第1章 亡国の王女と光速の織天使 その1
第1章 亡国の王女と光速の織天使
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「ふぁ」
「日差しが・・・」
「だよね」
「グプタに入ってからずっとです」
テツ社の小型ビークル、T1の中は冷房が最強になっている。
しかし暑い。
赤道直下のグプタ帝国の平野部を容赦なく照らす太陽は、キャノピーがスモーク状態なのに肌に感じるほど強烈だ。
平坦な埃っぽい道の両側にはパパイヤやマンゴーの街路樹。ちょうど良く熟れた実もあり、半裸の子供たちがもいでいる。売ったり、おやつに食べたりするのだろう。
どこまでも真っすぐに見える街道の両側には田畑が広がり、貯水池が点在している。
時々道端に現れる、マンゴーの木陰に掛けられた掘立の商店では、冷やした水やマンゴー、パパイヤ、蕎麦粉のチャパティ、そして極甘なドーナツの仲間であるグラブジャムンを売っている。
「オッダンタプリまではどのくらいでしょう?」
「あと3アルくらいはかかるかな」
「大きな街ですよね?」
「うん」
オッダンタプリはグプタ帝国最高の学問都市だ。科学技術はほぼ最高の水準であり、魔導科学も盛んだとされている。
「チハヤは初めてだよね」
「はい。リュトさんは何回目でしたっけ?」
ナヴィゲーターシートの小柄な少女は純白の温度調節付きの法服に純白の魔導師マント、そして純白の召喚師の帽子をかぶっている。
ドライヴァーズシートの少年は緑色の旅人の帽子を少し傾けて答えた。
「ボクは3回目くらいかな」
「いつも陸路ですか?」
「うーん。いろいろ」
オッダンタプリには小型だが空港も存在している。大型の飛行艇などは使用不可だが、グプタ北方の港湾都市アーグラからは定期便も飛行している。アーグラは船便で経由したのだから、そこから空路を選ぶ選択肢もあったのだ。
「空路はチェック厳しいからね。重量制限もあるし」
「うーん。ストレージを使えば重量は関係ないのでは?」
「陸路は一番目立たないんだよね」
「確かに・・・」
身軽な旅装の人間が多くの荷物をストレージから出せば目立ってしまう。
何より・・・生物はストレージに収納できない。
「キュキュ?」
「ニュニュ?」
後部座席からフワフワと飛んできたのは紅色の小鳥と白い蝶。
どちらもマテリアという人でも魔物でも妖獣でもない生物だ。
「ローズ、シルフィ」
マテリア達は少女の左右の肩にとまった。
「目が覚めちゃったかな?」
「お腹が空いたのかも」
早朝に宿を出てすでに6アル。そろそろお昼どきではある。水分補給だけでは悲しい。
「そっか。じゃ次のお店で蕎麦粉のチャパティ。買ってみようか?食べるよね?」
「はい!」
大鍋で煮たシロップにドップリ浸したグラブジャムンを挟んだチャパティは、蕎麦の香りが豊かで食感も心地よい。木陰に停めたヴィークルは冷房全開のままだ。買い物の間に開けたキャノピーからのホコリの匂いがまだ少し残っている。
良く冷えたマンゴージュースを飲んで水分も補給。暑さには現地の飲み物に限る。
「まったりして美味しいです」
「空も緑も濃いよね」
シートを少し倒した少年がつぶやく。熟したマンゴーがたわわな街路樹、緑の穂が波打つ水田。雲が少ない空も。農業国らしい景観だった。
何台もの車や馬車、3輪のヴィークルやバスなどに追い越されるが、すぐに追いつくだろう。
また少しの間、小型ヴィークルでの旅が続く。カンチレバー式のロングストロークなサスペンションは良く街道の凸凹をいなしてくれる。真っすぐな平坦路を走るにはオーバースペックなT1には気楽な旅だ。軽量な車体にコンパクトで高性能なエネルギーパックを積んでいるので航続距離は非常に長い。内海に面した気品ある港町、アーグラから大学都市までの往復には充分以上だ。お腹が落ち着いて、飲み水を補給してから、シルバーの小型車は出発した。
「間に合った~」
デバイスで予約したホテルに入るとすぐに降り出した大雨。小体だが瀟洒なホテル・ターラナータのカフェでくつろぐ二人がいた。
「良いタイミングですねぇ」
「まぁ15ミルも降れば止んじゃうんだけどね」
「さすが南国ですね」
「もっと南に行くと逆に涼しくなるし、西の高原地帯も過ごし易いけどね」
「帝都は高原にあるんですよね?」
「うん。アウランガバードは、ちょっとこの辺りと違う雰囲気だよ」
グプタは南の超大国である。人口は大陸一であり陸軍も最強と言われている。東の軍事大国ヘルヴィティアに領土の侵略を許さないことでも、その国力の大きさが分かる。アウランガバードは高原地帯に存在するグプタの国都。豪奢で絢爛たる文明の精華が築かれている。道路も石畳や煉瓦敷であり、未舗装の街道が続く、このエリアとは大きく異なる。
しかしオッダンタプリには帝国随一の学問都市である誇りもあり、清々しい若々しさに包まれている。
ちょっと小道に入ると、そこかしこにある掘立の茶屋でチャイを飲む男達を見ることができるのは、この国の伝統だ。
一方では、アウランガバードに良くあるような宝飾店よりも書店の方が多く、その顧客も多いのはさすが学問都市の面目躍如たるところだ。
「素敵なホテルですね」
白大理石と木目のみが目につくホテルの内装は清潔で簡素で品が良い。
「料理が美味しいし、清潔だし、国際会議なんかで研究者達に好まれているんだよね」
「分かります。図書室も素敵でした」
「今日は少し休んで仕事は明日からかかろう。ディナーはルームサービスで良いね?」
「はい。あの、私レトを召喚しても良いですか?」
「レトなら問題無いよ。料理も多めに頼んで、みんなで食べよう」
