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前編

「シェルティーネ! 貴様をここで断罪する!」


 怒りに打ち震える王太子のジェスティンは背中を波打つ黄金が美しい豪奢な令嬢を糾弾した。


「なぜですの!? 私は何も悪いことなどしておりませんわ」

「貴様! この場を持ってしてもシラを切るつもりか!」


 憤怒する男を目の前にシェルティーネは震えた。何故だろう。一時は婚約者として共に笑い合う日々もあったのに。何故ここまで拗れてしまったのか。私は貴方のことをこんなにも想っているのに貴方は――。


「ジェーンを傷つけてきたのは調べが着いている! 私物の破損、取り巻きを使っての冷遇、挙句の果てには彼女を階段から突き落としたそうだな! 可哀想に、貴様を見てジェーンが震えているではないか。そこまでの恐怖があるにも関わらずジェーンは気丈にもここまでやってきたのだ。それに対して貴様は何か言うことはないのか!」


 恐怖で震える少女は王太子の背に隠れるように立っていた。それを優しげに抱きしめ王太子はシェルティーネを睨めつける。何故だろう。本当であればあの腕に抱かれていたのは私のはずなのに――。


「いいえ! わたくしはそのような事はした覚えはございませんわ! 何かの間違いでございます!」

「そんな! 罪を認めてください。それだけで私はいいのです」


 気丈にもその場に立っているように振る舞う少女は思わずといったように声を張り上げた。その気丈な様子を見た王太子は少女を見る時だけ眼差しを和らげ愛しげに見つめた。そしてシェルティーネに目を向ける。その目には好意の一つも浮かんでおらず蔑みと憎しみだけが宿っていた。


「ジェーンは優しいな。ジェーンのような優しさが少しでも貴様にあれば何かが変わったかもしれないものを」

「わたくしでは……わたくしではないわ」

「もうよい。貴様の言い訳は聞くだけ無駄だ。」


 王太子は少女から手を離し自らの背に隠すと差してあった剣をスラリと抜いた。そしてその切っ先をシェルティーネに向ける。


「もう少し賢い女かと思っていたがここまで愚かだったとはな。もはや貴様が生きている意味などあるまい。せめてもの温情として婚約者であった俺の手で引導を渡してやろうではないか。感謝するがよい。」

「そんな……っ!」


 王太子は剣を構えると目の前のシェルティーネに振り下ろした。その刃は嫋やかな肢体を切り裂こうと襲いかかる。何故。何も分からないまま終わってしまうの――。



「……い! ――様! お目覚めください!」

「――っ!!」


 呼び声に大きく目を見開いた。目に入るのはいつもと同じ。沢山の本が全ての壁を覆い尽くしている部屋。

 呆然としながら横に目をやると先程自分を物語から呼び戻してくれた執事がいた。

 執事は心配そうに見つめるとそっと頬に手を添えた。


「大丈夫でしたか? 随分と苦しそうに魘されておいででした」

「ええ、大丈夫です。貴方が連れ戻してくれましたから。ですが、今回もまた分からないままでした……」


 ベットから半身を起こし枕元に置いた本を見遣る。その本は平民から貴族の仲間入りを果たした主人公が王子様と恋に落ち幾多の困難を乗り越え結ばれる物語であった。


「ふふ、今回の私は主人公の女の子と王子様の仲を引き裂くいじわるな悪い女の子の役でしたよ」

「そうでしたか、それはお嬢様には似合わない役でございますね」

「あら、とっても上手に演じられたのですよ。とてもしっくりきちゃうくらい。私は舞台女優顔負けの演技力があるのです」

「それは、ぜひ拝見させていただきたいものでした。さあ、お嬢様お疲れでしょう。お好きな紅茶を入れましたのでお飲みください」

「ありがとうございます」


 心配させたくなくて少し意地悪そうな顔で微笑んでみれば少し困った顔で執事は微笑んだ。

 手渡された紅茶は温かくてほんのり甘い。

 執事は毎回私が目覚める度に好物の紅茶を作って待ってくれている。その心遣いに私はいつも心が暖かくなるのだ。ちびりちびりとカップに口をつけながら物語の中身を思い出す。


「そう、とってもしっくりしたのです。今までにないような感覚でした。」


 先程までの自分は主人公と王子様の恋を邪魔する女の役であった。婚約者として仲睦まじくしていたはずの王太子に裏切られ罪を擦り付けられ、切り捨てられるような、そんな役。

 先程までの光景が目に浮かび大きく息を吐いた。とてもじゃないがこの物語に共感など覚えることはできない。しかし、それと同時に何処か懐かしさを覚えた。

 手が震え私はカップを置いた。


「私は……。私はこの物語の悪役令嬢と呼ばれる主人公の恋敵と同じだったのでしょうか……。あの断罪される光景に既視感を覚えるのです。王太子を想うととても切なく胸が痛むのです。……胸が張り裂けそう……」

「お嬢様……」


 ぎゅっと胸に手を遣り握り締める。切ない感情に一筋の涙が零れた。

 それを見つめる執事はどのような顔をしていたのであろうか。



 私には記憶がない。いつの間にか全てを失っていて、残されたのはここにいる執事だけだった。

 私は焦った。何も分からず混乱の最中側にいた執事に私は何者なのか何が起こっているのか問い詰めた。しかし、執事は今までの経緯を話すことは許されておらず、黙るしかないことをただ謝られた。

