4. 先人の知恵
グラスに僅かに残ったハーブティーを傾けて飲み干すと、ようやく一息を付いたアイリが、徐に口を開いた。
「なんか、全然納得が行かないんですけど……、分かりました」
「──ん? 何が?」
「人は、見た目によらないって事です」
笑顔で、淡々と棘のある台詞を吐いたアイリは、すっくと立ち上がると、カチャカチャと、静かに小さな音を立てながら、空になった食器を纏め始めた。
結局、誉められたのか、貶されたのか分から無かったが、当のアルトは項垂れている。
例え些細な物ではあっても、ダメージ自体はあるようだ。
「……さいですか」
「でも、本当に美味しかったんですよ! これだけは、絶対に嘘じゃありません。ごちそう様でした」
「いやいや、お粗末様でした」
気持ちは脇に置いといて、アルトは項垂れた顔だけは持ち上げると声を発した。
まあ、あの笑顔は嘘では無いだろうと思いたい。
食事中に何度も見た、コロコロと変化するアイリの表情の中で垣間見えたのだ。
それに、自分が作ったものを食べて、美味しかったと言って貰えたのだから、それだけでも料理人冥利には尽きると言うものだ。
「また──」
「──ん?」
「また、作って下さいねッ!」
余程、あの料理が気に入ったのだろう。
ぱあっ、と小さな蕾が花開いたかの様に、ややはにかんだ笑みを浮かべたアイリは、そそくさと厨房へと食器を運んで行った。
アルトは小さく「ぉ、おう」と漏らすと、しばらくの間、思い出し笑いでもしたかの様に、ニヤつきが止められなかった。
アレは、駄目だ。
幾ら朴念仁であっても一撃で粉砕する、戦術兵器レベルの威力を誇っていた。
昼食のせめてものお礼にと、アイリが食器を洗い、二人で元あった様に食器庫へと戻す。
急激に変化した和気藹々とした雰囲気は、さながら新婚生活を思わせるが、現実には出会ってまだ数時間の、お友達未満の関係でしかない。
むしろ、アイリにとってアルトなど、昼飯前までは話したことはあるけれど、あまり近付きたくないクラスメイト程度の存在だったのだから、これでも大分マシになった方だ。
「さて、これからどうしよか? また探索かね?」
二人揃って、エネルギーは充填完了。
アルトのやる気も、MAXハイテンション。
過去に無い位、絶好調だ。
そして今再び、当てのない人探しの旅に出掛けようかとアルトが思案していると──
「街の探索は、私一人で出てみようかと思います。アルトさんには、出来れば食事の準備を……。多少、日持ちする保存食の確保が出来れば嬉しいです。それと、今日の夜の事を考えて、宿泊が出来る部屋の準備をお願いしたいんですが──」
思いっ切り、出鼻をくじかれてしまった。
しかも今のアイリの台詞は、若干、晩御飯作って欲しいアピールにも聞こえるのだが。
それとも、ここでアルトとの距離を取る為の口実なのか。
まあ、アルトの手料理なんかでよかったら、全然いつでも作って貰えるだろうが。
それにしても、街でも色々と見掛けはしたが、保存食の問題は味だった。
甘い、しょっぱい、酸っぱい、硬いなど、保存の為に得てして極端な味がするのは、食中毒の危険性を孕んでいるので致し方無いことではあるが、それでも食事を美味しく頂けるに、越した事は無い。
「おーけい、任せて頂戴な。お兄さん、腕に頼を掛けちゃうよー。まあ、ほぼ専門外だけど。晩飯は、何かリクエストでもある?」
「そうですね……。調味料が難しいでしょうから、日本の……、とまでは言えませんが、何か、家庭料理の様な物が食べたいですね」
残念ながらこの国には日本食文化は無い様で、街中で麹を原料とした醤油、味噌など各種調味料を手に入れる事は叶わなかった。
この世界、どこか他の地域にはあるのだろうか。
正直、和食を嗜む者としては、是が非でも入手したい所で。
それこそ、自作する事になったとしても。
白いご飯と味噌汁、それが食べられないと思うだけで、日々の活力が湧かなくなってしまいそうなのは、日本人ならしょうがない事だろう。
「一応、米も炊いてはみるけどさ、最悪、パン食とかでも平気かね?」
「勿論です。楽しみに、してますね!」
笑顔を湛えながら告げると、弓を携え、軽く身なりを整えた後に、アイリは街へとくり出して行った。
