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ヒロインの座も王子様も、ましてや真実の愛など勘弁願います。

作者: 黒乃きぃ

「奇遇だなエリザ!昼食はこれからか?」

「殿下、お声がけいただき光栄です。昼食はもう済ませました。」

「そうか…。今度一緒に食べないか?エリザの話を聞きたいと思ってな。」


 場所は学園の食堂。時刻は昼時。学生であればほぼほぼ集まるこの場所で、奇遇も何もあるか、と内心で吐き捨てつつ、表面上は薄く笑みだけ浮かべる。離れた場所からよく通る声で私を呼び止め、駆け寄ってきたのはこの国の王太子。対する私は一介の平民にすぎない。無碍にはできないため、礼儀だけは尽くす。


「もったいないお言葉とお誘いありがとうございます。ただ私の話など、殿下には退屈なだけかと。…申し訳ございません、少々急いでおりまして…。」

「ああ、引き留めてすまない。またな、エリザ!」

「御前失礼いたします、殿下。」


 ほぼ毎日、急いでいると誘いを断っているというのに、私の言葉に何の疑問も抱かない殿下は次があると思って満面の笑顔だ。深々と頭を下げ、急ぎ足で食堂を後にする。




 王立魔術学園の特待生であり、薬草学の第一人者アンバー氏と元王宮専属踊り子だったメリッサの娘。それが私、エリザ・アンバー。



 この学園はいわゆるハイスクールで、基本的には貴族と、特待生として一握りの平民が通っている。幼少期から私は父の薬草学の研究を手伝っていた。ミドルスクールの頃書いた論文(といっても幼女の時分に書いたためあれは作文といって差支えない)が認められ、この学園に進学することとなった。


 本当は平民向けのハイスクール(こちらもミドルスクールで成績が認められなければ進学できない)へも進学できたのだけれど、こちらの学園でないと、王家直属の研究所への出入りができない。研究を続けるのに、目を通したい蔵書は山のようにある。それを考えれば、こちらに進学する以外に道はなかった。の、だけれど。




「…どうして毎回声をかけてくるのでしょうね。かのお方は暇なんですか?」

「いや暇じゃないとは思うが…。」


 殿下に用があるといった手前、急ぎ足で向かったのは研究棟。一定の成績と研究成果を上げた学生に研究用の個室が与えられているそこの、私用に宛がわれた一室で淡々と毒を吐く。


「アンバーの気持ちはわからんでもないが…嫌われているよりマシだろう。あれでも王族だ。」

「いや現状の弊害考えると、嫌われてた方がよっぽどマシですよ。」


 愚痴に付き合ってくれているのは、シトリネ教授。以前に父と一緒に研究をしたことがあるという。ぐるり、と大鍋の薬液をかき混ぜながら吐き捨てれば、教授はそっと眉間を押さえていた。ここへ進学後、シトリネ教授はずっと私に付いて下さっている。というのも教授の研究と私の研究が近しいからで、既に共作で三本の論文を発表した。学園長からは、在籍中の身で既に論文三本は快挙と言われた。


「ちなみに最近の被害は?」

「物がなくなります、それも研究絡みの。先日中庭に捨てられていた時にはどうしようかと。」

「よし、それだけで万死に値する。陛下に掛け合ってこよう。」

「まだありますけど聞きます?」

「聞かせなさい。」


 選び抜かれたようになくなる、貴重な薬学の本。採取した薬草を持ち歩くために苦労して手に入れたクリスタルの瓶。論文を書くためだけに揃えた少し値の張る万年筆。



 最初は、男爵子爵令嬢たちから、呼び出されての小言だった。曰く、殿下には婚約者がいらっしゃる。特待生ならば特待生らしく勉学にだけ励み、殿下に色目を使うなと。心当たりもなく、授業時間以外は殆ど研究に費やしている身であると反論したのが悪かったのか。今や平民同士ですらあまりしない、物を隠されるという幼稚な嫌がらせが増えてきた。


 単なる私物に手を出されるなら別にいい。それこそ教科書とか。良くはないけれど中身は全て頭に入っているし。ただどうした訳か、手を出されるのは研究絡みの物ばかり。最低限の初期投資は必要だからと、普段の私からしたら不相応そうな見目の物を持っているから、男に貢がせたとでも思っているんだろうか。……思ってるんだろうな、多分。