「じゃ、私先にお風呂使っちゃいますね」
小柄な少女はトコトコと小走りに部屋に向かった。
少年はしばらくホログラムでデバイスを操りながら、涼しいカフェで伝統のチャイを楽しんだ。
「ふう」
お風呂上りの熱をエアコンの風で冷ます。小鳥と蝶のマテリア達にはバナナをむいてあげた。
そして・・・
「レト」
胸の前に捧げるようにした両の手のひらに、ゆっくりと小さな生き物が現れる。カメレオンのようだ。
「元気してた?」
カメレオンはじっと少女を見つめると、その長い尾を左手の薬指に巻き付けた。
「あとでお肉あげるね」
カメレオンは巻き付けた尾を伸ばすと、のんびり少女の肩へ這い上る。キラキラと七色に輝く鱗が美しい。
少女は胸元の勾玉のようなデバイスに手を触れた。
「クトネシリカ、どう?」
「現在この都市のローカルマザーに接続しています。残念ながらグランドマザーへの接続は不可でした」
「そう。残念。で、今回の目的は達成可能?」
「はい。この国では特殊とも言える先進型の都市ですから、お相手の特定は可能と思われます。ただしローカルマザーには該当するデータはありません。大学内のデータバンクを精査する必要があるでしょう」
「思ったよりネットワークへのアクセスは良いのね。良かったわ。早く確保してサリナスに帰りたいもん」
グプタのような超大国では、文化の違いもあり、全ての人間が登録されているわけではない。しかし学問都市オッダンタプリでは、未登録市民の存在は比較的少ないはずだった。
しばらくローカルの詳細なデータを調べていると、少年が戻ってきた。
「のんびりできた?」
「はい。お薦めのスィーツとか調べてました」
「この子たちも具合良さそうだね」
小鳥のローズ、蝶のシルフィ、カメレオンのレト。3体とも寛いでいるのが分かる。
「ニュ?」
「キュ?」
「冷房効いてますからね」
「だよね。んじゃボクもお風呂使ってこよう」
「はい。ごゆっくり」
レトがその不思議な視線を少年の背中に向けた。長い舌がゆっくり動いている。
ルームサービスを頼んだディナーは香辛料をふんだんに使ったチキンとラムの肉料理、ヘルシーな野菜の煮込み料理、様々なナッツやドライフルーツを練り込んだナンに、良く冷えたスイーツの盛り合わせと、豊かで美味しいものだった。
カメレオンのレトはラム肉の炙り焼きに舌つづみを打ち、ローズはちぎってもらったナンをついばみ、シルフィは杯に移したパパイヤジュースを嗜んだ。
「チキンカレーとナンの取り合わせがたまりません」
「このクリーミーなダヒーも美味しいよ」
「ヨーグルトなのに、見た目はお豆腐みたいですね」
「うん。しっかりした食感だよ。ホテルの名物らしいね」
「グプタってグルメには危険な国ですね」
「新鮮で栄養たっぷりの素材を使ってるからね。この野菜の煮込みもたまらないなぁ。ラタトゥイユに似てるけど香辛料の使い方が素敵だね」
「ナンに詰めて食べると不思議な野菜まんじゅうって感じですね。ご飯にも合いそう」
「こりゃ食後にはお散歩した方が良いかなぁ」
「賛成です」
健康のためにも、街を知るためにも。
「安全性はどうなんですか?」
「基本的には、そしてこの街の中では、大きな問題は無いはずだよ。安全、清潔は文明的であることの良い尺度だけれど、この街はグプタでも特別だからね。少なくとも今回の仕事には支障ないはずだ」
「このホテルを基準にすれば、清潔度も問題なさそうですね」
「確かに一流のホテルや病院、研究機関やオッダンタプリ大学そのものの清潔度は、かなり高いはずだね。けれど、この国では、フィラリアなどは完全に撲滅されたわけではないんだ」
「象皮病とかですか?」
「それもあるね。だから裸足で歩いたり、川や池などで泳いだりはやめたほうが良い。免疫の無い普通の人が生水を飲むのも厳禁だね。普通の道路とかも風土的あるいは文化的な問題もあって、サリナスなんかとは違うんだよ」
「まぁ、その程度なら仕事には問題ありませんね。私たちは特に」
「うん。僕らは問題ないけどね。わざわざ危険を冒す必要もないけど。もうデータは頭に入れたの?」
「はい。今回の仕事は人探し。再建されつつある都市国家、リヒタルの生き残り。名前はララノア・ケレブリン・リヒタス。女性で年齢は私と同じ14歳。恐らくは偽名でオッダンタプリ大学に通っている。画像データは赤ちゃんの頃のものが1枚だけ、残されています」
「何しろ生きていればリヒターの正統にして唯一遺された王女様だからね。リヒタルの宰相家の生き残りからの情報だから確かだろう」
「リヒターは女性でも王統を継承できるんですか?」
「サリナス皇室やヴァイエラ王室とは、そこが違うらしい。まぁ、これは文明の性質の差だからね。リヒターは元々人口が少ないのだから、そのせいもあるんだろう」
「確かに最大の人口を有するグプタ王朝は男系相続ですね」
「そう。トルキスタンやヘルヴィティアも男系相続だよね。結局、充分な人口があるなら、または、ある程度の人口をまとめられる文明のパワーがあるなら、どちらかと言うと男系相続になるのかも。同様に人口の少ない、エルフの都市国家であるエルハンサやイスカネルは男女両系だからね」
「男系は文明のアイデンティティを保ち易いんでしょうか?」
「サリナスやヴァイエラは継承権は男系、財産権は女系だね。トルキスタンやグプタは継承権は男系、財産権は部族。ヘルヴィティアはどちらも男系。この問題は比較文明論の面白いテーマかも知れないね」
「確かに。で、リヒタルを滅ぼしたのはヘルヴィティアでしたね。ちょうど13年前に」
「うん。リヒター達の都市国家、リヒタルは一夜にして滅ぼされた。しかしリヒタルの友好国連合によって土地そのものは奪回され、今も復興されつつ確保されている」
