。


「あの、どうかしましたか?」

「あ、いや……」

 

 神代は我に返ると、気を取り直し、再びフィアと向かい合った。


「とにかく、ともに本部に参ろう。恐らく皆が貴殿を待っている」

「あ……っ、はい!」

 

 それから神代はフィアを連れ、未だ混乱のさなかにある新宿駅東口を後にした。

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