「一番最近の被害は?」

「昨日教授からお譲りいただいた、王城提出用のインクが今朝。」

「…は?」


 あ、被害まとめてあるのでご覧になりますか?メモ書きを手渡したところ、シトリネ教授は眉間に深くしわを刻んだ。メモを視線だけで焼いてしまいそうなほどの眼力で見つめている。



 昨日の帰り際、シトリネ教授から頂いたインクは特別なものだった。王城へ提出する論文にだけ使用する、金の散る限りなく黒に近い、青のインク。まるで夜空のように美しいそれは、今度私が発表する論文、それも初めて私個人の名で出すものを書き上げるために、とシトリネ教授がわざわざ手配くださったのだ。まあ私自身で買うことももちろんできたのだけれど。それが今朝、お手洗いで席を外しているうちに、なくなった。鞄の中は乱雑に荒らされていた。おそらくこれまで盗んだことのないものを選び出したのではないかと思われる。


「このメモのほかに証拠は?」

「使用できないほどに破壊されたものも回収して、一応状態保存の術をかけて保管しています。この部屋に。」

「…そうか。」


 寮の自室も安心はできない。同じ平民の特待生の上級生と同室だけれど、信用しきれるかと言われればそうではないから。そもそも単なる先輩後輩の立場でしかない。もし先輩が貴族側の生徒から何か命じられたら?逆らったら先輩の進路にも関わるだろうし、断ることはないだろう。であれば、今までは無事でも、今後は自室にあるものも狙われる可能性が高い。尤も、自室の物に手を付けられたら、一発で先輩だと分かってしまうから、そう何回もやられることはないだろうけれど。



 ということで、諸々の保管場所に選ばれたのは研究室。破壊された証拠は寮で保管していたら、廃棄物だと思った、と破棄される可能性が高い。私が使用する研究室はシトリネ教授の管理下だから、きわめて限られた人間しか足を踏み入れられないから安全だと考えたのだ。


 シトリネ教授はまさに頭が痛い、といった表情で眉間を押さえ、固まってしまわれた。



「…気になってること一つよろしいですか?」

「なんだ?」


「いえね、平民の特待生が特待生であり続けるためには、成績の維持と研究成果を発表し続けるのが必要不可欠であるのは入学規則に定められているわけじゃないですか。そもそも何故、私が男漁りしていると思われるのかが謎なんですよね。殿下の対応が諸悪の根源だとしてもひどすぎませんか?」


「諸悪の根源…。」

「え、違います?」


 思わずぽろっと、毒を吐いてかつその毒の刃を研いでしまったけれど、ここには教授と私しかいない。まあいいか、と思い直して、教授をじっと見つめてみる。


 大体、教授に相談までしているのだ。なのに何故噂は消えず、嫌がらせも悪化するのか。何かおかしい。教授は私の言わんとするところが分かったらしく、あからさまに肩をギクリと跳ねさせた。



「…ばかばかしい理由があるんだが、聞きたいか?」

「是非。」


 目を泳がせる教授に対して満面の笑みで返すと、大変重苦しい溜息が聞こえた。


「貴族の娘向けに出ている、ロマンス小説を知っているか?」

「ロマンス小説…?」


「貴族向けの学園に入学した平民の娘が、身分ある男に見初められ、男は婚約破棄をし…という内容だそうだ。」


「はあ…?」

「売りは真実の愛だそうだ。だから主人公が平民でもウケるんだと。」



 大変残念そうな目で私を見やりながら話す教授に、嫌な予感。 殿下に態度を改めるように言っても学園側からでは王族に対してさしたる拘束力もなく。さらには元ネタが別に存在している状況で、ご令嬢方を止めようにも派閥が一枚岩なわけでもなく手詰まり状態であると。


 いや待て待て待て。確かに。言われてみれば、状況的には私がその主人公っぽい立ち位置、ではある。でもだからって何故嫌がらせにあわなければいけないのか一切理解できない。その作品が人気なら応援されるくらいでも良いんじゃないのか。それか主人公は執拗な嫌がらせに耐えたのか?悲劇のヒロインだったのか?


