【8】
翌日。洋館で鏡を覗き込んだ瑠衣はぱぁっと顔色を明るくした。
「すごい! 肌荒れマシなってる! 二重あごじゃなくなった!」
「……劇的な変化はなし、と」
「うっ……」
密の的確なツッコミについ言葉に詰まってしまう。それでも瑠衣は必死に主張した。
「こ、これでも少しは理想像に近づけたんだよ! 清覧さんのおかげだよ!」
「…………」
「ねえ、今日も清覧さん来る?」
その名前が出たとたん、密は苦虫を嚙み潰したような顔をした。よほど清覧と相性が悪いんだな、と瑠衣はそう解釈する。
噂をすればなんとやらで、ちょうど衣裳部屋のドアが開いた。
「ちょりーっす! 本日も君の王子様が参上しましたよー」
「私もー」
デス子さんも入ってきて、部屋の中が一気ににぎやかになった。
「瑠衣ちゃん、今日もかわいいね!」
「そ、そう? ドゥフフ……」
あいさつ代わりに褒められて、照れたようにうつむく瑠衣。対して、密はますます渋い顔をする。
「今日はなにしてアゲてくのー?」
清覧の言葉に、密はふいっと横を向いて答えた。
「こいつのイケてないファッションセンスをどうにかする」
「あら、ファッションショーね、素敵!」
手をたたいて笑顔のデス子さんも乗り気だ。しかし瑠衣は一抹の不安を抱いた。
ファッションセンス。今着ている制服の着こなしはたしかにダサい。ひざ丈スカートに白のハイソックス、一番上まできっちり止めたブラウスにブレザー。だらしなくぶら下がったリボンタイ。
そもそも私服だって満足に買ったことがないのだ、今更ファッションセンスがどうのなどと言われても困る。
「服はそいつを飾る額縁だ。額縁がよけりゃ多少マズい絵でも映えて見える」
あんまりなことを言いながら、密はがらがらとキャスター付きのハンガーラックを引っ張ってきた。かなりたくさんの服がかかっている。
「おい、試しに自分で選んでみろ」
「えっ、私ですか!?」
急に水を向けられて慌てる。服なんて選んだことがない。母が激安スーパーで買ってきた服しか着たことがないからだ。
ほらほら、と清覧とデス子さんからもせかされて、ハンガーラックの前に立たされる。
どうしよう。とりあえず、かわいいと思う服を選ぼう。色は……ピンク。リボンがついてて、フリルがたくさんで……
「…………これでどうでしょう?」
迷いに迷った末に選んだのは、ごてごての装飾がされた真っピンクのワンピースだった。
その場にいた全員が真顔になる。
『…………ないわー』
「ですよねー……」
唱和までされてしまってはぐうの音も出ない。やはり自分のファッションセンスは壊滅的らしい。
かなり落ち込んでいると、清覧が元気づけるように肩を組んできた。
「ま、まあ、好みも大事だけど、やっぱ似合う服の方がテンションアガるっしょ! 待ってて、俺が選んであげるから!」
と、今度は清覧がハンガーラックをあれやこれやと見分し始める。あれこれ瑠衣に当ててみては、戻し。何度目かの繰り返しの後、
「よっしゃ、これでおけまる!」
「おい、着てみろ」
密に言われて、清覧に服を押し付けられて、ふと戸惑ってしまった。
「あの、幽霊って普通死んだときの服のままなんじゃ……」
「ここにある服が普通の服なわけあるか、バカ。霊衣っつって、幽霊でも着られる服なんだよ」
「ちなみに、私のこの制服も霊衣よー」
デス子さんがひらひらとローブをひらめかせる。というか、制服だったのか、それ。
しかし、そうなれば着てみるのもいいかもしれない。オシャレな清覧が選んでくれたのだから間違いはないだろう。わずかな期待を抱いていそいそと試着室に入る。
……五分後。
胸元の大きく開いた赤いモヘアの肩出しニットに、レザーのミニスカート。ピンヒールのショートブーツ。
そんな装いになった瑠衣は、おずおずと三人の前に進み出た。
「ど、どうでしょうか!?」
三人が三人とも、うーん、とうなって難しい顔で瑠衣の全身を注視している。
「……ガンダム……」
「……郵便ポスト……」
「……ボンレスハム……」
それぞれが率直すぎる感想をつぶやいた。
「ひ、ひどい!?」
「あー、俺が悪かった、ごめん。やっぱ好みで服選んじゃダメだな……」
どうやらこれは清覧好みのクラブファッションらしかった。そんなもの、陰キャの瑠衣に似合うはずがあるはずもなく、ガンダム、郵便ポスト、ボンレスハム、と言われたい放題も納得だった。
がっくりと肩を落としていると、デス子さんがぽんと肩をたたいた。
「落ち込まないで! 今度は私が選んであげるから!」
デス子さんほどの美人が選んでくれるのならまだなんとかなりそうだ。しかも同性、ちょっとしたことも気配りをしてくれるはず。しぼんでいた気持ちがまた期待に膨らんできた。
「お願いします!」
「任せて! 男どもはなにもわかっちゃいないわ。こういうのは、適度にコンプレックスをカバーしつつ……似合う色と相談しながら……」
と、ハンガーラックをあさり始める。またあれこれと瑠衣にあてがいながら最終的な候補を選び出した。
「よし! これでばっちり、間違いなしよ!」
行ってこい!とばかりに試着室へ押しやられる。これで多少はマシな女の子になれるのだろうか……と淡い期待を胸に着替えると、カーテンを開けて三人の前へと姿を見せた。
ベージュのチュニックに、カーキのカーゴパンツ。チェックのキャスケットを被って。
「……今度はどう?」