「ララノア王女は、それをご存じかしら?」
「この大学都市に住んでいる以上は当然、知っているだろう。情報弱者であるはずがない。しかし名乗り出ない理由は分からない。友好国連合が保護してくれるはずなのにね」
「やはり安全のためでしょうか?」
「ヘルヴィティアからの?それは考え難いけれど・・・可能性はあるかも知れない。何しろ当時の王家に連なる人々は、ほぼ戦火の中で亡くなったわけだから」
少年は視線を小鳥に向けた。動くものに心を奪われたかのように。
「誰が彼女を逃がし、誰が彼女を守っているか?だね」
「赤ちゃんだったララノア王女を、今まで守った人ですね?」
「うん。二つの“誰か?”は同一の可能性もあるけれど・・・残された情報では莫大な魔導力を持つ母親である女王が、誰かに彼女を託したのだろうということだけれど・・・そもそも単数なのか複数なのか?」
「そして“彼”または“彼女”は“何”から王女を守っているのか?」
今度は少年は少女の問いに答えなかった。視線は小鳥から蝶に移り、右手は胸元に三日月型のペンダントに軽く触れた。
「ただ、今のところですけど、私にとっての最大の謎はリヒターってどんな人たち?ってことかも」
リュトは考え込むようにしながら慎重に言葉を選んだ。
「リヒターは“光の一族”と言われ、多くが膨大な魔力とマナエナジーを保有する種族なんだ。そしてヴァイエラ外輪山の山頂に小さいけれど美しい都市国家、リヒタルを造ってひっそりと暮らしていた」
「はい」
「彼らは小規模だけれど自給自足できる文明を有し、独特な魔道具やマジカルデバイスを交易品として、都市国家は栄えていたんだ。その生き方は隠者のようで、人的交流は極めて乏しかった。ただ、都市国家として中々強力でもあり、乏しいながら上等な顧客でもあったサリナスやヴァイエラを友好国として、急峻な地形にも守られて静かに暮らしていたんだね」
「私の読んだデータも同様です。で、なぜリヒターは“光の一族”と言われたんですか?」
「彼らの多くは優秀な魔導師であり、魔導科学者でもあったんだけど、それが光系統に偏っているらしいんだ」
「つまり治癒、防御などですね?私とも通じますね」
「そうだね。そして、これは噂というか伝説なんだけど・・・」
「ふむふむ!」
「リヒターは元天使の子孫だとも言われている」
「元天使?つまり堕天使ですか?」
「いや、堕天使って言うとさ、神に逆らって魂が暗黒に染まり、地獄に堕ちた天使でしょ?」
「はい」
「そうじゃ無くて、天使の中には人間の娘に恋して自ら天使であることを辞めた者がいるというんだな」
「その伝説では・・・ですね?」
「うん。その子孫がリヒターだというんだよ」
「うーん。凄いお話ですね」
確かに堕天使の多くは人間に仕えることを拒否し神に反逆した、とされるのだが、シェムハザという天使は人間の娘と結婚しようとして地上に降りた、といわれている。彼は地獄にも堕ちていないし、悪魔の軍団を率いているわけでもない。天使であったが、天使を辞めた者。つまり眞に元天使といわれるに相応しい存在である。
「神への反逆者ではない元天使。天使のみが行使できる多くの魔力と魔導を捨てて人間社会に溶け込もうとした天使だね」
「それでも桁違いの能力を有しているのでは?」
「うん。それがリヒターの魔力の根源というのが、この伝説なんだ」
「何だか凄過ぎて・・・まぁ、それはそれですけれど・・・そろそろ、お散歩にしますか?」
「うん。この子達は残して・・・レトは帰還させた方がいいね」
「はいです」
「夜の街中は・・・あまり清潔ではないかもですね」
確かに、この都市の住民は自分の住居や商店などの周囲を清める文化は持っていないようだ。そもそも大人の男性は呑んだりおしゃべりしたり何かギャンブルやゲームをして遊んでいる姿が多く、働いているのは主に女性や子供たちだった。
「まぁ、大きな国だし多民族だし・・・ドワーフや獣人たちは、あまり頓着しないし。いろんな宗教が生きている国だし」
「そうですね。子供たちが働いているのは新鮮かも。なんか活気があってゴチャゴチャしてますし。お店も掘立小屋が多いです」
確かに管理されていながら虐待されている子供たちのいる国に比べれば、この国の子供たちは生き生き伸び伸びとしている。自分たちが家計に貢献していることを良く知っているのだろう。
「ボクは基本的に文明は多様であるべき、という考えだから、グプタのように特徴的な文明がしっかりと存在しているのは素晴らしいと思うよ。市場はこんなに雑然としてるけど、税率は低いから経済の循環には良いだろうし。お店もあんまり清潔じゃないけど、良く思わぬ掘り出し物が見つかるんだよね・・・えっと・・・そろそろお目当てのお店かな?」
「はい。あそこです。『パティスリー・エル』きれいな普通のお店ですね」
広くは無いけれど、比較的、小綺麗な飲食店主体の通りに面して、そのお店はあった。白い壁に赤い屋根。おとぎ話の家のようだ。第一印象は西方的な清潔な店舗と言ってよいだろう。
「夜はカフェみたいだね。でもお酒は無いのかなぁ?」
ドアを開くと内側についたベルがチリンと鳴った。
「いらっしゃいませ」
二人の声がそろっている。
「お持ち帰りですか?まだ1アルほどなら店内でお召し上がりになれますが」
パティシエールの衣装を着た、非常に美しい金髪碧眼の少女が声をかける。
ギャルソン服の、恐らくより若い方の少年は静かに微笑んでいる。こちらは愛らしい、というタイプだ。黒髪に黒い瞳はチハヤと同じで、丸いクラシカルなメガネが印象を、より一層ソフトにしている。
