29. 招かれざる客
「一体……、敵襲って、何が襲って来たんですか?」
「分かりません。恐らくは……、帝国か、魔獣か」
一段と顔を顰め、ドノヴァスは答えた。
こんな夜分に不意に訪れた一報に、一抹の不安が頭を過る。
帝国か、魔獣か。
そのドノヴァスの言葉は偉く抽象的だが、何れにせよ、招かれざる客な事には違いない。
「こう言うのって、よくある事なんですか?」
「この地は、王国の最北。帝国領地とは隣り合っていますからな。とは言え、ここ数ヶ月は、ましてやこんな夜分に攻め入られた話など、聞いた事もございません。魔獣も、北西の山脈にはハルピュイアが棲み着いておりますが、襲撃は過去一度も──」
正直、この国の地理なんて、何一つ分からない。
思い返せば、王都からここまでの道のりだって、ただ馬車に揺られていただけだ。
道中の様々ないざこざのせいもあって、どっちの方向に進んで来たのかさえも知らなかったのだから。
まさか、他国との境界線の側にいただなんて、考えもしなかった。
それにしても、今度の魔獣はハルピュイアと来たもんだ。
肩から先が翼の生えた、あの姿が頭に浮かぶ。
人狼の時もそうだったが、向こうの世界と同じ固有名称を現地人に出されると、不謹慎にも可笑しく思えてしまう。
ネックレスに付けられた、翻訳機能のせいだろうか。
まあ、今はそんな事をとやかく言ってる場合では無いって事位は、分かっているが。
「つまりは……、非常事態、って事ですかね?」
「──そうなります」
避けられない争いが、この先には待ち受けている様だった。
二人揃って悩ましげな顔をしていると、突然、厨房の扉がバァンと勢いよく開け放たれる。
音に釣られてそちらを見れば、扉の向こうには、アイリの姿があった。
風呂上がりなのだろう、若干濡れそぼったままの髪を振り乱しながら、こちらへと駆け寄って来た。
「アルトさんッ!」
「ど、どったの、あいリン?」
「良かったぁ……、無事だったんですね。お部屋にいないから、探しちゃいましたよ──」
鐘の音を聞いて、探し回ってくれたのか。
余程の勢いで、駆け付けて来たのだろう。
アイリは軽く肩で息をしながら、ふぅ、と一息吐く。
初めて目にした、濡れた子犬のような、何処か儚げなその姿に、思わずどきりとしてしまった。
──可愛い過ぎる。
「お、おう。……何があったのか、知ってる?」
「分かりません。でも、アルトさんの無事を確認出来たので、私は外に出て来ますね。あ、アルトさんは城の地下に避難してて下さい。他の人達も、皆そこに行く筈ですので」
「いや、あいリンッ! 俺も……、行くよ」
戦力としてはアルトなど、一ミリにもならないかもしれない。
むしろ、ただの足手纒いだろう。
それでも、ここには戦場へ臨まんとする女の子が、一人。
目を背けて自分だけ逃げ出す事なんて、出来る筈が無かった。
「ダメですよッ! アルトさんが怪我したらどうするんですか!」
アルトの決意に対し、アイリからの返答は、固持。
当たり前の事だろう。
例え戦力外であっても、アイリにとっては大切な存在なのだから。
──それでも退く気は、毛頭無かったが。
「この男は……、私が、守ります」
その場に響く、新たな声の存在に、一同が目を向けると──、
「──ルったん?」
「ルディアちゃん、……何でここに?」
そこに佇んでいたのは、身の丈に余る程の大剣を背に備え、先日の甲冑姿とは異なる軽微な防具に身を包んだルディアだった。
と言うか、あのクレイモアには見覚えがあった。
余りにもパワフルな動きだったから、てっきり中身は男だとばかり思っていたが、どうやらこの子だったらしい。
言われてみれば、声は女性だった──、かも。
「べ、別にッ! そ、そんな事はいいでしょう。そう、たまたま、たまたま通り掛かっただけですッ!」
