18. 小手調べ ★
「こちらが、我らが厨房にございます」
アルトにとって微妙な幕引きとなった晩餐は、恙無く終わりを迎えると、それぞれ各々の自室へと戻って行った。
アルトだけはドノヴァスに連れられて厨房へとやって来ていたが。
ここまで来たのはいいが、残念ながらこの後、一人で自室に戻れる自信は持ち合わせていなかった。
「あのー、ドノヴァスさん? その敬語止めて貰えませんかね? 明らかに歳半分以下だし、職人歴なんか、俺たった三年のまだ小僧ですよ?」
「そう言う訳には参りません! この世界の料理は、歴代呼応者の方々によって革新、進化を遂げる歴史を繰り返して参りました……。自助努力が足りないと思われるかも知れませんが、何れにせよ、我らにとっては仰ぐべき師に等しい存在なのです」
「あー、そっすか」
雄弁に、持論を語り出すドノヴァス。
この人は自分の世界に入って話すと長い、そう解釈したアルトは、そのまま受け流す方向へと転換した。
「キーウェル、アマンダ、皆、集まってくれ」
「シェフぅ、なんすかその人?」
ぞろぞろと、ドノヴァスの声掛けで集ったのは、その歳がアルトよりも上に見える男女十数名。
一様にコックコートに身を包み、料理人然と立ち構えている。
「こちらはアルト殿、呼応者の随行者殿だ。皆喜べ、料理人でもあるそうだ」
「どうも、篠谷 或人です」
「何だい、随分とひよっ子なお方じゃないかい。こんな坊やが料理人だって? ここは、子供の遊び場じゃないんだよ」
頭を下げ、挨拶を述べたアルトに対し、最初に名を、アマンダと呼ばれていた女性が揶揄を入れる。
へらへらと、こちらを見透かしたかの様な、侮蔑の笑みを浮かべて。
それは宛ら、アルトへの拒絶に近しいものであった。
「悪かったなひよっ子で。そこは事実だから否定はしないがね」
自分から多少遜る事はあっても、面と向かって皮肉られれば、それは腹も立つ。
まあ、アルトは些か沸点が低いところが玉に瑕だが。
いや、そもそもとして性格にも難はあったか。
「止めろ、アマンダ」
「止めんなよシェフ。こいつら、あたい達が作った料理に、いちゃもん付けたんだろ?」
どこからか漏れたのか、原因はアロンの発言に起因するところであった。
「付けたのは俺じゃあ無いけどな。そりゃあ付けられるだろ、あれじゃあ、な」
「止めんかぁッ! もういい、アルト殿、お願いです。この後に我らの賄いもありますので、この馬鹿共に分かりやすく、何か簡単に一品お願い出来ないでしょうか。」
烈火の如く怒声をあげたドノヴァスに、思わずアマンダ共々居竦まる。
ドノヴァスが提示した折衷案。
それは、単純明快、腕を見せろと言う事であろう。
「そっすね。何か、ね……。あ、パスタとかって、あります?」
「ええ、この国の原産では無いので、乾燥させた物になってしまいますが、数種類は揃えてありますよ」
意趣返しと言う訳では無いが、アルトの選択はイタリアンの様だった。
「問題無いです。じゃあ、ちょいと厨房見せて貰ってもいいですかね?」
厨房に一歩踏み入れようとして、ふと我に返る。
その自分の格好に。
「あ、その前にほんっと申し訳無いんですけど、支度するので、誰か俺の部屋連れてって貰えないっすか?」
慌てて、仕事道具を取りに戻る。
残念ながら、本当に締まらない男だった。
そこは、とても洗練されていた。
きちんと整理整頓された調理器具に、清掃が隅々まで行き届いた厨房内。
各所に経年の趣は出ているが、決してガタが来ている感じは無かった。
奥のチャンバーに入り、目ぼしい食材を探していると、目に付いたのは塩蔵された豚バラの塊だった。
「これこれ、この旨そうなパンチェッタ」
羊乳のハードチーズもあったので、パスタがリガトーニでは無いものの、これで本格的なカルボナーラが出来そうだ。
軽く塩抜きをした後、少量のオリーブ油でゆっくりと熱し、脂身から深くその旨味と香りを抽出する様に、そして噛んだ時に歯触りよい食感となるまで、じっくりソテーする。
「坊や、何作ってんだい?」
肉を焼く、その香りに釣られて現れたのか、アマンダがこちらへ近寄って来た。
その問い掛けの間に、パスタをたっぷりの沸いたお湯に投入すると、フライパンは火を止め、ボウルに割り入れた常温の卵黄と、擂り卸した羊乳チーズを軽く混ぜ合わせておく。
「カルボナーラ」
「何だい、それは?」
「んー、見てりゃあ分かるよ」
素っ気無く返し、やがて卵が一気に固まらない程度に温度が落ちたパンチェッタとその油を、数度に分けてボウルに加え、ソースの温度を上げつつ、全体を馴染ませておく。
「もう終わりかい? 味付けは? 塩もハーブもスパイスも、何も加えないってのかい?」
初見の調理法に、最早アルトの挙動に釘付けなアマンダは、なおも食い入るように質問を繰り返していた。
パスタが上がる直前に茹で汁を少量、ソースに馴染ませて濃度を調節しておけば、これでパスタの受け入れ体制は整った。
「もう終わり。後は、パスタとソースを絡めて、チーズと黒胡椒を振れば完成だ。こっからは時間との勝負だから、な、邪魔なんで、退いてくれよッ!」
アルデンテに上がったパスタを笊に上げ、ソースと絡めると、手早く器へと盛り付ける。
上から黒胡椒とチーズをたっぷりと掛け、アマンダを置き去りにしたまま、すぐ様皆が椅子を持ち寄って座るデシャップの上へ。