「素敵なオッド・アイですね?お客様は学生さん?それともご旅行の方かしら?」
パティシエールはリュトの、右はコバルトブルー、左は銀の瞳を見つめる。
「はい学生です。ちょっとした短期の研究旅行です」
「そうなんですか。ゆっくり選んでくださいね。もうあまり残ってませんけれど」
確かに西方的な清潔なショーケースのほとんどは空で、残っているのは5種類。それぞれ1~2個だけだ。
「私はこのイチゴのババロアにします」
「じゃボクはマロンのケーキ」
「はい。ありがとうございます。お好きな席でお待ち下さいね。お飲み物は如何なさいますか?」
「私はチャイを」
「ボクはコーヒーをブラックで」
「コーヒーの濃さはどうなさいますか?」
「やや薄いのがいいかな」
コーヒーの濃さを聴いてくるあたり、さすが評判のお店だ。ちなみにランチも素晴らしいということだ。
まばらな客席の中で窓際の席を選んで待つと、愛らしいギャルソンがケーキと飲み物を運んできた。
帽子を脱いだリュトの翠の髪にちょっと視線を奪われているようだ。旅人は服も帽子も緑だから、これはなかなか緑っぽい。白系統の召喚魔導師らしいチハヤと良いコントラストだ。
リュトは早速コーヒーの香りを楽しむ。
「深い!これはコーヒーも素晴らしいね。ちなみに炒り方にもコツがありますか?ボクも良く自分で淹れてるもので・・・」
「はい。こちらはデヴィという豆をゆっくりと焦がさないように浅炒りして、粗目に挽いたものを多めに使って淹れています」
「うーん。美味しいですよ。素晴らしい。味に深みがあります」
「このババロアも素敵ですよ。ふんわりして素晴らしく滑らか。香りは爽やかで味わいは豊かです」
「ありがとうございます。味覚の繊細なお客様は嬉しいです」
少年は一礼してさがった。
「お酒も少しあるんだね。高級なブランデーやラム、ジン、コーヒーやチョコレート、フルーツ類などのリキュール。ケーキに使うのと・・・飲み物の香り付けかな」
気に入った店のメニューは楽しい読み物だ。
「ケーキの種類も凄いです。軽食も素敵」
「これは良いね。また来よう」
「ですね。ランチも試してみたいです」
後は黙々と楽しむ二人だった。特に少女はフォークで切り取ったババロアを口に含んでは楽しむように目を閉じている。窓の外には小の月がくっきりと見える。街は、まだまだこれからの賑わいで空の星々もかすんでいる。しかし旅人が疲れを癒す時間の始まりでもあった。少しばかり無防備になるのも自然なのである。
優雅な時間を楽しんでランチの予定などを聞くと、二人は夜の街に戻っていった。大学やギルドの位置も再確認し、屋台や掘立の店舗を冷かしながらホテルへの帰り道を楽しんだ。
「うーん。よいしょっと」
ふかふかのベッドで背伸びすると少女は掛け声で起きた。
朝の太陽がカーテン越しにもまぶしい。
となりにはレトがキラキラと鱗を光らせながらこちらを見つめている。
「まだポンポンが丸いよ~レト。食べすぎじゃん?少しお休みね」
少女は両手にカメレオンを載せる。少女が半眼になり、胸の勾玉が輝くとカメレオンは朧になって消えていった。
軽くシャワーを浴びて身支度をするとエブリデイ・キャリーのショルダーバッグを用意し、その他の荷物をストレージに整理してから続き部屋の居間に入った。
「おはようございます」
「リュトさん、おはようございます」
「ニュニュ?」
「キュキュー」
2体のマテリアも上機嫌のようだ。
「モーニングはダイニングで食べようか」
「はい」
部屋を出てシンプルな内装の廊下を歩く。腰壁は木目で漆喰の壁に良く映える。
床もフローリングで、とても清潔な印象だ。少女の右肩に蝶が、帽子に小鳥が載っている。少年はバックパックを、少女は肩掛けのバッグを持っている。そのまま外出するのだろう。靴もアウトドア用だ。
日差しの明るいダイニングに着き、席に案内されると、多彩なバイキング料理から選んだ。
「ボクはシンプルに行こう」
「私はがっつり行きます」
少年はパンケーキにミルク。少女はナンに野菜煮込み、ヨーグルトにフルーツジュースと確かに大人の男性なみの食事を用意した。
「今日はギルドに行くわけだけど・・・どうする?一緒に行こうか?」
「時間がもったいなく無いですか?別々で良いですよ」
「そう?まぁ目立たないようにね」
「私巻き込まれ体質じゃ無いですから」
「・・・フラグ立てた?」
「不吉なこと言わないで下さいよ。ってかパンケーキもミルクもハチミツですか?」
「これがね、旨いんだ」
「甘々ですね」
「朝は良質の糖分」
「へぇ。ヨーグルトに入れてみようかな?」
「最高だよ。色の濃いのがミックスで色の薄いのがアカシア。どっちも美味しいよ。ヨーグルトなら、ボクはアカシアがお薦め」
「とって来よっと」
適当にじゃれながら食事をし、ランチは昨夜のお店に落ち合うことにした。
そして夏用の帽子とマントで武装した二人は、元気に街に繰り出した。
オッダンタプリの街は中央に正八角形のオッダンタプリ総合大学。その外側がギルドや商店、ホテルなどの商業区域。最外周に閑静な住宅街があり、その外は街を守る正方形の街壁になっている。
2マール程の高さの街壁の外側は、街道筋と同じような平和な田園地帯。南にはサラスヴァティーの大河が流れている。
少女は商業区域の東側に位置する魔導師ギルドに向かった。小鳥と蝶のマテリアもしっかりお供をしている。
落ち着いた淡いグレーの舗装をされた歩道には、ここにもマンゴーやパパイヤなどの街路樹があって、木陰はそれなりに涼しい風が吹いている。
黒っぽい外壁の3階建てのビルが地図にある魔導師ギルドだった。外壁にはアマヅラが茂っている。大きな扉をそっとノックしてから開けると、大きな受付があり、女性が3人座っている。中央の女性に近づき、挨拶する。
