戸惑うこころ(2)
「ねえ神代くん、昨日もしかして何かあった?」
三鶴に声をかけられ、神代は目を通していた資料から顔を上げる。ここは就業時間前の神災対策本部だ。神代と三鶴以外の神伎官はまだ出勤していない。もっとも神代はここに住み込んでいるのだが。
「何か、とは?」
神代は怪訝そうに三鶴に逆質問する。
「だって、現場から戻ってきたフィアさん、様子がおかしかったじゃない」
「はて、そうであったか?」
「はあ……」
頭痛でもするのか、三鶴はこめかみを押さえた。
「あなたのことだから、またデリカシーのないことでも言ったんでしょ?」
「でりかしい?」
神代は不思議そうに小首を傾げる。その様子を目にした三鶴は大きく嘆息した。
「あなたの性格は、御子守さんが少しは矯正してくれたと思ってたんだけどね……」
デスクの前の神代に三鶴が顔を寄せてくる。
「あなたが普通の人間と違うことは重々承知しているわ。でもね、この世界には常識とかマナーというものがあるの。もう少し配慮してほしいところね」
三鶴の言葉を聞いた神代は神妙な面持ちを浮かべた。
「……自分は知らず知らずのうちに、フィア殿を不快にさせてしまったのだろうか?」
「昨日、何があったかは知らないけど、彼女が何かショックを受けたってことぐらい、私にだってわかったわよ」
「……うむ。一体、何が悪かったのだろうか?」
真剣な面持ちで思案し始める神代。そんな彼の姿を目にした三鶴は苦笑する。
「いくら考えても、してしまったことは消えたりしないわ。フィアさんにはこれから真摯な態度で接すること。わかった?」
神代と三鶴がそんなやりとりを終えた頃、話題に上っていた当人が神災対策本部に到着した。
「おはようございます!」
元気な声でフィアが朝の挨拶をする。神代と三鶴は顔を見合わせると、彼女に挨拶を返した。
「あの、昨日はすみませんでした。まだ新宿とお仕事に慣れなくて、ちょっと気分が悪くなっちゃって……」
申し訳なさそうなフィアに、三鶴が気遣わしげに問いかける。
「あら、大丈夫? 昨晩は十分休めた?」
「はい。ゆっくり、ぐっすり眠れました。今日から心機一転、がんばります!」
意気込むフィアを目にし、三鶴は小さな笑みを浮かべた。
「よかったわ。今日も一日がんばりましょうね」
「はい!」
それから最後の一人である神伎官が出勤してくる。
「……おはようです」
まだ眠そうな顔を浮かべているのは柊夜宵だった。元気そうなフィアとは対照的に、彼女は随分消耗した様子だ。
「おはよう、夜宵ちゃん。また徹夜でもしたの?」
「……ん。今やってるソシャゲの新イベントが始まって、プレイしてたら朝になってた」
そう言った後、夜宵は大あくびをする。そんな姿を目にし、三鶴は苦笑した。
「息抜きのゲームもいいけど、ほどほどにね。コーヒー淹れるわ」
それから神災対策本部の一日の業務が始まる。神災発生の連絡がない限り、担当神伎官は本部待機が基本だ。担当神伎官は有事になるまで内務をこなすことになる。
今日フィアに与えられた業務は、新宿で発生した第五級神災の報告書作成だ。主にパソコンで文書作成をするのだが、通っていた高校でパソコンの授業を受けた経験もあり、スムーズに作業をすることができた。
「ん~……っ」
デスクの前のフィアは大きく伸びをする。気付けば、もうお昼休憩の時間だった。
「あら、もうこんな時間ね。みんな、お昼にしましょう」
三鶴の言葉を合図に、神伎官は各々昼食をとることになった。フィアは自分以外の神伎官たちの様子を窺う。三鶴は持参した手作り弁当。夜宵はコンビニで購入した菓子パンと牛乳。そして、神代は――。「自分は外へ行ってくる」と言い残し、神災対策本部を後にした。
フィアはというと、特に何も用意していなかった。一体どうしようかと考えあぐねていたときだ。三鶴が気付いてくれたのか、声をかけてくる。
「あらフィアさん、お昼用意してこなかったの?」
「あ、はい……」
「じゃあ、都庁の食堂にでも行ったら?」
「食堂、ですか?」
「ええ。もし行くんだったら、職員用の割引パス渡すわよ?」
「あ……。じゃあ、そうします!」
三鶴から食堂の割引パスを受け取ったフィアは、都庁第一本庁舎にある職員食堂へと向かう。エレベーターを降りると、食堂前は多くの職員たちでごった返していた。
――わわ……っ、どうしよう。
フィアは当惑しつつも券売機で食券を購入し、レーンに並んで日替わり定食を受け取った。
「えっと……」
食堂を見回し、空いている席はないか探す。すると、窓際の一角に空いているテーブルがあるのを発見した。そこには既に先客がいたので、フィアは一声かけて座らせてもらうことにする。
「あのすみません、相席よろしいでしょうか?」
すると、先客が顔を上げた。
「ああ、構わぬよ」
先客の顔を見てフィアは内心驚いてしまう。
「か、神代さん……」
先客は神代だった。戸惑っているフィアに気付いたのか、神代が怪訝そうに声をかけてくる。
「フィア殿、昼食をとられるのであろう? 席は空いているぞ」
「あ、はい、失礼します……」
ここで拒否するのも不自然だったので、フィアは狼狽しつつも神代と同席することにした。少し気まずい思いを抱えながら、フィアは昼食をとることになる。
「……あれ?」