 きっと私は罪人なのだろう。記憶を奪われ、住む家も家族もなく。それ程までの罪を犯した罪人なのだろう。全てを失うことが罰なのだ。


 執事はそんな私にも優しかった。命じられてのことだろうが新しく住む場所も手配してくれて何も分からず何も出来ないままの私の側にいてくれた。

 彼は私の前では恐怖を与えないように穏やかな笑みを絶やさなかった。しかし、ふとした瞬間に感情の見えない目でこちらを見る。変なことはしていないか記憶を思い出してはいないか観察しているのだろう。

 もしかしたら、誰かにそんな報告をしているのかもしれない。彼はきっと穏やかなままの性格ではないのだろう。どこか冷たさの残る瞳に、一線を引かれているような仕草にそう感じる。それでも見捨てずにいてくれることに感謝してもしきれない。


 多分、そのままを受け入れ細々と街で働きながら暮らしていければそれなりに幸せでいられたのだろう。

 しかし、私は自分が一体何者なのか分からないことに恐怖を覚えた。何者か分からないという恐怖に日に日に心が押しつぶされていった。


 このままではダメになる。そんな時一人の魔女に出会った。魔女が云うには必然の出会いであるらしかった。私は自分を取り戻したいと懇願した。魔女に依頼するなんてと執事は穏やかな笑みを崩し困った顔をした。きっと誰も望んでいないことだ。でも、それでも、私は私を知りたかった。


 懇々と経緯を話し続け無様にも魔女のローブに縋り付く私を呆れたように見た魔女は溜め息を着くと依頼を受けた。

 魔女の対価は紺色の夜闇のような私の髪だった。

 そんなものはお安い御用と肩からバッサリと切り落とし魔女へ渡した。その時だけは執事が酷く慌てていて思わず笑ってしまった。

 そして魔女は私の住む部屋の壁という壁に本棚を設置すると大量の本を詰め込んだ。何が起こったのか呆然とする私に魔女は言った。『あんたの物語はこの中にある。本に潜り自分の物語を探すがいい』魔女はそう言い残すと私と執事を残して消えていった。


 そこから私の旅は始まった。この部屋の中でだけで終わる旅路だ。部屋の中に隙間なく詰め込まれた本を手当り次第に開く。本を開くと私の意識は本の中へ吸い込まれていく。


 物語の中で私は様々な役を演じた。例えばウサギを追いかけながら不思議な世界を冒険する子どもだったり、王子様と同じ陸へ上がりたいと懇願する人魚の声を奪う老婆だったり。主人公として活躍することも悪役として断罪されることも、通りすがりの脇役として物語を眺め続けることもあった。

 様々な物語に入り筋書き通りに役を演じながらも私は自分を見つけることは出来ずにいた。


 一度物語に入り込むと物語が終わるまで本の中から出ることは叶わない。悪役として断罪され殺されることもあった。痛いや寒いなどの感覚があったため切り付けられるととても痛かった。しかし、死ぬことは出来ないので悪役の体から抜けると痛みを感じ続けながら終わりを見届けるしかなかった。


 そんな苦しみの中、執事だけは私を助けてくれた。

 苦しいことがあると本体が魘されるようで執事はそれを察知すると揺すり起こしてくれる。地獄の中の一本の蜘蛛の糸のように私はそれに縋り付き物語から這い出るのだ。


 そして私は彼に礼を言う。今回もまた心を助けてくれた。

 私は物語に入り込む度に消耗していく。何者なのか分からないのに何者にでもなってしまう。私は一体誰なんだろう。私もまた物語の登場人物の一人にしか過ぎない。物語を動かす舞台装置でしかない。


「お嬢様、もうよいのではないですか? 苦しみながら探さずとも。貴女は分かっておいででしょう」


 不安そうに眉尻を下げ執事は優しく問いかける。

 私は執事のその美貌をそっと見つめた。私よりも数歳歳かさではあろうがまだまだ若い美丈夫だ。私なんかに付き合わされて時間を無駄にしているという申し訳なさが胸をよぎる。私なんかに囚われていなければこの人にももっと違った人生があったであろうに。


 そう思っても私は彼を解放してあげられることができなかった。

 彼がいなければ生活できないということもあるが、心も彼に助けられているのだ。いなくなってしまったらと思うと自分を取り戻せないことよりも怖い。

 だからこそ、私は私を取り戻したかった。私が私を取り戻せば罪悪感に駆られ彼を解放することができるのではないかと思った。きっと以前の私は彼にもとても迷惑をかけているはずだから。


 きっと私は彼を解放したいのだ。


「ううん、私は大丈夫です。それに知りたいのです。私が何者なのか、何をしてしまったのか」


 ……例えそれが絶望を知ることになっても。

 微笑む私に彼は切なそうに眉を寄せた。

 そんな顔をしないで欲しい。悪人である私なんか気にしないで欲しい。貴方はきっと晴れやかな笑顔が似合うから。



 そして私はまた本を開く。私を探す旅路に着く。例えその終着点が絶望だとしても私は物語を歩き続ける。

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