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1. かごめかごめ

 目を開けば、そこは見知らぬ世界──

 そんな、冒頭で始まる、まるで物語の主人公の様な話に憧れた事は、誰しもがあるだろう。

 でも、見知ったそれらの物語は、一部を除いて伝説の勇者よろしく、スタート地点から圧倒される華やかさを誇っていた。

 魔方陣の敷き詰められた煌びやかな部屋に待つ、王様やお姫様からの待ってましたとばかりの歓待であったり。

 はたまた、最早定番となっている不慮の事故によって主人公は死亡、その後は神界に呼ばれて、神様や女神様からの謝罪の言葉や、転生による祝福(チート)を得て、俺TUEEEしたり。


 誰しもが、自分本位な幕開けを期待する物だ。

 で、あるからして、こんな話は聞いていない、と。





 彼は歩いていた。

 薄暗い夜道を只ひたすらに。

 歩く──

 歩く、歩く──

 歩く、歩く、歩く──


「流石に、いい加減に、足に、乳酸が、溜まって、来てんですけどねぇッ!」


 一歩一歩踏みしめながら、さながら強行軍の装いであった。

 額に滲んだ汗を拭う。

 じめっとした気温の中での耐久歩。

 普段の歩行よりも早いその早足に、足は流石にパンパン、肩で息をしながらも。

 それでもなお、歩く事を止めない。


 一体、どれ程の時間を歩いていただろうか。

 まるで、迷路の行き止まりだとでも言いたいかの様に眼前に現れたそれは、暗がりの中であっても、彼の両眼には明確に見て取れた。

 見上げる先は暗過ぎて、はっきりとした輪郭までは見て取れないが、それでもかなりの高さ──ざっくりと彼の身長で言えば、十人分位はあるだろう、までそそり立つ城壁(・・)が映っていた。


 ちなみにコイツ(城壁)とは、これで通算二度目の邂逅。

 一度目の壁には大分前にぶつかって、そこから正反対に歩いて来て、この有り様だった。


「上から見たら、さぞかし絶景かな、なんだろうけどさ、これ……、って言うか何で壁? 何処よここ? いや、マジで色々と訳が分からないよ、だろこれ。ナビゲーターとか、取説とか、無いんですかねぇッ!?」


 時間は恐らく、深夜だった。

 暗いのに朝だ、とか言う昼夜逆転、謎現象な場所で無い限りは間違いない。

 そしてここは、彼の見知った街では無かった。

 足元には整然と敷き詰められた石畳、周囲には恐らく煉瓦造りであろう家屋が建ち並んだ光景、目の前の壁。

 この場所に日本らしさなど、何処にも無い。

 更にはここに至るまで、街灯はおろか、人の営みの微かな灯り一つ、見掛けられずにいた。

 いや、街灯らしき物はあるのだが、正確には明かりが灯っていなかった。

 何よりも、人ひとり、動物一匹として遭遇していない事が不気味であった。


 こんな遅い時間だから当たり前だろう。

 彼も、始めはそう思っていた。

 だが、ここに辿り着くまでに見てしまった。

 いや、むしろ、そこにはある筈のモノが、何一つとして見付けられていない、と言った方がいいのだろうか──





 初めの内は、どこかしらまだ余裕もあったので、軽い物見遊山的なノリもあった。

 真夜中の、ひとりぶらり旅 in どっかの街。

 主演、脚本、監督、音声、全部彼一人。

 照明?