「聞き取りを一部したところ…フィクションなら許せるが、実際目の前でシンデレラストーリーを見るのは腹に据えかねる、そうだ。」

「いや知りませんよそんなの。」


 知ったこっちゃない。私はそのロマンス小説なんて読んだこともないし、主人公でもない。ただ学びたくてここにいるのに。身に覚えのない嫉妬で嫌がらせを受ける羽目になるんて、納得がいかない。


 私の怒りももっともだ、と頷いて見せる教授にも、怒り。



「いや何頷いてるんですか、教授。私、真実の愛とか心底どうでもいいんですし教授にも怒ってるんですが。」



 いや、あの、とオロオロしだす教授に、今度は私が重い溜息を吐く。


「というか、私以外にも平民からの特待生いるじゃないですか…なんで私なんですか…。」

「いやまあ、それはそうなんだが…。」


 さすがに不条理にもほどがある、と泣きそうになる。瞬間、ぐっと肩を強く掴まれた。無理やり、教授と目を合わせられる。


「色々とすまない…。飄々としているアンバーに甘えていた。」

「…本当に、そうですよ。」


 ぽろり。思わず一滴こぼれた涙を、教授は見ないふりをする。そういえば、進学してからそれなりに大変なことも辛いこともあったはずだけれど、泣いたのは初めてかもしれない。というか、泣いたのなんて幾つぶりだろう。




 そんなことを考えて、昨日は感傷に浸っていたけれど。



「ああ、エリザ!いいところに。今日は昼食はまだなのだな、一緒に食べよう。」



 教授に被害のあったリストやら証拠を全部預けた翌日。いつもより食堂に向かうのが遅くなってしまった時点で、昼を諦めればよかったのに、本日の日替わり定食のトレーを持った状態で私は殿下につかまってしまった。


 万事休す。なんでこうも日々、捕まってちょっかいをかけられねばならないんだ。苛立ちとやるせなさで咄嗟に言葉が浮かばない。どうしよう、固まった私と笑顔の殿下。周りも固まっている…と、そこに二つの声が割って入った。



「殿下、いいところに。」

「アンバーさん、」



 二つの声は、私と殿下、それぞれにかかった。まるで図ったかのように同じタイミングだった。


 殿下に声をかけたのはシトリネ教授。王城からの知らせを預かっている、と殿下のリアクションも待たない間に殿下を連れてどこかへ消えてしまわれた。私に「また今度」と声をかけようとするのもやんわりと止めて、ものの数秒で教授たちは食堂を去っていった。私含め、大半の学生がぽかん、とそれを見送る。


 と、ぽかんとしている場合ではない。慌てて私はもう一つの声───それも私にかけられた、これまで直接お話をしたことがないはずの声の主に向き直る。



「何か御用でしょうか、…マクネアー様。」



 ルチル・ベル・マクネアー公爵令嬢。殿下の婚約者で、淑女の鑑と呼ばれてるお方だ。真打登場。呑気にもそんな言葉が脳裏に浮かぶ。


 正直、殿下に相対するより胃が痛い。女子には女子のカーストがある。学園という狭い箱庭だからなおのこと。私は底辺にいる。ここは貴族向け学園。特待生といえど私は平民、その時点で下層確定。更には虐められている状況、底辺以外の何物でもない。


 一方のマクネアー様はカーストトップだ。上位なんてものじゃない、トップ。王族を支える五指と呼ばれる公爵家の長女で、殿下の婚約者イコール次期王妃。もちろん淑女の鑑と言われるほどの方だから、内面もとても優れているらしい。…性格については人から聞いた話だけだから、どこまで正確かは知らない。とはいえ、そんなカーストトップから睨まれでもしたら、さすがの私も心が折れてしまう。


 定食のトレーを置くスペースも手近になかったため、このような体勢で申し訳ないと謝罪した上で頭を下げる。マクネアー様は穏やかな笑みを浮かべたまま、一切表情を変えず私を誘った。


「シトリネ教授から今日なら急ぎの実験はないはずと伺ったの。トレーは持ったままで結構よ。着いていらして?」

「…かしこまりました。」


 シトリネ教授に勝手に退路を塞がれていて、チリ、と苛立ちが胸の奥に生まれたけれど、それは顔に笑みを浮かべるのと同時に丁寧に握りつぶしておく。



 マクネアー様とお付きの方(といっても貴族だろうけれど)に先導されて向かったのは、食堂からすぐの庭園にある東屋だった。ここ確か、高位の貴族の方しか使えなかったはず。私の場違い感が尋常ではない。促されるまま、マクネアー様の分だろうランチが用意された席の向かいにトレーを置き腰をおろす。



