彼女の涙
病室には神代とフィアの二人が残された。
神代は自身の首元に手をやる。すると、応急処置でもされたのか、ガーゼと包帯が厳重に巻かれていた。だが、その下の傷はもうすっかり癒えている。神代は先程の三鶴の言葉を思い返す。
――フィアさんに、もう傷はすっかり治りました~、なんて言っちゃうの?
神代は思わず苦笑してしまう。確かにフィアには言えないだろう。彼女が心配してくれるのは、自分のことをただの人間だと思っているだろうから。
神代は同じベッドで眠っているフィアにそっと指を伸ばす。伸ばした先は眠る彼女の頬だ。よく見れば、頬にはうっすらと涙の跡が残っている。フィアは自分などのために泣いてくれたのか。
神代は複雑な思いを抱きながら、指先で濡れたフィアの頬を拭う。自身の補佐を務めてくれているこの少女に、いつかは真実を話さなければならない。そのとき、彼女は一体どんな反応を見せるのだろうか。
フィアの反応――神代はやけにそれが気になる。自分の素性を知る人間は数少ないが、彼らに真実を知られるとき、こんな複雑な思いを抱くことはなかった。なのに、フィアローズ・シーアという少女に知られることに、神代はどこか戸惑いを覚えている。
一体それはなぜか――神代が思案を巡らせようとしたときだ。
「ん……」
眠っていたフィアの瞼がピクリと痙攣する。そのことに気付き、神代は慌てて彼女の頬を拭う指を引っ込めた。フィアはアメジストの瞳をゆっくりと開く。どこか夢うつつの彼女は、顔を上げると近くにいる神代と視線を合わせた。
「あ、あれ……? 神代さん……」
フィアが自分の置かれた状況を確認すべく、周囲を見渡す。
「あ、そっか……。ここ病院……」
そう呟いた後、フィアは我に返ったようにハッとし、突っ伏していたベッドから上半身を起こした。
「す、すみませんっ、わたしったら図々しく寝ちゃったりして!」
あたふたと大慌てするフィアを目にし、神代は思わず吹き出してしまう。
「いや、自分はかまわぬよ」
すると、フィアは瞳をパチクリとさせる。それから思い出したように問いかけてくる。
「そうだ、神代さん、ケガは? ケガは大丈夫なんですか?」
「ん? あ、ああ……、大事には至らぬ」
そう答えると、フィアは安堵の表情を浮かべ、胸を撫で下ろす様子を見せた。
「よかったあ……」
眼前のフィアの姿は、心から自分を案じてくれているものだ。そのことを悟り、神代は複雑な思いを抱くことになる。だが、その思いが何なのか、今すぐ答えは出そうになかった。
「あ、わたし、神代さんの目が覚めたって、お医者さんに知らせてきますね!」
フィアはベッドから離れ、病室を後にしようとする。神代は慌ててその背中に声をかけた。
「フィア殿!」
「はい?」
反射的にフィアがこちらを振り向く。そんな彼女に、神代は気にかかっていたことを尋ねることにした。
「その……、先程、三鶴殿がこの病室を訪ねてきたのだが、その際に聞いたのだ」
「聞いたって何をですか?」
フィアが大きな瞳をパチクリとさせる。
「フィア殿は何やら自分にお礼を言いたいらしい、と」
「あ……」
ここでフィアがなぜか戸惑いの表情を浮かべた。そのことを神代は訝しむ。
「フィア殿?」
フィアは少しの間、あらぬ方向に視線を巡らせた後、神代に向き直った。
「代々木公園でヘルって神様に襲われたとき、神代さん、真っ先にわたしを守ろうとしてくれましたよね」
そう言われ、神代は記憶の糸を辿る。確かに女神ヘルの視線に気付いた瞬間、真っ先に傍らのフィアを守ろうとした。それは反射的にした行為で、なぜそうしたかと問われれば、これもまたすぐに答えが出そうにない。
「わたし、神代さんのこと勝手に誤解してたみたい……。神代さんは真っ先に神災を解決するのを優先するんだろうなって。だから、そのために情を捨てるような人なのかもって、思ってました」
フィアが少し決まり悪そうに語るのを、神代は内心ドキリとしながら聞いていた。なぜなら、彼女が語ったことは当たらずとも遠からず、だったからだ。
「だけど、神代さんはわたしを真っ先に守ろうとしてくれた……。わたしには、もうそれだけで十分なんです。だから、ありがとうございました」
神代にお礼を言った後、フィアはハッとし、顔を紅潮させた。
「ご、ごめんなさい、何が言いたいのか、全然わからなかったですよね。今のは聞き流しちゃってください! じゃあ、わたし、お医者さん呼んできます!」
大仰に頭を下げると、フィアは急いで病室を後にする。その後ろ姿を神代は再び複雑な思いで見つめるのだった。
それから神代は三鶴に言われたとおり、七日間入院することになる。幸いなことに、その間神災が都内で起こる気配はなかった。そして七日の間、神災対策本部で業務を終えたフィアが毎日お見舞いに来てくれた。