「こんにちは。魔導師ギルドの受付はこちらで良いですか?」
「ようこそ。ここがオッダンタプリの魔導師ギルドの総合受付ですよ。これがお嬢さんのカードね?」
ウサギ耳の女性にIDカードを渡した。一応、到着の記録をしてもらう為だ。一般に獣人は人間よりも寿命が長い。エルフやノームほどでは無いけれど。そのせいで若々しく、この受付のお姉さんも20代前半にしか見えない。しかし~もちろん、この国で2番目の規模の魔導師ギルドの受付がそんなに若いわけは無い。
「んんん~。お嬢さん・・・あなた・・・何者なの?ほとんどの情報がロックされてるじゃないの。本部ギルドの嘱託魔導師さんなのね。14歳?でAクラス???凄い、というよりとんでもないわね。お若いのに。マテリア2体に召喚獣・・・召喚獣は見せてもらえるの?」
「はい。レトおいで」
前に差し出した少女の両手の上にカメレオンが顕現した。
「カメレオン。擬態なの?聞いちゃいけないのかしら?」
可愛くほっぺに人差し指をあてる受付嬢にもめげない。チハヤは落ち着いた子なのだ。
「擬態です。本来はちょっと大きいので」
「そうなんだ。3体とも可愛いけど・・・難しい案件なのかしら?あなたみたいな優秀な人が派遣されるなんて。ギルマスにも会って行く?最優先で・・・今なら1アル後の予約ができるけど?」
「危険は無いはずの人探しの案件なんですけど。でもお目通りした方が良いかもですね。1アル後でお願いします」
「そう。では予定に入れておくわ。他に何かあります?」
「えっと、グランドマザーにアクセスできる端末ってありますか?」
「本部の人ですもんね。わかるわ。オッダンタプリでは衛星経由で1ダル24アル中で4回、1アルずつだけど繋がる端末が使えるわ。今からだと10ミル後だからちょうど良いわね。2階の情報室にあるわ。あなたのカードで入れるわよ。Aクラスだもんね」
「ありがとうございます」
「私の後ろの中央階段昇って右すぐよ」
「はい。ギルマスのお部屋はどちらでしょう?」
「ギルマスの部屋は3階。中央階段昇って左に行ったつきあたりね」
「はい。ありがとうございます」
「頑張ってね」
「はい」
笑顔で手を振って階段を昇る。重厚な木製だ。つやつやしているが不思議と滑らない。
壁は外装より薄い、白に近いグレー。照明は電力と魔石動力のミックスのようだ。
言われた通り、2階の右手すぐに情報室はあった。カードでセキュリティが解除され、入室できる。広さはホテルのダイニングくらいある。中の照明は魔石だ。
10ほどデスクが並び、それぞれに端末が用意されている。
席につくとカードと首の勾玉が薄く光ってアクセスが開始された。空中にホログラムによるモニターが展開される。ギルド本部のサイトにアクセスし、定期連絡の後はグランドマザーにアクセスして情報収集。リヒターという謎の一族とリヒタルという滅ぼされた都市国家の歴史を再確認。美しい都市と美しい人々。最悪の戦争による滅亡。
軍事国家ヘルヴィティアの10万の大軍に対して、たったの15万人のリヒター達は、ほぼ為す術もなかったようだ。生き残りは、戦争直後の時点で約1万。その後名乗り出た人々を合わせても3万に満たなかったとされる。悲惨な結果であり、その特異な文明の保存については悲観的な見解も為されたほどだ。
その後、国土の奪還は隣国ヴァイエラ、友好国サリナス、魔導師の国イシュモニアの連合軍がおこなったようだが、いくつかの切り札的な戦力が投入されるなど、大変厳しいものだったとされている。美しかった都市の景観は、かなり変わってしまったらしい。
現在、遺民達を集めて都市を復興し、国家再建の準備をしているのは、この友好国連合が中心であるが、ヘルヴィティアと通商上の問題を抱えるフェニス連邦やソグド自由都市など数か国が資金や人材の援助をしているようだ。ヴァイエラが負担に耐えられず疲弊すると困る国が多いからだろう。イシュモニア出身の魔導師達が各国で動いたという話もあった。南国グプタもヘルヴィティアの敵国同士ということで協力したようだ。そうであるならば亡国の王女が、この国に密かに逃れたというのも納得できる。
滅亡に瀕したリヒター達だが、友好国連合の努力によって新たに1万人ほどが見つかっている。都市の再建も進んでおり、現地リヒタルで努力している遺民が2万数千人。各国で学業に励んでいる人々、つまり成長過程の青少年が数千人。しかしリヒターの文明の象徴たる直系の王家の人々が未だに見つかっていない。当時、王宮は凄惨な有様で生存者はゼロとも言われたのだ。
しかし今回のミッションが成就すれば、リヒタル再興は大きく進むことになる。王女の存在が明らかになれば、なおも各地に隠れ潜むリヒター達が名乗り出てくるだろうから。
実のところ、強力な魔導力を有するリヒター達が70%以上も、ただ亡くなってしまったというのは、かなり無理がある想定なのだ。ゆえに、王女が見つかり、その地位なりが安定すれば、安心した人々がなお、集まってくるだろうと思われた。
文化の多様性は勿論、文明の多様性の保存を重視している諸国にとっては、リヒタルの復興は学問的な意味以上に重要な事業と、とらえられているようだ。特に隣国ヴァイエラでは、自国の防衛の為にも一種の緩衝地であるリヒタルの存在を確保することには大きな動機があるのだ。
いくつかの補足事項を検索していると、ギルマスとの面談時間が近づいた。アクセスを終了して3階に昇る。左手奥の部屋は大きな扉に閉ざされていた。慎重にノックする。
「どうぞ」
「失礼します」