「直接お話するのは初めてよね?ルチル・ベル・マクネアーよ。ルチルと呼んでもらえたら嬉しいわ。」

「…では、お言葉に甘えまして、ルチル様と……。私はエリザ・アンバーと申します。エリザとお呼びください。」

「エリザ、急に呼んでしまってごめんなさいね。ただ、貴女とは二人でお話したかったの。」

「光栄です。」

「ふふ、難しいでしょうけど、そんなに硬くならないで?」



 それができたら苦労しません!!という叫びはそっと飲み込んで、微笑んでみせる。マクネアー様改めルチル様に促され、少し冷めた定食を口にする。大好きな白身魚のパスタランチなのに、緊張で味が分からない。


 音を立てないように、はしたなくないように、と気を使いつつパスタを口に運ぶ。入学にあたって最低限のマナー講座は受けさせられたけれど、本当に最低限だ。マナーに則ったパスタの食べ方なんて知らない。冷や汗が出る。


 一方のルチル様は小ぶりなステーキを小さく切って上品に召し上がられていた。私たちの声が聞こえるようにか、ルチル様から二歩ほど離れたところに立つお付きの方からの、射殺さんばかりの視線が痛い。連動して胃が痛くなってきた。こんな悲しいランチ、出来ればもう二度としたくない。



「エリザはシトリネ教授とお親しいの?」

「共同で研究しておりますので…恐らく学内では親しくさせていただいてる方ではないかと。」

「そうなの。教授と共同でなんて、凄いことだわ。何の研究を?」

「薬草学です。父の研究を引き継ぎまして、元々父と研究されていたシトリネ教授に教わっております。」

「エリザのお父様というと…。」



「ルイス・アンバーです。五年前の疫病の後遺症で、昨年亡くなりました。」



 私の淡々とした発言に、ルチル様の動きが止まる。今の今まで私を睨んでいたお付きの方も、目を見開いていた。


 ルイス・アンバーは、五年前突如この国で流行した疫病の特効薬を発明した、平民上がりの研究者。薬草学の第一人者として、大体の国民が名前を聞いたことがあるはずだ。ただその父が亡くなったこと、それも特効薬の被検者として治療していた患者から疫病に罹患し、その後遺症で亡くなる一年ほど前から満足に動くことさえ出来なかったのは、ほとんどの人が知らない。


 私がシトリネ教授についているのは、その為だ。父からは教わりたかったことの半分も学べなかった。シトリネ教授なら、知っている。娘を頼みたいと、父はシトリネ教授に手紙を出していたらしい。手紙を出していたことなんて、ここに入学するまで、知らなかったけれど。


「アンバー博士は、亡くなったの?」

「はい。シトリネ教授は、生前の父から私のことを頼まれていたそうです。」

「そう…そう、だったの。」


 ルチル様の顔色は悪い。父の特効薬は、多くの貴族も救ったと聞いているから、もしかすればルチル様の近しい方も、あの疫病にかかったのかもしれない。



「不躾をお許しください。単刀直入にお伺い致します。ルチル様は、私が殿下と特別に親しいとお考えですか?」



 途端、飛んでくる殺気。多分離れた場所にいるルチル様の護衛の方々だろうな、と思いつつ、腰が引けそうになるのをぐっと堪える。椅子に座っていて良かった。へその辺りに力を入れて、ぐっと前を見据える。



「その噂の、真意を聞きたかったの。」

「左様ですか。」

「私も単刀直入に聞くわね。エリザは、殿下のことをどうお考えなの?」

「……まず誤解を正しても?」


 ピリピリとした空気だったけれど、このままじゃ私が無理。耐えられない。そう思って小さく手を挙げてルチル様に提案した。


 ピリッとしていたルチル様も、毒気が抜かれたように目を瞬かせる。まつ毛長いなこの方。美女だな。



「まず第一に、私から殿下にお声がけした事はありません。不敬ですし。第二に、ランチやお茶のお誘いも頂いたことはありますが、特待生としての責務で勉強と研究が忙しいため、全てお断りしています。第三に、以前貴族位のご令嬢方から、殿方に色目を使うなと叱責されましたが、私個人の人付き合いはシトリネ教授はじめ、研究者のみです。クラスメイトすら一対一でお話することも稀です。色目以前の話かと…。」



 話すそばからルチル様から段々と表情が抜けていく。それと同時に、お付きの方の目が驚愕に見開かれていく。美女の無表情、こわい。最後の方は絞り出すような弁解になってしまった。