三人はまたしても難しい顔をして瑠衣を前にうなる。しばらくして、それぞれの感想が聞けた。
「……ババくさ……」
「……コミケにいそう……」
「……生活に疲れてる感……」
「ああああああああ!! もう!! 私が悪うございました!!」
またしてもさんざんな言葉を浴びせられて、とうとう瑠衣は逆ギレしてしまった。地団太を踏んで目に涙を浮かべる。
「そりゃあね!! いくら額縁が立派でもね!! 絵の価値が上がるわけじゃないですよね!!」
「まあまあ、瑠衣ちゃん、落ち着いて!」
清覧になだめられてもまだうーうー言っている。
ちょっとでも期待した自分がバカだった。結局どれだけ着飾ってもブスはブスなのだ。しかもごまかしがきかないくらいの重度ブス。途端に自分が滑稽で悲しくなってきた。
「うぅ……私みたいなモンは一生激安スーパーのわけわかんない絵柄のトレーナーでも着てればいいんだ……!」
「そんなことないわよ! あ、ほら、まだ密が選んでないわよ! さあ、選んであげて!」
「はぁ? 俺はそういうのには向いてな――」
「いいから!」
デス子さんにせっつかれて、密が渋々ハンガーラックの前に立つ。仏頂面で服をとっかえひっかえして、特に瑠衣に服を当てることもなく、いかにも適当に選びましたという風に瑠衣に投げてよこす。
これはあまり期待しない方がいいな……と、瑠衣は暗澹たる気持ちで試着室へと入っていった。
それからしばらくして、おそるおそる試着室から出てくる。
「……もうなに言われてもいいですから……」
シンプルな白なブラウスに、淡い若草色のミモレ丈のフレアスカート。ピンストライプの薄手のロングカーディガン。
すっかりあきらめ顔の瑠衣だったが、三人の反応は違った。
「……いい。アガる! 清楚系!」
握りこぶしで清覧が力説し、
「素敵じゃない! 女の子っぽすぎなくて野暮ったくないし! とっても似合ってるわよ!」
笑顔のデス子さんは瑠衣の手を取って我がことのように喜んでくれる。
「えっ? あっ?」
まさかの展開に、少々パニクってしまった。今一つ頭に入ってこない。
「……鏡、見てみろ」
密に促されて、姿見の前に立ってみる。
「……わあ……」
思わず表情が和らいだ。適度に女の子っぽくて、なにより瑠衣によく似合っている。こころなしか体型もしゅっとしたような気がする。服装ひとつでこんなに変わるものなのか。密の額縁理論も今ならわかる気がした。
「お前は小太りだけど、手足は細長いからな。ひざから下は出した方がいい。似合う白は顔周りに持ってきて、長めの丈のカーディガンでラインを作ればすっきり見えるしな」
「すごい! ファッションアドバイザーになれるんじゃない!?」
「……すごかねえよ。お前のこと観察してりゃ似合うもんくらいわかるし」
褒められて照れたのか、ふいっとそっぽを向く密。
つまりは、似合うものがわかるくらいには瑠衣のことを見てくれていたということだ。
それを実感したとたん、自然と口元が緩んだ。
「……えへへ」
「いいツラで笑うようになったじゃねえか」
「似合ってますか?」
調子に乗って密の顔を覗き込むと、きれいな金髪をぐしゃぐしゃとかき乱して怒鳴りつけるように答えられた。
「似合ってるに決まってんだろバーカ! 俺が選んだんだからな!」
また子供みたいに。微笑ましくて、つい笑ってしまう。
「ああもう、そうやって笑ってろ! いいか、命令だからな!」
「はぁい」
にこにこしながら、ふと鏡に映った自分を見やる。次の瞬間には、姿見に飛びついていた。
「……痩せてる!!」
「あら、ほんと!」
ぽよんと出っ張っていたお腹はすっきりとへこみ、たくましかった手足は華奢になっている。フェイスラインもずいぶんとすっきりしていた。
「言っただろう。幽霊は気の持ちようでいくらでも外見を変えられる。額縁に応じていくらでも変われる絵なんだよ、お前は」
ぶっきらぼうに密が言う。瑠衣はすっかり変わった自分の姿を飽きずに眺めていた。
「ふわー、すごい……これも密のおかげだよ! ありがとう、ございました!」
素直に頭を下げると、密は一瞬目を丸くした。それから機嫌のいいときに見せるにやり笑顔で瑠衣の頭をぽんぽんと撫でる。
「この調子だ。どんどん変われ……そういう素直なところは、まあ、お前のいいところだからな。いや、素直というより単細胞というか」
やっぱり、一言多かった。
それでもかけてもらった言葉がうれしくて、瑠衣は新しい服を身にまとって、新しい自分の姿に見入っていた。まさしく『これが私?』状態だ。顔面はまだまだ改善の余地がありすぎるが、まっとうな女の子のからだになれたことがなによりうれしかった。
「よっしゃ! 新しい服も決まったことだし、早速俺とデート――」
「待って! 着替える!」
「え、なんで?」
「この服は特別なの! だから特別なときに着る!」
そうだ、田井中君に告白するときに着よう。それまで大事に取っておかなくては。まだなにか言いたげな清覧を置いて、瑠衣は試着室へと引っ込んだ。
元の制服に着替えると、こわごわ姿見を覗き込む。……よかった、服が変わってもすっきりしたからだはそのままだ。
「お待たせ」
「……じゃ、いこっか」
不思議なことに、今度は清覧のテンションが下がっていて、密は逆に機嫌が良さそうだ。コーデバトルで勝ったのがそんなにうれしかったのか。
怪訝に思いながらも清覧の後に続いて部屋を出る。例によって密とデス子さんは後からついてくるのだろう。




