謹啓 読者の皆様へ
謹啓 読者の方々へ
初めまして、私の名前は松倉克史と申します。
今回の作品は、主に、世界史上の戦乱と2014年のSTAP細胞問題、そして、2022年のロシアによるウクライナ侵攻を描いたものであります。(あるいは、2023年に起こったハマスとイスラエルの戦争も含有するかもしれません。)
無論、この作品が出版されたならば、その売上金の一部をそれらの被害に遭われた方々へ「寄付」したいと思います。
何故、僕がこの作品を書いたのか?と問われれば、僕の新聞奨学生時代の同僚にOさんという人がいました。彼は東京理科大学から東京工業大学の大学院に進学し、そして、とある自動車会社に就職しました。
そして、2014年の12月、彼と久し振りに食事を取ったところ、彼はやる気のない口調で開口一番僕にこう言ったのです。
「日本の人口なんて4000万人もいればいいと・・・」
現在の日本の人口が約1億2000万人であることはおそらく中学生以上ならば誰もが知っています。しかし、このOさんの言葉の真意は何なのでしょうか?
これはこのOさんのプライベートなことになりますが、彼は20代後半の頃ある女性と結婚したらしいのですが、数年後にはその人と離婚したらしいのです。
無論、お互い、「新聞奨学生」を経験したのですから、もしも、自分たちに子供ができて、小学校、中学校、高校、そして、専門学校、大学・・・、と上の学校に行けば行くほど「学費」がかかることはわかっています。しかし、だからといって、このOさんの言う通り、日本の人口は「現在の3分の1」でいいということになるのでしょうか?
しかも、このOさんはかつて新聞奨学生時代に言っていたことで、タレントだった飯島愛さんのような生き方ははっきりと嫌いだ、と言っていました。
その飯島愛さんは自身の著書で「堕胎」の経験があると書いていましたが、かつて、このOさんは新聞奨学生時代、「真面目で堅物な性格」であったのに、まさか、このOさんはそういう「飯島愛さん的な価値観」を受け入れ始めたとでも言うのでしょうか?
それに、このOさんだけでなく、僕の知っている複数の人たちが「日本でも世界でも人の数は多すぎる、だから人口は減った方が良い」と、新型コロナウィルスの蔓延の前に言っていたことは事実なのであります。ですから、その人たちの価値観、「人口は減った方が良い」ということは、2022年3月現在、世界中で600万人以上の方々が亡くなりましたが、「それならば、もっとこの新型コロナウィルスで人々は亡くなった方がいい」と考えているのでしょうか?
実は、岩波書店の「世界」という雑誌にも複数のライターが「日本の人口は4000万人ぐらいに落ち着くのではないのか?」と書かれていました。つまり、日本の少子高齢化は20年前、30年前から言われたことなので、そのOさんは何らかの新聞か雑誌を読んで「そういう考え方」をし始めたのだと思います。
しかし、田中芳樹氏の小説作品である銀河英雄伝説でのアニメの主人公、ラインハルト・フォン・ローエングラムの台詞に、「人の命とはそんな単純に数で論ずるべきではない」と言うものがありました。つまり、そのOさんにしても、その「世界」という雑誌にしても、「人の命を単純に数で論じる」という過ちを犯しているのではないか?と、僕自身はそう考えます。
ただ、歌手で俳優のGACKTさんが言うには、「カリスマにはある種狂気が必要だ」と、このOさんがある種異常なことを言ったのは、将来スバル自動車の経営に携わりたいという意志の表れなんでしょうか?
ここで、僕は「新聞奨学生」について触れておきたいと思います。新聞奨学生とはその年の4月にお金を奨学会から借りると、1年間は新聞販売所に所属しないと、奨学金を返したことにならないのです。
だから、1997年の話になりますが、僕はその当時、アニメ・ゲームの専門学校に新聞奨学生として働きながら通っていましたが、その販売所の店長に「僕の胸倉をつかまれた」「殺すぞと脅しを言われた」「不当に多くの仕事を割り当て、且つ、その賃金を支払われなかった」、あるいは、そこの横浜市港北区毎日新聞日吉店販売所のOという当時の店長は、そこの従業員と「あそこの読売新聞販売店の店はあれだけの低賃金で人を使っている」と、信憑性が定かではない話をしていたということが事実としてありましたので、この作品が話題になりましたら、弁護士にこの件を相談したいと思います。
付け加え、これは知り合いの女性と話し合いましたが、先程の新聞販売店の当時のO店長が「新聞販売店は新聞奨学生を労働力としてみなします」という発言と、お盆やお正月に帰省や旅行から帰ってきた子供たちにテレビ局がインタビューをして、その子供たちが「楽しかった」と言った発言は、その女性曰く、この現代社会の「光と闇」を表していると、言われていましたが、世の中、そう簡単に「光と闇」が一緒になることはないと思います。
それから、かつて、童話作家の宮沢賢治が「オツベルと象」というお話の中でオツベルという資本家に白象が言葉巧みに労働をさせられて、しかしながら、白象の食べる食糧を徐々に減らしていき、最後は白象が象の群れに手紙を送り、そのオツベルが象の群れに押し潰されるというお話がありますが、もしかしたら、かつて、新聞奨学生だった僕とO店長の関係が「オツベルと象」の関係に似ていなくもない訳でありまして、僕の前世はあの宮沢賢治と何か縁があったことになるのでしょうか?