「話してくれてありがとう。念の為確認なのだけれど…貴女は自分がヒロインだと誰かに言ったことはある?真実の愛に興味は?」

「忌憚なくお答えしても?」

「勿論。」


「真実の愛なんて、どうでもいいですね。」


 私は、研究がしたい。研究するためにここに居る。それ以外どうでもいい。


「そもそも自分がヒロインだなんて、そんな痛々しい考えが許されるのは幼女まででしょう。それに真実の愛なんて言いますけど、今学園で溢れてる噂に関していえば、他人様の婚約者に手を出してそれってただの寝取りですよね。あと私は研究者の端くれなので、愛なんて不確定なもののために人生棒に振れません。」



 ここまで求められてはいないだろうけど、ついつい毒が口からボロボロと。忌憚なく答えて良いって言質頂いたし、許されると信じたい。


 もう、疲れたのだ。私のあずかり知らぬところで勝手にロマンス小説的な流れができてるなら、その流れに便乗したい人達だけでやってほしい。私はそんなのにうつつを抜かすほど暇じゃないし、何なら興味もへったくれもない。思わず重たい溜息を吐く。



「…やっぱり、あの方が諸悪の根源だったのね…。」

「はい?」

「アルマンディン様。あの方よ、噂の出処は別でしょうけど…あの方の言動が一番の原因。」

「えっ…?」


「アルマンディン様は、幼少期から自分が物語の主人公だと思い込んでいらっしゃるの。…多分その延長だわ、今回も。」


「えっ、」

「ああ、この事はあまり言わないでね。わたくしやあの方の側近達はみな知っているのだけれど。」


 え、しか言えない。まさかの、王太子殿下が主人公のおつもり。私、ヒロインって自称していいの幼女までって言っちゃったけど不敬?不敬罪になるかしらこれ。


「大丈夫よ、一般論だもの。」


 心を読まれてしまった。冷や汗流しまくりの私にルチル様が柔らかく微笑む。


「エリザ、わたくしとお友達になりましょう。アンバー博士の研究を継いでらっしゃるのでしょう?わたくし、王妃教育の一環で疫病対策についてまとめているの。力を貸してくれたら嬉しいわ。」

「あ…有難いお話です、ルチル様。」

「わたくし達がお友達なら、エリザへの噂は全部なくせるわ。アルマンディン様の方も、わたくしがどうにかするから任せて頂戴。」

「あっはい。」



 拝啓、天国のお父さん。未来の王妃様が頼もし過ぎてちょっと怖いです。





「アンバーさん、マクネアー様直々にお叱り頂いたのでしょう?よく昨日の今日で出席する気になったわね。」

「殿下のご寵愛があれば公爵家も恐れないと?平民はやけに楽観的なのねえ。」

「ふふ、ご自身の身分も分からないような方では、理解できなかったのかしら?」



 ルチル様とお友達───便宜上かもしれないけれど、になった翌日。食堂で大勢に見守られる中ルチル様と移動した私は、私をよく思わないご令嬢達からすれば鴨が葱を背負った存在に見えるらしい。いつもなら男爵家までの方に囲まれるのだけれど、教室に入ろうとすると同時、伯爵家の方達に囲まれた。


「聞いているの?何とか言いなさいな!」


 どう返したものか。そう悩んでいたが故に一切のリアクションを私がしない事が、ご令嬢方の逆鱗に触れたらしい。貴族の方───中でも成金と言われがちな方々の間で流行っていると昨日ルチル様から教わった、羽根付きの扇子が振りかぶられるのに気付くのに遅れてしまった。


 まずい、そう思って咄嗟に、頭を守るように腕で顔を覆って小さくなる。バシィィ…ンと、人を傷付けるだけのありったけの力を込めたと言わんばかりの音が辺りに響いた。けれど、覚悟していた痛みは、ない。



「───君達は何をしているんだ?」


「でん、か…?」

「ひっ、お怪我を…!」

「誰か先生をお呼びして!」


 はっとして顔を上げると、殿下が私を背に庇うようにして立っていらした。私の方に視線ひとつ寄越さず、目の前のご令嬢を睨みつける殿下。睨まれたご令嬢達は涙目で身を寄せあっている。扇子を振り上げていたご令嬢は、血のついたそれを取り落としへたりこんでいる。


