Act.9 メンヘラーちゃんとマジキッチ
「ハルカちゃんの彼女? すっげ、かわいいじゃん」
澤村が囃し立てる。廻栖野をかばいながら、龍宮は無視して立ち去ろうとした。しかし執拗に澤村が付きまとう。
「ハルカちゃんから俺に乗り換えない? 普通そうするよね、普通ならさ」
廻栖野が鬱陶しそうな目をする。
「俺さ、君に一目惚れしちゃったんだよ。そこの腰抜けよか、俺の腰の動きの方がずっと満足させられると思うんだよね」
これには取り巻きの二人も飽きれている様子だった。「澤村、下ネタはきついって」と苦笑いしながらたしなめるのはその一人、高林だ。
「ヘドが出るから消えて」
「うっせブス」
手のひらを返す澤村の転身ぶりに高林が耳障りな笑い声を上げる。
「理不尽すぎるだろ、澤村」
睨み上げるような三白眼は、廻栖野がキレる直前の顔だった。龍宮は「お前、本当にいい加減にしろよ」と澤村を牽制する。
「ハルカちゃんはどっか行っててよ、邪魔だからさ」
澤村が「三好」と声をかけた。表情が薄い男子生徒がダルそうな仕草で前に出る。
「俺、早く帰って映画見たいんだけどさ」
「どうせホラーだろ。夜にでも観てろよ。それより『メンヘラーちゃんとマジキッチ』でハルカちゃんをどっかやれ」
三好が「そういう能力じゃないんだけどな」と呟きながら、龍宮に触れようとする。思わず、龍宮はその手を払い除けた。
「じゃあ鬼ごっこでもしようか。鬼は俺じゃないけど」
アルターポーテンス、感染経路を辿る愛憎劇
三好のすぐそばに大きなぬいぐるみが現れた。眼の部分にぽっかりと穴が空いたクチバシ付きの白いマスクを被り、犬のような垂れ耳とオーバーオールを着ているのが特徴的だ。けれど龍宮が目を見張ったのは、ぬいぐるみが右手に持つ赤い消防斧の存在だ。
続いて三好がそのぬいぐるみの肩に「タッチ」する。途端に龍宮の肩が重たくなった。見ると瞼を施術糸で縫合された少女を象った西洋人形がいつの間にか乗っていた。
消防斧の人形と少女のドールは赤い糸で小指が結ばれている。糸は長く、地面にとぐろを巻いていた。
「紹介するよ。俺の能力のマスコットキャラクターである、メンヘラーちゃんとマジキッチだ。以上」
するとマジキッチが「ぶーん」と低いうなり声を上げ始める。
「殺さないように、ちゃんと柄で殴るようプログラムしろよ」
高林の言葉に「うるさいな」と三好は唇を尖らせた。マジキッチの穴だけの目に赤色の光が宿る。
「十秒経ったか。いけ、マジキッチ」
「ぶーーん!」
マジキッチが龍宮に向け、消防斧を振り上げて突進する。龍宮は廻栖野を抱え上げた。駆け出した直後、龍宮がそれまで立っていた場所にマジキッチの斧が降り下ろされた。地面が砕ける。
「おいおい、三好。ハルカちゃん、彼女を抱えて行っちまったぞ」
「不可抗力だよ」
「ずるいよな。三好には見えてんだろ、マジキッチの視界」
三好は返事をせず、口角を上げて笑った。
後ろから、マジキッチの「ぶーん」といううなり声が迫る。あまり速度は早くはない。ぬいぐるみである所為か、足が短いことが幸いしている。
「ハルカ先輩、降ろして! 私を抱えてたらいずれ逃げられなくなる!」
「黙ってろ」
「良いから落ち着いて聞いてちょうだい。あの人形はハルカ先輩をロックオンしてるの。私を襲うメリットはないのよ」
廻栖野の言葉にハルカは冷静になる。マジキッチと距離が取れている内に廻栖野を下ろす。
「お前をあの三人のところに置き去りにすることはできないって思ったんだ。でも俺が手を引いて走っても、お前の脚じゃ付いてこれないだろ」
嫌みではなく、廻栖野の能力の真髄は彼女の弱さそのものにある。廻栖野のステータスはお世辞にもあまり高いとは言えない。その代わり、頭脳と精神力はズバ抜けたものがあった。
「でも今は抱えてる方が、お前を危ない目に合わせちまうよな」
廻栖野は、ばか、と呟いた。
そのとき、メンヘラーちゃんの手が龍宮の左眼を撫でた。
無機質な手が離れた感触がしたにも関わらず、視界が暗い。龍宮は左眼がある筈の場所に自分の手で触れてみた。何だこれ。肌が突っ張っている感じがする。少し触れていて予想がついた。三好の野郎、なんてことしやがる。龍宮は眉をしかめた。
「ハルカ先輩、左眼が」
狭まった視界の中で廻栖野が真剣な眼差しで龍宮を見ていた。彼女が取り乱したり、悲鳴を上げるような子じゃなくて本当に良かったと龍宮は安堵している。
廻栖野は冷静に、見たままの状況を龍宮に伝えた。
「赤い糸で縫合されてるわ」