盗賊ルイ=ライズ
さて、オーブの代用にできるほどの魔法力を秘めたアイテムを入手できました。それではこれから呪文を発動させるプロセスとなる魔法式を書き込んでいきましょう。ざーっと七十二時間くらい掛かりそうです。
丁度この第三の目はサイズが他のオーブと同じくらいなのが助かりました。サイズが違うと式自体も伸長させないといけなくてとても面倒くさいんですよね。同じサイズなら同じように式を書いていけばいいので楽チンです。
もしかして他のオーブも有力な魔族の第三の目を素材にして作られてたりするんでしょうか?
「あ、そうです。ルーくーん」
私は多分どこかで盗聴術式を使っているであろうルイ=ライズを呼びました。
少しすると、おそらくはキマイラの翼を使ったルーくんが私の傍に瞬間移動してきました。ルーくんは頬が紅潮していて、酒瓶を抱えていました。手には盃があります。
「なんだよ?」
「私、これからもう一回魔王をぶち殺しに行ってきます」
「うんうん」
「それで私が失敗して死んだときなんですけど、捻くれてないで各地の魔族の撃破くらいやってくれませんか。魔王は倒せないでしょうけど、それ以外ならあなたなら余裕でしょう?」
ルーくんは眉根を寄せて苦い顔をします。
「なあねーちゃん。魔王に挑むのやめないか」
「やめないです」
「勝てないよ。無駄だよ」
「だってあいつ勇者さんをぶち殺したんですよ。だったら私があいつをぶち殺さないと」
「どうしても?」
「どうしてもです」
「わかった」
ルーくんは盛大に嘔吐しました。わざと。解毒呪文を使って。
「あー……アルコール抜けた」
どうやら体内の酒だけを全部吐いたようです。器用なことをする子です。
ルーくんが両腕を振ると袖の下に仕込んだ刃がカチンカチンと音を立てて固定されます。
「姉ちゃん。今から僕とガチでバトって、僕が勝ったら魔王と戦うのはやめる。姉ちゃんが勝ったら好きにするってどうだい?」
「あんまり私にメリットがなくないですか?」
「それもそうだね。じゃあ姉ちゃんが勝ったら僕も一緒に戦ってやるよ」
「ふむ」
ルーくんは大きな戦力です。多分勇者さん亡きいま、私と並んで人類最強でしょう。
そして相手は魔王。どう考えても私一人には荷が勝ちすぎる相手です。
「わかりました。やりましょう」
なによりこの思い上がった小僧っ子の性根を叩き直してやりたくなりました。生意気にもルーくんは私に勝てると思っているわけですから。ルーくんはたしかに私とフリューさんを足して2で割らないくらいの天才ですが、それでも私やフリューさんに追いつくには長い時間が掛かるはずです。まあ不安要素があるならば表面しか再生していない、オウルウさんに消し飛ばされた左腕ですが、なんとかなるでしょう。そもそももし負けたとしてもルーくんとの口約束なんて破っちゃえばいいんです。てへっ☆
「じゃあ、行くよ?」
ルーくんが加速呪文を唱えました。消えるかと見まがうほどの速さで疾走し私の元に到達します。私は瞬間移動呪文を唱えてルーくんの後方に移動。振り返ったルーくんから透かさず天屠閃が飛んで来ます。音波反響呪文によって私の位置を常に正確に捉えているようです。爆裂呪文を放って先端の分銅を弾き、勢いを消しました。「減速呪文」ルーくんが唱えました。ルーくんの手から伸びた魔法力が私にまとわりつきます。「!」加速呪文を使っているルーくんと減速呪文を受けた私では倍以上も速度差があります。私は瞬間移動呪文で逃げようとしましたが、不意にルーくんが魔法力を霧のように放出しました。七武衆の方が使っていたのと同じ「障害物で転移先を満たして転移を妨害する」方法です。あの方は常に魔法力を放出していましたが、ルーくんは私が転移する瞬間に一瞬だけ障害物を作り出して、呪文をジャミングしたのです。瞬間移動呪文は不発に終わり、私の目前にはルーくんが迫ります。無論常人にできることではありません。数瞬もすれば私はルーくんの剣の餌食です。