「怪我はないか?エリザ。」

「はっ、はい!」

「この者たちは知り合いか?」

「え、あ…クラスが同じ方々、です。」


 バタバタと慌ただしく、周りは動く。走り寄ってきた側近の方から止血用のタオルを受け取り、殿下は額を押さえる。それにようやく、驚いて止まっていた思考が動き出した。



「もっ申し訳ございません!!私なぞを庇う為にお怪我など…!」

「構わない。エリザに怪我がないなら何よりだ。」


「エリザ!!!!」


 慌てて頭を下げる私に、殿下は穏やかにも見える笑みを浮かべる。そんな、守って当然、みたいな顔、されても。


 二の句の継げない私を、昨日だけで随分聞き慣れた声が呼ぶ。綺麗にまとめられていたはずの髪を乱して、ルチル様が私に駆け寄る。殿下はそっちのけだ。パッと私の両手を取って、荒い息のままルチル様は泣きそうな顔をされた。


「怪我はない?!ああ、こうなるだろう予想はできたのに…だから今日は一緒に登校しましょうってあれほど、」


「───こうなるだろう、とは何だ?ルチル。」


「…あら殿下。いらっしゃいましたの。」

「お前の差し金か?」

「差し金とはなんのことでしょう?」

「質問で返すな。今、エリザが襲われることを知っている口ぶりだったな。あの者達はお前が手配したのか。」

「予想できただけです、あちらはわたくしとは付き合いのない家の方々ですわ。」


 絶対零度の空気感。私に対しては心配を顕に、けれど殿下へは淡々と返すルチル様。


「そもそも大切な友人がトラブルに巻き込まれるのを看過するわけがありませんでしょう。」

「友人だと?!そんな話が、」


「───僭越ながら!!」


 ルチル様からは昨日、ランチ後の別れ際に、友人であるということを周囲に詳らかにしない限り、私がルチル様のご機嫌を損ねたと噂が流れるだろうと説明された。私と話すタイミングがないことに焦って、軽率に連れ出してしまったと謝られたけれど、それは違うと否定した。今朝も念の為一緒に登校しようと誘われたけれど、ルチル様のクラスと私のクラスは離れていて、私のクラスまで送ってくださるというルチル様の優しさが申し訳なさ過ぎて辞退したのだ。今思えば、それを受けていればこんな面倒事にならなかったのに。私の見通しの甘さに吐き気がする。


「僭越ながら、以前よりルチル様を友人と呼ぶ許可を頂いております。殿下のご婚約者様に、平民の友人など分不相応であることは重々承知しておりますが、事実でございます。お互い面倒事に巻き込まれぬようにと、普段学内ではなるべく距離を取らせて頂いておりました。」


 無理やり、殿下とルチル様の言い合いに横入りする形で発言する。勿論不敬と言われかねない行動だけれど致し方ない。助けると、友人にと、仰ってくださったルチル様に報いたかった。


 ルチル様が昨日考えてくださったシナリオを、ほぼノンストップで声高に、でもなるべく淡々と述べる。私の必死の言葉に、殿下は目を丸くし、周囲の人々はそれまでのざわめきが嘘のように静まり返っていた。ルチル様だけが、満面の笑みで頷いてくれる。


「エリザの話は本当です。彼女の研究は、今後の国に必要なもの。王妃様より賜ったわたくしが今後関わる政策に関わるため、それがきっかけで話すようになり、友人となりましたの。」

「で、では、エリザが虐げられているという噂は!先の令嬢達は!!」

「ああ、それは、」



 ───殿下、貴方様のせいですわ。



 ルチル様がとびきり甘い声音で告げる。曰く、殿下が私に興味を示したこと。それも、研究内容ではなく、女としての私に、興味を示したこと。それを側近たちに隠すことなく告げたこと。学内でも私に構い、ルチル様はと、あの娘をどうするのだと質問する貴族令息達を足蹴にし、まるで私を愛妾にでも据えようと画策しているかのようなそぶりを、至る所で見せたこと。


「殿下もご存知でしょう?流行りのロマンス小説。まるでエリザはその主人公のような立ち位置にされてしまった。本人が望んでいないのであれば、単にそれは災厄に巻き込まれたようなものですわ。…エリザ?」

