Act.15 逆鱗と決着
手をかざし、龍宮は確かめるように一歩踏み出す。そして確信する。逆だ。集められないから良いんじゃないか。龍宮は迷わず、走り出した。地雷の位置を察知して避けられる。
ハルカ先輩、と廻栖野が呟くのを高林は刹那に聞いた。
「俺が地面から水を集められねえところに、高林てめえの地雷はあるんじゃねえか」
龍宮も水の支配者だ。水の場所は感知できる。それが出来て、引き寄せられないのはすなわち、高林に支配権がある水だからだ。
そして今、標的は高林に絞っているから筒浦の魁の牙は適用されない。
「ハルカ先輩、がんばれ!」
涙ぐんで目を真っ赤にした廻栖野を見て、龍宮は偏屈者の言葉を思い出した。『「頑張れ」と言う言葉は嫌いだ』。案外、言われてみると悪いもんじゃないっスよ、椎名さん。龍宮は拳を握り締める。
迫り来る龍宮に高林は恐れをなす。
足手まといにしかならない廻栖野の体を土手に預ける。加重が解けていない彼女はその場に崩れた。
刻一刻と迫る龍宮。高林は奥の手とは言えない、小細工を使うことにした。
廻栖野のいない、反対側の斜面を高林は拳で打った。
水面下の自尊心は彼の射程圏内いっぱいの広範囲に地雷を仕込む場合、配置する場所はランダムになる(高林は位置を把握できる)。
しかし分散して任意発動が出来ないなら、最初から狭い範囲に仕込めば良いことを狡猾な高林は把握していた。
それが高林のすぐ近くの傾斜。彼は最初に能力を使ったとき、予め少量の水を仕込んでおいた。
「何をもたもたしてる高林、早くしろグズが」
「うるせえよ! 誰の所為だと思ってやがるロリコン野郎」
高林は不意打ちで加重を食らった。「があっ!」。膝が震える。
「くそが」
なんとか持ちこたえて高林は叫ぶ。
「俺の水は、すでに浸透している……! スプラッシュマイン!」
土手の局所が弾け、岩の散弾が放たれる。
「俺はここまで地面から水を集めながら来たんだぞ」
流水神楽は衝撃を水流に乗せて逃がす水の盾で防ぎ、進撃を再開する。高林の保険はもうなかった。加重されてそれ以上動くことさえかなわない。
そして高林は諦めた。
「俺たちが踏んだのは虎の尾だったか。いや、龍だから逆鱗か」
高林の顔面を正面からぶん殴る。雑草の蔓延る地面に叩き付けられ、短く唸ったあと、高林の体は傾斜に沿ってずり落ちた。
斜面に沿って、廻栖野の元に向かう。水を集めて、しゃがみ、横たわる廻栖野の体に触れた。途端に流水神楽が霧に変わる。
「流水神楽『雲散霧消』。水をコストに能力の効果を祓うよう改造したら、相殺された水が霧になる仕様になった」
なるほど確かに俺の意識を反映した能力だ、と龍宮は得心が行った。
「楽になった」
廻栖野が泣き腫らした顔で力なく笑う。重圧を食らったとき、受け身を取り損なったのか額が切れて血が出ていた。龍宮は気休め程度だが、純水を集めて湿らせたハンカチを廻栖野に投げ渡す。
龍宮は立ち上がり、筒浦をねめつけた。
「あとはてめえだけだ」
「俺に歯向かう者には重圧の牙が襲う」
容赦なく龍宮の全身に魁の牙の負荷がかかる。
「学習能力はねえのか、てめえには!」
もう筒浦には微塵の余裕もない。
「俺に敵意を向けたら、それは加重となって、てめえに返る。それとも霧に変えながら、俺のところまで来るか。重さに逐一耐えながらこの急斜面を登って。それを俺が待つと思ってんのか。コストの水だってその都度集められるなんて舐めたこと考えてんじゃねえぞ。水が尽きたとき、加重のタイミングに合わせてぶん殴る。顔面の原形が無くなるまで何度でもだ。しばいて転がして、横たわるてめえの脇でその女をたっぷり犯してやる!」