不意に私の脳裏に恐怖が蘇りました。魔王の姿。勇者さんが殺されるところ。確かに眼前にあった死。「いやあああああああ」気づいたときには私は半狂乱で、極大火炎呪文を放っていました。手加減抜きです。「る、ルーくん……?」死んでいてもおかしくない。否、死んでいなければおかしいほどの炎でした。「ルーくん? 嘘、嫌だ……」ちょっとお灸を据えるだけのつもりだったのです。殺すつもりなんてなかったのです。
自分の放った炎の前で絶望する私に。
真正面から火炎を突破してきた無傷のルーくんが静かに刃を突きつけました。
「僕の勝ちでいいよな?」
「え」
どうやって。なんで? あの炎を無傷で切り抜けられるような呪文をルーくんが持ってるなんて聞いたことがありません。生身の人間が受ければ消し炭にならないとおかしい火力なのに。
私はルーくんの体が薄く黒い魔法力を纏っていることに気づきました。これって。
「闇刻結界……?」
「うん。それ。魔王と同じ呪文無効化」
「嘘?! なんでできるの? ずるい!」
「他のやつにできるんだから僕にだって出来てもおかしくないんじゃねーの?」
「それはそうかもだけど、え、えええ……?」
だって私はその呪文できませんよ?! あきらかに固有スキルの感じじゃないですか。勇者さんの稲妻とかと同じで。なんでできるんですか。ずるい。呪文の固有スキルだなんて! 私のアイデンティティぶんどらないでください。
「とにかく僕の勝ち。姉ちゃんは魔王に挑むのを諦める。いいよね?」
「ぐぬぬ」
「とか言っても諦めないんだろうね。姉ちゃんは。頑固だから。んで馬鹿だから」
見破られていました。
「どーせルーくんとの約束なら破ってもいいや☆ とか考えてたんだろうな」
「くっ……」
「わー傷ついた。僕すごく傷ついたー」
「ご、ごめんなさい」
「いいよ。んで仕方ないから手伝ってあげるよ」
「え」
「魔王と戦うんだろ。なんか見込みは見つけたんだろうけど、一人だったらどうせ倒せないだろ」
「つまりルーくんは私に死んで欲しくないんですね」
「そうだよ。僕、姉ちゃんのこと大好きだから」
「え」
「じゃあその見込みとやらを話してよ」
「ちょっと待っていまのもう一回」
「僕はねーちゃんのことが大好きだー」
「もう一回」
「僕はねーちゃんのことが大好きだー」
「リピート」
「しつけえよ」
く、少しも照れやがりませんこのマセガキめ。
……えへへへへへ。
魔王撃破のために立てていた計画のかくかくしかじかを話しました。
神妙な顔つきで聞いていたルーくんが「結界を剥がしてからのことは?」と訊きました。
「それは、えっと、流れと勢いで」
「はぁ」
ため息をつかれてしまいました。
「ラ・ルミアとやらの魔法式を起爆させるまでの防御はどうするつもりだったんだ」
「えっと、がんばる」
「起爆に失敗した場合のリカバリは?もしも魔法力の爆発で結界が解けなかった時の離脱手段とか考えてたのか」
「なんとかなるかなと」
「はぁ」
ルーくんは呆れかえっています。
「わかった。そのへんはまあ僕がなんとかするよ。ていうか姉ちゃん、実は僕のことあてにしてたんじゃない?」
「微妙に否定できないかもしれないこともあるのかもしれません」
「はぁ」
三度目のため息をつかれてしまいました。
「まあ結界を解く手段を見つけただけでも大したもんか」
“ぼくは結局見つけられなかったしな”。
