忍び寄る闇(1)
東京湾で一騒動が起きてから三日が経過する。その間、神災対策本部はにわかに慌ただしくなっていた。というのも、鉱物学者石塚巧から託されたオリハルコンを利用した泡沫の神器の開発に追われていたからだ。
これは神災対策本部長命令でもある。都内で短期間で立て続けに神災が発生し、東京湾でも神に比肩する怪物が出現した。本部長はこの事態を重く鑑み、連鎖的に大規模な神災が発生する可能性を示唆したのだ。
神災対応のため、オリハルコンを利用した泡沫の神器の開発を短期間で行えとの本部長のお達しに神災対策本部、特に柊夜宵は大わらわになった。夜宵は神災対策本部に隣接する特別開発室にこもり、神器開発に追われている。
残りの神伎官たちは、大規模神災発生に対処するためのマニュアル作成に取り組んでいた。その内容は十年前に国会議事堂周辺で発生した第二級神災、これに匹敵する規模の神災を想定している。
「……それにしても、十年前の第二級神災以上のものが起こるかもなんて考えたくないわね」
三鶴がふうっと息をつく。三等神伎官である彼女は神代、及びフィアの補佐をすべく、マニュアル作成を手伝っていた。三鶴の意見に神代が同意する。
「うむ。だが、それ相応の想定をしていなければ、有事の際に後手後手に回ることになるやもしれぬ。万全を期すに越したことはない」
「そうね。今は私たちにできることをするしかないわね」
神代と三鶴のやりとりをフィアは黙って見つめていた。二等神伎官であるフィアは一等神伎官神代の補佐を果たすべく、三鶴と同じくマニュアル作成の手伝いをしている。
――神代さん、大丈夫かな……。
東京湾での騒ぎがあって以降、フィアは神代の様子が気になって仕方がなかった。自身の気のせいでなければ、神代の雰囲気がいつもより張り詰めているように見えるのだ。
東京湾で巨大なヘビ、ヨルムンガンドに遭遇したとき、フィアは邪眼とやらの力で動くことができなかった。神伎官であるというのに、ただ神代に守られるだけで何もすることができなかったのだ。ただでさえ、そのことで落ち込んでいたのだが、東京湾の騒ぎ以降、神代の様子が以前とは違い、どこか余裕がないように見えるのだ。
――三鶴さん、夜宵ちゃんは気付いてないのかな?
少なくとも三鶴や夜宵は、神代に対して今までどおり接していた。神代は神代で一見、普段どおり冷静に過ごしているように見える。
だが、フィアには違和感があった。神代が纏う空気が今までのそれとはどこか違うように思えるのだ。本人にどうしたのか聞いてみたいのは山々だった。
だが、フィアが未だ姿を見ぬ本部長命令で、神災対策本部全体が厳戒態勢に入ってしまった。有事に備え、神伎官全員が各々の仕事をこなすのに精一杯で、フィアが余計な口を出せる雰囲気ではなさそうだ。
それに、神伎官となってまだ日の浅いフィアにできることは限られている。なのに一等神伎官として忙しそうな神代の邪魔など、どうしてできようか。ならば今フィアにできるのは、せめて神代の補佐に徹することだ。
フィアは周囲の様子を窺いつつ、タイミングを見計らい、神代と三鶴に声をかける。
「あの皆さん、少し休憩しませんか?」
すると、パソコンと睨めっこをしていた三鶴がこちらを向いた。
「ああ、そうね。一息入れましょうか、神代くん」
三鶴が隣のデスクの神代に問いかけると、神代も同意なのか、小さく首肯する。
「じゃあ、わたし、コーヒーでも淹れてきますね!」
フィアは自身のデスクから離れ、コーヒーセットのあるテーブルに向かった。そして、神代たちには聞こえないよう小さくため息をつく。
「ふう……」
仕方のないことだが、今は業務と関係ない話などできる状況ではなさそうだ。
フィアは思い返す。東京湾でヨルムンガンドに襲われた直後、神代は誰かの声を聞いていたらしい。フィアにその声は聞こえなかったのだが、神代は明らかに顔色を変えていた。フィアが察するに、神代は何者かの声を聞いたのをきっかけにどこか余裕がなくなったようなのだ。
――何があったのか聞きたいけど、神代さんの邪魔しちゃいけないよね……。
フィアは再び嘆息する。だが、すぐ気を取り直し、せめて神代と三鶴においしいコーヒーを淹れようと意気込んだ。それからコーヒーを三人分淹れ、再び皆が待つデスクへと戻った。
「どうぞ」
フィアがコーヒーの入ったカップを三鶴、神代に差し出すと、二人はお礼を言い、受け取った。フィアも自身のデスクへ戻ると、温かいコーヒーを口にする。
そのときだ。神災対策本部の固定電話が鳴り始める。
「あ、私が出るわね」
そう言い、電話に出るべく三鶴が自身のデスクを離れた。固定電話はこの部屋の入り口付近にあるのだ。
デスクの島にはフィアと神代が残される。フィアはコーヒーを飲みつつ、向かいあわせに座る神代にチラリと視線を送った。彼もフィアの淹れたコーヒーを静かに飲んでいる。
――い、今なら、ちょっとぐらい話しかけてもいいのでは……っ?
フィアはそう思い、恐る恐る向かいの神代に話しかけてみることにした。




