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6. 行動は言葉よりも雄弁に語る ★

 東の空が少し白みを帯び始めた頃。

 アルトは目を覚まし、むっくりと起き上がると、徐に浴室へと向かい、寝惚け眼の顔を洗う。

 やがて、幾分かスッキリとした顔付きとなり、歯ブラシに、ミントの様な香りがする歯磨剤を付けて、シャカシャカと歯を磨いた。

 後に口を濯ぐと、軽く伸びをして、朝飯の支度に厨房へと赴くのだった。


 結局、昨晩は厨房へと戻ったアルト、暫く仕込みに勤しんだ後、部屋に備え付けられたバスタブで一風呂浴びてから、軽く眠りに着いた。

 勿論、蛇口は捻ったらお湯でも水でも、温度調節は自在だったし、シャンプーは無かったが、代わりにフローラルな、いい香りのする石鹸が備えられていた。

 残念ながら着た切り雀ではあるものの、特段に不衛生と言う程ではない。

 と言うよりも、このホテルは本当に設備が凄かった。

 多少の違和感は感じても、高級な造りのせいもあるのか、何不自由する事は無い。

 異世界とは、何なのだろう。


~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~


Today's breakfast menu


“ スフレパンケーキ ”

“ シトラスとベリーのマチェドニア ”

“ トマトとパプリカのスムージー ”


~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~·~


 アルトは最後の仕上げの前に、食堂でテーブルのセットをしようかと支度していると、アイリが入口からひょっこりと顔を出した。


「アルトさん、おはようございます!」


「おう、おはよう、あいリン。もうちょいで出来るから、まっててな」


 まだ朝も早い時間なのだが、「はーい」と言う元気のよい返事と共に、アイリは支度の整った料理から順に、食堂へと運び出して行った。

 そのアイリの手伝いもあり、アルトは最後に残してあったパンケーキを焼き上げていると、生地の甘い香りと澄ましバターの芳醇な香りが、次第に厨房内へと充満する。

 その匂いに釣られて急いで戻ってきたのか、アイリはいつの間にか横に並び立ち、クンクン、と鼻を鳴らしながら、幸せに満ち溢れた表情を浮かべていた。


「いい匂いですねぇ。とーっても、美味しそうです」


「すぐに焼けるから、あいリン、先に座ってていいよ?」


 そう言われるも、アイリは首を振ってアルトのそばを離れず、軽快に焼き上がる音を耳にしながら、蓋をして蒸し焼きにされているパンケーキを食い入る様に見つめていた。

 やがていい具合に焼き上がり、既に飾り付けてあった皿へ載せ、上から粉糖を振り掛ける。

 後は、萎まない熱々フワフワな内に、テーブルへと二人で運んだ。


「それじゃあ頂きましょう」


 既に席に着き、ナイフとフォークを持ち構えて、『早く食べたい!』と猛アピールしているアイリを横目に、アルトはそそくさと椅子に腰掛ける。


「はい、どうぞ召し上がれ」


 『待て』の解けた子犬のような勢いで、それでも優雅な所作は出来るだけ崩さずに、アイリは上手い事ナイフとフォークを扱って口に運んでいる。

 その、目の前に置かれたパンケーキと組み合っているアイリの姿は、実に微笑ましいものがあった。

 最初の雰囲気からは、こんな子だなんて思っても見ない位に。


 まずは、パンケーキにすっ、とナイフを入れて、アルトはその一欠けを口に運ぶ。

 ボリュームのありそうな見た目をしているが、スフレ特有の、シュワっ、としたふんわり軽い口当たりが実に面白い。

 昨日の残ったソースとホイップを添えてあるので、時折味の変化も楽しみながら、切り分け、口内に放り込むと咀嚼する。


「アルトさん! すっごく美味しいですっ!」


「そりゃどうも。そんなに美味しそうに食べられちゃ、作り甲斐があるってモンだよ」


 ナイフとフォークを携えたまま、嬉々とした表情を浮かべ、アイリはアルトを見つめている。


「幸せですねぇ」


 やはり、アイリは甘い物が大好物なのだろうか。

 相変わらず一口、口にする度、コロコロと変わる表情は、見てて飽きないものだが。

 クワっ、と目を大きく見開いたと思えば、トロン、と蕩けてしまいそうな恍惚とした顔を浮かべている。

 表情の宝石箱だ。


 早い話が、フルーツサラダであるマチェドニア。

 今回はブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリーの三種のベリーに、オレンジとグレープフルーツの柑橘類が使われていた。