但し、お話は変わりますが、このOさんの言うことが全て、「日本の人口なんて・・・」という言葉だけに集約されるのではなく、彼が20代前半の頃、言っていたことに、「社会のシステム化、マニュアル化はどんどん進めるべきだ」と言っていました。
確かに、このOさんの言う通り、インターネット、スマートフォンによる生活のIT化、例えば、買い物時のスマートフォンでの決済、電気・ガス使用料金のインターネットでの閲覧、または銀行の預金通帳を紙面ではなく、スマートフォンで見ませんか?というEメールは僕の携帯電話のメールボックスに何度もやって来ます。
あるいは、彼は自動車業界に所属していますが、僕がそれこそ工業高等専門学校に所属していた頃、ハイブリッドカー、量産された電気自動車、そして自動運転車という車、あるいはチャットGPTなどというAI機器は存在していませんでした。
ただ、例えば、ハイブリッドカー、電気自動車などは「地球の環境に優しい」ということはわかるのですが、僕の作品の中でもその場面を出しましたが、「自動運転車」については、駐車場にある車を駐車させる・・・くらいの技術ならわかりますが、しかし例えば、その自動運転車で東京から大阪まで長距離を運転させる・・・、ということは安全上、問題があるのではないでしょうか?
あるいは新幹線があるのに、リニアモーターカーの開発をさせようとしたり、iPS細胞があるのにSTAP細胞を開発させる・・・。つまり、「その分野の技術はあるのにまたその分野の技術を新しく開発させようとする意志・・・」とは一体何なのでしょうか?
ですから、先程のOさんは、その価値観が「先進的」なことに目が行きすぎて、「自らの子孫を後世に遺す」ことを軽視しているのではないのか?と、僕は思うのです。
ただし、この件はこのOさんのみにあらず、「現代社会」特に「先進国」と呼ばれる国々にかなり多く見られる問題なのだと思います。
つまり、我々人類は特に歴史上、産業革命以降、「技術革新」による、機械工学、電気・電子機器、土木工学、化学、医学、医療などの発展により、我々の生活や保健衛生上の安全は破格的に向上しました。「人生100年時代」などという言葉も毎日のように聞かれます。
しかし、人間、いや人類はどれだけ長生きしても、自らの環境を向上させても、「全知全能」「不老不死」ということはおそらく無理だと思います。
それでも、現代の人類は(確かに、歴史上にあるような大国同士の戦争、階級間の苛烈な衝突、ある国の下での虐殺、宗主国が植民地を搾取する・・・、こういったことは日々のニュースで取り上げられることはなくなりましたが)今までにない画期的なモノを開発するということに関しては、僕からすれば、あまりにも貪欲に「それ」を求めている気がするのです。(この文章を書いていた時は2021年の時であり、2022年になってロシアによるウクライナ侵攻があるとは夢にも思いませんでした。)
例えば、いつか、人類が地球を離れ、月や火星に移住する・・・、そう言った夢物語も「いつか」現実化するかもしれませんが、その実現には長い年月がかかると思います。
それなのに、先程の「自動運転車」や「2030年までに生産する自動車を全て電気自動車にする・・・」とか、歴史的には2500~2000年前の古代ギリシャ、ローマにも文明・文化があったのですから、何故、21世紀の初めにそんなに急いで技術革新を急かす真似をするのでしょうか?
ですから、これから言う話は読者の方々に必ずしも同意してもらえないかもしれませんが、今の所謂、「先進国」と呼ばれる国々に先程のOさんのような考え方をする人が沢山出てきたからこそ、「新型コロナウイルス」のような病気が蔓延するのではないのか?と僕は考えています。それに、暗殺された安倍晋三元首相が言った通り、この新型コロナウイルスに罹患して、亡くなる方々は高齢の方や基礎疾患を持っている人が多いと聞きます。
「Oさんのような人々がそういう考え方をするから・・・」というのは、そんなの迷信だと、考えられる方々も沢山おられるかもしれませんが、「旧約聖書」の一説に、「バベルの塔」の物語は「人類が塔をつくり神に挑戦しようとしたので、神は塔を崩し、その後、人類は違う言語を話し始めて世界各国に散らばることになった・・・」ということが定説となっていますが、バベルの塔の物語は世界にさまざまな言語が存在する理由を説明するための物語であると考えられていますが、それだけでなく、同時に「石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを」用いたという記述から、古代における技術革新について述べ、人類の科学技術の過信に対する神の戒めについて語ったという解釈もあるのです。
つまり、2020年の新型コロナウイルスの蔓延は、人類が科学技術をどんどん進歩させれば、「全知全能」「不老不死」なれるという傲慢な考え方が旧約聖書のバベルの塔のように、神ないし、何らかの者が人類に警告を発したものと考えられなくはないでしょうか?そしてまた、この新型コロナウイルス蔓延の時期が過ぎても、先程のOさんのような考え方をし続ければ、また、新たなる「災い」が人類を襲う可能性があると思います。
但し、これは皆さんの知っている方、ニューハーフタレントのはるな愛さんの高校生時代のエピソードらしいですが、はるな愛さんが父親の方に対して、「私はどうしても女としての人生を歩みたい・・・」と言ったらしいですが、それに倣えば、僕としてはその考えを改めて欲しいとは思いますが、Oさんの方が、「私はどうしてもそう思う」と言うならば、それはそれで仕方がないことだと思うのです。
