渋谷スクランブル交差点大量昏睡事件(2)
神代の指示どおり、フィアは交差点の規制を行っている警察官の一人に声をかける。
「あの、お忙しいとところすみません」
すると、壮年の警察官は怪訝そうな顔をこちらに向けてきた。
「何だい? 今ここらは部外者立ち入り禁止だよ」
「あ、あの、実はわたし……」
内心ドキドキしつつ、フィアはジャケットの内ポケットからあるものを取り出し、警察官の眼前に差し出す。
「ん? なになに? 『東京都知事直属機関、神災対策本部付二等神伎官』……」
そこまで言ったところで、警察官は差し出された黒い手帳とフィアの顔を見比べた。
「神伎官って、じゃあ、もしかして君は……」
「はい、わたし、神災の調査でここまで赴きました。それで、今の状況をお伺いしたいのですが……」
フィアが緊張しつつ尋ねると、警察官は難しい顔を浮かべる。
「あ、あの……?」
「神伎官さんがいらしたってことは、やっぱりこの事件、神災なのかい」
フィアは若輩者の自分になど情報提供してくれないかと心配していたが、警察官はたちまち態度を軟化させた。
「いやあ、驚いたよ。ここ通った人間がいきなりバタバタ倒れ出したりしたもんだから」
「そ、それはそうですよね……」
フィアは警察官の意見に同意する。
「で? 俺に何か聞きたいことでも?」
「あ、はい。えっと……、今の状況を詳しく教えていただけませんか?」
「そうだなあ。俺が知ってることっていうと、昼過ぎにここで数十人の通行人が意識混濁して倒れたってとこか。とりあえず救急車呼んで診てもらってるけど、ガスや薬品の類でそうなったわけじゃないらしい」
フィアは必死に警察官の話をメモする。
「あとは……、そうだ、妙な目撃証言があったんだよ」
「妙、とは?」
「異常事態が起こったのと同時刻に交差点上空に何かの影が現れて、黒い霧をこの一帯にバーッてまいたって話」
「何かの影、黒い霧……」
黒い霧の話は聞き及んでいたが、上空に黒い影が現れたというのは初耳だ。この話は神代に報告しようと、フィアはメモに大きな丸をつけた。
一通りの情報収集をしたフィアは、ひとまず神代に連絡する。
それからフィアは神代と近くの渋谷駅前広場で落ちあった。そして、彼に警察官から聞いた話を細かく説明する。
「ふむ、上空に何かの影が現れた、とな……」
神代は顎に手をやり、思案顔を浮かべる。
「上空にいきなり現れるなんて、普通の人間ができることじゃありませんよね? それに黒い霧をまいたって……」
フィアが疑問を口にすると、神代が大きく首肯してみせた。
「恐らくその黒い影とやらが今回の神災の根源に違いない」
「それで、神代さんの方はどうでしたか?」
「うむ。この場に到着したのが早かったのが功を奏したのか、強い神気の名残を辿ることができた」
すると、神代は手にしていたステッキである方向を指し示す。その後、二人は神気を辿りつつ、渋谷公園通りを歩いていくことになった。
スクランブル交差点付近で大規模規制が行われているせいか、人波がこの通りに流れているようだった。
「うう……、すごい人ですね」
フィアは既視感を覚えつつ、げんなりする。
「では、はぐれぬよう、また手をつなぐか」
少し前を歩いていた神代が右手を差し出してきた。
「……神代さん、わたしのこと子供扱いしてません?」
フィアは口を尖らせるが、今の状況で神代とはぐれたりしたら、それこそ本末転倒だ。内心もやもやしつつも神代の手を取った。そして、再び公園通りを人波を避けつつ進んでいく。渋谷区役所交差点まで辿り着くと、神代が足を止めた。
「神代さん?」
不意に神代の顔が険しいものになったことに気付き、フィアが彼に声をかける。
「……この先に神気の大本が潜んでいる」
「え?」
神代がある場所を見据えている。フィアも彼の視線に合わせた。その先にあるのは代々木公園だ。
「公園……ですよね? じゃあ、神様がここに?」
「左様。どうやら相手は周りとは異質である自分らに気付き、この中に身を潜めたようだ」
ここで神代が口端を上げる。
「おもしろい、かくれんぼというわけか。つきあってやるとしよう」
「で、でも、どうやって見つけ出すんですか? この公園、結構広いし……」
フィアが問いかけると、神代は思案顔を浮かべた。
「そうさな。先程、神気を辿るのに少々体力を消耗してしまった。ここらで一休みするとしようか」
「ひ、一休みって……、緊急時じゃないんですか?」
「わかっている。だが、急いては事をし損じるということわざもあろう。それに考えをまとめたい」
そこまで言うと、神代はある方向に目を向けた。その先にあるのは休憩用ベンチだ。
「ほら、休むのにちょうどよさそうな場所もある。一息入れよう」
「は、はい……」
少し釈然としなかったが、フィアは神代に従うことにする。
二人は中央広場を一望できるベンチに腰掛けた。この場所は都会にあるとは思えない、緑の木々に溢れた場所だ。見渡してみれば、犬を連れて散歩している老夫婦の姿が見えた。のどかだ。この広い公園のどこかに神が潜んでいるとは思えないほど、のどかだった。
ふと、前を通り過ぎる人の目が自分たちに向けられていることにフィアは気付く。その視線はどこか微笑ましいものに見えて、フィアは小首を傾げた。そして、ある考えが思い浮かぶ。
――も、もしかして、恋人同士だとでも思われてない……?
何も知らない他人からしたら、神代とフィアは仲睦まじく一緒にベンチに腰掛けているように見えるのだろう。そのことに気付き、フィアは内心あたふたする。
――ち、違うんです。わたしたち、大切なお仕事中なんです……っ!
誰に言い訳するでもなく、フィアは必死に頭の中で強調した。
「……ときにフィア殿」
「は、はいいっ!?」
不意に声をかけられ、フィアはベンチから飛び上がるほど驚いてしまう。
「いかがされた?」
「あ、いえ……」
一人でおろおろするフィアを神代が怪訝そうに見つめてくる。フィアは深呼吸を何回かした後、再びベンチに腰を下ろした。
「な、何でしょう?」
フィアは内心の動揺を抑えつつ、隣に座る神代に向き直る。
「うむ。フィア殿は、死を司る神というと何を思い浮かべられるかな?」
「死を司る、ですか?」
フィアは少しの間思案すると、ありきたりな返答をした。
「わたしのイメージだと、大きな鎌を持った骸骨さんが思い浮かびます」
「ふむ。それは主に西洋のイメージだな。死、という概念を擬人化した姿だ」
「す、すみません、発想が貧困で……」
フィアは少し気後れするが、神代は馬鹿にしたりなどしない。
「いや、普通の人間が思い浮かぶのはそんなところだろう。だが、死を司る神は多数存在する。そうさな、例えばこの日本で言うとイザナミ神などか」
「あ、イザナミ様って、新宿の神災のときにもお話してくれましたよね?」
「左様。イザナミ神は国生み神話が有名だが、実は黄泉の神でもある。有名どころでは、ギリシアのハデス神。冥界の主として畏怖されている存在だな。あとは……」
饒舌に語っていた神代が不意に黙り込んだのをフィアは怪訝に思う。




