【5】
からだをすくませる瑠衣に、ふん、と鼻を鳴らして人差し指を収める密。腕を組んで難しい顔をして、言葉を継いだ。
「レッスンを始める前に説明しておく――霊体は物理法則から解き放たれた精神エネルギーの塊だ。その外見はいわば精神の写し鏡。お前が『自分はこんな姿をしている』と思っているからこそ、今お前はそんな姿になっているわけだ。霊体の外見は精神の影響をモロに受ける……つまり、お前の意識を改革すれば、内面はもちろん外見もおのずと磨かれていく」
説明された言葉を必死に頭の中でかみ砕く。要するに、『私は美少女だ!』と自信を持って心から信じることができれば、本当に美少女になることができるというわけか。
「……気の持ちよう、ってこと?」
「そうだ。お前はなんにだってなれる、可能性の卵ってわけだ」
「可能性の、卵……」
つぶやけば、希望が見えてくる。
再び鏡を見た。その希望がしおしおとしぼんでいく。
「うう、やっぱり無理だよぅ……私なんか……」
「弱音を吐くな! いいか、そういう卑屈な考えだからいつまでたってもブスなままなんだよ! 努力をしろ! 現状に甘んじるな! 手が届かないと思い込んで踏みとどまるな!――お前になら、できる!」
密の叱咤激励は痛みを伴って瑠衣の胸に響いた。
そうだ、今までずっと、『私なんかが』できっこないと思い込んでいた。おしゃれをしても、身ぎれいにしても、勉強をしても、どうせ滑稽なだけだと思っていた。
けど、違う。
私は変われる。
私になら、できる。
もう逃げているだけではいけないのだ。
瑠衣は神妙な顔でうなずいて、
「……やってみる」
ひどく真剣な声音で、一言。
それに満足したのか、密はにやりと笑って瑠衣の頭をぽんぽんとたたいた。
「今はそれで上出来だ」
予想外にやさしくされて、一瞬虚を突かれた。生きている時でさえこんな風にひとに触れられたことはない。まさか死んでからマトモな人間扱いをしてもらえるなんて。
「……うう」
「は? なんで泣くんだ?」
「……いや、なんか……うれしくて……」
「わけわかんねえ」
珍獣でも見るような目で瑠衣を見て、密はため息とともにそうつぶやいた。
「さあ、方向性も定まったところで、まずはどこから手を付ける?」
デス子さんが密に尋ねると、彼はふむ、と口元に手を添えた。
「そうだな……今日はせっかくデス子がいるんだ、まずはそのうっとうしい髪から手を入れるか」
「か、髪?」
「切るんだよ、どうせめんどくさいから伸ばしっぱなしにしてたんだろう。うっとうしい。この際だからさっぱり切ってやる」
「賛成ー!」
どうやらふたりはやる気みたいだ。いきなりの事態に瑠衣は一歩、後ずさって両手を前に出した。
「いや……でも、この髪型、顔が隠れるから気に入ってて……」
「隠してどうする! 観念しろ!」
すかさず背後に回った密に羽交い絞めにされ、じたばたもがいても逃げ場はない。頭の片隅で、『あ、イケメンっていいにおいすらするんだ』と変態じみたことを思った。
「ふふふ、私がかわいーくしてあげるわ……」
デス子さんは大鎌を構え、不敵な笑みを浮かべながらひゅんひゅんとバトンのように刃をダイナミックに振り回している。
「あの……デス子さん、美容師の免許とか……そういうのは……?」
「大丈夫、そんなものなくてもこの子の扱いなら誰にも負けないわ」
ふふふ、とあやしく笑いながらデス子さんは大鎌の切っ先を瑠衣に向けた。
「ひっ……!」
ぎゅっと目をつむる。それでも、刃の嵐が吹き荒れる真っただ中に立っているのがわかった。じゃきじゃきじゃきじゃき!と髪が切られて、いや、削られていく。
やがて嵐は収まり、デス子さんが、ふう、と息をつくのが聞こえた。
「はい、完成ー! わあ、かーわいい! 素敵よ瑠衣!」
かわいいと言われても、仕上がりはかなり心配だった。なかなか目を開くことができない。
そうしているうちにデス子さんによって残った髪が結われ、きゅ、と何かが結ばれた。
「おら、いつまでそうしてるつもりだ。鏡見てみろ」