格上の自分が、目下の龍宮に負けるわけがないという慢心が筒浦にあった。
「この状況でそこまで言えるんだから、てめえは確かに大物だよ」
龍宮は静かに言った。
「食らったのはわざとだ。流水神楽で祓っても、どうせまた重さに取り憑かれるんだからな」
あとは上で撒き散らそう。水に流すのはそれからだ。龍宮は周囲から集められるだけの水を手元に引き寄せた。その中にはきっと廻栖野の涙も含まれている筈だから。「水よ」。
俺に膝まずけ、と呟き筒浦は拳を握った。
着々と流水神楽は構築されていく。
筒浦は何一つ思い通りにならない現状に対し、強い憤りを感じている。「力に屈しろ」。肩を震わせて怒りを露にした。
廻栖野はハンカチを抱きしめる。彼女はもう、筒浦に対して敵意の視線を向けていなかった。廻栖野の眼には龍宮の姿しか映っていない。
水よ。
「目下のもんが逆らうんじゃねえよ!」
筒浦の叫びは龍宮には届かなかった。
水を集め終えた龍宮は加重を食らったまま、よろめきつつ三歩、四歩と後退して行く。その先に不発弾があることを龍宮は感知していた。
狭い範囲に仕込めばランダムではないという高林の罠。発動させられなかったその場所は、もし龍宮が不用意に廻栖野に近付けば、踏み込むであろう地点だった。
回避した地雷を龍宮はわざと踏んだ。トリガー型は意識を失っていても発動する。水面下の自尊心の反動を利用して、打ち上げられた龍宮の体は土手をわずかに飛び越した。
「俺を見下すな……」
筒浦の体は小刻みに震えている。二度目の滞空で龍宮が見た筒浦の顔は目を見開き、怯えきったものだった。
「確かに土手を駆け上がるのは骨が折れそうだ。だが上から下に落ちるなら、いくら加重されようが関係ねえよな」
筒浦の近くに着地する。前傾姿勢から、ダッシュをかける直前に流水神楽『雲散霧消』で魁の牙の重圧を四散させた。
放たれた弾丸のように龍宮は飛びかかり、再び鉛のような負荷をかけられた体で筒浦の片脚を捕らえる。腰から地面に落ちた筒浦が、引き剥がそうと龍宮を何度も蹴った。しかし這いずっていき、とうとうマウントポジションをとる。
すかさず覆い被せるようにして筒浦の顔面に掴む。鼻が手のひらで押しつぶれ、両頬の骨とこめかみ、額に指がかかる。龍宮は手の甲にできたカサブタを見た。廻栖野が泣いているところを見たのは初めてだった。そう思うと龍宮の指先にいっそう力が入る。
万力のように締め上げられた筒浦は両手で龍宮の腕に爪を立てるが、龍宮は気にもとめない。
「なあ、先輩よォ。あんたのリベンジバイトを利用して俺の加重に巻き込むってのは敵意ある攻撃じゃねえか?」
凄む龍宮に、筒浦の心は折れた。わざと地雷を踏んだときに関わっちゃいけない人種だと心の底から理解した。
「加重に加重を重ねていったら、それはもう」
筒浦には、今はもう後悔しかない。
「無限連鎖じゃね?」
涙ぐんだ筒浦は堪らずに絶叫する。
「リベンジバイト、解除!」
筒浦が握りしめていた手綱はたやすく振り払われた。筒浦の目には龍宮が、束縛を解かれた獣に見えた。
「オールオーケーだ。 ぶちのめす」
威力を高めるために破城槌を力一杯、後ろに引くように龍宮の拳が徐々に遠ざかっていく。
龍宮はぶちまけるように吼えた。
「歯ァ食いしばれ! 折れちまうよか、ヒビで済むんなら、ちったあマシだろ!」
龍宮の快進撃の幕引きはその一撃だった。