ルーくんが超小声で言いました。聞こえなかった振りをしてあげましょう。……きっと自分で闇刻結界を使えるようになったのは結界を解く手段を探している際の副産物だったんですね。
「ていうか使い手として意見を伺いたいんですが、この手段で解けそうですか」
「うん。解けるよ」
至極あっさりと肯定が返ってきます。
「決行は?」
「十日後くらいですかね。実はちょっと手傷を負いまして」
「傷? 誰にやられたの?」
「七武衆の、オウルウという方です。黒の大地で」
というかそのときのことは盗聴していなかったのですね。察するに呑んだくれて眠っていたのでしょうか。
ルーくんが音もなくスッと立ち上がりました。
「ちょっとそいつぶち殺してくるよ。待ってて」
「わ、和解して協力していただいたので大丈夫ですよ?!」
「駄目だよ。だって姉ちゃんを傷物にしたんだよ。そいつの命でも釣り合いが取れないくらいだ」
「あ、あの、えっと、決戦前に力を使うのはまずいです」
「そうだけど」
「大丈夫ですから。落ち着いて」
「落ち着いて、って変な姉ちゃんだな。僕は落ち着いてるし、冷静だよ?」
全然落ち着いてないです。目が据わってます。魂の色も真っ赤です。激おこしてます。
「めっ」
「……子供扱いするなよ」
「めっ」
「ちっ」
舌打ちしながらもルーくんは腰を降ろしました。
なんだかんだで扱いやすくてかわいい子だなぁと私は思いました。
「ところで姉ちゃん。顔色悪いけどちゃんと寝てるのか」
「え、寝てますよ」
前に寝たのは、えっと、いつでしたっけ。
「じゃあ食べてる?」
「た、食べてますよ」
最後に食べたのは、勇者さんと一緒に魔王に挑むちょっと前でしょうか。
ルーくんがじーっと私を見つめます。
「倒れるよ?」
「う」
嘘発見器ですかこの子は。心音とか諸々で見破れるみたいですが。
ルーくんは不意に私に人差し指を向けました。
「睡眠呪文」
「……き、効きませんね」
私の超人的な対魔法力が呪文を弾いて――
「ダメか。精神的なものが原因なんだろうな」
ええ、見栄をはりました。別に対魔法力とか持ってないです。
「食欲ない?」
「はい」
「眠れない?」
「はい」
「十日持つかな」
「だ、大丈夫ですよきっと」
「相手は魔王だから万全を期して挑むべきだと思うよ」
「うう……」
「僕、ちょっとルミアのところに行ってくるよ」
「はい……、え?」
いまさらっとすごいこと言いませんでした?!
ルーくんは空中に魔法式を展開しました。次元演算を行って魔法力を錬って、それから。
「瞬間移動呪文」
ルーくんはその場から消えました。
「あの子、瞬間移動呪文できたんですか」
私のアイデンティティ……。
ルイ=ライズはとある森の中にやってきた。長距離の瞬間移動だったために多少座標のズレがあったようだ。やはりヒフミのようにはいかないなと苦笑する。
ルイは音波反響呪文を使い、人の耳では聞こえない超音波を撒き散らす。周囲の物体に反射してきた音を聞き取り、周囲の正確な地形を把握する。東西南北に一つずつ、四つある大きな岩の位置を確認する。それからその四つの中心にある一際大きな大樹の位置。同時にその大樹にモンスターが群れをなして住み着いていることも確認する。いいや、群れというよりも軍勢と言ったほうが正しいだろう。相当数のモンスターが隊列を組んで、大樹を守っている。あれに人間を近づけさせたくないのだろう。
大樹はユクドラシルだとか世界樹だとか呼ばれている。
実際の正体は九つに別たれたルミアの肉体の五つ目だ。
ルイは大樹に向けて歩き出した。大樹を守護している魔物たちはルイに反応もしない。別に特別な呪文を使っているからではない。この場所を守護している七武衆とルイが顔見知りだからだ。
