Act.7 龍宮とファミレス
ベンチに座り、龍宮は無為に河川を眺める。あれから数日間、椎名と集めた水の形状を変えたり、火にあててみる、射程距離の範囲で撃ち放つなど検証を繰り返した。いっこうに起動する兆しはない。
椎名は『効果を意識する必要があるようだ』とため息を吐いた。
『やはりアクセスできないと発動条件が整っていたとしても意味がないのやも知れんな。性質を意識して起動させる。または水に込めたものを知る。あわよくば、能力名が知りたい』
龍宮にしてみれば、ヒントなしで箱の中身を当てろという難題を突きつけられた気分だった。
『水について少し考えておいてくれ。君にとって水とは何か。水は君の周りにどう存在したか。抽象的な質問で悪いな。だが能力は言うなれば君の分身なんだ。誘導したら、それは君のアルター・エゴではなくなる。君の制御下を、支配下を離れる』
椎名はバランスをとるように龍宮を励ました。
『まあ、能力が宿っていると知れたことは前進だよ。答えは必ず君の内側にあるのだから』
河川敷を睨む龍宮。水の支配者と言えど、川の流れを操作できるわけでなし、途方に暮れる。
水って何だっけ。龍宮は脚を投げ出してベンチにもたれかかる。『水』でゲシュタルト崩壊を起こしそうだと思った。処理不良を起こした感情が「あばばばばば」という無意味なワードとして体外に排出される。
後ろに立つものがあった。
「私メリーさん。あなたの無防備な背後をとったの」
「この気当たりはマスタークラスっ!」
腰を捻って背後を振り替えると廻栖野がたたずんでいた。並木の奥から近寄って来たらしい。フリルのついた黒い日傘を掲げている。
「こんにちは、ハルカ先輩。相変わらず苦戦しているようね」
横並びになった二つのベンチの隙間を通り、廻栖野は河川敷側に歩みでる。
「隣、良いかしら」
「どーぞ、どーぞ」
廻栖野が傘を閉じて横に座る。
「土曜日だろ。なんでいんだよ」
「あなたこそ、土曜日だというのに制服を着て何をしているのかしら。酔狂なの?」
龍宮は「補講だよ補講」と、手のひらをヒラヒラさせた。
「あなた勉強はそこそこできたわよね。ノイローゼでIQがダウンバーストに巻き込まれたのかしら」
「それは急転直下だなあ。機内はパニック。大惨事だ……。こないだサボった日に抜き打ちの小テストがあったんだとよ」
そのため龍宮は数少ない友人である、薬師寺や藍原からは『ざまあ』と指を差され、クラス委員長には頭を抱えられる始末。
廻栖野もため息を吐く。
「普段から徳を積んでおかないから。今からでも遅くない。私にご飯をおごりなさい」
「まあ、それも良いか。ところで廻栖野さん、そのボイスレコーダーは何よ?」
「言質を録っているのよ」
この女いけしゃあしゃあと何を言ってやがる。龍宮は絶句した。
ファミリーレストランに移動する。廻栖野のゴスロリ姿は如何せん人目につくので、視線を寄越す通行人も多い。けれど好奇で向けられた眼差しが、廻栖野の容姿を見て羨みや憧れに変わっていった
対して隣に並び立つのは長身痩躯のいかつい男子生徒(かろうじて校章つきのワイシャツ)。まあ不釣り合いというか、ちぐはぐだよな、と思う龍宮。横目で見ると相変わらず廻栖野は澄ました顔でどうどうと歩く。
『怪人は怪人でいることに一番力を使うというわ。変わった人間であり続けることは大変なの。好きな格好をしているだけなのに他人は放っておいてくれないのよ。だからこれは自己責任なの。好きな服を着る、その代償。私はもう気にしていないわ』
会って間もない頃、廻栖野はそう言った。彼女は続けて『私を連れて歩くと、あなたも人目に晒されることになるけど、それこそあなたに耐えられるのかしら』と挑発的に龍宮に尋ねた。
