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2. 平行線

 ──夜が明けた。

 辺りは静寂に包まれたままで。

 小鳥の囀りも、喧騒とした朝の営みも、そこには訪れる事は無かった。

 生気の無い街並みを、初夏の様な蒸し暑い日差しが容赦無く照り付ける。

 アルトは、未だ夢の中。

 不快な暑さにうなされ、時折顔をしかめながらも、細く寝息を立てていた。


 そして、それは突然、何の前触れも無く訪れる。

 見上げる程の巨大な城門が、地響きの如く響く重低音と共に軋む。

 細部の装飾以外は武骨で、その重厚な質量に見合う門が、大きく唸りを上げて開いていった。

 それは、さながら舞台の幕開けを告げる様であり。

 もう二度と引き返す事の出来ない、いつの日か大団円を迎えるであろう物語の、プロローグでもあるのだが──


 城門の奥、更に向こう側には、一人の少女の姿があった。

 すらっとした身の丈で、上は黒地のセーラー服を、下はチェック柄のスカートを履いた、如何にも学生然とした格好。

 胸元の若干手前のラインまで伸ばされた、ややロングで流れる絹の様な、艶やかで、烏の濡れ羽色の黒髪がとても印象的で。

 うるうるとしたつぶらな瞳に、やや広角が上がったぷっくりとした唇が庇護欲そそるも、同時に凛とした面持ちを浮かべる芯の強さも醸し出していた。

 思わず誰もが目を引く──、そんな可憐な美少女が、燦爛たる装飾と神格的な風合いの弓を肩から担げて、アルトの寝転がる方へと歩を運んでいた。


「う、ぅん?」


 アルトは、余りにも不愉快な轟音を耳にし、朧気ながらゆっくりと重い瞼り開き、頭をもたげる。

 ゆっくりと昨日の記憶を辿り、やがて、不貞腐れて寝た事を思い出した。

 どうやら門のすぐ先、通りのど真ん中に、左手にボストンバッグを持ったままで大の字で横になっていた様だ。

 むっくりと上体を起き上げると、門の向こう側からやって来た少女と──、視線が交わった。


「──ッ、誰ですかッ!?」


 二人が気が付いたのは、ほぼ同時。

 門を通り抜けていた少女は、咄嗟に身体を斜に構え、半眼にしてアルトの事を窺っている。


 対するアルトは、寝に入る直前まで、言葉にし難い人恋しさを感じていた癖に、暑さに苛まれてぼーっとする寝起きの頭では、上手く状況が呑み込めていなかった。

 それどころか、開き切らない寝惚け眼には、相手の容姿がハッキリと映ってすらいない。

 精々が、黒髪にセーラー服と言った所まで。

 それ故、目の前の、明らかに同じ日本人にしか見えない筈の美少女に対して、何と話し掛けていいものか、選ぶ言葉に迷ってしまう。

 既に、日本語で問い掛け、黒髪でセーラー服の時点で、察しろなのだが。

 異世界に来たと言う固定概念が形成されつつある点も、アルトの思考を妨げていた。

 そうこうしていると「あーっと、えーっと」と、情けなく、意味の無い言葉がアルトの口から漏れ出た。


 やがて、すっくと立ち上がったアルトは、やや撚れたジーンズを引っ張りつつ、埃の付いた身体を払って身なりを正すと、ややにやけた笑みを作り出す。

 ここでようやっと目の前の少女をよくよく見れば、その顔立ちは明らかな日本人顔。

 と言うより、むしろ超が付く程の美少女であったと、遅ればせながら気付いた。

 そうと決まれば、話は早かった。


「初めまして。俺、篠谷(しのたに) 或人(あると)、21才。大体皆からは下の名前で『アルト』って呼ばれてます」


 そのまま続けて、『これでも赤坂の料亭で働いている、料理人です』と言おうとしたところで思い立つ。

 そう言えば、今の店は一応昨日で上がったばかりだったな。

 流石に、『俺、今は無職です』はカッコ悪いだろう。

 中々、いい言葉が思い付かなかった。

 やがて、──はっ、と浮かんだ言葉を、何も考える事無く、そのまま口に出してしまった。


「俺、この世界では無職です」


 アルトにとっては、別にオチのつもりも毛頭無かったが、一件何言ってるんだコイツと思われる発言も、確かに事実ではあるので本人に一切の悪気は無い。

 むしろ、満面のつもりの笑みを浮かべ、空いた右手をジーンズで軽く払った後に、ゆっくりと差し伸べて少女へと握手を求めた。


 しかし、対する少女の対応は。


「……そうですか」


 実に簡潔な、返答は以上の様だった。

 差し出した手は掴まれる事無く、少女の感情はスイッチが切れた様にすっ、と落とされ、さながら能面な表情となってしまった。