 そんなものは、薄暗い月明かりで十分だ。


 見慣れない街中を歩くと、この辺りは住宅街なのか、一軒家サイズの戸建て物件が、ずらりと軒を連ねていた。

 どの家を見ても、隙間からの僅かな明かりさえ漏れず、不気味なほど静寂に包まれた街並みで。

 その上無用心にも、玄関の扉が開け放たれたままの家屋は数多くあった。

 空き巣と見間違えられてもいけないし、覗いたら不味いな、と彼も思いながらも、通り過ぎること数十軒。

 流石に辛抱たまらず、そろりそろりと歩み寄ると、深夜には不釣り合いなほど思い切りよく、戸口から声を掛けた。


「もしもーし。誰かいませんかー?」


 知らない言語が返って来たら、どうしようか。

 彼も、そんな淡い期待を抱いていた。

 だが、その扉の奥の暗闇には、布ずれの音一つ、息遣い一つ無い、無音。

 自分の声が響き渡る、開けっ広げな空間だけがあった。


「申す申す」


 だが、その扉の奥の暗闇には、布ずれの音一つ、息遣い一つ無い、無音。

 自分の声が響き渡る、開けっ広げな空間だけがあった。


「誰も電話にでんわ」


 だが、その扉の奥の暗闇には、布ずれの音一つ、息遣い一つ無い、無音。

 自分の声が響き渡る、開けっ広げな空間だけがあった。

 流石に、心も痛くなってくる。

 ツッコミも、被せるボケさえも無い。

 所謂、スカシに耐えられるほど、彼は人間として強くは無かった。


 結局その平屋建てのその家は、寝室にまで立ち入ってしまったものの、人ひとりおらず、まさしく蛻の殻。

 何故かダイニングテーブルの上には、冷め切った二人分の料理が食べ掛けのまま並べられており、まるで家主達だけが忽然とその場から消え去ってしまったかの様だった。


 なおもひたすら歩き続けると、やがて大きな壁に差し当たった。

 自らの背丈の十倍はあろうかと言う、巨大な壁。

 今の彼にとって見れば、人生の壁よりも険しい物かも知れない。

 更には高さだけで無く、視界の果てまで、それこそ地平線の限り続くのでは無いのかと、そう思わせる長大な壁。

 とてもではないが、当てもなく入り口を探す気力なんて、沸く訳が無かった。


「かーごめ──、かごめ」


 ふと、思わず口ずさむ。

 それは、自分の置かれた環境になぞらえて。


「かーごのなーかの──、とーりーは──」


 その童謡の解釈は、実に多岐に渡るが。

 イメージとしては、鳥籠に捕らわれた鳥。


「出れるのかね? って言うか、逆に出ても平気な場所だよな、ここ? 大丈夫か、俺?」


 ちなみに、童謡通りなら、出れる保証はされていないのだが。

 どちらにせよ、生命の危機に瀕しているには違いなかった。

 とりあえず、ここにいても仕方が無いので──、ここで折り返し、来た道を戻る事にした。


 歩く──

 歩く、歩く──

 ちょっと休んで、また歩く、歩く──


 来た道の出発点はとうに過ぎ、更にその先を歩き続けて、やがて目抜通りの様な場所へ出た。

 相変わらず人も明かりも見付けられないものの、暗がりの視界の奥に、さながら比較的小さな低層マンションを思わせるサイズの、ホテルの様な建物が目に付いた。

 いかにも格式高そうな外装をした、洗練された豪華な店構えであり。

 近付いてみると、フロントへ繋がる扉はやはり開け放たれているままで。


「すーいーまーせーん。当日なんですけど、お一人様素泊まりで、行けますかーー?」


 彼は扉から顔を覗かせ、声を掛ける。

 だが、その扉の奥の暗闇には、布ずれの音一つ、息遣い一つ無い、無音。

 自分の声が響き渡る、開けっ広げな空間だけがあった。

 結局、数十ある部屋を含めて館内を隈無く見回っても、人気(ひとけ)は一切感じられずに。


 産業革命が興って久しいこの時代に、ホテルの脇には宿泊客達の物であろう豪奢な馬車が並べられていた。

 そこに至って、ここまでの道のり、車を一台も見掛けてはいなかった事に、ふと気付く。


「これって……、薄々は思ってたけど、噂に聞く、あの異世界転移ってヤツか?」


 中学の頃、彼の数少ない友人に無理矢理読まされた小説の中には、異世界トリップものが多数あった。

 あの時は、軽い気持ちでその本を読んでいたものだったのだが。

 ふと、その友達──優弥君の事、を思い出す。

 中学、高校と一緒で、卒業以来会っていないが、今頃は元気でやってるのかな、と。

 小説に溢れる、ケモ耳、エロフ、ハーレム、チートと言う言葉。

 中二男子の心を、さぞかしくすぐる物だった。


 だが、実際、この現状はどうなのだろうか。

 確かに、彼もそんな気はしていた。

 むしろ、それしかないとも、どこかで気付いていた。

 認める事が恐ろしかっただけで。

 勿論そこには、大いに期待もあるだろう。

 ただ、人間は所詮脆弱な生き物なのだ。

 全員が全員、今まで築き上げた物を全て失って、すぐさまその身一つで新たに躍進出来るほど、心が強くは無い。

 彼もまた、どちらかと言えばそうした弱者の一員だった──


「まさか、狭くて汚いボロくて安っすい我が家が恋しくなるとは、……思っても見なかった、な」


 建物の裏手には相応の広さの厩舎があり、山積みの飼い葉は、とても形容し難い独特な匂いを漂わせてはいるものの、肝心の馬が一頭として繋がれてはいなかった。

 彼のこれまでの人生において、厩舎に立ち入ったことが無いので比較は出来ないが、馬ってこんなにも強烈な匂いを放つ生き物なのだろうか、と思わざるを得ない程に強烈な臭気を放つ馬房もあった。

