忍び寄る闇(2)
「あ、あの、神代さんっ」
すると、神代が視線をこちらに向けてくる。
「あ、えっと……」
神代にまっすぐ見つめられ、フィアは二の句が継げなくなってしまう。せっかく神代がこちらを向いてくれたのだから、何か話さなければ。そう思えば思うほど、フィアの頭の中は真っ白になる。
そうして口をついて出た言葉が――。
「あ、あの神代さんっ。げ、元気ですかっ!?」
フィアはどこぞの格闘家のような台詞を口走ってしまう。すると、神代はポカンとしたような顔を浮かべた。そんな彼の表情を目にし、フィアはしまった、と思う。
――バカバカ、わたしの大バカ! 何こんなこと言ってるのよ~っ!
ようやく訪れた神代と話せるチャンスだったのに、それをふいにしてしまった。そう思い、フィアはこれ以上ないほど落ち込む。
「す、すみません……、何でもないです。邪魔しちゃってごめんなさい。神代さんはゆっくり休憩しててください……」
消え入るような声で言うと、フィアはいたたまれなくなり、思わずデスクを立とうとした。そんな彼女に神代が声をかけてくる。
「フィア殿!」
フィアは反射的に振り向いた。すると、神代が少し気遣わしげな顔を浮かべている。
「どうかされたのか?」
「え?」
「いや……、フィア殿にいつもの元気がないように見えた故」
「え……っ」
フィアはキョトンとしてしまう。その姿を目にした神代が珍しく慌てる様子を見せた。
「いや、済まぬ。これは自分の勝手な思い込みのようだ」
そして、視線をあらぬ方向へと向ける。今まで目にしたことのない神代の様子に、フィアはドキリとした。
――もしかして、神代さんもわたしのこと気にしてくれてた、の……?
うぬぼれ過ぎだろうか、とは思いつつも、フィアは神代にずっと考えていたことを尋ねる。
「か、神代さん、東京湾の騒ぎのとき何かあったんですか?」
「え?」
「私の勘違いだったら、すみません。でも神代さん、あの後からずっと気を張ってらっしゃるようだったので……」
疑問をぶつけられ、神代は一瞬押し黙る。だが、わずかの間に何か考えた後、フィアをまっすぐ見つめた。
「いや、フィア殿の言うとおりだ。確かに自分はあの騒ぎ以降、どこかかたくなになっていた」
神代は何か決意するように唇を引き結ぶ。
「フィア殿、自分に少し時間をくれぬか? 貴殿に話しておきたいことがある」
「は、はい……!」
あまりに真摯な神代を前にし、フィアは一も二もなくうなずいた。すると、神代は安堵したように息をつく。
「では、本日の業務が終了してからでよいか?」
「は、はい、わかりましたっ」
こうしてフィアは神代と話をする機会を取り付けた。その後、神代は何事もなかったように再びコーヒーを飲み始める。だが、フィアはうれしさがこみ上げてくるのを抑えるので精一杯だった。
――よかった。やっと神代さんと落ち着いてお話できる……!
