はじめての思い
「杉並の神災の後、俺がプロテクトを持ってるってわかったんだよな。何でも、泡沫の神器を扱える素養があるからって」
二件目の神災の話を終え、御子守が一息入れるためお茶をすする。
「……にしても、最初は何てヤツだと思ったんだよな、神代のこと」
意味ありげに御子守から顔を向けられ、神代は少し決まり悪い思いになった。
「妙に世間知らずだし、平気で無神経なことズバズバ言うしな」
「あ、人の心がないって神代さんに言ったの、御子守さんだったんですね……」
黙って話を聞いていたフィアが得心したように言うと、御子守が大きく首肯する。
「ああ。こいつの性根は俺が叩き直さないとって思ってな。なあ、神代?」
御子守の言葉に神代は大きくうなずいてみせた。
「うむ。あの頃は自分本位で、周囲に対する気遣いなど欠片ほどもなかった。何をどうすれば、人間がどう思うかなど考えもしなかった。だが、今なら少しばかりは理解できる。自分にとって大切なものが奪われるというのは、ひどく恐ろしいことなのだろう。杉並の事件の母親には、あまりにも無神経なことを言ってしまったな……」
神代は自身の今までの行いを思い返しつつ、神妙な面持ちを浮かべる。そんな姿を目にし、これ以上なく呆気にとられた様子になったのは御子守だ。
「ど、どーしたんだ? お前。しばらく会わないうちに、随分変わったモンだなあ……」
「うむ? そうか?」
「そりゃ、そうだろ。俺はお前と十年組んできたけどよ、まさかお前の口から『気遣い』なんつう言葉が出てくるたあ思わなかったぜ?」
御子守は感心したように自身の無精髭を撫でる。そんなかつての相棒の姿を目にし、神代は小首を傾げた。
「……何かおかしいだろうか?」
「いや、別におかしくはねえけどよ。何かきっかけでもあったのか?」
「きっかけ……」
神代は自身の考えが変わった原因を探ろうとする。そうしているうちに神代の視線は自然とフィアに向けられた。
――そうだ。目の前で苦しんでいる人間がいたら放っておけない、できる限り何とかしたいとフィア殿は語った。あの言葉を聞き、なぜか自分は心を大きく揺り動かされたのだ。
神代に深く見つめられていることに気付いたのか、フィアが当惑した様子を見せる。
「ど、どうしたんですか? 神代さん。わたしの顔にまだ何かついてます?」
一方、御子守は神代とフィアの様子から何か悟ったように、得心がいった表情を浮かべた。
「なるほど、ねえ。そのお嬢ちゃんが……」
「え? え?」
神代と御子守の二人から視線を向けられ、フィアはわけがわからないとばかりにオロオロし始める。そんな彼女を目にした御子守は相好を崩す。
「いやいや、これからも神代のことよろしく頼むぜ、お嬢ちゃん」
「は、はあ……」
フィアはまだキツネにつままれたような顔を浮かべていたが、気を取り直したように御子守に質問を振った。
「そういえば、どうして御子守さんは神災対策本部を辞められたんですか?」
「ああ。俺も何だかんだいって、六十歳を越えたからな。身体のあちこちにガタが来ちまってなあ。まあ、老兵は去るのみってことだ」
「そうだったんですか……」
「まあ、今は小さい孫の相手して、のんびりやってるよ」
「へえ、お孫さん!」
「おうよ。これがまた可愛くてなあ」
それから御子守とフィアは二人で話に花を咲かせる。
「お、もうこんな時間か」
ひとしきり孫の自慢話をした御子守が、病室の壁時計を見て声を上げた。
「悪いな、俺はこれで帰らせてもらうわ」
御子守がかけていたパイプ椅子から立ち上がる。
「あ、豆大福ごちそうさまでした!」
御子守を見送るためか、フィアも慌てて立ち上がった。そんな彼女に御子守が片手を横に振ってみせる。
「ああ、いいっていいって。お嬢ちゃんは神代についててやってくれ」
「は、はい……」
それから御子守は神代に顔を向けた。
「じゃあな、神代。お嬢ちゃんとうまくやれよ」
「ああ。今日はわざわざ済まぬ」
「いいってことよ、じゃあな!」
ニカッと笑った後、御子守は片手を振りつつ、病室を後にした。
病室には神代とフィアが残される。先程まで御子守と楽しげに話をしていたフィアが、少し所在なさげに視線をあらぬ方向に泳がせた。そのことを神代は怪訝に思う。
「いかがされた? フィア殿」
「あ、えっと、二人きり、ですね……」
「うむ? それがいかがした?」
「……神代さんは何ともないんですか?」
「何とも?」
フィアの言わんとすることがわからず、神代は瞳を瞬かせた。その様子を目にし、フィアが嘆息する。
「何だ、わたしだけか……」
どこか落胆した様子のフィアを前に、神代はどう反応すればいいかわからない。
「御子守さんって、おもしろい方ですね。神代さんがああいう方と一緒にお仕事してたの、ちょっと意外です」
フィアが話題を転換するように御子守の話を振ってきた。
「そうか?」
「はい。神代さん、ああいう方って苦手なタイプかと思ってました」
「苦手? 自分は誰かを苦手と思ったことはないが」
「あ……。神代さんって、やっぱりそういう人ですよね」
そうしているうちに今日の面会時間が過ぎようとしていた。神代はフィアに声をかける。
「フィア殿、そろそろ帰られた方がよいのでは?」
「あっ、もうそんな時間ですか?」
フィアが病室の壁時計に視線を送る。そして、かけていたパイプ椅子から立ち上がった。
「じゃあ、今日はこれで帰りますね」
「ああ。毎日済まぬ」
「いいんですよ。こういうときくらい、わたしを頼ってくださいね?」
「うむ、ありがとう」
「じゃあ、また明日!」
フィアはペコリと頭を下げると、病室を後にした。そんな彼女を見送った後、神代は小さく息をつく。なぜなら、複雑な思いが拭えなかったからだ。
フィアは自身の素性をまだ知らない。いつかは話さなければならないのだろうが、神代はそのときのことを考えるのが気鬱だった。
なぜ自身の素性をフィアに知られたくないのか、神代はようやく悟る。明るい笑顔と気遣いを向けてくれる少女。だが、本当のことを知ったら、フィアは以前と同じように接してくれなくなるのではないか。そのことを思うと、神代は自然と心が重くなる。
このようなことは初めてだった。今までは、たとえ誰に何と思われようと、何と言われようと気にすることなどなかったのに。
神代が知りうる限り、フィアほど純粋で他人に対して優しい人間は見たことがない。そんな彼女とともにいることが、いつしか神代にとって心地のよいものとなっていたのだ。
代々木公園でヘルに襲われたとき反射的にフィアを守ろうとしたのも、心のどこかで彼女を失いたくなかったからなのだろう。だからこそ、フィアに本当の自分を知られることに迷いが生じてしまう。
本当の自分を知れば、彼女は離れていってしまうのではないか。そのとき、自分は果たして今までどおりでいられるだろうか、と――。