残されたアルトは、どうしたもんかと言う様に少し悩んだ後、ひとまず考えを纏める事とした。
「糖蔵、塩蔵、乾燥、後は……、燻製に酢漬けとか、油漬けとかか。要は、カビやら、腐敗菌の繁殖やらを防いで、密閉すればいいんだろ? その逆の発酵になると、時間的にどう足掻いても無理だしな。幸いと言うか、ガラス瓶は見掛けたし──」
その手法を、一人指折り数える。
地球においても、旧時代には当然の必須事項だった、食料の保存法。
アルトも多少は知識も経験もあったが、本業さながらに保存に特化した方法までは知らなかった。
菌そのものを加熱処理で殺菌し、菌の増殖しやすい温度帯をいかにして避け、水分を抜き、菌の活動を鎮静化させる成分で覆う、と言った所まで。
あるいは、醤油や酒、チーズの様に、有用微生物を繁殖、安定させるか。
それでも常識の範囲内で、事故を起こさない様にレシピを考える。
「肉は……、やっぱり怖いからダメだろ。流石に塩蔵や燻製は時間足らないし。いや、オイル漬けならいける、……かな? 後は野菜か……、瓶詰め出来そうな所で、ジャムに、ピクルス、オイル漬けでいいか。それに、晩飯も仕込まないとな」
どうやら考えは纏まったようで、アルトは五徳に鍋を掛けると、おもむろに棚に並べられていた瓶の煮沸作業に取り掛かった。
平行してチャンバーへ、目ぼしい食材をピックしに向かう。
まずは肉、中抜き済みのひね鶏に、既にバラしてあった骨付きの鶏もも肉を見付けた。
そして、色取り取りの夏野菜を複数バットに取り、その中にあったトマトに一口齧り付くと、噛んだ端から、ジュワーっと、濃密なジュースが口の中に流れ出てきた。
そのまま、シャクシャクと一息で食べ進め、口元を手で拭う。
あっという間に、トマトは喉の奥へと消えてしまった。
「旨いな……。日本の有機栽培農家の人も、ビックリするわ、コレ」
その滋味溢れる味わいには、思わず深く感嘆する程で。
豊かな自然に育まれた、貴重な食材達に感謝し、各種香味野菜類、それに果物も一緒に見繕う。
続け様に、薄力粉にバター、卵、牛乳を。
調味料類は厨房内で見掛けたので、足りない食材があったらなら、後でまた探しに行かなくてはいけない。
厨房に戻ると身支度を整えて、アルトは早速仕込みに取り掛かった。
骨もも肉は、あらかじめ振り塩して、マリネ液に漬け込んで暫く寝かせて置いておく。
その間に、寸胴に水を張り、茹でこぼしてよく掃除したひね肉と、少々多めの手羽元、それに各種香味野菜を加えて、煮立たない程度にじっくりと火入れしていく。
後はひたすらこまめに灰汁を取り除きながら、ひとまずは、暫く火に掛けて置いておく。
続けてピクルス液を併せて、一度沸かして粗熱を取る。
プチトマトは軽く塩を当て、低温のオーブンに掛けてじっくりと水分を抜く。
ソフトタイプのビスケット生地は、手早く纏めた後、暫く寝かせる。
オレンジとトマト、それに杏は、皮を剥いて、それぞれ別鍋で大量の砂糖と共に煮詰めていく。
ジャムの腐敗予防には、高糖度な方が望ましい筈だったから、激甘な予感はするが六十五度以上にはしておかないといけないだろうか。
その砂糖の量に若干慄きながらも、嵩の減って、艶やかな飴色に光りながら、鍋の中でくつくつと沸くジャムを一匙掬い、そっと口に運んだ。
「あーーんまぃッ!! こんなの食い続けてたら、すぐ虫歯ンなるわ!」
舐めて思い知らされる、その甘さは想像を越えていた。
まるで、輸入物のお菓子の如く。
男子には、中々ハードな甘さとなっていた。
現代のよく売られているジャムは、日本人好みに併せた結果、低糖度の物が主流なので致し方無い話ではあったが。
続けてマリネしてあった骨もも肉を、たっぷりのオイルで煮込んでコンフィを作る。
流石にガチョウの油脂は、あった所でアルトには区別が付かないので、オリーブオイルを使用して、古典に準えればあくまでもコンフィ風ではあるのだが。
温度が上がり過ぎない様に気を付けて、弱火でじっくりと火を入れる。
夏野菜は、素材毎に色鮮やかに下茹でして粗熱を取り、良く水気を切った後に、まろやかな酸味と、ローリエ、タイムと、黒胡椒の香り良いピクルス液に漬け込んだ。