 アルトは、見た目と雰囲気から、明らかに年下でお嬢様な女の子に、冷ややかな眼差しで見下されている。

 初対面の挨拶で、いきなりのクズっぽい発言をした不審な男。

 警戒するなと言うのは、余りにも難しい注文である。


「あのー、君の名前は?」


 放置されても話が進展しないので、勇気を振り絞って再度、アルトの方から声を掛けてみた。

 その、彼女の対応の意図に気付けていない奴も、ここにはいたのだが。

 むしろ、何で機嫌悪くなっちゃったのかな、と思う始末で。


 このまま行けば、一方的に名乗っただけで『はい、さようなら』と成りかねない。

 いきなり訳の分からない境遇に置かれ、折角数時間振りに出会った人間なのだ。

 残念ながら朴念人な人生を送ってきたアルトにとって、どストライクでモロにタイプとかは無い。

 だが、普通に超可愛い日本人な女の子なのだから、は置いておいても、ここに来てやっとの思いでの人類との初遭遇。

 最低限のコミュニケーション位は取っておかなければ、この先が危うかった。


「たちばなあいり、高校生です」


 『あいり』と名乗った少女は、嫌悪感を醸し出すかの様にして、極めて素っ気ない態度で返答をした。

 案の定、アルトは初対面で一番肝心な、第一印象を決める挨拶の場面でやってはいけない筈の、言葉の選択を大きく間違えていた。

 知らぬは当人ばかりなり。


「ゴメンゴメン、あいリンもここに来たばっかりなのかな? ここ、何処の国? 街? なんだろうね?」


「あなたッ、……知らないの?」


 名前も聞き出せた事で、最早親しげに極めて軽い言動のアルト。

 少女は問い掛けに対して怪訝そうな面持ちをすると、疑問を投げ返して来た。

 思わずアルトの口からは「えッ?」と、驚きの声が漏れ出る。

 その疑問は、何に対して言っているのか。

 むしろこの少女は何を知っていると言うのだろうか。

 アルトなんて、昨晩からの数時間、何一つ現状を把握出来ていないと言うのに。


「この大陸南西に位置する、レームブルック王国の王都ブリュグール、それがこの街の名前ですよ──」


 ──気付けばアルトは、ぽかんと間の抜けた表情を浮かべ、少女の瞳を見つめていた。

 余りも流暢に発言されたこの国と街の名前に、呆気に取られ過ぎて、返す言葉が紡ぎ出せない。

 何故この少女は、そんな事を知っているのか。

 いや、そもそも何故知らない事を驚かれたのかが理解出来無かった。

 今告げられた国の名前、街の名前、アルトにとっては当たり前ではあるが、生まれてこの方見たことも聞いた事も無いものであり。

 そもそも地球上では数少なくなった、国王を元首とする国家体制。

 生憎、アルトはグレートブリテン位しか知らなかった。


「貰った知識の中にありますよね?」


「──貰った?」


 言葉を交わす二人の会話は、まるで噛み合わない。

 人ひとり見掛けなかったが、そもそも知識というのは何処かで貰うものだっただろうか、とアルトは深く思い悩む。

 更には、どこかでチュートリアルをスキップしてしまったのか、そんなタイミングなどあっただろうか、と。


「ちょっと待って下さい! アルトさんは、どうやってここにやって来たんですか?」


「どうやってって、……昨日の夜に家帰る途中で、コンビニを出て、真っ直ぐ歩いて、それで……、気が付いたら? 街の中を歩いてたけど?」


「何ですかそれ? 私は昨日の昼に、ここの王宮に召喚(・・)されたんですが──」


 ──どうやらそもそもとして、彼女とは違うゲーム(現実)をプレイ中の様だった。





 少女の話を要約すると、次の通りだった。

 これがまた、顔に似合わず良く喋る事。


 昨日の学校の昼休み中、突然謎の光に包まれて、次の瞬間、魔方陣の敷き詰められた絢爛な内装が施された王宮の一室にいた。

 この国の王様だと名乗る、衣装も、装飾品もさながら豪奢な貴族然とした人物に『聖弓の呼応者』と呼ばれ、話によると第三王女様の術によってこの世界に召喚されたと言う。

 すぐ様、装飾品と弓を下賜された所まではいいが、どうやらその場でそのまま気を失ってしまった様で。

 目が覚めると、辺りに人気(ひとけ)は無く、むしろ夕暮れ過ぎまで余りにも広すぎる王宮全体歩き回ったが、人ひとり見付けられなかった。

 着の身着のまま、一先ず王宮で夜を明かしたとの事。


 召喚された人間は、この世界の知識を得るのだと、続けてアイリは語る。

 その知識を紐解くと、召喚に必要なのは大勢の生物の魔力によるエネルギーで、それを媒介して『祝福』と言う名の、言語や知識、更には身体能力の強化やチート能力を植え付けられるそうだ。

