Act.4 落ちこぼれと偏屈者
平日は仕事だろうから、とメールを打つケイ。彼女がネクサスフォンの操作を終えたところを見計い、龍宮は尋ねた。
「どんな人なんスか?」
「奇人だね。妙に理屈っぽくて、変なこだわりを持って生きてる。『俺は俺自身の思想に偏ってる』。よくそう言っていたよ」
龍宮と廻栖野は真顔になる。現時点で開示される情報全てにおいて不安要素しかないんだよなあ。ケイは素知らぬ顔で茶を啜った。
私が自分は化け物だって自虐したらね、とケイは切り出す。
「『二つの物事から共通点を箇条書きの形で抽出すると、例えば猫と椅子は類似したものになると言います。化け物と人間に本当に差はあるんでしょうか?』って言い出したの」
龍宮は、また妙なことを言う人だなと聞き入る。
「20くらいの項目をスラスラと挙げていくのよ。『俺もケイさんも甘いものを好む』、『二者は二足歩行が基本』、『本が好き』、『誰かが風に帽子をさらわれたら拾いに駆け出す』ってね。『血を吸うか否かの差が霞むくらい、共通項は多いから限りなく同じものだと言える』だって」
ケイが苦笑する。龍宮も顔を綻ばせた。「ひどいへ理屈だ」と。
「長く生きてると時々ああいう異物に出くわすよ。他の動物じゃない、人間だからこそその中から何かの拍子にふと産まれてくるの。そして大抵、自分が異端者だと理解してる」
廻栖野がお茶で口を潤す。
「人間は異物を排したがるじゃない。特に体育会系は統制をとりたいからチームワークを大義名分に掲げるでしょ。和を乱す、協調性がないって言って、よく眼を付けられていたわ」
龍宮は『ハルカちゃんって本当にバカだよね』と言われた公園でのことを思い出す。澤村は『仲間』という言葉を使ったが、あんなものはバケツに溜まった水が腐ったような人間関係じゃないかと毒づく。
「『目下だからと言って、間違っているとは限らない』っていう子だったから、ノリも反りもまるで合わなくてね、口喧嘩じゃ相手は勝てないから生意気だって手を出すんだけど、たいてい返り討ちにしちゃうのよね。小柄なのに腕っぷしが強くって」
人間から疎まれてたわ、とケイは湯呑みに視線を落とす。
「でも『殴られたところでたいてい、ひと月もすればどう痛かったかなんて忘れる。 相手の顔色を伺って言いたいことが言えないままずっと悶々とするよりずっと良い 』って子だったから生傷が絶えなくてね。 あの子は肉体的にも精神的にも強いけど、立場が弱い人間だったの。たいていのことは一人でできちゃう子だったから痛くも痒くもなかったみたいだけど 」
ケイがニヤニヤしながら、龍宮の顔を覗き込んだ。
「もしかして、少し自分に似てるかもって思った?」
「そんなことはないっス」
図星を突かれて龍宮はばつが悪くなり、顔を背ける。廻栖野は場がほぐれたので残りの練りきりを食べ切って皿を空けた。
「大丈夫。全く似てないから。というか、似てはダメ。人間は強すぎてはいけないのよ」
ケイの言葉に対し、それってどういうことですかと言いかけたとき、ネクサスフォンが鳴った。ケイが電話をとる。
「ごめんなさいね。仕事中だったでしょ。え、社長がもう帰った? まだ16時よね。あんたは? 定時が最低12時間労働と規定されてるから仕事は終わってるけど帰らせてもらえないって。残業代は、……出ないのね。原稿待ちのときは夜遅くなるんでしょ。大変ね。殺しちゃダメよ。あんたが本気になったら徒手空拳で余裕でしょうけど」
龍宮と廻栖野は顔を見合わせる。『社会は厳しい』と言ってるのは厳しくしてる奴らの台詞で、労働者は『働くのが辛い』って言ってるんだな。龍宮は世の不条理に震えた。
「ああ、うん。ちょっと待ってね、今変わるから。龍宮」
ネクサスフォンを渡される。第一声はこういうとき、何て声をかけたら良いんだろう。龍宮は自分の足りない社会経験を痛感した。
「お仕事お疲れさまです。お忙しいところすいません。相談させてもらった龍宮です」
『気遣ってくれてありがとう』
若い男性だと声から龍宮は推測する。外部スピーカーで通話内容が共有できるように設定されていた。廻栖野も耳を傾ける。
『俺は椎名という。正直、毎朝、事務所の扉を開けたら社長が首吊ってねえかなって思ってる。「社長! 駄目だ、死んでる……。念のためにあと20分吊るしておこう」ってやりたい』
これがブラック企業勤めの社会人の本音を内包したブラックユーモアか。龍宮は口を真一文字に結んで虚空を見つめた。
『ケイさんからメールをもらった。内容としては君が能力の構築したいから助言が欲しいというものだ。間違いはないだろうか』
「そうです」
『ぶっちゃけ断りたい』
龍宮は、頼みの綱を目の前で断ち切られた気分だった。自分の末路を目で追うように、視線が下がっていく。
『アルターポーテンスの構築は個人差があるから、どう指導すれば良いか実際のところ正確なものは誰も把握していないのだ。そんな不安定な代物の責任なんぞ誰も取りたがらないから、学園の教員を募集しても後込みして人が集まらない。慢性的な人手不足で、さらに指導に手が回らないという悪循環だ』
龍宮は惨めな気持ちになった。少しでも期待してしまった自分がバカだったのだ。澤村のにやけ顔が頭を過る。
『ほんと、ハルカちゃんってバカだよね』。
「そうっスよね。お仕事で大変なのに俺の面倒なんて見てられないっスよね」
『まあ、ほぼ暇しておるがな』
龍宮は額にシワを寄せる。何なんだよあんた、と龍宮は震える声で絞り出す。
「人間嫌いで、なんでも一人でできたあんたには落ちこぼれの気持ちなんてわからないよな!」
『そうだな。落ちこぼれの気持ちというのは俺にはわからない』
見るに耐えかねた廻栖野が電話を取り上げようとするのをケイが引き留めた。
『だが、人間に認められなくて悔しいという気持ちであれば、俺にも心当たりがある』
えっ、と龍宮は思わず溢す。
『君の悩みは、君の所有物であろう。俺が電話で二、三分話した程度でおいそれと「理解できる」などと言えるものではなかろうて。まあ良い。俺は龍宮君の能力構築に責任を持ちたくない。だが暇で発狂しそうだ。 そこで折衷案だ。 もし君が俺の退屈しのぎになってくれると言うならば、俺は「暇」である限りにおいて君を手助けしよう。むしろお願いしたい。どうだろうか、君は俺の暇潰しに付き合ってくれるか。言っておくが、俺の原稿待ちという不毛な残業は時に終電間際に及ぶぞ』
龍宮は目頭が少し熱くなった。
「話に聞いてたよりあんたずっと偏屈だよ」
知らんがな。椎名は投げやり気味にそう言った。