現金だとは思ったが、フィアは業務終了まで全力で頑張ることにする。それから午後五時の業務終了時刻まであとわずか、というときだった。
「あら? コピー用紙がなくなりそうだわ」
コピー機の前にいた三鶴が声を上げる。
「いやねえ。あと少しで印刷終わりだったのに」
わずかに落胆した様子の三鶴を目にし、フィアがかけていた椅子から立ち上がった。
「三鶴さん、わたし取りに行ってきましょうか?」
「あら、いいの? 助かるけど」
「はい。たしか第二庁舎の方にあるんですよね?」
「ええ、お願い」
「了解です!」
元気に言うと、フィアはコピー用紙を取りに行くべく、神災対策本部を後にする。先程、三鶴に確認したとおり、コピー用紙は第二庁舎の倉庫に保管してあった。
第二庁舎へ行くには、今いる本庁舎から一旦外へ出る必要がある。神災対策本部を出たフィアは特設エレベーターに乗り、地上へ出ることにした。
一階に着いたフィアは、外へ出るべく広いロビーフロアを歩く。その途中だった。
「あのー、すみません!」
背後から不意に声をかけられ、フィアは反射的に振り向く。視線の先にいたのは一人の青年だ。彼は線の細い身体に輝くような金髪、どこまでも深い海のような瞳の持ち主だった。その姿を目にしたフィアはつい思ってしまう。
――うわっ、すごくキレイな男の人だあ……。
モデルさんか何かだろうか? そんなことを考えるフィアに青年が再び声をかけてくる。
「あの~、ちょっといいですか?」
「あっ、はいっ!」
「僕、実は遠いところから来たんだけど、記念に写真撮ってて、ここの大きなタワー、撮りたいんです」
「大きなタワー?」
思いもよらないことを問われ、フィアは小首を傾げてしまう。それから少し考えてあることに思い至った。
「あ、もしかして都庁のことですか?」
「ハーイ、そうです。教えてくれますか? 可愛いお嬢さん」
にこやかに青年に言われ、フィアは思わず赤面する。
「や、やだ、お上手ですね……」
「いやいや、ホントです。僕はウソつかないよ!」
「は、はあ……」
やたらと人懐こそうな笑みを青年から向けられ、フィアは若干気後れしてしまう。だが、気を取り直し、「遠いところ」から来たという青年を助けることにした。
「都庁の写真を撮りたいんでしたら、ここから出て都民広場に出た方がよく撮れると思いますよ」
「とみんひろば……?」
青年が不思議そうに小首を傾げる。そうだ、彼は「遠いところ」から来たのだ。この辺の地理などわかるはずもあるまい。フィアは思い悩む。
今は勤務中だ。なのに、勤務と関係のない場所へ行ってもいいものだろうか? 考え込むフィアに青年が少し不安そうな顔を向けてきた。
「どうかしました?」
「あ、えっと……」
まるで捨てられた子犬のようなまなざしを前にし、フィアは大きく当惑する。そして、逡巡した挙げ句、「遠いところ」から来た青年を案内することにした。
――都民広場ならここからすぐだし、サッと案内するだけならいいよね……。
フィアは青年に向き直ると、大きくうなずいてみせる。
「大丈夫です、わたしがちゃんと案内しますから!」
「おー、ありがと!」
青年が大仰に拍手して喜ぶ様子を見せた。予定外ではあったが、フィアは青年を案内すべく歩き出す。
「お嬢さんはここで働いてるんですか?」
広いロビーを歩いている途中、フィアの隣を歩く青年が質問してきた。それに一瞬戸惑うが、神災対策本部の名を出さなければ大丈夫だろうと思い、小さく首肯してみせる。すると、青年が感心する様子を見せた。
「おー、すごいですね。まだお若いのに、お仕事エラいですね!」
「い、いえ、そんな……」
恐縮して苦笑するフィアに、さらに青年が質問してくる。
「お仕事、やっぱり大変ですか?」
「あ、はい。それは大変ですけど、やりがいはあると思います」
「へえ……。それはまたなぜ?」
「そう、ですね。先輩方は皆さん親切ですし、それにとっても頼れる方がいてくれますし」
明るい笑顔を浮かべるフィアを目にし、青年が意味ありげな口調で尋ねてきた。
「ふうん。その頼れる人って、もしかして男の人?」
「え……」
胸間を言い当てられ、フィアは思わずドキリとしてしまう。
「あれー? 違うの?」
「い、いえ、違わないといいますか……」
頬を紅潮させるフィアを目にし、青年がいたずらっぽく笑んだ。
「その人は幸せ者だね。君みたいな可愛い子に頼られて」
「も、もう……っ、からかわないでください!」
そう言うと、照れ隠しのためフィアは青年から顔を逸らした。
「さ、さあ、行きますよ!」
とにかくこの青年を目的地まで早く案内しようと、フィアは彼より前を歩き出す。その後ろ姿を見つめ、青年が意味ありげにポツリと呟いた。
「……さて、これからどうやって遊ぼうかなあ?」
本日分の更新です。今週は以上になりますが、来週もよろしくお願いします!




