杉並区幼児惨殺事件(3)
「いかん、御子守殿!」
神代が制止の声を上げるが、そんなものに構う気などない。
「このアマあああああっ!」
御子守は、渾身の力を込めた拳を鬼女の顔面にぶち込もうとした。だが、その拳が鬼女に届くことはない。
「ぐあ……っ!?」
次の瞬間、御子守の身体は吹き飛ばされ、この神社の社に激突する。
「御子守殿、大丈夫か?」
神代が地面に倒れ込んだ御子守に駆け寄ってきた。
「クソっ……、こんなもん大したこたあねえ」
御子守は両手を地面につき、無理矢理身体を起き上がらせる。
「こんなもん、殺された子供たちに……、その母親たちが受けた痛みに比べちゃあ、何てこたあねえんだよ!」
神代の制止も振り払い、御子守は再び鬼女に飛びかかった。
『……しつこい男だ。妾の邪魔をする者は何人たりとも許さぬ』
鬼女はまるでハエでも追い払うかのように、向かって来る御子守を片手で払いのけた。すると、先程のように御子守の身体が吹き飛ばされる。御子守は物理的法則に従い地面へと落下し、全身を強打した。
「御子守殿!」
ここで御子守は初めて神代の焦慮する声を聞いた。何だ、こいつでもこんなに焦ることがあるのか。意識が遠のきそうになる中で、御子守はぼんやりとそんなことを考える。
「御子守殿、しっかりされよ!」
駆け寄ってきた神代が御子守の顔を深く覗き込んできた。そんな彼に御子守は疑問をぶつける。
「……おい、お前、やたら神やら神災やらに詳しそうだけどよ、だったら、あの鬼みてえな女を退治する方法知ってたりすんのか?」
だが、返ってきた答えは――。
「いや、退治することはできぬ」
神代の言葉に御子守は落胆しかけた。
「しかし、あの神を本来いた世界――神界に還すことはできる。さすれば、もうこの世界で悲惨な事件は起こらぬ。これを……」
神代はこの神社に来るまでずっと小脇に抱えていたものを御子守に差し出す。
「何だよ……?」
何とか身体を起こした御子守は、濃紫の布にくるまれた「それ」を取り出した。そして、現れたものに目を丸くすることになる。
「刀……?」
御子守は銀に光る刃を持つ刀剣を手に取った。
「それは泡沫の神器だ」
「ほうまつのじんぎ……?」
「左様。神災対策のため、極秘裏に開発された武具だ。それを使えば、あの神をこの世から退散させることができる」
ここで御子守は得心する。この同僚である男は時折、神災対策本部を抜け出してはどこかへ行っていた。それはこの泡沫の神器とやらの開発のためだったのか。
「本物には遠く及ばぬが、神を神界に送り還すためには十分な威力を持つはずだ」
神代の顔はウソを言っているようには見えない。
――まあ、こんなときにフカシこくような奴でもなさそうだしな。
御子守は内心苦笑しつつ、刀を手に立ち上がった。
「……よう神代、本物がどうだとか言ってたけどよ、本物の名前は何かあんのか?」
「うむ。その神器の本来の銘は、『童子切安綱』。日本で名高い鬼の首を切り落とした逸話を持つ名刀だ」
神代の言葉を聞き、御子守は口端を上げる。
「鬼退治の刀ってわけか。ピッタシはまるじゃねえか」
それから、ある方向へ向き直った。その先にいるのは先程自身を満身創痍にさせた鬼女だ。彼女は憎悪に満ちたまなざしを御子守に向けている。だが、もう怯みなどしない。
御子守は助走をつけ、一足飛びで鬼女に飛びかかった。
「でやあああああっ!」
御子守は手にした泡沫の神器童子切安綱を、最上段から鬼女に向けて振り下ろした。すると、まるで紙でも切るように、あっさりと鬼女の身体が分断される。
『あ……?』
鬼女が呆けた声を上げる。それは神代も同様のようだった。
「一か八かの賭けではあったが、泡沫の神器をああも容易く使いこなすとは……。どうやら御子守殿には神災に立ち向かう素質があると見た」
一方、鬼女は悲痛な声を上げている。
『いやだ、妾はまだ戻りとうない。まだ我が子が見つかっていないというに』
そんな鬼女の元に神代が歩み寄った。
「お前の子供はこの世界にはいない。本来の世界に還れ、きっと我が子と会えよう」
『……本当か?』
神代が深く首肯してみせると、鬼女はどこか安堵した顔を浮かべた。それから彼女の身体は、空気と溶け合うように霧散していく。そして、鬼女がいた場所にはあるものが残された。神代はそれを手にする。
「……黄金の林檎。やはり、『あいつ』の語ったことは本当だったのか」
「おい神代、あの女は結局何だったんだ?」
御子守は泡沫の神器を手にしたまま、わけがわからないとばかりに神代に歩み寄る。
「うむ。彼女の名はハーリーティー。こちらの世界では鬼子母神と言った方が、通りはよいかな?」
「鬼子母神……」
その名なら御子守でも聞いたことがあった。仏教の神で、何百人の子を育てるため、人間の子を捕らえて食べたという。そして、その話には続きがあった。
「たしか、お釈迦様が鬼子母神の子供を隠して、改心させたとかいう話だったよな? じゃあ、あの女が子供を捜してたってのは……」
「あの女神は理性をなくし、こちらの世界に迷いこんだ。そして、この世界ではいるはずのない己の子供を捜し、さまよっていたのだろう」
神代の話を聞いた御子守は、何ともやりきれない思いになる。鬼子母神がこの世界で子供を殺したことは、決して許されることではない。だが、その原因が自身の子供を捜すためだったというのであれば――。
「あー、難しいことはよくわかんねえ!」
御子守はがしがしと頭を掻いた後、ある考えに思い至り、神代に向き直った。
「なあ、神災ってやつは今回みたいに大勢の人間が悲しむことになるのか?」
「……恐らく」
「そうか……」
御子守は強く奥歯を噛むと、再び神代と向き合い、決意表明をする。
「決めたぜ。神様だろうが何だろうが、相手になってやる。人間を悲しませるような奴は全員、今日から俺の敵だ」
それから右手を神代に差し出した。
「改めてよろしく頼むぜ、神代通さんよ」
御子守が初めて笑みを神代に向ける。すると、彼は少し驚いたように目を丸くした。それから小さく微笑むと、差し出された御子守の右手を握った。
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