ですが、一刻も早い新型コロナウイルスの蔓延の終息を願うのは誰でも同じだと思うのです。ですから、世界各国は新型コロナウィルスのワクチン開発、接種を急いでいますが、それも確かに大事なことですが、早めに「集団免疫」を獲得する方法を模索すべきだと思います。
ここで、僕個人の性格をお話ししたいとおもいます。僕は子供の頃から、漫画、アニメ、そして、TVゲームに深く興味を示す、「オタク少年」でした。だから、良く言われることに、「オタクの人たちは現実と空想の区別がつかない・・・」と、言われることですが、ですから、今日、「コロナ禍」という言葉を毎日のように聞くこの頃ですが、まさか、この新型コロナウィルスの蔓延が、「ドラえもんの出す道具でなんとかする」「世界中に散らばる7つのドラゴンボールを集めて神龍を呼び、願いを叶えてもらう」あるいは「機動戦士ガンダム」のメッセージである「ニュータイプ論、つまり、人類がニュータイプに進化すれば、新型コロナウィルスへの感染、ロシアによるウクライナ侵攻も無くなる」という風に、現実がアニメチックに、ドラマチックに変わっていく・・・、ということは決して現実では起きないと思いますので、つまり、歴史上において、その歴史で活躍した大半の人たちは「現実」を変える為に日々コツコツ努力したように、先程の話とかぶりますが、新型コロナウィルスの感染者・死者も何らかの努力でコツコツと減らし、そして、ロシアによるウクライナ侵攻、パレスチナ問題にも何らかの形で「平和」を模索し、先程出てきたOさんも、自分で、「私は気難しい性格です」と言っていましたので、そういう「気難しいOさん」のような人たちにも、「結婚(再婚)して子供を設けるのは悪くない選択肢である」と、あるいは、「日本でも世界でも人の数は多すぎる」と言っている人は、「現代社会はエゴイズムが支配する時代となった」と言ってましたが、僕からすれば、「心が荒んでいる」人たちが、そう主張する人々が多いと僕は感じましたので、「たとえ、結婚、再婚しなくても、何らかの生きがい(スポーツや動物を保護するとか)を持つべきだと、コツコツと言っていかなければならないと思うのです。
第2に、僕の家庭環境についてお話ししたいと思います。僕の両親は新潟県上越地方で零細なクリーニング業を営んでいました。そして、僕には11歳年上の兄と7歳年上の姉がいます。
そして、35年以上も前のことになりますが、兄は20歳の頃、1歳年上の女性と結婚し、2人の男児の父となりました。
・・・このことは後に、「松倉家」に暗い影?を落とす契機となった出来事なのであります。
・・・僕の兄は10年以上も前に「その相手の女性」と離婚していますが、それは兄のプライベートなことになるので、敢えて深く言及しませんが、実は、10年ぐらい前から僕は「生活保護とアルバイト」で生計を立てていくことを知ると、僕の兄は、「生活保護なんて人の恩で生きていくことだ」と、僕を非難しましたが、実は2017年に知り合いの女性と僕が作家になったら「結婚する」という話を軽々しくしてしまい、その女性と喧嘩になってしまい、僕とその女性で「小説で難しい話題やおどろおどろしい話題をネタにすることは止めて、松倉家のことは4人(兄とその息子たちと僕)でなんとかやっていこう」と、僕が言ったところ、兄の方は「そんなことより、自分自身を確立させるんだ」としか言いませんでした。
そして、僕の兄にそういう主旨の手紙を知り合いの女性が兄に対して出すと、「私の息子たちにも生活ってのがある、他人がどうのこうの言うのは無礼ではないのかと?」僕に電話で激怒しながら答えてきました。
それ以降、この話は兄と進んでいません。
また、このお話も細かい箇所なのですが、自分の住んでいる市から生活保護を受給する代わりに、ある精神科病院の通院を月1回、受診するように勧められたのですが、そこの病院の僕の担当の女性の医師の方は、「今後のことはご家族で話し合われたらどうですか?」と勧めてこられました。しかし、兄の方は・・・。
つまり、最近では、細かい話ですが、僕の住んでいるアパートに「契約更新」の書類が来ると、兄はそのアパートの連帯保証人だったのですが、そのアパートの連帯保証人になる為の書類も、自分の住んでいる役所に取りに行きたくないから、連帯保証人も辞めると言い始めて、つまり、「家族の為に面倒なことは一切したくない」と言っているのが、僕と兄の現在の関係なのです。
そして、この兄との話がこじれている証拠として、僕は東京都の多摩地区のある都市の図書館で女性のI さんという、このI さんは上智大学を卒業されて、出版社勤務を経て予備校の講師をされているのですが、さる2017年に、このIさんと僕が些細なことで喧嘩をしてしまい、この女性のI さんも僕の兄に対し、「スキャンダラスな小説を書くことより、ご家族で力を合わせて家の運営をされたらどうですか?」という趣旨の手紙を僕の兄に対して送ったのですが、この手紙を読んだ兄は僕に激怒して繰り返しますが、こう言いました。
「私の息子たちだって生活というものがある。他人が自分の息子たちにどうのこうの言うのは「無礼」ではないのか?」と電話で答えてきました。
この兄の言葉を拡大解釈すれば、「たとえ、もしも、その息子たちがオウム真理教の後継団体である「アレフ」「ひかりの輪」、アルカイダ、イスラム国、ハマス、ヒズボラのような反民主主義、反自由主義、反資本主義を標榜する組織に所属しても、「他人」がどうのこうの言うことではない」ということになり、また、その兄の口調は例えば、現在その「ひかりの輪」を率いている上祐史浩氏はかつて、オウム真理教の幹部だった頃、「ああ言えば上祐」とあだ名されていましたし、あるいは、アルカイダ、タリバン、イスラム国に所属する男たちも、カメラの前で、「我々は敢然とアメリカ合衆国のような資本主義国と戦う覚悟がある」と毅然と言い切っています。つまり、ある英語の先生も言っていましたが、「男はプライドの塊」と、つまり、その時の兄の口調はそういう「全体からすれば少数派」の意見・主張をする者でも、「プライド」がある。と言うような口ぶりでした。