 また、過去にも少なからず召喚された人間はいる。

 ただし、アルトみたいに、最初から全く何も解らないケースは、少なくとも知識には無かった。

 一度に複数名が召喚された事も、これまで過去には一切無いのだ。


 つまり、この世界には魔法があると。

 実にファンタジーだ。

 エルフやドワーフ、ドラゴンなんかも存在するそうで、行く所へ行けば出会えるのだ。

 一部に熱狂的なファンの多いケモ耳に関しては、存在するかどうか分からない。

 この国の人達の知識に、その項目は無かった。


 残念ながらアルトには、知識も、チートも無いのだが。

 昨晩あれだけ走って、普通に疲れていたのだ。

 昨日までの記憶も、本人にはしっかりとあるので、都合よく貰った知識とやらを忘れている訳では無さそうだ。

 まるで、勇者のオマケ的な、巻き込まれて系の異世界転移。

 普通は巻き添えを食らっても、初回特典くらいあっていんじゃね、とは思ってしまうのも仕方の無い事ではあった。


「うーーん。どうしたモンかねぇー」


 アルトの深い溜め息と共に、言葉が漏れる。


「アルトさんは、これから、どうするつもりなんですか?」


「いや、どうにも出来ないでしょ、特に俺」


「そう……、でしたね」


 金も無ければ職も無い、知識も無ければ力も無い、人もいないし、住む場所も無い。

 あるものと言えば、五体満足な身体と鞄(中身は包丁)に財布、携帯電話。

 日常の、軽いお出掛けレベルにしか対応出来ない仕様となっていた。

 ジャングルよろしく、サバイバルじゃないだけマシかも知れないが、現代社会人としては、衣食住の安定確保は絶対に外せない部分だ。

 ちなみに、携帯は電源が落ちたまま、一向に再起動しなかった。

 付いた所で、電波があるのかと言う話ではあるが。


 自分で話を振って置きながら、少女は口を噤んでしまった。

 この少女、──名前は(たちばな) 愛莉(あいり)と言うらしい。

 都内の私立の女子高に通う、三年生だった。


 その立ち居振舞いが、洗練されたお嬢様感を醸し出している。

 アルトの初対面での不用意な発言には引いていたものの、ここまでのチュートリアルで、何とか普通に会話が出来るまでには持って来れた様だった。


「あいリンはチートがあるからいいとして、俺なんて、今現在は文無し住所不定無職の──」


「あのッ、……その、あいりんって、何ですか?」


 食い入る様にして唐突に、アルトは喋る言葉を遮られた。

 ツッコミを入れる所は、そこだったらしい。

 しかも、二回目の発言なのに。

 肝心の後半部分は、当然の如くアイリの耳に入ってはいなかった。


「何って、君の名前だよ。」


 残念ながら、それ以外の何物でもない。

 決して、日本一危険と名高い地区の名前では無い。


「たちばな、あいリン」


「──ごめんなさい、気持ちが悪いです」


 そりゃあそうだ。

 見ず知らずの不審な男からの、親愛が込められた返答には、深い拒絶の言葉が返ってきた。

 しかも謝罪付きで。

 精神衛生的にもせめて『キモい』と略して欲しい物だが。

 ストレートに言われると、受ける側のダメージが乗算されてしまう。

 それでもめげない男もいるが──


「まあ、それはいいとして、結局ここの人達はどこ行ったんだろうね? 国単位でかくれんぼ? あ、国民全員、サトウさんだったとか?」