「ゾルア、いるんだろ?」
ルイが影に向けて呼びかけると漆黒の闇が纏まって人型の魔物の形を作る。
ゾルア=ロト。オウルウと同じ元魔王だ。しかしこちらはオウルウと違い、勇者との決戦に敗れた。莫大な魔法力を持ってどうにかこうにか消滅だけは間逃れ、魂だけの存在となって生き延びている。神代の怪物の一体だが肉体を持たないがために現世に干渉する方法に乏しく、策を弄するだけの小物と化している。
「何をしにきた?」
「おいおい、せっかく勇者を殺した英雄様の凱旋にその態度はないんじゃないか。労ってくれよ?」
ルイは皮肉気に口元を歪めた。
「貴様が手を下したわけではあるまい?」
「その通りだけどさ。まあいいや、本題だ。いろいろ訊きたいことがあるんだ」
軽く肩を竦めて、切り出す。
「僕とヒフミの抹殺命令を出したのはお前か?」
「そうだ」
「せっかく勇者が死んだんだからそれで満足しておけばいいのに、欲張りなやつだな」
「お前はともかくあの女は危険だ。消しておかねばならぬ」
ルイは噴き出しそうになった。あの人畜無害で馬鹿なヒフミが危険? 放っておけば何もできはしなかっただろうに。中途半端にちょっかいをかけるからより一層危険になって牙を剥いているのだ。
ルイにも抹殺の命令を出したのは、単にヒフミだけを殺そうとするのが不自然だったからだろう。そのあたりは察しがついていたのでルイも今更深くは訊かなかった
「あの魔王はなんだ? お前が作ったのか?」
「知ってどうする? 人形に過ぎぬ貴様が勇者の一行に情でも移ったのか?」
揶揄するような響きの声にルイは表情を顰める。
「別に。ただの興味本位だよ。もったいぶるなよ」
「……知らぬ」
「は? お前、魔族のすべては自分が牛耳っているって前に威張ってたじゃないか」
「おそらくオウルウかルミアの差し金だろう」
「オウルウってやつはお前とは違う派閥なのか」
「俺からすべてを奪った魔族だ」
「すべてを牛耳ってる、なんてのはお前の強がりだったわけか」
「黙れ。殺すぞ」
ゾルアの体が鈍く発光する。ルイの内部に仕込まれた魔法力の術式が呼応する。ルイは喉元を抑えた。皮膚の上に浮かんだ黒い痣が、ルイの喉を締め上げている。首枷呪文と呼ばれている禁呪法の一つだ。ゾルアは魔法力の指令一つでルイを殺すことが出来る。
「気を悪く、するなよ。僕だって、お前と喧嘩が、したいわけじゃ、ない」
発光が収まる。ルイの首から痣が薄れていく。苦い顔で何度か咳をしたあと呼吸を整える。
「何をしにきた」
「ルミアの涙を取りに来たんだ。この樹の樹液は治癒効果のあるアイテムの中じゃ最高格だろ」
「手傷を負ったか?」
「ヒフミがね。オウルウとやりあったらしい」
「放っておけばいいものを」
「ヒフミを回復させてあの魔王にぶつける。魔王かヒフミのどちらか、あるいはどちらも死ぬ。オウルウとやらの策略も潰せて一石二鳥じゃないか」
「無意味に婉曲した策だ。ヒフミを殺した方が早い。なぜそうしない?」
「……」
「懸想でもしたのか」
「馬鹿を言うな。取り入るために好意は見せてるけど、僕がそういうモノじゃないことくらいお前が一番よくわかってるだろ」
感情の映らない目でルイはゾルマを見る。恐ろしく冷たい目だった。
ゾルマはしばらく考えていたが、「いいだろう。お前に一任する」と言った。
「ただし最終的にはお前にはあの次元跳躍士を殺してもらうことになるぞ。あまり深入りするなよ。お前は我の傀儡に過ぎぬのだから」
「わかってるさ。嫌ってほどね」
ルイは呟くように言うと、加速呪文を使ってさっさと大樹を登っていった。
