泡沫の夢
神代は死に限りなく近い眠りについていた。目を開けたいが、ひどく瞼が重い。自分は今、どんな状態にあるのだろう。神代は記憶の糸を辿ろうとした。
そのとき、何者かの声が聞こえてくる。
『やあ、元気かい?』
その声はやけに親しげだ。一体誰のものか? 神代は思い出そうとするが、妨げるように声が続けてくる。
『ああ、ごめんごめん。君の身体は今ひどく傷ついているんだっけ? 「彼女」に襲われたんだったよね。かわいそうに』
この声は何だ? なぜ自分のことを知っている? 神代は瞬時に警戒心で満たされる。
『まあ、君のことだから、すぐに身体も癒えるだろう。それよりゲームはどうだい? 楽しんでくれてるかな? うーん、残念だけど、今のところは僕の勝ちかなあ?』
ゲーム? 勝ち? 一体何のことだ? 神代はあと少しで声の主が誰なのか思い出せそうだった。
『ふふっ。君がそっちの世界に降りてから、大勢の人間が死んじゃったもんね。だから、その分は僕の勝ち点にしてもいいよね?』
それから、無邪気そうな笑い声が神代の周囲に降り注ぐ。
だが、神代は感じ取っていた。無邪気そうな声の裏に、怖気をも感じさせる残酷さが潜んでいることを。そして、雷にでも打たれたように神代は声の主が誰なのか思い出す。
「ロ……」
自身が発した声で神代は目を開いた。真っ先に視界に入ってきたのは、白い天井だ。
「ここは……?」
自身が一体今どこにいるのか把握するため、神代は視線を巡らせようとした。
その途中、あるものが視界に映る。横たえられた右腕のすぐ傍、銀糸のようにきらめく何かがあった。よく目を凝らしてみると、それは見覚えのある少女の長い髪だということに気付く。
「フィア殿……?」
神代は少女の名を呟いた。だが、返答はない。ここでようやく神代は自身がどのような状況下にいるのか悟った。恐らく今いるのは病院の一室で、自身はベッドに横たわっている。そして、なぜかフィアも同じベッドに突っ伏して眠っていた。
そのときだ。病室のドアが静かに開かれる。
「あら、目が覚めた? 神代くん」
入室してきたのは加々倉三鶴だ。
「三鶴殿。自分は一体……」
神代はゆっくり上半身を起こす。
「覚えてないの? あなた、救急車でこの病院まで運ばれたのよ」
未だ眠るフィアを起こさないためか、三鶴はなるべく静かに神代のベッドの傍まで歩み寄ってきた。
「病院……。そのようなもの、自分には必要ないのだが」
「そうかもしれないけど、あなた、首にひどい損傷を受けてたのよ。一緒にいたフィアさんにとっては、ショックだったんじゃないかしら」
苦笑する三鶴を目にし、神代はようやく代々木公園での一件を思い出す。
「フィアさんには感謝してあげて。彼女が救急車を呼んでくれたんだから」
「そうか……」
「あ、そうそう。渋谷スクランブル交差点で昏睡状態に陥った人たちだけど、何とか全員目を覚ましたわ」
「本当か?」
神代は内心驚いた。何しろ渋谷の事件、そして十年前の第二級神災の原因は死を司る女神ヘルだ。彼女が望めば、人間の生死は思いのままだろう。神代は推論を立てる。
「恐らくヘルは十年もの間人界に留まり、神気及び神力が枯渇していたのだろう。それで本来の能力を発揮することができず、今回の結果と相成ったのだ」
神代の推論に三鶴が小首を傾げた。
「つまり、ヘルって神様の力不足で渋谷の人たちは助かったってこと?」
「左様。つまりはそういうことだ」
「そう……。理由は何しろ、よかったわ」
「うむ。誰も犠牲にならずによかった」
「そうじゃないわ。あ、もちろん犠牲が出なくてよかったけど、それはあなたも同じよ、神代くん」
三鶴が真顔で言ったことを神代は訝しむ。
「自分が? 何故?」
「……あのねえ。あなたは大事な仲間なの。その仲間の無事を喜ばないほど、私も薄情じゃないわよ」
呆れ顔で神代を軽く睨んだ後、三鶴が未だ眠っているフィアに視線を送った。
「それに、あなたが無事じゃなかったら、きっとフィアさんが悲しむわ」
「フィア殿が?」
神代も自身のベッドで眠っているフィアに視線を向ける。
「そうよ。彼女、あなたのために救急車を呼んでから、あなたの傍から離れようとしなかったの。『神代さんにお礼言うまでは、絶対離れません!』って言って、涙ぐんでたんだから」
「自分にお礼? 何故?」
小首を傾げる神代に、三鶴は大仰に肩を竦めてみせた。
「さあ? それは本人が起きてから自分で聞いてみてちょうだい。あ、あとあなた、七日間この病院に入院ね。諸々の根回しはしておいたから」
「入院とな? 傷はもう治って……」
機先を制するように、三鶴が神代の鼻先をちょん、とつつく。
「フィアさんに、もう傷はすっかり治りました~、なんて言っちゃうの?」
「あ……」
神代はハッとしたように再びフィアを見やった。
「あなたの素性、フィアさんに話すのはまだ時期じゃないと思うわよ、私は。本当のこと話したりしたら、きっと彼女パンクしちゃうわ」
「そう……さな」
深刻な顔を浮かべる神代に三鶴が笑みを向けてくる。
「神災が立て続けに起こって、あなたもフィアさんも疲れたでしょ? これからのためにぜひとも英気を養ってちょうだい」
「……お気遣い、感謝する」
深々と頭を下げる神代を目にし、三鶴は笑みを濃くする。
「それにしても、あなたも変わったわね」
「え?」
思いもよらぬことを三鶴に言われ、神代は思わず小首を傾げた。
「さっき、『誰も犠牲にならずによかった』って言ってたじゃない。少し前のあなたは、犠牲の一人や二人出たって仕方ないってスタンスだったのにね」
「……何かおかしいだろうか?」
神代の問いに三鶴は首を横に振る。
「ふふっ、今のあなたを御子守さんが見たら驚くかもね」
それから三鶴は「じゃあ、お大事に」と言って病室を後にした。三鶴の言葉の真意がわからない神代は、頭の上に疑問符を浮かべることになる。