「全然よくないんですけど、それ……。残念ながら、まるで見当も付かないんですよね。そもそも、この王都には、二十五万人以上が暮らしている筈なんですよね。普通に考えていなくなるとか、あり得ない──」


「あいリンってば、スルースキルまでチートなのね──」


 アルトの発言など歯牙にも掛けない様子で、アイリは語る。

 アルトとしては、誰ひとりとして見掛けていないので実感が沸いていないが、ここはそれなり以上に広大な街の様だった。

 あれだけ走っても、全然端から端まで辿り着く距離では無かったのだから、分かってはいたことだが。

 それよりも問題は──


「って言うか、マジでッ!? 港区全体より多いじゃん?」


「それは……、もしかして、東京都港区、の人口の事ですか? だとしたら、何でそんな事を知ってるんですか?」


「え? だって住んでたし」


「え? ……本当にやだぁ」


 何だろうか、アイリのこの反応。

 もしかしなくとも、まさかの──、ご近所さんでしょうか。

 アルトも、他所はどうだか知らないが、自分が住所を置いている所だけは、豆知識として覚えていた。

 覚えていて良かったかどうか、今は怪しいが。


 とりあえず思い立ったので、アルトは飛びきりゲスい顔付きをしながら、


「大ぃ丈夫だよー、特定しないからさぁ」


 最早、アルトに対し、アイリから向けられる眼差しには蔑みが浮かんでいた。

 デジャヴである。

 今度は、まるで汚物でも見る様な眼差しで見下されている。

 背徳感からか、ちょっとだけゾクッとしたが。

 まあ、そりゃあ当然、無視でしょうね。


「ごめんなさい、ちょっとした出来心なんです。悪ふざけが過ぎました」


 自分の持てる誠心誠意を、土下座で表現する。

 勿論、額は地面に擦り付けているが、本人の生まれ持った気質も相まって、全体的な挙動が軽い。


「篠谷さん、もういいです、普通に会話をして頂けませんか?」


 そして、アイリからの、ここで再びのファミリーネーム呼び。

 度重なるウザい言動に、アルトへの好感度が、ぶっちぎりでマイナス域に到達した模様だった。


「大変、申し訳ございませんでしたッ!!」


「──それで、これからどうしましょうか? 捜す宛もありませんが、ひとまず王都の中を探索でしょうか?」


 アイリからのその提案は、アルトからしてみれば余りにも想定外なものだった。

 てっきり捨てて行かれるものだとばかり──、その覚悟もしていた。

 明らかな不審者であり、言動が怪しいこの男と一緒にいるなど、ただの自殺志願者でかないのに。


「一緒に行動してくれるの? ……とりあえず、まだ昼前だし、現状把握と情報収集、打開策が無い場合に備えて、食料の調達に寝床の確保ってとこかな」


 まあ、アルトだって、まともな事が言えない訳では無い。


「ええ、多少以上には不安ですが、見知らぬ土地で一人よりは恐らく、日本人同士で同じ境遇の方となら一緒の方がいい気がします。ただし、次から喋るときはその態度で、また、余り近付きすぎない様にお願いしますね」


「かしこまりー」


 アルトは、すっくと立ち上がり、何事も無かったかの様に動き出した。

 アイリからの諌言を、聞いているのか、いないのか。

 この男の感性を抑圧するのは、土台無理な話なのだ──

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