ルディアは、何故か急にテンパり出す始末。
その顔は僅かに紅潮し、そっぽを向いて誤魔化している様だった。
相変わらず、全く以て素直ではない。
「へぇー。まあ、そう言う事にしておいてあげるよ。それなら……、安心かな?」
僅かに口元を緩めながらアイリは告げると、こちらを見つつ、微笑んで頷いてきた。
「それじゃあ、行こうか! あ、ドノヴァスさんは、ちゃんと隠れてて下さいね?」
「勿論です! 皆様……、ご武運を」
アイリと揃ってドノヴァスに一礼すると、ルディアを先頭にして駆け出した──
城外に飛び出すと、辺りは既に漆黒に染まる闇の中で、至る場所に大量に焚かれた篝火が、暗闇の中にゆらゆらと揺らめいていた。
ぐるりと周囲を見回すと、そこには味方であろう多数の騎士団員の姿があった。
上空に向けて、弓を番える者がいた。
杖を持ち、何やら呪文を唱える者もいた。
地に伏すのは負傷した味方の兵と、既に絶命したのであろう、腕の代わりに翼の生えた人型の姿。
暗がりの中、上方を仰ぎ見ると、浮かび上がる無数のぼやけた輪郭と、一際大きな火を吐く、見慣れた青竜の姿が僅かに見て取れた。
どうやら敵は、──ハルピュイア、と言う事らしい。
「スヴェン、報告ッ!」
ルディアは、近くにいた士官らしく指揮を取る、壮年の男に声を掛ける。
「はッ! 敵はハルピュイアの軍勢、凡そ二百。八半刻程前に北西より襲来し、現在は領城上空を旋回しつつ、散発的に降下を繰り返しております。こちらの損害は、死傷十三、重軽傷、併せ三十二。あちらは、撃墜十八です」
「そうかッ! 皆、よく持ち堪えてくれたッ!」
ルディアはそう言い放ち、なおも挑む部下達を鼓舞する。
その報告は、朗報か、はたまた悲報か。
例えこちらの方が数では勝っていたとしても、向こうには空の有利性がある。
魔法があるとは言え、銃火器無くして本当に対抗出来る物なのだろうか。
何れにせよ、まだ九割近くが健在のまま、なおも襲撃に当たっていると言う事実だけは理解出来た。
新たに戦場へと足を踏み入れた、三人の姿を確認したのだろう。
アロンはこちらへ近付くと、アイリに目を配らせた。
「おやおや、皆さんお揃いで。随分と、遅いご到着だねぇ。この場にアイリちゃん一人いれば、すぐに片が付くって言うのに、ねぇ」
「──アロンさん、撃墜しつつ、西側に纏めて誘き寄せれますか?」
「お安い御用、だねぇ」
その場で地に臥せんばかりに体勢を低くして、上空に向けて弓を引き絞りながら、アイリは長く細く息を吐き出した。
例の──、雷の矢だろうか。
確かにあれなら、多少時間は掛かっても、こちらが優位に戦局を進められそうだ。
その言葉を安請け合いしたアロンは、右手でピィイィーー、と抑揚付けながら、長めに指笛を鳴らす。
『キュイィイィィーー』
鳴き声に釣られて上空に目を向けると、指笛の音色に呼応する様にして、敵の一団と鬩ぎ合って上空を飛翔していたリューズが急制動、その場で翼を大きくはためかせている。
互いに牽制し合っていた状況から一転、数十からなる塊となったハルピュイア達に対して、まるでブレスを吐くかの様に、口先に浮かべた極光の如き魔方陣から炎を放った。
それは火炎放射器の如く、弾幕を張るように波打つ帯状の炎で、直撃こそは避けているものの、煽られた炎に翼を掠め焼かれて墜ちるハルピュイアが三匹。
それ以外は、大幅に陣形を崩されながら、中空に踏み留まっていた。
『キョエェエェェーー』
その余りにも耳障りな鳴き声と共に、激昂したハルピュイアの一団は、周囲を捲き込みながらリューズに大挙して押し寄せた。
それはさながら、固定翼を持たない戦闘機同士の、一方的なドッグファイト。