大きなデスクの前に豪華な革張り、猫足のソファセットがあり、一人掛けの方に、ほっそりした女性が座っていた。
「あなたがチハヤさんね。ようこそ、オッダンタプリに。歓迎しますよ」
「ギルマスさんですね。宜しくお願い致します」
「可愛らしい方ね。優秀な方なのに。私も本部にアクセスして見たのよ」
「私こそ美しい方でドキドキです。エルフさんですよね?」
銀の髪をかき上げた女性の耳からの判断だった。エルフは獣人よりも桁違いに長生きだ。通常の人間など問題にもならない。近い種族にノームがいるけれど、それと比べてもずっと寿命が永い。細胞の再生を担うテロメアの恒常化を維持する、テロメラーゼが圧倒的に活発なのだ。この点は龍など長命の生命体にも共通する特徴だ。当然、細胞再生の失敗である癌にも罹らない。これは魔導師が寝ている間に身体の修復を行って長命なこととは似ているけれど意味が異なる。
彼らは成人すると、ほぼ不老なのだ。このギルマスの女性も18歳くらいに見える。けれどもこの外見で200歳と言われても誰も驚かないだろう。なにしろエルフで魔導師ということは、二重の意味で老化から守られているわけだから、人型の種族としては、サリナスでヴァンピールと呼ばれている吸血鬼を除けば最も長寿命と考えて良いのだ。そして勿論、どんなに優秀だとしても18歳の女性が、このような重要都市の魔導師ギルドでギルマスになれるわけが無いのだ。
「ふふふ。ギルドマスターのカレナリエルです。宜しくね」
魔導師らしい、白に近い薄紫のトーガをまとった女性は、立ち上がると繊細な美しい右手を差し出した。お肌も艶やかで若々しい。チハヤも実際に若い故もあって、赤ちゃんのようなお肌なのだが、ちょっと神秘的な輝きで負けてしまいそうだ。傍目には美しい女性同士、火花が散っているとも見えなくもないのだろうが、若い方のチハヤが、実はたじたじなのだ。チハヤもAクラスの魔導師である以上、長命である可能性は高いのだが、長く若さを保つ能力に関しては、元々のいわば素材が違う。
「こちらこそ。よろしければ」
「もちろん。コーヒー?紅茶?それともチャイ?」
「私、グプタに来てチャイにはまっちゃいました」
「うふふ」
エルフがテーブルに手を伸べると、いきなり美味しそうなチャイが二つ現れた。カップはグプタ伝統の唐草模様の磁器。
「素敵」
「お口に合うかしら?」
すごく良い香り。お茶の香りにミルクやシナモン、ハチミツの香りが重層的に包まれている。味も複雑にして円やかだ。
「美味しい」
「良かった。さて、お仕事の方ですけど、私との面会は予定の行動よね?最優先の指定があったわ。任務の内容は秘匿事項で分からないけど、要請があれば何でもご希望に答えるわ。でもあなたなら、きっと大丈夫ね。凄い量の魔力を感じるもの。データはいろいろロックされてて良く分からなかったけど」
ギルマスさんの菫色の瞳は若々しくキラキラしており、好奇心でいっぱいの表情だ。
「頑張ります。それに相方が優秀なので。それよりギルマスさんこそ存在感が・・・」
「役目柄よ。その気になったら相方さんを紹介してくれても良いのよ」
「今頃旅人のギルドに行ってます」
「そうなんだ・・・あなたのサポートするなんて、ホントに優秀な方なのね?」
Aクラス魔導師のサポートを可能な旅人、という存在が不思議なので謎かけしたのだろう。それほどのエキスパートでありながら旅人ギルドを優先している、という点が不思議なのだ。いくつかのギルドを掛け持ちしている優秀な人材なら、難しい任務の際に旅人ギルドを優先したりせず、魔導師ギルドや冒険者ギルド、あるいは騎士のギルドか学者のギルドにコネクションを持とうとするはずだからである。逆にチハヤのフォローができるほどの人材でありながら旅人ギルドにしか登録が無いなどとは、それこそ想像もできない。何しろAクラス魔導師でありながら召喚師であるような人材とは、場合によっては軍隊で言えば一個連隊にも匹敵する、ということなのだから。
「秘密なんです」
「ふ~ん・・・それ、よっぽどって事よね?」
「かなりです。多分、任務が終わったらお目に掛かるかも・・・と思いますよ」
秘密にするのが少し辛くてつい言ってしまった。つまり魔導師ギルドか冒険者のギルドにも席があるかも知れない、という含みがある。冒険者のギルドは魔導師ギルドとは何かと持ちつ持たれつだから、大きな任務が成功したら公式に情報が流れるはずだ。
「そうなんだ・・・期待してるわ。じゃ、何かあったら何でも言ってね。直接アクセスできるようにしておくから」
「はい。ありがとうございます。では次回は任務の成功をご報告できるように精進します」
「ふふ。お堅いのね。頑張って」
美味しいチャイのお礼をいって別れた。
閉じた扉から目を逸らすとエルフの美女はつぶやいた。
「チハヤちゃんか・・・彼女もだけど・・・相方さんにも興味深々ね。それにしても・・・あのマテリアは・・・」
受付の女性に挨拶してギルドを出ると、まだお昼には時間があった。昨日の洋菓子店兼カフェの途中に市立の図書館があったので、地域的データや大学のデータを少し調べた。図書館には付属のレストランがあったので、次回のお楽しみにする。
ほどなくお昼時分。日光はますます強烈だ。ちょっとの歩きも日差しが厳しく感じる。
小走りで到着したパティスリーの冷房が効いた店内の空気は、ケーキたちの素晴らしい香りがした。少年は昨夜と同じ席に座っている。
大学にも近く、誰が聞いているか分からない。デリケートな会話はデバイスを通して秘密裏に行う。
「早いですね」
「うん。こっちは簡単だから。エルフのギルマスさんは元気だった?」
「やっぱりご存じなんですね?」