だから、兄に対して言うことは、この日本という国は世界でも屈指の「先進国」なのですから、当然、各方面での「自由競争」は厳しいです。ならば、「イスラム国」のような暴力的な国家・組織に入るのは決していけないことだと思いますが、「北朝鮮」「キューバ」などの社会主義国は現在でも存続しているのですから、兄やその息子たちが「先進的」なことについていけないのなら、そういう「社会主義計画経済」の国々に行けばいいと、勝手ながら思う訳です。
それから、現在、ロシア連邦とウクライナ共和国が戦っていますが、かつて、両国は「ソヴィエト連邦」という社会主義国家でした。
しかも、僕の故郷の冬は日本屈指の豪雪地帯で、僕は時間のある時にお正月や2月上旬には両親の実家の「雪下ろし」を手伝っていたのも事実であります。
しかし、兄の方は豪雪の時期に両親に電話をするだけで、実際に「雪下ろし」などの手伝いは一切しませんでした。これは歴史上の話になりますが、1930年初め、あのドイツでナチスが台頭した頃、ドイツはヴェルサイユ条約の苛酷な賠償金や世界恐慌で当時のワイマール共和国は荒廃していました。
あのアドルフ・ヒトラーの率いるナチスドイツは周辺の諸国に大規模な戦争を仕掛けた。あるいは、ユダヤ人のような少数民族を大量に虐殺した・・・。そのことでナチスを全面否定する人もいるかもしれませんが、しかし、ナチスは当時のドイツを大規模な公共事業で失業者を減らすだけでなく、国民を鼓舞するプロパガンダ映画も制作しています。その中に「言葉と実行」という題名の映画があります。
つまり、その女性のI さんが言っていましたが、「あの小保方晴子さんは言葉だけの人・・・」と評していましたが、誰だって、「実行」(努力)なんてする必要がなければしない。言葉で済まされるならば、それで済ましたい・・・。つまり、兄の方も、こういう言い方はなんですが、「口先」だけで物事をこなそうとしているのです。
つまり、もっと詳しく説明すると、この兄を船の船長に例えると、「船」であれば、いつか船旅を終えて、港に着かないといけません。しかし、兄の行動はその「松倉家」という船が太平洋や大西洋の真ん中にいるとすると、やれ東側に行けば、海が時化ているから行きたくない、西側に行けば嵐が迫っているからそっちにも行きたくない・・・、こんなことを続けていれば、「船」はいつか食糧や燃料が尽きて船員皆が死んでしまう・・・、ことになりかねないのです。つまり、僕が察するに、僕の兄や兄の息子たちは「特に努力もせず、何となく生きていれば、何らかの幸運に巡り合える・・・」と、考えているのではないか?思います。
はっきり言えば、この兄は「船長(家長)失格」なのです。
それから、最近、この兄と電話で話し合った結果、どうやら、僕の兄は、(兄の子供は息子2人ですが)男女産み分けで女児を人工的に産みだす、あるいは、今の時代、皆が皆、自分勝手な思考をするところがありますが、それで、ロシア連邦のプーチン政権がウクライナとの戦争を始め、且つ、国内で多産を奨励する・・・、と言うような難しい話は聞きたくないようありまして、つまり、この僕の兄は高卒で大卒でもないのに、はっきり言えば、危険、汚い、きつい仕事を否定して、まるでジャニーズ事務所(現・SMILE-UP.)に所属する芸能人のようなスタンスで物を話すのです。(最近のジャニーズ事務所(SMILE-UP.)に所属する芸能人の方には高学歴の方々もいますが・・・。)
そして、実は2023年の春に僕の母親が尿路感染症という病気で入院し、その後、僕の両親は実家を離れ、別々の老人ホームで暮らすことになりました。
それで、僕の兄と実家の「解体」についての話し合いになりましたが、その「資金」をどこから出すのか?ということが問題になり、そこでも、僕の兄は子供(つまり、僕の両親からすれば兄と姉、僕は子供になりますから、両親の負の遺産を相続する義務が出てきますが、兄の言動を推測すると、僕の両親にとっての孫(つまり、兄の息子たち)には祖父、祖母の負の遺産を相続する義務はないというような言動なのです。)
だから、僕の両親の実家を「解体」する費用は僕の兄は兄の息子たちと一緒に費用を出そうという話にはなっていないのです。
それで、僕の兄はどうやら自分の息子たちが「一生懸命に働いて月20万円を稼ぐことを拒絶している」あるいはのらりくらり「その日暮らし」しかしていない事実をひた隠しにしているようなのであります。
僕の知り合いのIさんは医師で政治家だった徳田虎雄さんの「命だけは平等だ」という言葉は真実であると言っていました。
・・・インターネットなどで「自殺」が良くない理由として、命は単独で作ることができないからという理由らしいですが、生物学的に言えば、男性の精子と女性の卵で受精卵ができますが、だとしたら、「命だけは平等だ」という女性的真理だけでなく、(特に男性は)学校や職場で競争、闘争に勝つという男性的真理もまた正しいことだと思います。
因みに、兄の長男は小学校、中学校時代、不登校を繰り返していたので、特に「競争に強いのか?」ということが僕には疑問・心配であります。