 フレッシュなフルーツを、煮切ったやや甘口のマデイラワインの様な酒精強化ワインと蜂蜜のシロップで和える事で、尖った酸味を軽く丸めてあるので、口に放り込めば、口内を適度に調えてくれる。

 鼻を通り抜けるシトラス特有の香りが、目覚めの朝を感じさせていた。


 合間に挟むスムージーは、昨日の内に皮を焼き、剥いて切り分けた後で冷凍してあったトマトとパプリカに、蜂蜜を加えてすり流し、トロリとした滑らかな口当たりに仕上げてある。

 野菜特有の嫌な癖も無くてとても飲み易く、忙しい朝なれば、これ一杯でも十分な飲み堪えの仕上がりとなっていた。


「ごちそう様でした! 今日も美味しかったですよ。こんなお食事なら、毎日でも食べたいです!」


 そのアイリ言葉には、一切の恥ずかし気も無い。

 それは、一種の告白の様な台詞。

 まあ、本人にその自覚があるかどうかは別として。

 アルトとアイリ、出会ってまだ一日ではあるが、何か思うところでもあったのだろうか。

 最初こそは神経を尖らせていたアルトに対して、アイリは大分気を許し掛かっている様だった。


「お粗末様。毎日このジャンルは……、正直、その内ネタが無くなっちゃいそうだけど。こんな腕で申し訳ないけど、何でもいいなら、いつでも作ってあげるよ」


 残念ながら、言われた側は気付かない。

 料理に関しては馬鹿真面目と言うか、馬鹿で鈍感な為に自覚が無い様で、特段いつもと変わらないやり取りに終わってしまった。

 アルトは高校を出て早三年、寝ても覚めても料理漬けの日々を繰り返し送ってきた。

 日頃の習慣もあって、アルトの思考の八割強は、料理の事で一杯なのである。


「ありがとうございます。それで、今日なんですが……、出来れば昼過ぎにでも、一度この街を出ようかと思います。急げば夕方位には、一番近くの街に辿り着く筈ですので」


「以外と近い……、のかな、それ? あれ? でも、それなら保存食要らなくない?」


「万が一の保険、ですかね。この街がこんな状態である以上、まだ見ぬ余所の土地が、絶対に無事な保証は無いですからね。──あ、でも保存食は無駄にしませんよ? いずれにせよ、ちゃんと私が頂きますから」