「うん。前にちょっと」
「ですよねー。ご挨拶しないんですか?」
「今回は解決するまではね。あまり動くとターゲットが逃げちゃうかもだから。小型のビークルを延々走らせた甲斐が無いからね」
「はい」
お昼はパティシエールさんが一人でやっているらしい。
相変わらず金髪も笑顔も眩しいくらいに美しい。細身でボリュームは無いけれど、立ち姿が端正だ。身長は小柄なほうなのに存在感がある。
ランチは2種類のセットがあり、リュトはベジタリアンを。チハヤはノンベジを選んだ。
「ホテルのも素敵だけど、ここの野菜の煮込みは、また格別だねぇ。グプタ調というより西方風だけど洗練されているよ」
「このお肉、いえ、モツですね。ホルモンのテリーヌ!!!・・・とろけてます~下手すると捨てちゃうのに・・・こんなに華麗な料理になるなんて・・・」
「サリナス皇都の5つ星にも負けないね・・・このパンもバターもポタージュも・・・凄いなぁ」
「うぅ・・・このお店・・・持って帰りたいです」
「お財布に優しいのがまた・・・こんなのが近くにあったら外食ばかりになっちゃう」
「まぁ、ディナーは無いんですけどね」
「ランチが11アルから3アルまでだから、最初と最後に食べれば夜はケーキとコーヒーで良いよ。ボクは」
「うわー!分かります。夜抜きは美容にも良さそう」
少女はお年頃なのだ。まぁ魔導師の身体修復があるから、そもそも過剰に太ったりはしないのだが。
「少し休んだら、大学に乗り込むよ」
「はい!」
グプタ帝国最高最大の大学は高い塀と巨大な門に守られている。門衛にそれぞれのIDカードを渡してチェックインする。ちゃんとサリナスの大学に籍があるので問題無い。まぁ、資格等は特殊だが。
「考古学のチャンドラ・シェレスタ教授とお会いになるのですね?真っすぐ入った奥の右手の更に奥のB号棟2階になります」
「ありがとうございます。宜しくお願い致します」
「ふむふむ。お二人とも結構ですよ。オッダンタプリ帝立大学へようこそ。どうぞガネーシャのご加護がありますように」
優しそうな、でも強そうな獣人の警備員さんは、システムでチェックしたカードを二人に返してくれた。象の姿のガネーシャは商業と学問の神である。
「みなさんにも神々のご加護がありますように」
広大な大学の中ではデバイスを通した会話が主となる。いわば敵地に近いからだ。王女を守る人(人々?)はギルド調査員の接近を好まないだろう。
何しろ好意的なことが確実の友好国連合の調査から13年間も見事に王女を隠してきたのだから。どれだけ用心深いのだろうか。
シェレスタ教授の研究室は奥まった古い校舎の一室であった。
「リュト君。懐かしいなぁ。良く来てくれた」
「ご無沙汰していました。教授こそお元気そうで何よりです」
「そちらの若く美しい方は?」
「チハヤと申します。ギルドの嘱託をしています」
「魔導師さんかい?リュトとコンビを組むなら優秀なのだろうね?」
「教授。今回は私は旅人のギルド経由です」
「そうか。安心してくれたまえ。この研究室はおんぼろだが、セキュリティは完璧だと思うよ」
「はい。しかしリヒターの王女がこちらに入学されていることは漏れたようですね。それで私たちが接触に来たのですから」
つまり大学のセキュリティに不備があることを示唆したのだ。
「たしかに。注意せねばな。後で学長に報告しよう。では、早速、君たちを私の短期の聴講生として登録しようか。学内のほとんどに入れるからね。図書館のタグも作ろう。公式のものだよ」
「ありがとうございます」
「宿泊は?」
「ホテル・ターラナータです」
「寮は使わないかい?」
「どうでしょう。怪しく無いですかね?」
「まぁ、私には分からないが、見る人が見れば君たちの魔力量は目立つんじゃないかい?」
「そこそこ隠蔽してあります」
「デバイスの性能かな。それならば学寮を使うのも手だけれど。どうする?」
「1ウィルは通いで、もしも見つけられなかったら入寮手続きをお願いします」
「分かった。目的は君の文明学研究で良いのかな?」
「はい。お願いします」
「良し。今晩は空いているかい?ウチで食事でもどうかな?」
「お邪魔でなければ」
「朋有り遠方より来るだ。大歓迎さ」
「ありがとうございます」
「では午後の7アルに来てくれたまえ。場所は覚えている?」
「はい。教授住宅の3号棟でしたね」
「うん。3号棟の2階だよ。ではこれが聴講生のタグだ。図書館のタグはこっち。失くさないでね」
二人は腕輪型のタグを2個ずつ受け取った。
「助かります。それでは7アルに」
「待ってるよ」
本だらけの研究室を出て、学食を探した。今はカフェタイムだった。学生が沢山いる。ガヤガヤと活気がある。様々な人々がいるので、リュトもチハヤもあまり目立たない。しかし会話はデバイスを通している。
「この巨大な大学で一人の学生を探すのは大変ですね」
「確かに、エルフもドワーフも獣人もいるわけだしね。しかしリヒターの王女ならそれなりに目立つはずなんだ。文化的な問題もある。例えばこの食券のもぎり方。サリナスやヴァイエラでは無いよね?リヒターの文明は、このような点に関してはサリナスに近いはずなんだ」
確かに食券は切り取り線からずれて斜めにもぎってあった。
「美人さんかしら?とても丈夫な人たちみたいですけれど・・・お化粧は?」
「彼女のお母さんは美形で有名だったようだね。お化粧はどうだろう?王族としては薄化粧なんだろうけど。その辺は、本部でも君に期待していると思うよ。年齢もこの中では若いほうだろう。チハヤと同じくらいだからね」