少し考えてから龍宮は、襟元を広げて自分の胸ぐらを覗き込んだ。
『まあ俺は俺で悪目立ちするからなあ。タッパーはあるし、目付き悪ィから「ガン飛ばしてんか」って絡まれることもしょっちゅうだし。確かにいちゃもんつけられて怯むくらいなら、最初からこんな格好しないよな』
龍宮は首から下げたシルバーチェーンのネックレスを指で弾く。
『むしろ、その格好でラーメンに付き合ってくれる方が俺はびっくりだよ』
そう言って龍宮が笑いかけると、廻栖野は『あなたの生活水準に合わせてあげるだけよ。勘違いしないで』とそっぽを向いた。
結局、似た者同士なのかも知れない。今では龍宮はそう思っている。
ファミリーレストランで注文したあと、龍宮は二人分のドリンクバーを取りに行った。廻栖野の前にウーロン茶を置き、お礼を聞きながら着席する。龍宮はアイスコーヒーを口に含んだ。
廻栖野がおしぼりで手を拭いながら言った。
「個人的な興味で椎名さんを調べているの」
龍宮はグラスをテーブルに置く。
「どうなんだ」
「そしたら、びっくりするほど」
「情報がない?」
「いえ、情報に溢れてる。在学中からめざましい活躍をしているけど、悪評が七割ね。それが二○○八年のある時期にピタリと途絶えるの」
ある時期って? と龍宮は聞き返す。
「《魔人》オーランドー・ベイカー、逮捕」
「誰が撃破したかという公式記録は明かされていない。ただ事実として、神話の元ネタになったとされる魔道具、亜神器の適合者が負けて捕まった。それだけ」
「それを椎名さんがやったってのか?」
「確証はないわ。能力が使えなくなる理由にもなってない。ベイカーの万物選択の槍はプログラムを吹き飛ばせても、ハードは殺せない筈だもの。宿ったアルターポーテンスが消えることにはならないわ」
廻栖野の注文したパスタが届けられる。彼女が手を出さないのを見て、龍宮は「お先にどうぞ」と促した。
「そうさせてもらうわ」
いただきます、と言って廻栖野はフォークにパスタを巻き込む。前髪の端を押さえて耳にかけ、小さな口がパスタをとらえた。妙に色っぽいんだよなー、というのが龍宮の感想。
「何かしら」
「特に感想はない」
「まあ良いわ。あなたが師事している相手、実はとんでもない人なのかもね」
龍宮の前にハンバーグのライスセットが配膳される。店員が注文した品が揃っているか確認したあと、伝票を伏せてテーブルに置いて立ち去った。
そのとき子ども連れが、龍宮たちの席の横を通り過ぎていく。周りの迷惑だからお店の中ではしゃがないで、と注意する母親の声が遠ざかっていく。ファミリーレストランね、と龍宮には少し苦い思い出がよみがえった。
「どうかしたの」
「あんま、家族で外食したことがなくってさ。変な話だけど、子ども連れがいると、ああ本当にこういうシチュエーションがあるんだなって思うんだ」
龍宮がハンバーグにナイフを入れる。
「俺ずっと父方の実家に預けられてたからさ」
龍宮はそれで話を切り上げるつもりだった。けれど廻栖野は僅かに笑って言った。
「続けて」
いつも見せるような真剣な顔ではない。だけど龍宮は経験上、他人に深刻に受け止められた方が辛くなることを知っている。他人の反応を見て、自分が可哀想なのかも知れないと思わされるのだ。
だから彼女が、なんでもないことのように振る舞うのは、龍宮からすればありがたいことだった。
「両親の離婚調停のときと、一番直近だと父親の単身赴任が決まったときだな。妙見院学園に通うのが決まったのも父方の実家にいたタイミングだった」
龍宮はハンバーグを頬張った。ソースの味と肉汁が口に広がる。咀嚼して飲み込む。ハンバーグはおいしかった。
それから話を続ける。
「そこは長野の山奥にある古い神社でさ」