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6.5. Actions speak louder than words. ★

 小鳥の囀りが聞こえてきそうな、まだ朝も早い時間帯。

 アイリは目を覚まし、ゆっくりと起き上がると、朝の支度を整えに洗面台へと向かい、顔を洗って、櫛で軽く髪を梳かす。

 やがて、落ち着き払ったいつもの面持ちとなって、歯ブラシに、ミントの様な香りがする歯磨剤を付けて、シュッシュッと歯を磨く。

 口を濯いで襟を正して、それを鏡の前で入念にチェックし終わると、漸くアルトが待つであろうキッチンへと向かった。

 その足取りは軽やかに、弾む気分を押さえながら。

 今日はどんな一日にしようかと、思い巡らせながら。

 まずは、ご飯を食べて、二人でお買い物に行って。

 昨日の夜に、お風呂には入ったけれど、洋服も、下着の替えも何も無い。

 まだまだ多感な年頃のアイリには、到底受け入れられる事では無かった。

 それに、遠出をする為の備品も欲しい。

 例え、ちょっとそこまでであっても、何が起こるかは分からないのだから。

 それはまるで、旅行の下準備。

 間違い無く、今が一番楽しい時間だった。


 キッチンの入口まで辿り着くと、アイリはゆっくりと扉を開け、その隙間から顔を覗かせる。

 丁度手の空いたタイミングだったアルトは、扉の開く音に気付いたのか、視線をアイリの方へと向けていた。


「アルトさん、おはようございます!」


「おう、おはよう、あいリン。もうちょいで出来るから、まっててな」


 まだ朝も早い時間なのに、今日もアルトの仕事は早かったみたいで。

 本当はアイリもそばに寄って、近くでアルトのあの動きを見ていたいと言う思いからの早起きだったけれど、既に提供スペースの上には完成された品々が並んでいた。

 少し残念な気持ちを、アイリは心の中に押し殺して。


「はーい。出来たの、持ってっちゃいますね?」


「よろしくー!」


 アルトの準備が整う前に、アイリは支度の整った料理から順に、レストランへと運び出すのだった。


 既にテーブルのセットがなされていたレストランの一席に料理を一旦置いて、キッチンへの道を戻っている途中、もうすぐ辿り着く一歩手前の所で、何やら甘くて芳醇な、とてもいい香りがアイリの鼻孔をくすぐった。

 しまった、と焦りの表情を浮かべつつ、急ぎキッチンの扉をくぐり、アルトの横へと並び立つ。

 蓋をされたフライパンの中から漏れて漂う匂いの正体は、熱せられた生地とバターが放つ香り。

 アイリは顔をフライパンに近寄せて、くんくん、と鼻を鳴らして堪能する。

 それは、とても幸せになれる香りだった。


「いい匂いですねぇ。とーっても、美味しそうです」


「すぐに焼けるから、あいリン、先に座ってていいよ?」


 そう言われるも、アイリは首を振ってアルトのそばを離れず、軽快に焼き上がる音を耳にしながら、蓋をして蒸し焼きにされている何かを食い入る様に見つめていた。

 やがて焼き上がり、現れたふわっふわな分厚いパンケーキを、アルトは既に飾り付けてあった皿へ載せ、上から粉糖を振り掛けた。

 急ぐアルトに倣ってアイリもお皿を持ち、レストランのテーブルへと二人仲良く運ぶのだった。


「それじゃあ頂きましょう」


 パンケーキをテーブルに置くと、アイリはそそくさと席に着き、右手にナイフ、左手にフォークを持ち構える。

 じっとアルトを見つめ、「早く食べたい!」と猛アピールをしながら、アルトが席に着くのを待った。

 鮮やかな赤い、トロトロと濃度がありそうな、キンッキンによく冷やされたスムージー。

 爽やかなシトラスの香り華やぐ、三種類のベリーとオレンジ、グレープフルーツのフルーツカクテル。

 そして、ふわっふわな分厚いパンケーキ。

 朝からアイリの顔には、喜色満面の笑みが浮かんでいた。


「はい、どうぞ召し上がれ」


 アルトからの声掛けと共に、スタートダッシュさながら、それでも優雅な所作は出来るだけ崩さずに、アイリは上手い事ナイフとフォークを扱って、目の前のパンケーキへと臨んだ。