舌平目のアラで取った屑野菜の浮かぶスープに、鶏肉のトマト煮込み、余り野菜のサラダと数種類のパンが並ぶ中に、そのパスタが紛れ込む。
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Today's staff meals menu
“カルボナーラ ”
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「さあ、冷めない内に食べてくれよ」
物珍しそうにする一同の視線が、カルボナーラの皿に集中する。
最初に身を乗り出したのは、やはりドノヴァスであった。
「これは……、卵黄のソースか? 伝聞にもあるオランデーズソースの様な……。いや、香りが違うか」
ドノヴァスは慎重に皿を持ち上げ、ソースの色目を窺いながら、次いでその香りを確かめていた。
「あたいは先に頂くよッ!」
「俺も!」
「俺もだ」
口々に騒ぎ立て、代わる代わる皿を奪い合って。
あっという間に皿は空となり、次々にそのカルボナーラを巻き取ると、各々の口へと運んで行く。
「これは──」
「何でだ! あんなシンプルな工程で、こんなにソースに濃厚なコクが──」
それは、驚嘆に驚愕。
ただ単純な事実として、その皿はとても美味しかった。
一度啜れば、芳醇で濃厚なソースの味わいに愉悦を隠せない。
「因みに、パスタを除き、主に使った食材は四つだけだな」
更なる驚きが一同を襲った。
口を噤んで思案を巡らす者もいれば、指折りながら独りごちる者もいた。
「塩漬け肉の旨味と卵黄にチーズのコク、そしてそれぞれの風味がソースの中に渾然と纏まっている。そして、濃厚なソースの塩味に、黒胡椒の刺激的な風味が乗って後を引く……、か。旨いな。これが異世界の料理と言うものか」
そんな中、一番先に口を開いたのは、やはりドノヴァスであった。
「仰る通りで。これ、イタリアンね。イタリアって国の料理。さっきの晩餐のは、多分あれ全部フレンチがベースの料理だろうから、その隣の国の料理、ってとこかな」
百年に一度現れる呼応者。
仮に丁度百年前だったとして、一九二○年頃のフランスから来た異邦人が伝えた料理。
時世で言えば、オートキュイジーヌの転換期に被る年代であった筈で、あの品々は単に伝えた本人の好みの問題であったのかも知れない。
「この辺の国の料理はうちらの国じゃ『足し算』って、言われてるんだけど、早い話、さっきの料理は味の足し過ぎなんだよね。贅沢イコール食材や味の豊富さでは無いって事で。……あ、ちょっと待ってて貰ってもいいですかね?」
実はもう一つ、仕上げの終わっていない品があったのだ。
パスタを笊に上げ、フライパンに用意されたソースに絡めて盛り付ける。
忙しなくも機敏な動きで戻ると、左手に携えた皿を置く。
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Today's staff meals menu
“完熟トマトのパスタ ”
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「こっちもどうぞ、これはパスタ込みで食材三つね」
それは何の変哲も無い、トマトソースのパスタで。
宛ら猛禽の様な鋭さで、誰よりも先にアマンダはパスタを小皿に取ると、すぐさま口へと運ぶ。
「これは……、もしかして、あの熟れ過ぎのトマトを使った? 食材三つって、どう見ても、パスタとプティ・サレと、それにトマトだけじゃないか。これが、トマト本来の旨味だって言うのかい?」
そのパスタの仕上がりに、完全に驚きを隠せないアマンダ。
完熟したトマトを加熱して濃縮した事による甘味と旨味、そこに加わるのはパンチェッタの塩味と旨味。
たったそれだけの筈なのに、そのソースには深い奥行きと味わいが、確かにあった。
その様子を窺っていた全員が、パスタを取り分け、一斉に口へと運んでいた。
「この味で、食材が三つ──」
それは誰からか、思わず漏れ出た本音の呟きで。
「味の足し過ぎか……、そうだな。言わんとしている事は、よく分かりました」
それまさに敬服。
二つのパスタを口にした上で、思い至った境地であった。
伝統料理の模倣とは言え、己の出した、その料理の至ら無さを認めて、ドノヴァスは深々と頭を下げた。
「シェフ!」
「つまりは、素材の持ち味を活かすと言う調理法。先の品々は確かに呼応者の齎した、我らにとって革新的であり、かつ伝統的な料理だ。しかし、同時に異世界にとっては、既に古典的な料理だと言う事だろう」
ドノヴァスは一人納得し、己が悟りを開く。
それは、悦に入った様で。
「いやー、なんか理解して貰ったとこ、申し訳無いんだけども。素材の持ち味を活かすってのは、ニュアンスとしては正解。けど、そもそも俺もいつもなら、この手の料理は多少なりとも味を足すし。それに、流石に見映えってモンもあるでしょ?」
「──は?」
突然、この男は何を言い出しているのだろうか。
さっきまでの流れを全否定する様で。
「って言うか、俺の専門は和食って言って、多分この国には無い調味料の関係もあって、今は全く作っていないんで。……そもそも、イタリアンもフレンチも、そこまで詳しくは無いんだよね」
「──はい?」
ちょっと、言っている意味が分からない。
その場の全員が全員、色々な意味で同じ思考に陥っていた。