「若い人もいますけど、ほとんどは20歳前後かしら?大人っぽい人たちは学生というよりは研究者?私と同じくらいの人は少ないように見えますね。リュトさんも、この大学では若い部類に見えます」
周囲の学生たちを見回してチハヤがつぶやいた。
「冒険者や旅人などには一生学ぶ人もいるし。教授より年上の学生もいるはずだよ」
「逆に若い教授もいるとか?」
「そうだね。数学や物理学、芸術学、魔導学などの教授は若い人もいるだろうね。まぁ、さすがに10代はいないと思うけど・・・」
「リュトさんの文明学は?」
「あまり若い人はいないかもね。王族や官僚や大企業のオーナー一族なんかが学ぶのは歴史学と同じようだけど」
「彼女は何を学んでいるんでしょう?」
「リヒターの王家なら、ほぼ例外なく魔導の才能があるはずだ。だから逆に魔導学は無いと思う。学ぶ必要が無いというか・・・」
「なるほど」
「王家の人間として生きるなら政治学、歴史学、法学、芸術学、薬学、料理学などは可能性がある」
「ふむふむ」
「護身術系やサヴァイヴァル系も同様に可能性が高い。以上は、全ての王家に共通だね」
「もしも一生隠れて生きる覚悟をしていたら?」
「その場合は難しい。リヒターは一般に知能も高いし美意識も高い。何でもあり得るね」
「・・・私が王女なら・・・何を学んでも違和感がない分野か・・・あるいはリヒタル滅亡の原因を知りたいかも」
「それもあり得る。案外シェレスタ教授の教え子だったりして」
「考古学なら何を調べてもおかしく無いですね。たしかに」
「歴史系は全て怪しいね。その線で行くと」
「はい。あとは心理学」
「なぜ?」
「歴史心理学なら、どちらの目的も適います」
「うん。あるね。今晩教授に相談してみよう。年齢は若干なら偽装できるから、比較的若い女性の中からじっくり探してみよう」
「知性や魔導は隠してるかも知れませんが、美貌はあまり隠していないかも」
「ふうん?」
「若い女の子ですから」
「なるほど。でも銀の髪に銀の瞳は目立つから隠してるだろうね。あと大学にいる以上、知性は隠しきれていないかも。人って自分が理解できることは、他人も理解していると思うものだから」
「・・・ですね。賢者の弱点」
「魔導の量は隠しているだろうけどね。お母さまや女性の親族の画像データは参考にしてみよう」
「その辺は私がやりましょう」
「任せるよ。僕はオッダンタプリ入学以前の彼女を探してみよう」
「・・・それは・・・盲点でした」
「子供の偽装は難しいからね」
「確かに。目立つ子供を探すってことですね」
「うん。それじゃまた一旦分散しようか?ホテルに6アルで良いね?」
「はい」
実はチハヤは自信があった。自分と同じ年齢の美しい少女。しかも、いくら飛び級OKの国でも、大学生で14歳は目立つに決まっている。人口大国グプタの最高最大の大学でも、この条件に見合う学生は少ないはずなのだった。しかし・・・
まず個人情報へのアクセスが非常に難しい。学内のデータベースは多重防衛システムで守られているらしく、チハヤのスキルではハッキングは不可能だった。しかもAIを使わない“硬性”のシステムのようで融通が全く効かないのだ。ひょっとすると隔離された情報系にのみ、学生の詳細なデータが秘匿されているのかも知れない。古典的だが有効な方法だ。ひょっとすると、リュトが子供時代の王女を探そうと思ったのは、既に大学のデータベースへの介入を試したからかも知れない。リュトと彼のデバイスに無理なら、チハヤに為す術は無い。
データが使えないとなると後は口コミが頼りになるものだが、まだ知り合いがいないチハヤにはハードルが高かった。
飛び級で入学した賢い美少女・・・確かにそんな雰囲気の学生はいるにはいるのだが・・・というかチハヤ自身も、そのカテゴリーに充分入るわけだが・・・まず対象の年齢が良く分からないのだ。歩きまわりながら、目につく学生を片端から画像データにしたのだが、たちまち数十人を越えてしまった。男性がやっていたら大問題だろう。若い美少女は率としては少ないのだが、何しろ学生の絶対数が多いのだ。巨大なグプタ帝国の将来を担う若者のほとんどが集合しているのだから、まぁそれも当然なのだ。
恐らく12歳から18歳くらいの美少女を撮っていることになる。ひょっとすると20歳以上の被写体もいるかも知れない。同性の目から見ても、実は女性の年齢は分かりにくいのだ。美女なら猶更である。
本来のリヒターの王女なら、やや色白か健康的な肌色、輝く銀髪に知的な銀の瞳なわけだが、当然、その辺は偽装しているだろう。撮影したデータを見ると、髪は銀、金、黒、茶、白に紫、碧に赤・・・これではまるで分からない。肌の色も雪の白から漆黒まで様々。
グプタと言えば、多文化、多民族の上に獣人やエルフ、ドワーフだっているのだ。大柄なのか小柄なのかも分からないリヒターの少女を見分けるのは至難だった。小柄ならドワーフに偽装できるし、大柄ならドワーフ以外の誰にでも偽装できるだろう。普通の身長ならば、それこそ最も多い人種である“人間”に偽装できる。そして人間ほど多様な生物はいない。同時に視覚的欺瞞を行っていれば、猫耳やウサギ耳の美少女だって怪しいのだ。
トラックを走っている少女も、ベンチで読書している少女も、カフェテリアでおしゃべりしている少女も、疑えば皆、それらしく見える。
考えてみれば、12歳の天才も、幼い雰囲気の18歳も、14歳の賢い少女に見えるのだ。チハヤは少し途方に暮れた。
変装した平凡な美少女。むしろそれ自体が哲学的な難問だった。
そもそも本人がその気になれば、14歳の美少女は20歳の女性にだって化けられるのだから。たぶん。
しようがないのでチハヤはデータ収集という名の隠し撮りを諦め、図書館に向かった。