あるいは、「男女産み分け」の「男女」でいえば、兄の息子たちは成人した一応は立派な「男子」な訳ですから、しかし、それでも、松倉家の為に働くことを拒絶しているのならば、鎌倉、室町、戦国、安土桃山、江戸時代という所謂「封建時代」ならば、「家」の為に戦う、働くこともできないのならば、武士の時代で言えば、「切腹」「打ち首」に処されても仕方がないことに思われます。
この点、あの小保方晴子さんは女(性)だから、あれだけの失態を演じても許されたのかもしれません。
ある産婦人科医が性別は「運命」であると言っていましたが、これに関しては後で述べたいと思います。
ここで話題は変わりますが、かれこれ、あの東日本大震災が起きた少し前、僕の家庭内で「問題」が起こり、僕が自死して人生をやり直したいとのメッセージを女性のIさんに言ったところ・・・。
しかし、先程の女性のI さんは、再三、僕に対し、「あなたが若死に固執するのは死生観の問題ではなく、死者を利用したマスターベーションです」と叱られました。
それに、僕は日本大学文理学部の学生でありました。ということはつまり、この大学の学費を僕と女性のIさんで殆ど払ったわけでありまして、そして、その女性のIさんは結婚の経験がありますが、自らの子供はいません。しかし、先程、Oさんの価値観を僕は批判的に言いましたが、この女性のI さんのような方に世話になった以上、人間社会の複雑さはちゃんと理解しなければならないことだと思います。
それから、このⅠさんは上智大学出身なのですが、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、上智大学はカトリック修道会イエズス会が設立した大学です。
カトリックではかつては、(現在はどうか知りませんが、)自殺は殺人と同じ罪であったとみなされました。
それに、僕が日本大学で学んだ「社会学」でその教科書にカトリックはプロテスタントよりも、共同体としての人々を強く結びつけている為、自殺を抑止する力がある。と書かれていました。
しかも、僕はこの女性のIさんの言う「たとえ、専制政治か民主政治、資本主義でも、社会主義でも、人口が増えるべきだ、あるいは、人口が減るべきだ、どちらの考え方でも、人に優しく接しなければならない」、との言動に影響を受けました。僕からすれば、「どの様な考え方でも、エゴイズムに走るのは良くない」ということになります。
しかし、人によっては「人間なんていっぱいいるから減った方がエコロジーの為だ」あるいは、それとは逆に「松倉君も子供を作ったらどうか?」と、ある種人間の生命に対し、乱暴な言動がある人たちもいるのです。だから、あのドイツの独裁者、アドルフ・ヒトラーの行った戦争や虐殺に比べれば、エゴイズムは悪くないと考える人もいると思うので、これらのことに関しては議論や熟考が必要だと思います。
ただ、史実としては、20世紀前半に活躍したドイツの化学者、フリッツ・ハーバー、カール・ボッシュによるアンモニアの工業的製法が大量の化学肥料を生産し、その後の人類の人口爆発につながった事実は否定できません。
それに、ここで皆さまに考えて頂きたいのは、日本や中国、韓国、ヨーロッパ諸国は人口減少、少子高齢化社会と言われていますが、アフリカのニジェール、マリ、チャド、ブルキナファソという国々は出生率が5.0~6.0という高さで国の人口が爆発的に増えているという新聞記事を読みました。
こういう「人類の多様性」は実際に自分がその地に行って、価値観の違いを体験したいと思います。
・・・しかし、ここで読者の皆さんに一つ考えて欲しいことがあります。先程私は、そのOさんが「先進的なことに目が行き過ぎている」と彼を批判したところがあるのに、これから大いに矛盾したことを書きたいと思います。
自分の作品でも触れましたが、自然の出生比では、男:105に対し、女:100、つまり、男の方が女より少し多く生まれます。
これは、自分の家族のことになりますが、僕の母親の兄に当たる人の子供が男2人で、僕の兄と同じ家族構成です。僕の父親が言うには、その母親の兄の子供の長男はやや知的障害がある人らしいのですが、実はその人は数年間に人家に干してあった女性の下着を盗もうとして、警察に逮捕されたらしいのです。
それから、僕の兄の次男は数年前に外国でアルバイト中に乗っている自転車と自動車が接触し、顔をケガしてその顎を何針か縫ったらしいのです・・・。
・・・ですから、僕は思ったのです、はるな愛さんのように「男の体を女にする」ことでは、出産は今の科学ではできません。それゆえ、初めから「女児」を出産することはできないのか?と、それはどうやら、「男女産み分け」という技術を使えば、理論上、それができれば、「出生比」は完全に1:1になります。
しかし、かつて僕が三鷹市に住んでいたアパートの大家さんのコネクションで創価学会という宗教を篤く信仰するHさんという現在40代前半の人に知り合うことになったのですが、彼は僕がその「男女産み分け」の話をしたら、こう言ってきたのです。
「「男女産み分け」を導入すれば、性比は圧倒的に男に偏る」と言ってきたのです。
一体、このHさんの言動は何なのでしょうか?例えば、先程のOさんの言った「日本の人口なんて・・・」ということは、「日本国民皆が同意すれば」それはそれで仕方がないです。しかし、この橋口さんも自然の「出生比」では男が少し多く生まれることはわかっている筈です。この彼の言動は彼の心中にある、「男」が家庭にお金を持って行くのだから、当然のように「権力・権威・父権」というものを重視し過ぎる考え(つまり、超保守主義的、今時な言い方で言えば極右的な考え方)がそこに反映されているのではないでしょうか?