オーブンから出すとセミドライになり、すっかり嵩の減ったプチトマトは、外皮をこんがりと焼いて綺麗に剥いた二色パプリカ、それにフェタチーズらしきチーズと同様にして、それぞれを別の瓶でハーブ類と共にオイル漬けに。
最後に、温度を上げたオーブンに、よくある市販品さながら、丸く薄く成形したビスケットを入れて焼成していく。
噛めばザクッと、そして口の中でしっとりホロホロと崩れる、バターとミルクの味わいが、シンプルだけど後を引く、あの味をイメージして。
流れる様に工程をこなし、ひとまずは保存食の方は目処が立ったので、煮沸、乾燥を終えた瓶にそれぞれを詰め、再び煮沸してしっかりと脱気しておく。
これをやらないと、折角の保存食が、瓶の中で菌が増殖するリスクが上がってしまうので、長期保存するなら必須事項だ。
ここで、ちょっと一息ティーブレイク。
アイリには申し訳無い所ではあるが、昼間の残ったハーブティー片手に、小休止をさせて貰う。
とは言え、時間も夕方に差し掛かってきたので、ピッチを上げて、今度は晩飯の準備に取り掛からなくてはいけないが。
やがて、アルトは晩飯の支度も終え、律儀にも、二階で寝るであろう部屋のベッドメイキングを済ませていた。
勿論、言われなくとも二部屋分。
部屋から出て、直ぐそばにある階段を降りていると、丁度外から戻って来た様で、厨房に向かおうとしているアイリが視界に入った。
右手を振りながら「おーい」と声掛け、足早に階段を駆け降りると、こちらに気付いたアイリがパタパタと近付いてくる。
「お帰りー、あいリン。何か収穫はあったかい?」
「ただいまです。残念ながら……、特にコレと言って。アルトさん、保存食はどうでした? 出来れば明日以降にでも、一度、王都の外まで足を運んでみようと思うのですが」
答えは、半ばアルトの予想していた通りだった。
そりゃあ人がいなけりゃ話も聞けないし、事態を推考するにしたって限度があるものだ。
それこそ、サイコメトリーでもなければ。
ここは一つ、お兄さんから大人の余裕を見せ付けてやらねば、とアルトは意気込んで。
少し気落ちした雰囲気を醸し出しているアイリには覿面の、勇気付ける一言を告げる。
「取り敢えず……、四種類位かな? 品数にすると十一品? まあ、保存食なんで、めっちゃ旨いことはないからアレだけど。あ、瓶に入り切らなかったのもあるから、後でちょっと味見してみてよ」
コンフィとオイル漬けは、とりあえず一括りにしてしまったが。
鶏もも肉のコンフィに、ドライトマト、二色パプリカ、フェタチーズの三種類のオイル漬け。
ピクルスは、二色パプリカに人参とヤングコーン、ブラックオリーブと玉ねぎ、オクラとズッキーニの三種類。
それぞれにハーブなどの配合は若干変えてある。
ジャムは、マーマレードとトマトジャム、アプリコットジャムの三種類。
後は、大量のビスケット。
主食が無いのが頂けないが、最悪、火と水さえあれば、パスタの乾麺を持って行けばいい話だ。
ソースなど、オイル漬けでどうとでもなる訳で。
「じゅ、十一品ッ!? ……やっぱりアルトさんって、料理は凄いんですね。こんな短時間で、普通に出来るものじゃあ無いと思うんですが……」
「そんなもんかね? これ位出来ないと、あの鉄火場じゃあ、命が幾つあっても足りないっ──」
ほわー、と素直に感心するアイリと、何かを思い出して僅かに慄くアルト。
それは、アルトが修行中、嫌と言う程味わった苦い経験。
あそこは紛れもない、戦場だ。
少しでも気を抜こうものなら、命なんて幾つあっても足りたもんじゃないのだから。
「それは置いといて、あいリン、ご飯にする? それともお風呂? やっぱ──」
「ご飯を頂きますね」
最後まで言わせるつもりは、毛頭無いようだ。
笑顔のアイリに、バッサリと言い切られてしまった。
「じゃあ、手を洗ったら食堂に集合でー」
そう告げて右手を振り、アルトは残してあった仕上げの為に厨房へと向かう。
背後からは、アイリの「はーい」と元気な声が響いていた。
なぜか良く分からないが、多少打ち解けて来たらしい。
さて、と軽く意気込んで。
あんな笑顔を見せられたんだから、また美味しい物を作って上げたくもなる物だ。
あの娘の為に腕を振るおう、と。