「はい、ルチル様。」

「貴女はヒロインになりたい?真実の愛が欲しい?」


 ルチル様は殿下に向けていた温度のない眼差しを一転させ、悪戯っ子のような笑みを私に向ける。ルチル様は普段、淑女然とした微笑み以外浮かべることがほぼない。だから親しげなその表情に、周りの人々にざわめきが再度広まっていく。私の言った、友人であるというそれは、真実ではないかと。そして、ルチル様の質問。それこそ私をよく思っていなかった令嬢達の疑問そのものだろう。向けられる悪意ある視線は意識の外に、ルチル様としっかり目を合わせた。ニコリと私も笑みを浮かべて、それから殿下にちらりと目線だけ。



「ヒロインの座も王子様も、ましてや真実の愛など勘弁願います。」



 私の発言に、一瞬場の空気が固まった。誰のものとも知れぬ困惑の吐息が漏れる中、ルチル様だけが楽しそうに私の手を取られた。


「どうしたらエリザを揉め事に巻き込まないか考えていたけれど、こうして貴女がハッキリ言ってくれる人で本当に良かったわ。」

「不敬でしたでしょうか?」

「何を言うの。貴女は友人であるわたくしの、一般論である質問に素直に答えただけよ。誰に不敬になるというの。でしょう?」

「確かに。ルチル様の言う通りですね。」


 一般論、と言うルチル様の目は悪戯っ子のよう。片や殿下は、気付けば両手で顔を覆ってしゃがみこんでいらっしゃる。どうしたものか、とルチル様に目線をやれば、放っておけと言わんばかりに首を振られた。


「殿下、もうじきに授業が始まりますわ。」

「……ああ、そうだな。」

「エリザ、またね。近いうちにまたお茶の時間を作りましょう。」

「楽しみにしております。」

「さあ殿下、参りますわよ。」



 ルチル様に促されて、ノロノロと動き出す殿下の背中に、慌ててお礼を述べる。ルチル様が罰されないようにと、そればかりでお礼が遅くなってしまった。騒動の根源が殿下の言動であったとしても助けられたのは事実。深く頭を下げる私に、構わないと片手を上げて軽く返された殿下は、そのままルチル様と廊下の先に消えた。


「アンバー、無事か?」

「…シトリネ教授…。ええ、はい。無事です。」


 ガヤガヤとまだ騒がしい人波を縫って、私の傍まで駆けつけてくれた教授に腕を取られる。このまま授業に出るのは酷だろう、と研究棟へ連れて行かれる。授業担当の教授へは伝達済みとの事だった。


「怪我はないな?」

「はい。殿下に庇っていただきましたので。」

「…そうか。」



「教授、説明してくださいますよね?」



 何か噛んでいるだろう。そう確信を持って教授としっかり目を合わせて、見据える。対する教授は悩むように一度目を伏せた。


「…アンバーなら問題ない、か。念の為言うが、他言無用で頼むぞ。」

「かしこまりました。」


 教授は意を決したように深く息を吐いて話し出してくださった。それはきっと庶民である私など、本来であれば知ることのなかったこと。



 殿下は幼少期から、ルチル様の仰っていたようにご自身を物語の主人公だと信じておられたのだという。ただ同時に、神憑り的な先見の明も持っていらした。幼い殿下の発案で、治水工事が進み───川の氾濫を免れた大雨もあったとか。また殿下は、先の疫病の発生も予言されていたと。ただその特効薬までは分からず、疫病を防ぐことまではできなかったそう。ただ庶民の中から必ず特効薬を発見する学者が現れると、王城の研究者たちと真っ向から対立しながらも譲らなかったのだという。


 その学者とは父のことだ、とすぐに分かった。庶民の出の研究者のうち、特効薬の研究にすぐさま乗り出したのは父だけだったと聞いている。そして、お会いしたことも無いはずの殿下の口利きにより、研究結果はすぐに王城の研究者の目に触れることになり、特効薬の生産ラインが敷かれたのはあっという間だったと。


「殿下は父をご存知だったのでしょうか?」

「いや…俺が博士と共同研究を始めたのは疫病の前からで、その頃は庶民の出の研究者などと言って研究結果が重宝されることもなければ、研究者本人の名が上の目にとまることもなかった。恐らくは知らなかったはずだ。」