リューズは巧みに緩やかな上昇と下降を繰り返し、軌道を変えてはロールを挟みつつ体制を整え、はたまたブレイクを織り交ぜて相手を翻弄していた。
やがてアイリが真っ直ぐ見据える先、人も建物も存在しない西の端にリューズの姿を捉えた瞬間、その可憐な手でキリキリと力強く引き絞った弦を、一息に解き放った。
ゴオゥ──、と巨大な風切り音と共に、矢のような一条の光が遥か上空へと消えて行った。
「アロンさんッ!」
その言葉に呼応して、アロンは短く、ピィ、と一際甲高い指笛を鳴らす。
瞬間、リューズはスライスバックの要領で、急降下しながら斜めに下方宙返りをして、その空域を脱け出した。
「──伏雷」
アイリが言葉を紡ぎ終えるが、先か。
ほぼ同時にして、矢が消えた遥か上空から、ズドォォン──と、空を引き裂かんばかりに劈く凄まじい雷音と共に、幾条もの無数の稲光が地上へと降り注いだ。
それは、十や二十では利かない。
降り頻る雨霰の如く、余りの光量に、昼夜が逆転したような錯覚さえ覚える程に。
勿論、その数は総数の半分以上にも至るであろう、百匹以上の、中空に羽ばたく全てのハルピュイアを捲き込んで。
「おおお゛お゛おおおおぅッ!!」
「なぁ──、ッ!」
眼前で起こった凄まじい光景に、ルディアと二人思わず後退り、不意にぶつかった右手をギュウっ、と握り込まれてしまった。
右手に携えた大剣には余りにも似つかわしくない、ふっくらとした感触が伝わるも、それは一瞬だけ。
やはり、ルディアの握力は尋常では無かった。
直ぐ様、右手はぎりぎりと悲鳴を上げて軋み出す。
「おおぅッ! ギブッ、ギブッ、ルったんッ!」
痛い痛い痛い。
このままでは、本気で握り潰されてしまう。
空いた左手でルディアの肩をポンポンと叩き、降参を知らせた。
「あッ、すいません──」
声を掛けられて初めて、自分の仕出かした事を認識したルディアは、振解くように慌ててその手を離した。
ようやく解放された手をブンブンと振り、握っては開いて、骨が折れていない事は、一先ず確認出来た。
未だジンジンと痛む手に、ふうふうと息を吹き掛けるのだった。
「何……、やってるんですか?」
にこやかに微笑みを作りながらも、そのアイリの目は笑ってはいなかった。
照準をこちらに向けて、携えた弓をぐっと引き絞る。
その得も言われぬ威圧に負けて、思わずまた一歩、後退ってしまった。
その直後、アイリは弓の角度をやや上方に射線を修正して弦を手離すと、眩しい一条の光がアルトの頭上スレスレの位置を、音も風圧も無く、ただ後方へと通過して行った。
僅かな間を置いて、背後から何か重い物がドサッ、と落ちる音が聞こえた。
人知れず、背筋がゾクッとする。
「あはははは……、あいリン、カッコいいッ!」
「それ、──別に嬉しくないですよ」
誉めたつもりが、言葉を誤ってしまった様だ。
アイリは、プーッ、と頬を膨らまして、半眼でこちらを見ている。
『キュィーィ』
鳴き声と共に、上空から舞い戻ったリューズが隣に着陸すると、甘えるかのように頬擦りしてきた。
近付いてくる青い鱗の浮いた皮膚に、軽く身構えてはいたものの、実際に触れると、以外と柔肌な事実が判明した。
と言うか、普通にスベスベもちもちしているのだ。
しかも、思わずその頭を撫でると、大層気持ち良さそうに甘い声で鳴いていた。
小さく、「うー」と唸るアイリが怖い──
「リューズ、そんなのの所に行ってないで、こっちに来てくれないかねぇ。アイリちゃんに、あんな凄いのを見せ付けられたんだから、久しぶりにやってやろうじゃないか」
「アロンさん、お願いしますッ!」
更に顔が膨らんだアイリが、急かすようにアロンに役割を押し付ける。
「まあ、見てなさいな──」
近寄って来たリューズの背に跨がったアロンは、意気揚々と漆黒の大空へ飛び立って行った──




