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Act.8 悠河と宗海の川

 夏場は山が霧が沈み、冬は雪に覆われる土地に龍水神社はあった。

 小学五年生のときに父親に連れられて訪れたのが最初だった。初めて見る祖父の龍宮宗海は少しだけ怖かった覚えがある。父親が神社を継がないと言って家を出て以来、祖父とは不通になっていたらしい。祖父が存在することも初めて知った。


 祖父は目線を合わせるために、龍宮の顔の位置までしゃがんだ。


「悠河君は大丈夫だ。怯えていても、こんなに人の目を真っ直ぐ見られる子はそうはいない」


 そう言って、宗海は龍宮の頭を撫でた。


 龍宮の父親が頭を下げたとき、宗海

は『孫に俺たちの確執を持ち込むものではない。責任をもって悠河は俺が面倒を見る。お前は、お前のやることをやれ』と言った。

 離婚の原因は母親の浮気だった。父親と暮らすことを幼い龍宮が選んだとき、母親が肩の荷が降りたような顔をしていたことを忘れない。再婚相手から連れ子はいらないと言われていたのだろうと今では察している。

 最後に見た母親の姿は、妙に晴れ晴れとしたものだった。玄関で抱き締められて、『元気でね』がお別れの挨拶。あのとき龍宮は子ども心に本当は一言、謝ってほしかった。それで全部許せたのだ。

 結局、面会日の設定もないまま今日(こんにち)に至る。


 宗海との暮らしは質素なものだった。ファミレスはおろかコンビニもない山奥。遊園地は宣伝でしか見たことがない。


 初日の夜は慣れない環境と蒸し暑さのせいか、龍宮は寝付けなかいでいた。エアコンがほしかった。その様子に気が付いた宗海に連れられて、夜の散歩に出た。


 蚊取り線香を納めた金具を手に下げて宗海は歩いた。ざっ、ざっ、と砂利を踏み鳴らす。祖父の手にしっかり捕まっていたが、いつかその手の先が魔物に変わるのではないかという妄想に苛まれた。


 夜闇は濃く、黒く塗り潰された木々は葉音だけをひしめかせている。その合間に水の流れる音がした。せせらぎに向けて宗海は馴れた様子で歩いていく。


「苔で滑らないよう注意しなさい」


 宗海の言葉で川に着いたことがわかった。そのとき初めて宗海は懐中電灯を灯した。


 宗海が袖から取り出したのは、人の形を象った紙だった。龍宮に渡し、息を吹きかけるよう言った。龍宮は言われるがままにする。紙の人型は吐息に揺れて、ぶるぶる震えた。生きてるみたいだと思った。


「体に二、三回撫で付けて」


 宗海はそう言い、懐中電灯で川との境を照らし出した。


「それから川に流してしまえ」

「ゴミのポイ捨てになるよ」

「川にはそれくらい受け入れる度量がある。悪いものは川に任せて流してしまうのが良い。いずれ海に流れ着いて、バラバラになり、限り無く無力なものに変わる。水は巡る。そのサイクルの中に流して、解かし、浄化するんだ」


 人を象った紙を水に浮かべる。すぐに半紙に水が染み込み、半ば透けた。そのまま紙は流されるままにたゆたい、懐中電灯の範囲を抜け出て見えなくなった。


 宗海が何かに気が付き、懐中電灯を切る。


「ホタル。初めて見た」


 龍宮がはしゃぐ。


「ここは何もないわけじゃない」


 宗海は落ち着き払った様子でそう言った。


 友達の輪に入れなかったときも龍宮は、その川のそばで泣いた。滴がこぼれて僅かに水面を揺らす。誰も頼れなくて心細かった。お母さん、と龍宮は呟く。


「ここにいたのか」


 探しに来た宗海に龍宮は背負われる。


「川にこぼした涙が、いつか誰かを救うかもしれない。全部繋がっているからね。強くなろうな、悠河君」


 水を操作できるようになったのはそれからすぐのことだった。


×―×―×―×―×―×―×―×


 父親の単身赴任が決まり、中学二年生の龍宮は祖父のところで暮らすと告げた。父親は「それが良い」と、月々の生活費を祖父に払って、九州で働いている。


 わずかばかりの門下生を抱える道場も宗海は管理していた。


 道場の入口に龍宮は座り、文字通り志願者の門前払いから戻ってきた宗海に問う。


「なあ、じいちゃん。なんでさっきの子に剣を教えてやんないんだ」


 宗海は道場に上がり、膝をついて正面の神棚に一礼した。時が止まったかのように宗海は微動だにしない。しばらくして彼は顔を上げ、龍宮の方に向き直る。


「あの子は、町の野球クラブの子らにいじめられている。現場を見つけて悪がきを追い払ったこともあった。そんないじめられっ子が力を付けてやることは、ただの報復だよ。わかりきっている以上、剣は教えられない」