登っていくルイを見送って、ゾルアは感傷を覚えた。ゾルアはルイが自分を裏切りつつあることをなんとなく理解していた。ルイは彼にとって呪いの対象でしかなかった人間に、いまはわずかながら好意を抱きつつある。
ゾルアにとってルイは単なる手駒の一つだ。それも“首枷”をつけているために害意をなせばいつでも始末できる。自分に対して牙を剥くのでなければ、放置しても構わない程度の価値しかない。
ルイ=ライズ。お前の内側にあるものに人間達が気づいた時、人間はお前に恐怖し、排斥し、お前を殺そうとするだろう。そしてお前は絶望する。破滅と悲劇を撒き散らす魔獣と化す。ゾルアの思惑通りに。その瞬間のことを考えるとゾルアはほくそ笑まざるを得なかった。
ルーくんがどこかへ行っている間、とても暇でした。オーブに刻む魔法式の方は自動書記状態にしてあるので、積極的にやるべきことが何もありません。あんまり暇なので魔法式をたくさん作って、ストックしておくことにします。
魔法式は数式みたいなもので、例えば1+1という式を作り、そこに魔法力を注ぎ込むことで2という魔法が発動します。普通は使いきりだし、すぐに消えてしまうので、魔法を使う際に作ってその場で使ってしまうのが基本です。けれど事前に作って固定化を施した魔法式にもそれなりに使い道があったりします。負担は大きいですけど、そもそも私、キャパシティが桁外れですからそのへんの融通は効きます。
「にゃーにゃーにゃにゃーにゃー」
作っておくのは、爆裂呪文でいいでしょう。勇者さんたちと一緒に魔王と戦ったとき、以前作ったストックを全部使い果たしちゃってましたから。……。あれと、また戦うんですね。意識すると思い出したくもないのに、勇者さんが死んだときの光景が蘇ってきました。
「さて、前哨戦といくか」
皮肉気な笑みを浮かべながら、勇者さんは大勢並んだ魔物たちと対峙しました。奇声上げながら襲い掛かってくる魔物に、ただ「雷撃呪文」と呟きます。瞬間、勇者さんの体が発光し網の目のように広がった稲妻の糸が魔物達の大半を捉えました。電気の速度は光速の三分の一、秒速にして十万キロメルトルの速さで疾駆する雷撃呪文は回避不可能。そしてその威力は絶大です。最小限の魔法力の放出で心臓と脳だけがバチバチと音を立てて焼けていきます。「おろ? でかいのが残ったか」巨人族が神経の痛みに耐えながら勇者さんに向けて棍棒を振り下ろしました。しかし自身の肉体まで雷に変えて稲妻の速さで巨人族の背後に回った勇者さんは易々と棍棒をかわします。ついでにその背中に触れて直接電流を流し込みながら、「フリュー」と戦士さんの名を呼びました。「おう」フリューさんは軽く答えながら、伸長呪文によって長大化した剣を一閃。神経に電撃を流されて身動きが取れないまま、首と胴の分かれた巨人の体が地面に倒れます。
勇者さんの狩り残した死に損ないの魔物に向けて天屠閃が飛びました。急所を穿たれて倒れていきます。一際大きな魔法力を放つ、鎌を構えた骸骨の魔族が何かの呪文を唱えていました。
「我こそは七武――」
即座に勇者さんの電撃が音を立てて襲い掛かりますが、電撃による攻撃は神経の通っていない骨の魔族に対して通常の生物ほどの威力は発揮しません。勇者さんは魔法式を切り替えました。手荷物からナイフを何本かばら撒くと、それらが一斉に骨の魔族に向かって高速で突き刺さります。雷の力を磁力に変換したのです。全身に刃が突き刺さり肉体的に絶命した骨の魔族が体から魂を引き剥がし手近な生き物に憑依しようとしました。が、周囲の魔物はすべて勇者さんの稲妻によって焼き払われていて、戦士さんの剣によって切り裂かれていて、盗賊さんの鋲のよって穿たれています。
「昇天呪文」