 それは、転ばぬ先の杖、と言う訳だ。

 確かに、一番最初に訪れたこの街でさえ、未だ人っ子一人出会えてはいないのだから。

 外の世界がどうなっているかなんて、とてもじゃないが分かったものではない。

 しかしアイリはどうやら、アルトが作った保存食が食べたいだけの様でもあって。


「それで、午前中は、日用品などを探して回ろうかと思っています。完全に忘れていたんですけど、流石に、着替えとかも欲しいですしね」


 それは、確かにそうだった。

 アルト自身も昨日の入浴時までは忘れていたので、思わず「そりゃあそうだ」と声が漏れる。

 ここまでが、色々と恵まれていた。

 むしろ、物が揃い過ぎていた位だ。

 それが例え、他人の財を掠め取る行為であったとしても。


「それで、……アルトさんも、一緒に行きませんか?」


 若干はにかんだ様にして、アイリが問い掛けた。

 積極的なのか、初心なのか。

 残念ながら、その相手の頭の中は、目下料理の事で一杯なのであったが。


「行きたいのは山々なんだけどねぇ。まだちょっと、昼飯の支度が、──って、二時間位なら行ける、かな?」


 突如としてアルトに向けられた、鋭く刺す様なアイリの視線に思わず居竦まり、一度出した返答を覆してしまう。

 それはさながら、蛇に睨まれた蛙。

 提案では無くて、強制だった。

 すると、色好い返事を耳にし、一瞬でその仮面を脱ぎ捨てたアイリは、満面の表情を浮かべている。

 そのままおもむろに立ち上がると、置いてあった弓を携え、テーブルを回り込んで、空いた手でアルトの手を引いた。


「行きましょう!」


 残念ながら、片付けをしてからなのだが──





 目抜通りにある、婉然たる紳士、淑女達に向けた仕立て屋の様な店を横目に二人は歩く。

 アルトの隣には、やけに上機嫌に歩くアイリの姿があった。

 昨日と比べると、パーソナルスペースは大体大人で二人分程縮まった。

 むしろ、ちょっと近い──


 やがて通りの中頃を越えた辺りで、古着屋らしき装いの、比較的カジュアルな衣料品店に差し掛かると、揃ってその扉をくぐった。

 流石にこの世界では、未だマスプロは行われていない様子で。

 アイリに聞くと、「あるには、あるんですけどね」と曖昧な表現で、どうやら、エネルギーである魔石の出力が安定していない為に生産ラインが拡大出来ない事に加え、精密な操作が難しく、裁縫が粗い様であった。

 まあ、それでも十分に、便利過ぎる自然エネルギーではあるが。


 入口を通ってそれぞれ別れ、アルトは棚に雑然と置かれたシャツを手に取る。

 いかにも古着ではあるものの、思いの他、よれや解れも気にならない物があったので数点を選び、続けざまにパンツも手に取った。

 手触りは、コットンの様な滑らかな生地。

 まあ、何と言うか、下手なお仕着せよりかはまだマシかなと言う程度の意匠だった。

 そんな中、アルトが通路の向こうに目を向けると、アイリが手に取っていたのは、紫檀色がかった、バルーン袖の可愛らしいチュニックタイプの服だった。

 袖口と胸元、裾の部分にフリルが配らわれ、本人の愛らしい仕草と相俟って、とても良く似合いそうな意匠をしている。

 アイリも視線に気付いた様で、そのチュニックを身体にあてがいながら、クルリと軽くターンして、アルトの方へと振り向くと、


「これとか……、どう思いますか?」


 これまた、小難しい質問を投げ掛けてきた。

 これは果たして、どう答えるのが正解なのか。

 この手の質問は往々にして、世の男性を悩ませる。

 何処に地雷が潜んでいるか、分かったものではないのだから。

 しかし残念ながらアルトは、そう言ったやり取りには不馴れな為に、直球勝負しか出来なかった。


「あいリン可愛いから、よく似合ってると思うよ」


 そのアルトの選択は、当たり障りの無い共感。

 その答え、吉と出るか、はたまた凶と出るか。


「か──、ほ、本当ですか? じゃあ、これにしますね!」


 アイリの顔が一瞬ほんのりと赤く色付くと、それを隠すかの様に、そっぽを向きながらアルトに返答をした。

 そのままアイリは、そそくさとその服を纏めると、次の服を選びに掛かって、更に奥の方へと行ってしまった。

 どうやらアルトの投げた球はホームランになった様だが、アイリも大概初心である。


 アルトもそのまま店の奥へと赴くと、そこには下着のコーナーがあり、この辺りに置かれた品々は、新品の規格品であった。

 素材は先程の服と同じくコットンの様な肌触りで、裁縫も言う程悪くは無く、ボクサータイプの下着や靴下などが数多く陳列されていた。

 それらを数点づつ手に取り、自分用の物が揃ったので、店内を回りアイリを探す。

 しかし、そんなに広くない店内、先に声を掛ければよかったと思った時には、すでに後の祭りで。

 アルトが通路の角を曲がると、そこにはアイリがおり、真剣な面持ちでビスチェタイプのブラを胸元に当て、サイズ感を測る様な仕草をしていた。

 一瞬にして、アルトは見てはいけないものを見てしまった事に気付き、慌てて顔を背けはしたものの、「あっ」と小さく声は漏れ出てしまう。

 最早、状況は如何ともし難い。

 その声に過敏に反応したアイリは、バッ、と手に持ったブラごと、胸元を覆い隠した。


「も……、もしかして、見ました?」


 アイリから顔を背けたまま、アルトは掲げた右手と顔を、勢いよく左右に振る。

 実際アルトがブラのサイズを見た所で、よく分かる筈も無かったのだが。

 しかし、これは迂闊に口を開けば間違い無く、とんでもない爆弾が飛び出てしまうであろう事位、流石のアルトでも理解が出来た。

 可愛らしいブラジャーだね、とか。

 丁度いいサイズが見付かったみたいだね、とか。

 しかし事実、アルトの大袈裟な行動は、言葉よりも雄弁に語っていた。


「そうですか──」


 そこには、盛大に意気消沈した少女が一人。

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