「そんなのいじめてる奴が悪いんだろ。一度、痛い目をみれば良いじゃないか」

「 武術に強さを求めるならば、強い相手に挑むのが筋だ。けれどたいていの人は伸び悩み、自分より弱い者の存在に安心するようになる。そしてあまつさえ、付けた力を使っていじめを始める。今回だって、あの子が力を付けていじめっ子を相手取ったら、立場が変わっただけでいじめとなんら変わりない。最初から自分より弱い者に力を奮うことを目的としているからだ」


 宗海が、道場の奥に歩を進める。龍宮もそれについていく。 壁にかけられた数多の木刀からそれぞれが一本をとり、神棚の真下に赴く。


「 悪を成敗することは必要だ。時にはその執行に暴力を要することも否定はしない」

「それは報復と何が違うんだよ」

「報復は被害者の立場から、成敗は中立者の立場からだ。誰かがぶん殴ってやらないといけない奴は確かに存在する。武術に限らず、力がある者には選択肢と発言権がある。だから力には責任が伴い、中立者には悪を見定める目を持たなければいけない。兼ね備えた者が悪を裁く必要がある」


 再び、神棚に深々と礼をする宗海。龍宮も同じように振る舞う。二人は面を上げて、木刀を持って立ち上がった。


「母親も母親だ。『社会性』『上下関係』『礼儀』だの聞こえの良い言葉を並べるが、それは武術の本質ではない。スポーツに幻想を抱き過ぎている。どんなに美辞麗句で取り繕っても剣は人と戦い、時には死に至らしめることさえある力だ。弱者をなぶる資質がある者の自信と手段にならないよう、教える者にも責任がある」


 木刀を虚空に向けて構え、素振りを始める。


「野球から学べることは野球だけだし、剣道を習っても剣道しか身に付かない。他は全て副次的なものだ。正しい社会性、正しい上下関係を所属した集団が教えてくれるとは限らない。年配者が都合が良くねじ曲げ、立場が弱いものを虐げるスポーツマンシップだって世には氾濫している。特に礼儀なんてものは本来、家庭で躾るものであって道場やスポーツクラブにそれを求めるのは家庭教育の放棄に他ならない。家庭で教えた礼儀を、道場や公共の場で発揮するのが本来の姿だろうに」

「てかじいちゃん、愚痴が多いな!」

「だって、てっきり門下生が増えると思ったんだもん! 期待して損した!」

「じいちゃん、冷気を出すのはやめてくれ……」


 ごめんください。


 か細く、そう聞こえた。見やると道場の入口に、シルクハットを被り、骸骨のハーフマスクで口元を隠した男が立っていた。


「良かった気が付いてもらえた。こんにちは。ボク、妙見院学園のスカウトマンで国木田釈真と申します。ちょっとお話しさせてもらっても、よろしいでしょうか」


×―×―×―×―×―×―×―×


「素敵なお祖父さまね」

「ああ、じいさんのことは本当に尊敬してる。悪いな長々話して」

「いいえ。あなたに信頼されているようで私は嬉しい」


 廻栖野は普段とは違う笑い形をした。龍宮が見とれていると廻栖野が伝票を手にとり、龍宮の前に流れるような動作でスッと差し出す。


「こちら、(フロント)のお客さまからです」

「それは小粋なカクテルを一杯おごる者のみに許されたセリフだ」


 テープレコーダーを再生する廻栖野。


『普段から徳を積んでおかないから。今からでも遅くない。私にご飯をおごりなさい』

『まあ、それも良いか。ところで廻栖野さん、そのボイスレコーダーは何よ?』

『言質を録っているのよ』


「徳を積ませてもらいます!」

「わかれば良いのよ、わかれば」


 平伏する龍宮を尻目に、廻栖野はメニュー表を手にとって最後のページに目を通し出す。


追加注文(デザート)ですか!?」

「些末なことよ」


 まあ長話に付き合ってもらったし良いか、と観念した。龍宮もアイスクリームを頼むことに決める。廻栖野が選び終えるのを待っていると、彼女はおもむろに袖口からメジャーを取り出した。


「なんて痛い子だ、廻栖野! いったいいくつネタを仕込んでいやがる!」

「夢だったの。メジャーで指定して『ここからここまで下さい』って頼むの。念願が叶うわ」

「ざっけんな、デザートは一品(いっぴん)だ。厳選に厳選を重ねた至高の一品(ひとしな)のみがこの卓上にのぼることを許されるのだ」


 ちっ、と廻栖野は吐き捨てる。

 そしてジャンボサイズのパフェが運ばれて来た。


 廻栖野、なんて恐ろしい子……。戦慄して龍宮は震えた。


 財布のご機嫌を伺いながらファミレスの外に出たとき、澤村たちに出くわした。

 澤村はおもちゃを見つけた子どものように笑う。


「ハルカちゃんじゃん。何やってんの」

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