あるいは、僕の大学時代の知り合いの方が、「社会の理想と一個人の理想は常に一致せず、個人には個人の思惑があり、その総体としての社会が存在するので、市民の自由が重視される現在にて、国家からバランスを取る為にあなたは男の子(ないし女の子)を産みなさいと言われて、ハイそうですか、となる事態は(その人が言うには)想像がしにくいです」とのコメントを頂きました。
しかし、何度も言う通り、僕の兄が「家族の為に思慮を巡らせる」ということを全く拒絶している以上、その兄の息子たちも、先程言ったような反社会的団体や反社会的行為に関心を持つ、あるいは、京都アニメーションのスタジオにガソリンを使って放火した青葉真司被告、あるいは、青葉真司被告とはちょっと違いますが、安倍晋三元首相を銃撃した山上徹也被告のような自暴自棄な行動をしないだろうか?と僕は危惧しています。
更に、このHさんは、数年前に僕が「男女産み分け」で女児を増やして結婚できない男性の数を減らそうと言ったら、このHさんは「そんなことは考えずに松倉さんも自分の結婚相手を探せばいいではないですか?」と、答えてくれました。
そのHさんの言うことを僕は全面的に否定する訳ではありませんが、極めて特異な例ですが、あのオウム真理教の教祖、麻原彰晃、アメリカ合衆国の人民寺院のリーダーであったジム・ジョーンズ、彼らのように所謂「カルト」の教祖になって、意味不明の宗教用語や出鱈目なことを上手く信者に伝えて、お布施を沢山出させて、それで「富と権力」を手に入れて、それで、自分の妻や妾?を傍に置くことも、人によってはできるのであります。
だから、このHさんの「危惧」もわからないでもないですが、今度同じことを私に言うならば、金輪際、このHさんとはきっぱり縁を切りたいと思います。
あるいは、性別が「運命」だと言うのならば、先程封建時代の武士の切腹、打ち首について言及しましたが、ロシア軍とウクライナ軍、あるいは、ハマスとイスラエル軍が前線で戦う兵士たちも殆ど男性だと思います。それも、「男」に産まれた運命として殺し合いに参加しなければならないのでしょうか?
また、これは漫画作品になりますが、「ジョジョの奇妙な冒険」という作品に「石仮面」という仮面が出てきますが、この「石仮面」を被って、血を付ければ、その石仮面をかぶった者は不老不死の吸血鬼になるという設定があります・・・。これは漫画の中のフィクションですが、例えば、「臓器移植」はどこの国でも盛んに行われていますが、AさんからBさんの体へ臓器移植した「臓器」は永遠にAさんの物です。
しかし、あの山中伸弥教授の発見したiPS細胞を培養して臓器移植した臓器にBさんのiPS細胞を注入すれば、その臓器はBさんの物になると思われるのです。これは再生医療の分野に全く素人の自分が言うことではないかもしれませんが・・・。
つまり、Aさんが70歳、Bさんが30歳だと仮定すると、AさんからBさんに臓器移植した「臓器」はBさんのiPS細胞を注入すれば、Bさんの年齢まで若返ることが可能ではないのか?と、自分個人の憶測ですが、そう考えております。
但し、これは僕が日本大学文理学部で「憲法」の授業をされている石川晃司先生から習った時、石川先生が、「憲法で学問の自由が認められていても、大量殺戮兵器の開発や人間の遺伝子を操作するようなことは慎重を要する必要がある」と言われていましたが、例えば、人間(哺乳類)の出生率は男:105、女:100ぐらいであれば、当然、若い世代は男の方が少し、あるいは(かなり)余ります。
2022年の2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まりましたが、前線で戦う兵士の大半は男性の兵士でありまして、この石川晃司先生は多分「私はロシアによるウクライナ侵攻、ハマスのイスラエルに対するテロ攻撃に反対する」という意見でしょうが、この矛盾(性比の関係で若い男が余り、中には戦場で死傷する男性も沢山いるということ)をどう考えるのでしょうか?
