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おかえりなさい

「あら、フィアさん、おはよう」


 神災対策本部に顔を出したフィアに三鶴が挨拶をしてくる。それにフィアは元気よく返す。


「おはようございます!」


 渋谷スクランブル交差点での事件から八日目――今日は神代が退院し、本部に戻ってくる日だ。だから、フィアは普段より早く家を出て本部へ向かったのだ。そのことに気付いたのか、三鶴が意味ありげな笑みを向けてくる。


「よかったわね、フィアさん」

「え?」

「今日、やっと神代くんがここに戻ってくるものね」

「あ、はい……」


 どこか心を見透かされているようでフィアは気恥ずかしくなった。そもそも神代とは渋谷の事件以降、お見舞いという形で毎日のように会っていたのだ。なのに、何を今さらという話かもしれない。


 だが、フィアと神代のつながりは神災対策本部あってこそなのだ。病院で神代に会うにはお見舞いという理由が必要だったが、この場所でなら気兼ねなく彼と顔を合わせられる。


 ――って、何わたしってば、こんなに必死になってるんだろ……。


 わざわざ早く家を出ずとも、始業時間が来れば神代と必ず会えるというのに、だ。


 しかし、フィアの神代に対する認識は渋谷の事件以来大きく変わっていた。代々木公園で女神ヘルに遭遇したとき、神代は自身よりフィアを優先して守ろうとしてくれたのだ。


 まだ十七歳のフィアには誰かに身を挺して守ってもらった経験などない。自身の勝手な憶測で、神代は冷たい人なのではないかと思っていた。だが、命の危機にさらされたとき、彼は自身を差し置いてフィアを守ってくれたのだ。それから神代を信頼できる人間として見るようになった。


 だからではないが、フィアは少しでも恩返しできるよう、毎日のように神代が入院している病院へと赴いた。そして、長い時間ではなかったが、彼と同じ空間で過ごすことによって神代を近くに感じることができた。


 神代が復帰する今日からは、また彼と一緒に仕事をすることができるのだ。そのことをフィアはどこか待ち遠しく思っていた。だから、今朝はいつもより大分早起きをし、神災対策本部に到着してしまったのだ。


 ここまで考えてフィアは、はた、と気付く。


 ――あれ? これって同僚として当たり前のこと、だよね……?


 フィアの頭上に疑問符が浮かびそうになった、そのときだ。神災対策本部のドアが開かれる。フィアは慌ててドアの方に視線を向けた。だが、現れたのは待ち人ではなかった。


「……おはよー」


 そう言って入ってきたのは柊夜宵だった。いつも遅刻スレスレのご到着の彼女にしては、珍しく早い。


「あら、おはよう、夜宵ちゃん。今日は早いのね」


 三鶴もフィアと同じことを思っていたのか、少し不思議そうな顔を浮かべている。


「……ん。だって、今日は神っちが戻ってくる日でしょ。出迎えてあげたいと思って」

「か、神っち……?」


 随分と親しげな呼び方に、フィアは内心大きく戸惑ってしまった。そして、邪推もしてしまう。いつもは遅刻ギリギリの夜宵が、神代の復帰日にはわざわざ早く本部まで来た。それはつまり――。