 外へ出て暫くしても、自身から漂う匂いに思わず茫然自失となり、しばらく立ち竦んでしまう位に。

 この世界の見馴れない景観も相俟って、まるで、撮影の終わった映画の巨大なジオラマの中に、ポツンと取り残された様相をしていた──


 その後、とりあえず来た道の延長線上にひたすら歩き続け、疲労の先に辿り着いたのが二度目の壁だった。

 城壁の周りを暫く彷徨いてみたものの、やはり門の類いは見て取れず。

 いや、逆に容易に外と繋がらないのは僥倖かも知れないが。

 本当にここがよく知られた異世界ならば、どんなモンスターが襲い来るかも分かった物じゃない。

 彼は、残念ながら着の身着のままここにいる為、当然ではあるが武器一つ所持していない。

 強いて言うなら刃物は持っているが、人を傷付ける為の物では無いので、武器=素手と変わりはしない。

 こればかりは、職業上譲れない部分なので致し方無いのだ。

 何せ、包丁(職人の魂)なので。


 彼も、ここまで街を横断して、今更ながらに思った事が一つあった。

 もし何かがあるとすれば、中心地の方だろう、と。

 人恋しさと、淡い期待を胸に抱いて。


「うだうだと考えてても、何も解決しないしな。とりあえず、行ってみるとしましょうかー、ね」


 既に、彼の体力も気力も限界一杯。

 後は余計な考え事をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱へ。

 再び、歩く──





「はあッ、はあッ、はぁッ、はぁッ……」


 あれから、更にどれ程歩いただろうか。

 いや、むしろ彼の足取りは自然と早くなって、逸る気持ちを抑え切れずに、只一つの荷物であるボストンバッグを抱えるようにして走っていた。

 屋外で、空には月の輝きも見える解放的な空間の筈なのに、辺りは妙な閉塞感に包まれている気がしてならない。

 それは、見知らぬ土地、未だ飲み込めないこの状況が視野を狭めているせいで。


 ふと、彼は上空を見上げた。

 中空に浮かぶ月は、記憶にある月よりも、明らかに巨大な物であって。

 そう思わせる程に、空に浮かぶ月の輪郭は、いつもより近くに映っていた。

 事実、そもそも月の輝きの色合いからして、普段とは異なっているのだが、それは知る由も無い。


 額にうっすらと汗が滲み、肩で軽く息をしながらも、得も言われぬ恐怖に、思わず身震いを一つ。

 心からの畏怖。

 何が起こっているのか、考える事が怖い。

 自分が置かれている立場、現実を確める事が怖い。


「──ッ」


 走る、走る、走る、脚が震えて来ても、なお走る、走る──


 やがて、入り組んだ路地を抜けて、やけに道幅の広い目抜き通りを真っ直ぐと。

 街の中心に近付いたであろう、巨大な門の前に辿り着いた。

 木製の大扉はやや武骨な印象ではあるが、その細部には豪奢な装飾が(あつら)えてあって。

 残念ながら、今の彼の目には届かないが。

 最早、精も根も尽き果てて久しい。

 完全に息が上がり、呼吸は荒くなる。

 身体を屈め、膝に手を着きながら、ゆっくりと息を整えると、まるで仇敵を見付けたかの様に扉を睨み付け、眼前まで歩み寄った。

 そのまま門扉に張り付く様に、縋り付く様にして、両手に力を込めて大きく叩く。

 繰り返し、繰り返し扉を叩く音だけが辺りに木霊し、そこには非難の声も、張り上げる警邏の声も訪れる事は無かった。


「──ッ、あああぁぁマジでッ! どんなクソゲーだってッ! 初っぱな放置プレイとか、難易度鬼かッ!? 難しすぎるドン、じゃあねぇぇよッ!」


 独り相撲に、一層の寂寥感が漂う。

 相も変わらず、己の発する音以外は皆無で。

 叩き付けた拳が、只々痛いだけだった。


 やがて、呼吸も落ち着きを取り戻すと、疲れた身体を地面に投げうつようにして寝転がった。

 茹だる程ではないものの、しっとりと汗ばむ肌に不快感は拭えない。


「もういい、寝るッ!」


 そうして、我が儘を諭されて不貞腐れた子供の様に拗ねると、どすん、と身体と意識をその場へ放り投げた。


 彼──篠谷(しのたに) 或人(あると)にとって、今日は人生の門出であった。

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