だから、人間(人類)がどれだけ政治システム、経済システム、社会システム、あるいは科学技術を発達させても、完全な理想郷を創り出すことは不可能なことだと僕は思います。
それでは、突然話題を変えますが、僕の作品は「世界史上の戦乱」も扱っていますが、今まで、40数年間、大体、この日本で暮らしていますが、この「新型コロナウイルス」の蔓延で今の日本の現状が世界の各国と比べて、長所・短所が分かってきたとことがあると思います。
現在の日本の長所としては、今の日本人は国民の「健康・福祉・衛生・生活環境」にとても気を使い、それで、この新型コロナウィルスの世界的蔓延でも、感染者・死者が他の国々に比べて、驚異的に少ないことは賞賛に値すると思います。あるいはLGBTQのような性的少数者の人たちを差別しない、一人一人の「生き方」を尊重するとか・・・、それも良いことだと思います。
しかし、短所としては、それこそこの新型コロナウィルスによる肺炎で亡くなったテレビタレントの志村けんさんは、芸能界であれだけの成功を収めながら、70歳の生涯の中で、一度も結婚をされなかったということは、単なる「世間話」で終わらせていいのでしょうか?
あの志村けんさんの「芸風」として、マルチな芸風で知られるあのビートたけしさんのように、「政治家を招いてのテレビ番組」、あるいは、暴力シーンの多い映画などには出演されていません。それだけ、志村けんさんは浮沈みの激しい芸能界で、「優しい人」を演じ続けたられたのかもしれません・・・。
しかし、「世界史」の教科書の冒頭にこんなことが書かれています。
「我々人間の営みは、個人や家についても国家や世界や文化に関しても時の流れと共に変化する歴史の中で理解することが大切である」と書かれています。つまり、万物は流転する。変化の起きない物は何一つないということであります。
ですから、志村けんさんが平和な日本の中で「万人皆が楽しめる娯楽」「あるいはいつまでも続く楽しい夏休みや冬休み」を表現し、それを考えた方であっても、時の流れと共に、その肉体が衰えていったのは仕方がないことであり、それだからこそ、全体として子孫を遺さねばならない理由でもあると思います。この「子孫を遺す」ということを今の日本人は互いに「タブー視」しているのが短所と言えば短所かもしれません。
そう言った考え方の対照的な国家として、現在のロシア連邦は、国民に愛国心教育を促し、先程のLGBTQのような性的少数者を否定して、子供をたくさん産んだ女性には勲章を授け、且つ報奨金を与える、という、所謂「先進国」の価値観とは別の方向へ国家のベクトルを向けていると僕は感じました。
最後に、この日本は第2次世界大戦、太平洋戦争から75年以上が過ぎました。
その間、政界、官界、財界の偉い人たちが「民主主義、平和主義、資本主義」という大前提の下、文化芸術、そして科学技術も発展していったのは事実であります。
その現在、ある人たちは「先進的なことより自分たちの子孫を育てる」ことの方が大切だと言っていますが、反対に「少子化・人口減少社会のことなんて考えなくていいから、とにかく、先進的なことをするのが先決である」という人たちも出て来てもそれはそれで仕方がないというか、むしろ当然であって、先程の「大前提」の中で、「一個人が何を重視するか?」は人によってわからなくなっているのです。(確かに、例外として、先程のiPS細胞を発見した山中伸弥教授は結婚されて2児の父になられましたが、この方の成したことは奇跡的な業績であって市井の人が真似できることでは決してできないと思います。)
ですから、何度も言う通り、Oさんの言う「日本の人口なんて4000万人もいればいい」というのは些か極端な意見だと思いますが、さりとて、何事にもお金がかかる世の中、容易に日本なら日本の人口が増えればいいという訳ではないと思います。
同時に、先程のHさんの言うような「男女産み分け」をすれば、性比は圧倒的に男子に偏る・・・、なんてことになることなく、なるべく、(僕個人の意見ですが)人工的に女児を少しでも増やすのは悪くないと勝手ながら思います。
あるいは、若い時のOさんの言った「社会のシステム化・マニュアル化はどんどんすべきだと・・・」自分自身、社会の変化のスピードが速すぎる感じがしないでもないですが、このシステム化・マニュアル化する国家・社会に遅れずについていかなければならないと思います。
それから、現在の岸田文雄首相や小池百合子東京都知事のような人口1億を超える日本国民、1千万を超える東京都民の安全を守る立場として、確かに、新型コロナウィルスの感染者や死者をなるべく防がなければならないのはわかりますが、その為の緊急事態発令に飲食店の時短要請をすれば、それはそれで飲食店の売上に悪影響を及ぼすことを考えなければなりませんし、ですから、「政治家」は新型コロナウィルスの感染に対応する現場の医師・看護師ではないのですから、その問題だけでなく、「社会主義的政策か資本主義的政策か」また、「人口は増えるべきか、維持するべきか、はたまた減った方がいいのか?」細かく言えば、教育、雇用、福祉、外交、ジェンダー・・・、それらの問題を総合的に、また両面の意見を鑑みて、なるべく多くの人々が同意できる道を模索していかなければならないと思うのです。
つけ加えるならば、アメリカ合衆国のジョージ・W・ブッシュ元大統領は、それらのことに加えて、「9/11対テロ戦争、イラク戦争」の指揮まで執ったことは事実であります。
そして、アメリカ合衆国大統領選挙と言えば、2020年に当時現職だったドナルド・J・トランプ氏がジョセフ・ロビネット・バイデン・Jr大統領に敗北したのはこの「新型コロナウイルス」の対策を誤ったからとの見方があります。ですから、政治家が「新型コロナウイルス」の対策をしないでいいなんてこと僕は決して言うつもりはありません。
しかし、2018年11月に東京地検に逮捕されたものの、かつてのカルロス・ゴーン・ビシャラ日産自動車・ルノー会長は「少数の犠牲を持って大多数を助ける」と、「日産リバイバルプラン」を計画し、実行しました。それは多くの日産自動車の社員に支持されたものだったと思います。
ですから、今の政治家・指導者に「いつかはこの新型コロナウィルスの感染者・死者をゼロにする努力をしなければならないと思いますが、現時点ではその感染者・死者をゼロにすることはできないと思います。それでも、この新型コロナウィルスのワクチン接種を奨励し、且つ、各々の経済活動、技術革新、あるいは少子化対策をやっていかねばならない」と言うことはできないのでしょうか?