「……ん? どしたの、フィアちゃん」


 フィアの内心など知らない夜宵が不思議そうな顔を向けてくる。


「え?」

「……なんか、すっごくテンション下がった顔になってる」


 そう言われ、フィアは慌てて両手を横に振った。


「な、何でもないよ? そう、何でも……」


 フィアは否定するが、それとは裏腹に心の中は夜宵に指摘されたとおり大きく落ち込んでいる。


 ――あ、あれ? わたし、どうしてこんなに落ち込んでるのかな? 夜宵ちゃんがもしかして、神代さんのことをす……。


「フィアさん」


 不意に三鶴がフィアのすぐ傍まで歩み寄り、肩にポンと手を置いた。


「大丈夫よ、夜宵ちゃんのことなら」

「へ?」

「多分あなたが考えてるようなことはないから」


 フィアはすぐ三鶴の言わんとすることが理解できず、呆けた顔をさらすことになる。だが数瞬後、彼女の意図を悟った。


「え? ええっ!? 三鶴さん、わたしの心の中読んだんですか? もしかして三鶴さん、エスパーなんですか?」

「……落ち着いて、そんなわけないから」

「でもでも、わたしの考えてることって……」


 これ以上ないほど焦るフィアを前にし、三鶴が苦笑する。


「だって、あんなにわかりやすく表情をころころ変えたら、誰にでもわかっちゃうと思うわよ?」


 フィアと三鶴のやりとりを黙って見つめていた夜宵が、ポツリと一言。


「……フィアちゃん、わかりやす過ぎ。かわいい」


 同僚二人の指摘を受け、フィアは耳まで真っ赤になった。


「み、皆さん、何か誤解してませんか? わたしはただ、同僚として神代さんの心配を……」


 慌てて言い訳をしようとするフィアだが、途中で遮られる。


「自分がいかがしたか?」

「え?」


 フィアはアメジストの瞳を瞬かせると、反射的に声のした方に顔を向けた。その先にいたのは、八日ぶりに神災対策本部に復帰した神代通だ。自身の名が話題に出ていたことを怪訝に思っているのか、神代は不思議そうに小首を傾げている。


「あら、神代くん。あのね、フィアさんが……」

「きゃああああああっ!」


 意味ありげに何か言おうとする三鶴を目にし、フィアは思わず大声で遮ってしまった。それにはさすがの神代も驚いたのか、珍しく目を見開く。


「い、いかがされた? フィア殿」

「あ、あはっ……。な、何でもないんですよう……」


 フィアはごまかし笑いで何とかこの場をやり過ごそうとした。だが、努力を台無しにする者が現れる。


「……あのね、フィアちゃんが誰よりも早く神っちに会いたかったんだって」


 そう、こともなげに言ったのは夜宵だった。


「ちょ……っ」


 フィアは一瞬硬直した後、耳まで真っ赤になるほど顔を紅潮させる。


「な、何言ってるのっ!? 夜宵ちゃんっ!」

「……えー、だって、わざわざ始業時間より早く来てたから、てっきりそうじゃないかと」

「それは夜宵ちゃんもでしょっ?」

「……アタシはゲームのイベントで朝活してたから、そのついでに早く来ただけ」

「えええええええっ!?」


 自身の邪推の遙か斜め上を行く夜宵の出勤理由を聞き、フィアは仰天することになった。一部始終を微笑みながら見つめていた三鶴の元に、神代が歩み寄る。


「三鶴殿、フィア殿はどうかされたのか?」

「うふふ。それは本人に直接聞いてみたら? それにしても、フィアさんっておもしろいわー」

「…………?」


 三鶴が何を言わんとしているのかわからず、神代が再び首を傾げた。そんな彼に三鶴が濃い笑みを見せた後、パンパンと両手を叩く。


「はいはい。みんな、久しぶりに神代一等神伎官がご帰還されたんだから、盛大にお迎えしましょう?」


 その言葉を聞いたフィアと夜宵が顔を見合わせると、思いついたように二人で神代の前に並んだ。それに三鶴も続く。


「じゃあ、行くわよ? せーの……」


 三鶴のかけ声を合図に、神災対策本部の女性陣が声を揃えた。


「「「神代一等神伎官、お帰りなさい!」」」


 三人の女性から満面の笑顔を向けられた神代は、一瞬戸惑った表情を浮かべる。だが、その表情はすぐに小さな笑みへと変化した。


「……ただいま帰った。自分不在の間、皆にはご迷惑をかけ、大変申し訳ない」


 ここで三鶴が苦笑する。


「あのね、神代くん。大切な仲間が負傷して休んでたんだもの、ちっとも迷惑だなんてことはないわ」


 三鶴の隣に立つ夜宵が同意するように大きく首肯した。


「……そう。アタシたちは、神っちがこうやって無事に帰ってきてくれたことが何より」


 それから三鶴がフィアに顔を向ける。


「フィアさんだって、そうよね?」


 突然話題を振られたフィアは一瞬当惑した後、考える。ようやく神代が復帰したというのに、自分はごまかしたり逃げたりしてばかりでいいのか? と。


 フィアは固く唇を引き結んだ後、今言える精一杯を口にした。


「……神代さん、全快おめでとうございます。お帰りなさい」


 そして、自身の気持ちを表すように笑んでみせる。すると、神代は目を瞬かせた後、フィアと同じように穏やかな笑みを浮かべた。

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