Act.6 コップと泥水
椎名から連絡があったのは二日経ってからだった。
時刻は十八時。メールの文面には『暇になりました。都合が良いときに連絡ください』とある。
龍宮は事前に目星を付けておいたひとけのない空き地に移動する。近くにおあつらえ向きのため池もある。錆びた鉄骨が打ち捨てられ、泥水は赤く濁っていた。
龍宮が電話をかけたところ拒否され、直後に知らない番号から着信があった。通話ボタンを押すと椎名の声が聞こえてきた。
『社用ケータイからかけている。社長がいるときに鳴らされると困るのでな、極力そちらからはこの番号にはかけないで欲しい』
「わかりました」
『あと、こないだよろしくタメ語で良い。俺は上下関係に中指を立てていたいんだ。何なら椎名と呼び捨てで構わない』
なぜこのお方はこんなロックな生き方を選んでしまったのだろう……。龍宮は椎名の闇に思いを馳せた。
『さて、何から始めようか』
「誰かを指導した経験とかは」
『勝手が同じとは限らないからな。来年から学園に通うキリクという者がいる。友達なんだが、こいつはあまり構築には苦戦しなかったから』
つまり俺の兄弟子に当たる人か。龍宮は記憶に留める。
とりあえず現状を確認していこうか、と椎名が切り出す。
『まず支配する属性は?』。
「水」
『念のため聞くが自分のアルターポーテンスの能力名は知っているか?』
「知らない」
『現時点で観測される効果や性質は?』
龍宮はため池に手をかざし、いつも通り水を引き寄せた。集まった泥水が球体を成す。それを上下左右に動かしてみる。
「水が集められる。自分の意思で動かせる」
『写メを送れるか?』
送った写真を見た椎名は『泥水か。なるほど』と言った。
『まだあまり支配力は高くはなさそうだな。構築が進んだ水属性の能力者だと土はおろか、集めた段階では純水と変わらない者もいる』
出力が知りたいと椎名は水を出来る限り集めるよう龍宮に促した。龍宮は意識を集中させ、ため池の水をなるべく多く手元に引き寄せることに力を注ぐ。結果、大きいとは言えないため池だが、すべての水が龍宮の目の前に集まった。その様子を写真に撮って椎名に送る。
『アルターポーテンスは初期が一番扱える水の量が多いからな。まだ行けそうか?』
試してみると、地面から染み出すように吸い上げ、目の前の水の塊に注ぎ足すことに成功した。
「なんかコップの中にいるみたいだな」
『何だって?』
「いや、周りが水に取り囲まれて、自分がコップの中心にいるような感じなんスよ。泥水だけど」
視線を上げても、そびえ立つ水を目で追うことになる。水族館の水槽の間近で立ち尽くしているような状態だった。
『今君がいる、台風の目のような範囲は拡げられるか』
「無理っスね。集めた水でギッチギチになってる感じなんで」
通勤時間帯の電車に乗ったような状態で、龍宮は身動きが取れない。椎名は思案を巡らせているらしく無言になり、しばらくして『バスケットボール大の水を残して、あとは池に戻して良い』と口にした。龍宮は言われた通りにする。
『水使いの攻撃として、オーソドックスなのが「水珠」という水のボールを撃ち放つものだ。上下左右に動かせると言ったが、そのボールを飛ばすことはできるか?』
龍宮は水を射出するイメージをするが、水の球はある程度までは加速するも、目測で三~五メートルくらいの範囲を境にぴたりと留まってしまう。
「ダメだ。飛ばせない」
『留まってる水のボールを意識せずちょっと、走ってみ』
走り出すと水は一定距離を保ったまま龍宮に付いてくる。
『やはり完全な初期状態というわけではなさそうだな。多少構築が進んでいるようだ。射程距離が固定されている。わりかし狭い範囲で』
射程圏が狭いため、集めた水が拡がりを見せずに龍宮の周囲をぐるりと取り囲むことになった。
「つまり、俺がアクセスできないだけで、何かしらの効果が水に付与されてるかも知れない、と」
『または精神性が反映されて構築できる方向性が決まりかかっている段階かもな。とにかく君がこれからやることは自己対話になる。何が水に込められているか、そこに目を向けなければいけない。現状、水だけが知っている』
水だけが知っている。椎名の言葉を反芻するように龍宮は呟いた。
『今日は現時点で最大限の水を集めたんだ。疲れただろう。続きは今度にしよう』
その日の指導はそれで切り上げられた。