 白くて四角い大きなお皿に乗せられたそれは、ナイフを入れれば、何一つ抵抗も起こさずに、すっ、と下のお皿まで辿り着く。

 小さく、シュワシュワと鳴き声を上げながら。

 切り分けて口に運ぶと、ふわっふわでシュワッシュワ。

 ほんのり甘くて、バターのいい香り。


「アルトさん! すっごく美味しいですっ!」


「そりゃどうも。そんなに美味しそうに食べられちゃ、作り甲斐があるってモンだよ」


 続けて、杏のソースを絡めて、ホイップクリームを上に乗せて口に入れた。

 甘くて、心地よくて、幸せだった。

 この世界への感謝を、胸に抱いて。


「幸せですねぇ」


 それは、アイリの心からの呟き。

 もしかしたら、この世界で無くとも、こうして二人で食卓を囲む機会もあったかも知れない。

 けど、それはそれ。

 仮定でしかない他の未来なんて、何が起こるか分かりはしないのだから。

 今幸せな事が、何より大切だった。


 十二分に感慨に浸ったアイリは、ガラスの小鉢に彩り鮮やかに盛られたフルーツカクテルに手を伸ばす。

 ブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリーの三種のベリーに、オレンジとグレープフルーツの柑橘類が鏤められており、それらを少しずつ口に運んだ。

 鼻から抜けるシトラスの爽やかな香りの奥に、熟成されたレーズンの様な香りが優しく感じる。

 それぞれが強い酸味のフルーツ達は、一貫して程よい甘さに包まれていた。

 それはただ甘いだけでは無く、奥深くて。

 まろやかに、角の取れた甘酸っぱさがあった。


 アイリは再びパンケーキを口に入れると、次は潤いを求めて、スムージーを合間に挟む。

 うっすらと汗ばんだコリンズグラスに注がれた、ひんやりと冷たいその飲み口は、トロトロとしていて、とても濃厚。

 嫌な癖も無く、程よく甘くて飲みやすい。

 それはとても自然な、トマトとパプリカ本来の滋味深さであった。

 これはシンプルに、野菜そのものが美味しいのだ。

 こくこくと、喉を鳴らしてスムージーを飲み進め、またパンケーキを口にして、フルーツを摘まむ。

 今日一日はこれからが始まりなので、昨夜とは違い、食べ進めて終わりが見えて来ても、幾分か心にもゆとりがあって。


「ごちそう様でした! 今日も美味しかったですよ。こんなお食事なら、毎日でも食べたいです!」


 そのアイリ言葉には、飾り気も、一切の恥ずかし気も無いかった。

 それは、一種の告白の様な台詞。

 心からの叫びが、明け透けに口を衝いて出てしまっただけではあるのだけれど。

 まあ、アイリにその自覚があるかどうかは別としても。


「お粗末様。毎日このジャンルは……、正直、その内ネタが無くなっちゃいそうだけど。こんな腕で申し訳ないけど、何でもいいなら、いつでも作ってあげるよ」


 残念ながら、言われた側は気付かない。

 アルトは料理に関しては馬鹿真面目と言うか、馬鹿で鈍感な為に自覚が無いようで、特段変わらないやり取りに終わってしまった。

 いや、でもまだ、アイリにとって、今はそれ位で丁度よかった。

 近過ぎず、遠過ぎない微妙な距離感。

 心が触れ合い、気付き、互いに気付かされる期間。

 ちょっと仲のいい、気になる人。

 それを、純粋に楽しんでいた。


「ありがとうございます。それで、今日なんですが──」

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