後ろから密に小突かれて、一歩前に。恐る恐る鏡の前で目を開くと……
「…………」
後ろ髪の長さはさほど変わっておらず、しかし緩い三つ編みに結われていて、肩から垂らされている。先っぽには真っ赤なリボンが結ばれていた。対して前髪はかなりさっぱりと切られていて、眉から下が丸見えになっている。他にも気を使って手を入れてくれたのだろう、ぼさぼさだった髪がするりとまとまっていた。
「どうしたの? もしかして気に入らなかった?」
心配そうに聞いてくるデス子さんに、瑠衣は戸惑ったような視線を向けた。
「……いや、気に入らないとかじゃないんですけど……さすがに、髪型だけで『わあ! これが私!?』みたいにはならないんだなあ、って……」
死んだシジミ目はそのままだし、豚鼻も依然として顔の真ん中に居座っている。
「あったりまえだろ、なにを高望みしてんだお前は。こんなもん序の口だからな、お前のイケてねえところをどんどん削ってやる」
「削って……」
そんなことしたら何も残らなくなってしまう……とは、言い出せなかった。
見慣れない自分の姿をじっと見つめる。
……似合っている、かどうかはわからない。
けど、切られた髪の分だけこころが軽くなったような気がした。
「イメチェンにはなりました……」
「そうそう、その意気よ! どんどんイメチェンしていきましょ!」
気を良くしたデス子さんは、ねっ!と瑠衣の肩を抱いて満面の笑顔だ。
「ふん……」
なにか思案顔の密は、ふいに瑠衣の三つ編みの先をひょいと持ち上げた。リボンをもてあそぶ意外と筋張った大きな手に、思わずどきっとしてしまう。固まった瑠衣の目元を覗き込み、
「……やっぱこの方がいいぞ、お前」
ぼそっと言ってから三つ編みを手放す。宝石のような大きな瞳が遠ざかっていくのを、ほっとしながらも、どこか名残惜しく思ってしまい、ふるふると頭を横に振った。
「こういうちょっとしたことの積み重ねが重要なんだ。いいか、自信をつけろ。卑屈な考えは捨てろ。自分は変われると信じろ」
「自分は変われる……」
繰り返してつぶやく。自分は変われるのだろうか? 彼が贈ってくれたこの靴に見合うだけの女の子に。彼が褒めてくれたこの髪型に見合うだけの女の子に――彼がぎゃふんと言うほどの、女の子に。
……とてもじゃないが、今はそんな風に思えなかった。この身に沁みついたブス根性がそれを許してくれなかった。気を抜くと、『どうせ私なんかが』という思考が頭を支配してしまう。
どうしても一歩を踏み出す勇気をだせずにいる瑠衣に、密はため息をひとつついた。
「まずは内面の改革が必要みたいだな。いいだろう、明日には何とかしてやる」
「明日?」
「ともかく、今日のところはこれで勘弁しておいてやる。帰っていいぞ」
「えっ、でも……」
「俺はデス子と話すことがある」
「そうなの、ごめんなさいねえ」
と、密にしなだれかかるデス子さん。
その光景はまさしく美男美女のお似合いカップルだった。
あ、そうかぁ……密はデス子さんと付き合ってるんだ……そりゃそうだよなあ、美男美女だもん……私を人間扱いしてくれるのも、密が『いいひと』だからなんだよなあ……
ぼんやりと頭の中で考えながら、その事実に少なからずショックを受けている自分がいることに気付く。
なにを分不相応なことを考えてるんだ。
少しでも好意を寄せられるといつもこうだ。
自分はもう、恋なんて身の丈に合わないことはしないと決めたのに。
あまつさえ、相手は鬼教官の王子様だ。
ちょっとでも期待するだけ滑稽なこと。
「……はい。それじゃあ、お疲れさまでした……」
しょんぼりとうなだれた瑠衣は、そのまま部屋をあとにした。
今ごろふたりは仲睦まじく……と想像すると、切ってもらったはずの髪の重さが復活してくるようだった。
屋敷を出て森を抜けたところで、靴を脱ぐ。その靴を大事に抱えてふわりと空気に漂って、重いため息をついた。
こんなんでやってけるのかな……と一抹の不安を抱えて、瑠衣はしばらく空を見上げてぼうっと浮遊しているのだった。