無論、僕の言っていることが100%正しいものであるかどうかはわかりません。例えば、ロシア連邦大統領、ウラジミール・ウラジミロビッチ・プーチン氏はどうやら「ウクライナ侵攻の犠牲を払っても、ロシア連邦の地位を向上させる」という考え方の様であります。
また、これは与太話として聞いて欲しくないのですが、2004年にエンターブレインという出版社の佐藤康男さん(当時31歳位)という人と私は話し合ったことがあるのですが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の時、当時のブッシュ大統領が、「世界中の人々は我々に付くか、もしくはテロリストの側に付くか、判断しなければならない」と言ったことを僕が言うと、その佐藤康男さんは「それはブッシュ個人が言ったことで私はどちら側にも付きたくない」と言っていました。その件に関しては、個人には主義・思想の自由があるのですから、佐藤さんの考えを尊重しますが、その後の彼の発言、「そんなブッシュの発言を覚えている人は日本国民の1億2千万人中、1千万人ぐらいだ」と言っていました。それは彼(佐藤康男さん)が「物事を軽く考えている」証拠ではないでしょうか?
つまり、現在、アフガニスタンの統治はかつて9/11テロ事件を実行したアルカイダを擁護したタリバンが政権につきました。そのタリバンが政権に就いたことの善悪を僕はここで名言しません。
だから、その佐藤さんは僕が先程のOさんの件を話したら、「彼が40代後半、50歳を過ぎて再婚するんじゃないの?」と簡単に決めつけるのでしょうか?つまり、国々の歴史や一人一人の人生は決して容易な、安易なものに収束する訳ではないと僕は思います。
それから、これはYouTubeでみたことなのですが、先程のタレントの志村けんさんの死去のニュースで、そのYouTubeのコメントで「新元号令和に入って暗いニュースばかりだ」というものがありましたが、先程も言った通り、戦後75年以上が経った中で、今までにない活躍をするスポーツ選手、今までにない文化芸術作品、今までにない科学技術が生み出される、今までにない科学的・文化的発見・・・、ということは多くあったわけです。
確かに、その人の言う通り、この「令和」の時代に入って、京都アニメーションの放火事件、新型コロナウィルスによるタレント・志村けんさん、女優の岡江久美子さんの死去、そして、芸能人の方々の相次ぐ自死・自殺と、そして、ロシアによるウクライナ侵攻、ハマスとイスラエルの戦争・・・、暗いニュースばかりが伝わっている気がしないでもないです。
ここで、日本の高校野球の歴史と自分の目指す目標にリンクさせたお話をさせて下さい。2022年の夏の甲子園で仙台育英高校が107年、108年の歳月をかけて優勝旗を東北地方に持ってきた快挙でわかったことは、大業、偉業を成すには途方もない時間がかかることがわかりました。NHKラジオ第2の番組の「お話でてこい」でも、台湾の昔話で「その昔、太陽が2つあった時代があって、人々は暑くてしょうがないから、5人の男たちは背中に赤ん坊を背負って遠い旅に出かけ、それで、やっと長い年月をかけて太陽を射落とした・・・」というお話がありました。
例外的なエピソードとして、歌手の安室奈美恵さんは貧しい家庭から一気に大スターへの階段を駆け上りましたが、1999年3月に実の母親の方を殺害される事件に遭遇しています。
それで、お話は高校野球に戻りますが、2023年の夏の甲子園では慶応義塾高校が107年ぶりに優勝しましたが、107年、108年は一般の人間が生きられる年月ではないので、2023年に慶応義塾高校で優勝したメンバーには1916年に高校野球で優勝したメンバーの生まれ変わりがいるのでは?と、僕は推測しています。
つまり、先程僕が男女産み分けで男と女の性比を完全に1:1にという話は、僕個人は人工的に女児を産みだすのは悪くないと思っていますが、先程のHさんのように「中途半端な男尊女卑主義者」もいるので、多くの人々が「それ」を理解するには、この先何十年もかかる恐れがあります。僕は現在40代後半なので、おそらく50年後には生きていないでしょうし、「人生は一度きり」と考える人たちもいますが、この件はもしかしたら、僕が後世に生まれ変わっても、やらなければならないことと考えています。
まとめますが、この「令和」の時代に「今までにない画期的な事業」をやるのは並大抵の努力ではできないと思います。僕の方も、皆さんに「なるべくいいニュース」を届けられるように頑張ります。
以上が長くなりましたが、この作品の僕のメッセージであります。