「そうですか…。……ん?シトリネ教授、王城の研究者だったので?」

「ああ、そうだ。今はここの教員と二足の草鞋だな。教員に任命されるより昔、博士の研究を知り共同研究を申し入れたんだ。」

「……そんな昔から王城にお勤めだったとは…。」

「言ってなかったか?」

「聞いていません!」


 まあいい、話を戻すぞ。シトリネ教授が手を打つ音につられて、思わず胡乱気な目を向けてしまっていた表情を戻す。


 洪水も、疫病も、殿下の仰った通りになった。だから王家では、殿下のその『自身は主人公である』という発言諸々は、問題視されない事となった。本来であれば、次期王がいつまでも夢見がちでは…と問題になるところ、殿下はその先見の明があり、かつ幼いながら治水工事を率いたその実績から、多少夢見がちなものの、王としての素質に問題なしと判断されたのだという。


「今回の件、殿下はいつもの予言と同じように、『アンバーは殿下を好いており、それをマクネアー嬢が嫉妬から虐げる』…と、アンバーの入学前から話していたらしい。」

「えっ…。」

「殿下の予言は、百発百中とまではいかん。八割五分だがな…とはいえ、精度の高い予言だ。アンバーと関わりの浅い教員達は遅かれ早かれ殿下の予言通りになるんじゃないかと、手が出せなかったのが実情だ。」

「……だから私が訴えてもなかなか改善されなかったと…?」

「アンバーが殿下を慕っていないのは俺が証明出来る。が、マクネアー嬢がどう出るか分からなかった。かのご令嬢は立ち回りが上手いからな。マクネアー嬢をどうにか捕まえて、アンバーの状況を話した。そこからはマクネアー嬢のシナリオだ。」


 マクネアー嬢は、夢見がちな殿下のお守役を陛下から正式に任されているからな。嘆息するシトリネ教授に、ひく、と頬が引き攣るのを感じた。ルチル様、対婚約者とはいえあまりに手馴れたご様子で色々捌いていらっしゃると思えば、それが通常運転だったとは…。今度なにか、ルチル様を労るために私にもできることがないか、お付きの皆様にこっそり伺わなければ。


「昨日、アンバーと話した後に、マクネアー嬢から陛下に、今回の件は殿下の予言は外れたと進言されている。先の人垣にも陛下の手の者がいた、これで一件落着だ。」

「え…?」

「恐らくだが、殿下がアンバーに接触することはもうない。謝罪したい…と仰る可能性はある。予言が絡まなければ真っ直ぐな御人だからな。あと、俺の方で目星のついているアンバーに手を出した令嬢達は、各家での再教育になるだろう。しばらく表には出てこれん。」

「そう、ですか…。」


 事態は収束したと、淡々と説明してくださる教授に、思うような反応ができない。終わったのか、と安堵する気持ちはもちろん。やっとか、と終わったはずなのにどこか苛立つような気持ちも。つまりはぐちゃぐちゃだ。



「───よく、耐えたな。」



 ふわり、と薬液の香りの染み込んだ黒衣に包まれる。大きくて硬い手のひらが、不器用に髪を撫でる体温を感じたらもう駄目だった。涙がボロボロと零れて止まらない。思っていた以上に気を張っていたらしい。


「落ち着いたか?」

「ずびっ……大丈夫です。すみません、お見苦しいところを…。」

「いや、構わん。」

「一応全部これで解決したんですよね?まだしばらくは警戒していた方が良いんでしょうか?」

「アンバーは何も気にしないでいい。研究に集中しなさい。提出する論文もあるだろう。」

「そうですね。わかりました。」


 ふんわりと抱き込まれる温もりが、どうにも居心地がいい。そのまま胸元に甘えたくなる気持ちをグッと堪えて、教授を見上げる。


「ところで教授。慰めていただいた身とはいえ…この体勢は…?」

「何か気になるか?」

「それは勿論。」


 片眉を上げて、何か問題でも?という表情を作る教授に流されるわけにはいかない。ぐ、と教授の胸に置いた手で体を離そうと力を込める───が、動か、ない?


「教授…?」



「虫除けとしてで構わん。口説かせろ。」



「はっ…!?」

「ぶっ!」


 声にならない悲鳴を上げた私に思い切り吹き出した教授の鳩尾を思わず殴る。身悶えながらも笑い転げる教授に、冗談が過ぎます!!と慌てて研究室を後にした。


「───卒業したら、で構わんさ。」


 教授のそんな呟きは、熱くなる頬を隠して走る私の耳には届かなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] テンポがよく楽しかったです [一言] コミカライズ作品から飛んできて 色々な作品を読ませていただいてます ありがとうございます
[気になる点] 睨んでくる部下をほっといて友達にはなりたくないです。
[気になる点] 歳の差が気になって仕方ありません
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