そして私の唱えた呪文が、残った魂の力さえ分解していきました。登場して10秒も経たずに、なんだか強そうだった魔族が死に絶えます。
む、私の見せ場が少ない。
まあ破壊力重視で闘えば魔法力を消耗する私は、雑魚戦に出張るよりもボス戦に力を注いだほうが有効なキャラクターですから。雑魚掃除なんてのは勇者さんや戦士さんに任せればいいのです。
私は実はこのメンバーなら魔王なんて楽勝で倒せて、終わったあと「拍子抜けでしたね」なんて笑っているものだと思っていました。
魔王城の中に入ると、大勢の魔物が待ち構えていたそれまでと一転して誰もいませんでした。何もない城をしばらく進んでいくと、まがまがしい意匠を施された扉がありました。
「ルイ、この先は?」
「わからない。何かが呪文を打ち消してる」
音波反響呪文で広範囲の音を拾っていたルーくんが答えます。全員が戦闘体勢を取りました。
「開けるぞ」
魔王がいる確率が高い。私たちはそれを認識した上で、その扉を開けました。
だからこの先の結果は決して油断によるものではありませんでした。
扉を開けた先には、魔王がいました。身の丈は人間の三倍ほどでしょうか。仰々しく玉座に腰掛けた巨大な魔族。先ず目に付いたのは血の気のない青い肌。ゆとりのある袴のような衣装を纏っています。異様に痩せこけた顔つきは骨に皮膚だけが張り付いているようで、目を閉じているのに第三の眼だけが大きく見開かれて私たちを見ていました。部屋一面に魔王の放つ黒い魔法力が波打っています。
初見の私たちにはそれがなんであるかわかりませんでした。
「行くぞ」
稲妻と化した勇者さんが先陣を切り――、黒い魔法力に触れました。ぱちんと、ゴムの切れたような音がしました。稲妻になったはずの勇者さんは、変わらずにそこにいました。なにが起こったのかわからない勇者さんに向けて、魔王の長い腕が伸びます。大きく広がった五指が勇者さんの体を鷲摑みにしました。ごきごきごき、ぶちん。上半身と下半身が切れる、嫌な音が響きました。
「え?」
痛みと恐怖で見開かれた勇者さんの目が、私を見ていました。床に落ちて、千切れた腰のあたりから血液をぶちまけて。絶命した勇者さんの目が。「勇者さん?」私は勇者さんと魔王を交互に見ました。腕を振り上げた魔王が私に迫ってきています。私はありったけの呪文でそれを迎撃しようとしましたが、全然なんの効果もありませんでした。ストックしていたありったけの魔法陣もなんの役にも立たず、黒い魔法力に触れた瞬間に無力化されていきます。気づいたら下腹部が濡れていました。勇者さんが死んだんだ。私ももうすぐ死ぬんだと実感したら、全身の力が抜けておしっこを漏らしていました。勝手に体が震えてわけがわからなくなって、戦士さんが「逃げろ」と叫んでいました。わけがわからずに身を捩る私の、首の後ろあたりにルーくんが手刀を叩き込みました。私を気絶させて抱えたルーくんが、戦士さんを置いて逃げていました。
勇者さんが死にました。
勇者さんが死にました。
勇者さんが死にました。
恐くなってガタガタ震えていた私の肩に暖かい手が触れました。
「ヒフミ、大丈夫だよ。落ち着いて。ここには僕しかいないから。姉ちゃんを傷つける人は誰もいないから」
静かな声でルーくんが言います。
「恐くないよ。ゆーっくり息を吸って。できるよね? ゆーっくりね。スー、ハー」
うまく息が吸えない私に、思い出させるようにルーくんが深呼吸しました。
私の震えと過呼吸はその後、数分間続きましたがやがて治まりました。
少し落ち着いてきた私に、ルーくんは水筒から注いだ何かを飲むように促しました。言われるがままにそれを飲み干すと、ずっと眠っていなかった分の睡魔が急にやってきたように、私は眠りに落ちました。