フィアはあることに気付いた。眼前の神代の前には、一人分のものとしては許容範囲を超えた料理の数々が並んでいたからだ。
「か、神代さん、もしかして、それ全部召し上がるんですか?」
「ん? そうだが」
「ず、随分召し上がられるんですね……」
「うむ。自分は人に比べて燃費が大分悪いのでな、これぐらい食さないと身体が保たないのだ」
「はあ……」
フィアは半ば呆れ顔で向かい合う神代を見つめる。彼はというと、つい先程までそうしていたように、眼前に並べられた料理を次々と口に入れていた。痩せた身体のどこにあれほどの量が入るのだろう? フィアは疑問符を頭上に立てつつ、自身も昼食をとることにする。
――気まずいなあ……。
眼前に座る神代は黙々と料理を食べていた。よく考えてみれば、神代とは出会ってまだ三日ほどなのだ。彼の素性もよく知らないし、彼もフィアのことをろくに知らないだろう。なのに、会話が弾むわけもなかった。
ここは早く昼食を食べ終え、神代より先に離席することにしよう。そう決意し、フィアは日替わり定食を無理矢理かっ込む。
「ん……っ」
だが、途中で飯粒を喉につまらせてしまった。
「けほ、けほ……っ」
間抜けにもフィアは大きく咳き込む。そんなフィアに気付いたのか、神代が気遣わしげな顔を向けてきた。
「大丈夫か? フィア殿」
「あ、はい、だいじょう……、けほっ!」
焦れば焦るほど事態は悪化し、フィアの咳は止まりそうにない。神代は何を思ったのか、突然席を立ち、どこかへ行ってしまう。その後ろ姿を目にし、フィアは恥ずかしくて穴があったら頭から埋まりたくなった。
――何やってるんだろ、わたし……。
咳き込みながら、フィアは瞳に涙が滲むのを感じる。自分が情けなくて仕方がなかった。あと少しで涙が頬を伝いそうになるときだ。
「フィア殿、これを飲むとよい」
「え……?」
フィアは不意に差し出されたものを目にし、瞳を丸くする。いつのまに席に戻ってきたのか、神代が冷水を持ってきてくれたのだ。
「そんなに焦らずとも、食事は逃げたりせぬよ」
神代はフィアの内心など知る由もないだろう。だが、自分のためにわざわざ席を離れ、冷水を持ってきてくれたのだ。フィアは頬が紅潮するのを感じる。
「あ、ありがとう……ございます」
何とかお礼を言い、神代から冷水を受け取った。
「ふう……」
冷水を飲み、フィアの喉の不調は治まる。ホッと一息つくフィアに神代が声をかけてきた。
「フィア殿、済まぬな」
「え……?」
不意に謝られ、フィアはわけがわからず瞳をパチクリとさせる。
「昨日、任務中に自分が貴殿を不快にさせてしまったのであろう?」
神代が語ったことは当たらずとも遠からずだった。フィアは内心焦慮しつつ、両手を横に振ってみせる。
「あ、いえ、そんな……」
「今朝、三鶴殿にもたしなめられた。自分は周囲に対する気遣いが足りぬと。自分は任務を前にすると、途端に周囲が見えなくなる。まだまだ修行が足りぬな…
…」
そう言った神代は反省しきりといった様子だ。しおれた神代を目にし、フィアはつい先程までわだかまりを抱いていたのが嘘のようになる。そして、思わず吹き出してしまった。
「あ、あは……っ、神代さん、そこまで深刻にならなくても」
「うむ?」
「わたしも周囲を心配させたりして、まだまだ未熟者ですよ。こんなわたしですが、これからよろしくしてもらえますか?」
フィアは右手を神代に差し出す。神代は少し呆気にとられたようだが、真顔になるとフィアの右手を握った。
「こちらこそ、よろしくお願い申す」
「……はい!」
フィアは自然と明るい笑みを浮かべる。そうだ、神代と出会ってまだ間もないのに、彼の人間性を判断するのは早過ぎるだろう。
――これから少しずつ、神代さんのことを知っていこう。それで、わたしのこともいっぱい知ってもらおう。わたしは神代さんの補佐を任されたんだから、彼と一緒にお仕事頑張らなきゃ……!
そう決意したフィアは心の中でガッツポーズをつくった。
それから昼食を終え、フィアは神代と二人で神災対策本部へ戻ることになる。
「そういえば、神代さんって神様のことに随分お詳しいんですね」
「うむ?」
本部へ向かう特設エレベーターの中で、フィアは神代に語りかけた。
「昨日、河田響子さんに取り憑いてた神様の名前を言い当てたし、それに黄金の林檎……でしたっけ? のこともご存じでしたし」
単純な疑問だったが、神代にとっては少し違ったようだ。
「そう……さな。自分は神に詳しい故、神災対策本部に属することになったようなものであるし」
神代の顔はどこか物憂げにフィアには見えた。何か聞いてはいけないことを聞いてしまっただろうか?
フィアが次に発する言葉に悩んでいたときだ。乗っているエレベーター内で携帯の着信音が鳴り響く。
「失礼、自分のものだ」
神代がスーツの上着に忍ばせていた携帯を手に取り、電話に出た。
「もしもし、神代……。三鶴殿? いかがされた?」
神代の口から三鶴の名が出てきたことをフィアは怪訝に思う。彼女は同じ都庁内にいるのに、なぜわざわざ電話連絡などしてきたのだろうか?
「何……?」
神代にしては珍しく当惑の声を上げた。それから彼は三鶴と少しの間会話した後、通話を切り、フィアに向き直る。
「フィア殿、緊急事態だ」
「え?」
「十年前に発生した第二級神災、それに酷似した事案が都内で発生したらしい」




